日刊ゲンダイは「平成」と云う時代を“転落の時代”と捉え、次の時代を“奈落の時代”と予測しているが、あながち間違いと笑い飛ばせないのが、現実なのが怖ろしい。
まぁ、以下の記事は、共同通信の世論調査の結果を受けての評論記事なのだが、他社や他者の言葉を通して悲観論を記事にしている点が悲しいが、総じて、悲観論的立ち位置のメディアとしては、上手くまとまった記事になっている。先ずは、読んでいただこう。
≪「平成よかった」が7割超安倍偽装政治に騙される人々
平成も残り1カ月余り。共同通信が平成の時代に関する郵送世論調査(3000人対象)を実施した結果、「どちらかといえば」を含め、73%が「良い時代」と評価したという。つくづくオメデタイ国民性だ。
当然、庶民は増えない貯蓄を削る生活を強いられる。「1億総中流」と呼ばれた72年には金融資産がある世帯の比率は96.8%に達したが、17年には金融資産なしと答えた世帯が31.2%に上昇。本来得られた利子を奪われ、貯蓄ゼロの貧しい世帯が急増したのが、平成という時代なのだ。
■政治が人を大切にしなくなった時代
さらに黒田日銀がマイナス金利政策に踏み込んだため、メガバンクすら利ざやを稼げず、計3.2万人分の業務を削る大規模リストラを断行。店舗も次々と廃止し、三菱UFJは21年度までに国内516支店の1~2割を統廃合。みずほも24年度までに2割減らす。
元銀行員で経済評論家の斎藤満氏はこう言った。
「銀行業の根本は支店を通じた利用者サービス。それを守るのは銀行の責務なのに、維持できなくなったのも平成以降の歴代政権の責任です。『貯蓄から投資』と音頭を取り続け、株価維持のため、銀行に投資信託の販売増を押しつけた。かつての護送船団方式を崩壊させ、小泉・竹中コンビによる銀行イジメ以降は当局と銀行の信頼関係もガタガタ。20年ものゼロ金利政策で体力を奪われた上、トドメを刺したのが、アベクロコンビのマイナス金利です。
経営が追い込まれても、もはや政府には頼れず、メガバンクでさえ自衛のために大リストラに走らざるを得ません。支店閉鎖で不便を被るのは利用者で、特にお年寄りは周りに支店がなくて途方に暮れています。それでも安倍政権はキャッシュレス化推進で、ますます銀行離れを加速させ、ついていけない人々を置き去りにする。残酷です」
政治が人を大切にしなくなったのも、平成時代に特記すべきことだ。
■日本人の美徳を破壊した弱肉強食の格差社会
平成の会社員が失ったのが終身雇用と年功序列だ。会社が社員を守らなくなり、賃金も低下。非正規労働者は単なる使い捨てのコマだ。会社に忠誠を誓った企業戦士は今や昔。日本を代表する大企業でもモラルが低下し、信じ難い不正が相次いだのも平成の時代だ。
いや、企業や大学、スポーツ界で増え続ける不祥事でも、責任者は都合の悪いことを隠し、ゴマカし、はぐらかしに終始。政権のイカれた体質が日本社会全体に蔓延しつつある。 後世に「平成最後の6年間が日本を変えてしまった」と疎まれるほど、今の日本は忌まわしい歴史の渦中にあるのだ。
■メディアの良識が消え不正もなかったことに
安倍政権の悪事もメディアが伝えなければ、なかったことになる。おかげで、「GDP600兆円」という政治目標に端を発する統計不正の追及も今や沙汰やみ。“ダマシノミクス”のペテン政治もまんまと成功だ。
政治評論家の森田実氏が言う。
「盗聴法や特定秘密保護法、共謀罪などで監視社会を強化し、モノ言う国民にプレッシャーをかける仕組みを仕上げ、さらに安倍政権が官邸に権力を集中させ、小選挙区制の導入も相まって役人も与党も政権の言いなり。ネットの発達が歪んだ共感社会への強要と、ヘイトの氾濫を生み落とし、その中で安倍政権は戦後最悪の対中・対韓関係の悪化を招いた。日米安保も強化し、ついには集団的自衛権の容認で憲法9条を死文化させたのです。
平成を良かったという7割超の庶民は次の時代も安倍と同じような政治家を選ぶのだろう。希代の詐欺首相による恐ろしい国民総洗脳は、いつになったら覚めるのか。
≫(日刊ゲンダイ)
平成と云う時代解釈は色々で良いのだろうが、平凡な時代だっと言えるのではないのだろうか。昭和という時代が、あまりにもアップダウンの激しい時代だっただけに、どこか刺激に欠けていた時代なのだと思う。
平成は、構造的にズルズルと右肩下がりな経済につられるように、世の中全体に活力がなくなり、男子の草食化やコスパ男が大量に増産される時代になった。このような社会現象は、権力者や既得権益層にとって、目先は非常に都合のいい時代なのだ。
しかし、被支配者の牙を抜くことで、一時支配層は絶対的な勝者になるのだが、この勝利には継続性と云うDNAが欠けているので、結果的には、敗者だらけになるか、外国に勝者の地位を譲ることになる。
つまり、日本と云う国を、市場原理主義の坩堝に投げ入れてしまった結果、最終的には、独立性に欠けた属国度が鮮明な日本と云う国が出来上がる。
米軍や、グローバル金融や企業群の配下となり、その下に、日本人がぶら下がる社会と云う構造が、目に見えて判るような時代が来るのだろう。:仮に、米国や、グローバル資本が健全なまま推移するのであれば、好き嫌いは別にして、それでもいいのだろう。
しかし、米国やグローバル経済の限界は、その兆候を既に表しているわけで、その健全性は保証されていない。:いやむしろ、中国やインドが覇権を握る可能性の方が、高いと考える方が妥当性があるような時代の流れなのだろう。
いま未だ、米国の方が有利だから、これからもと云う図式を信じるのは既得権益層か愚か者であって、ニュートラルに考えれば、益々、米国の覇権は怪しくなると見るのが妥当だ。
ただ、日本人の多くは、平成と云う時代を通じて、本来から持っていた、利己主義をより鮮明にし、エゴセントリックな国民性が定着している。
平成を、良い時代だったと云う人々の多くは、昭和の高度経済成長期の遺産を食いつぶして息をしていた「平成」と云う時代感覚にまで、考えが至らない知的水準だからだろう。
まぁ、エゴセントリックに考えれば、まだ食いつぶす遺産が残っている間は、良い時代だと感じるのは当然かもしれない。正直、論理的に、自国に経済や社会が、雪隠詰めになると判っていても、エゴセントリックで、見えるものだけで、ものごとを理解や判断する以上、近い将来であっても、リスク管理を叫ぶことの虚しさを知っているので、語る者は少ない。
“やばい”と云う危機意識はあっても、彼らは、それを口にはしない。
行くところまで、行くしかない。 まるで、太平洋戦争に突入した時と同じ構図なのだ。 おそらく、超貧乏を強いられることになりそうだが、4,50代を含め、なんとか逃げ切れるのではと、それこそエゴセントリックな考えに意識下にある。
最近では筆者も、こりゃ、行くところまで行くしかないな、と思うようになった。その行きつくところが、戦争でないことを祈る気分だ。以下のように、キナ臭さは増すばかりだが。
≪ 安保法3年 自衛変容 新任務次々に
集団的自衛権の行使を可能にし、自衛隊の役割を拡大した安全保障関連法は29日、施行から3年を迎えた。自衛隊はこの間、安保関連法に基づく「米艦防護」などの新任務を次々と実施してきた。4月には安保関連法の「国際連携平和安全活動」を初めて適用し、イスラエル、エジプト両軍を停戦監視する多国籍軍・監視団(MFO)の司令部に自衛官2人を派遣する方針だ。ただ、役割の拡大は、専守防衛を逸脱する恐れもはらんでいる。【木下訓明】
■「専守」逸脱の恐れも
「3年間で日米同盟はより強固になり、抑止力は向上した。日本の役割拡大は、米側もしっかりと評価している」。岩屋毅防衛相は29日の記者会見で、安保関連法の意義を強調した。
岩屋氏は会見で「新たな任務で(自衛隊に)リスクが増える可能性はある。それを限りなくゼロにするため訓練をしっかりと行う」と強調した。だが、野党は「『いずも空母化』など日本の安全保障の根幹的な原則から逸脱しているような状況が見受けられる。安保関連法制を廃止する準備をしなければならない」(立憲民主党の福山哲郎幹事長)などと反発を強めている。
≫(毎日新聞)
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