東日本大震災15年 復興支援の手を緩めるな


2026
311日 北海道新聞


東日本大震災から15年がたった。巨大な地震と津波、東京電力福島第1原発の事故が重なった未曽有の複合災害だった。死者・行方不明者は関連死を含め22千人以上に上る。

 
国は岩手、宮城両県のインフラ整備はほぼ終えたとする。2026年度からは原発事故の影響が続く福島県に重点を置く第3期復興・創生期間に移る。
ただ被災の傷は15年では癒えないほど深い。福島には放射線量が高くて人が入れず、荒廃した帰還困難区域が広大に残る。2万人超が避難を続ける一方、戻った人の生活再建も途上だ。 なお遠い復興に向け、国は支援の手を緩めてはならない。

■住民帰還の後押しを

 
福島第1原発が立地する福島県双葉町は原発周辺自治体の中で全町避難が最後まで続いた。避難指示が一部で解除され3年半が過ぎ、スーパーが出店するなど生活環境は整いつつある。

 
タクシー運転手だった渡部忠一さん(75)は原発事故後にほぼ身一つで故郷を後にした。
以来、さいたま市や福島県いわき市などを転々とした。町が賃貸住宅を整備したのを受け昨年6月、14年ぶりに帰郷した。

 
「避難の先々でよそ者扱いされているように感じ、ずっと肩身が狭かった」といい、「やはり故郷はいい。気持ちがのびのびとする」と笑顔をみせる。
とはいえ町内人口は移住者を含めまだ約200人で、事故前の7千人の3%に過ぎない。

 
月日がたつ中で避難先に定着した人が多い。住宅不足も要因だ。建築費は高騰し、人手不足で業者の動きが鈍い。戻ろうとしても住む家がない人もいる。
復興庁の住民意向調査では、帰還の判断基準に医療や福祉を挙げる人が最も多い。だが双葉には病院や介護事業所はない。

 
住民の健康チェックを続ける福島県立医大の佐藤美佳教授は「住民をどう支えていくかが問われている」と話す。
双葉と南隣の大熊町にまたがる中間貯蔵施設に除染作業で出た大量の除染土が保管されている。国は、453月までに県外で最終処分すると法律で決めている。受け入れ先探しは難航必至だ。国民の理解を得る作業を丁寧に重ねなければならない。

■被災地軽視の税転用

 
1原発の北西30キロほどの山あいに広がる浪江町津島地区は、除染され居住が可能となった「特定復興再生拠点」が地区の2%ほどしかない。
大半は、帰還を希望した住民に限って家や道路などを除染する「特定帰還居住区域」とされた。国が除染費用の膨張を懸念したとされる。

 
住民は不信を強める。美唄市出身で1971年から津島で暮らし、今は福島市に避難する石井ひろみさん(76)は「点と線の除染で安心して暮らせるのか。これでは棄民だ」と憤る。
最近の政府の動きが住民の気持ちをさらに逆なでしている。

 
これまで所得税に2.1%を上乗せし復興に充ててきた復興特別所得税について、1%分を27年から防衛力強化の財源に転用する方針を決めた。復興税の減額分は期間を延長して補う。
町議の武藤晴男さん(68)は避難生活の中で両親を亡くし、「帰郷できない絶望感が死を早めた」との悔いが消えない。

 
「政府は、防衛は国民の命を左右すると言うかもしれない。だが津島の行方にも人の命がかかっている」と訴える。
復興税には、国民全体で被災地を支えるとの象徴的な意味が込められている。それを転用する発想は被災地軽視にほかならないだろう。原点をゆるがせにしてはならない。

■減災へ教訓次世代に

 
津波被害を受けた岩手、宮城両県では、ハード事業の縮小に伴い被災者の心のケアなどのソフト事業に比重が移ってきている。その多くも本年度で廃止となる。国の被災者支援総合交付金が大幅削減されるためだ。

 
しかし必要性がなくなるわけではない。災害公営住宅に入る被災者の調査を続ける宮城県民主医療機関連合会には「震災を思い出して眠れない」「希望がない」などの声が寄せられている。被災者へのきめの細かい対応が引き続き大切になる。

 
両県では大規模な土地区画整理や宅地の高台移転が各地で行われた。だが未活用の空き地が依然目立つ。住民合意が不十分だったり、事業がそもそも過大だったりした面は否めない。
 復興事業の成果を、縮小に向かう地域社会の中でどう生かすかが課題となっている。

 
政府は防災庁の設置関連法案を国会に提出した。折しも北海道の道東沖で、千島海溝沿いを震源とする東日本大震災級の巨大地震の切迫が指摘されており、その役割は重い。
事前防災や災害発生時、復旧・復興の各段階で住民本位の実行力を発揮する組織体制を構築してもらいたい。東日本大震災が今に残している幾多の教訓を次世代に継承し、減災につなげたい。