水俣病70年 国は全面救済果たさねば


2026
51日北海道新聞


水俣病が熊本県で公式に確認されてきょうで70年となった。豊かな海の幸に恵まれていた人々の日常を奪ったのは、チッソが流す工場排水に含まれていたメチル水銀だった。汚染された魚介類を食べた住民は言語障害や歩行障害などに苦しんだ。

 
公害病と認定されるのは12年後の1968年だ。企業や行政の不作為が被害を拡大させた。人の命や健康を軽視した成長優先の経済のあり方は、今日の日本にも重い問いを突きつける。
 患者認定や救済を求め訴訟が続いている。国は一刻も早く全面救済を果たさねばならない。

 
認定申請者は熊本、鹿児島両県で3月末で延べ約33千人に上るが、認められたのは2284人だ。国の認定基準は長い間、複数の症状を要件とするなど厳格さが批判されてきた。
2009年に特別措置法が施行されるなど、患者と認定されなかった人に一時金を支給する「政治決着」の救済策も過去に2度図られた。それでも居住地域や年代などで救済の対象外とされた人たちがいる。

 
23年の大阪地裁判決は、特措法の線引きから外れていても、メチル水銀に汚染された魚介類を多く食べれば発症する可能性があると踏み込み、原告128人全員を水俣病と認めた。
被害の広がりや深刻さを考えれば、認定や救済の対象を限定しようとする行政の姿勢を根本から改めねば解決は遠い。

 
そもそも国は全容解明に向けた本格的な健康調査を行っておらず、地域や年代による線引きに科学的根拠は乏しい。特措法に基づいて千人規模の調査が本年度ようやく始まるが、被害者は高齢化し亡くなった人も多い段階であり、あまりにも遅い。
政治の責任も見過ごせない。

 
公式確認から3年後の59年、厚生省の食品衛生調査会水俣食中毒特別部会は、主因は「ある種の有機水銀化合物」だと答申した。既にチッソの排水が発生源だと広く疑われていた。
 しかし答申後の閣議で当時の池田勇人通産相は、有機水銀がチッソ工場から流れ出ていると結論づけるのは「早計」と異議を唱えた。部会は解散となる。

 
この発言について環境相の私的懇談会「水俣病問題に係る懇談会」は06年の提言書で「国の『不作為』が政治レベルでも選択されたことを意味し、行政のその後の姿勢を決定づけた」と厳しく指摘している。

 
経済効率を優先して原発の危険性を直視せず、過酷な事故に至った福島第1原発の問題にも通じる。「水俣」の教訓を社会は忘れてはならない。