神谷宗幣
ブログ更新の後に思い出したのが、参政党の憲法なら、小泉進次郎と滝川クリステル夫妻の子どもはどうなるかということです。小泉進次郎の妻、滝川クリステルは父親がフランス人で母親が日本人、生まれはフランス。生まれはフランス国籍だったのかフランスと日本の二重国籍だったかは定かではない。
仮に生まれた時はフランス国籍で、日本でキャスターとして活動するうちに帰化手続きをして日本国籍を取得したとすれば、小泉家の子どもは今後3世代政治家になれないということになるのか。それとも父親が帰化人がダメで母親が帰化人ならいいのか・・・・。参政党とは、この程度の連中である。その党首が神谷宗幣。発言を少し確認しただけで、ひどいバカと分かる。
「小麦粉は食べるな。パンもケーキも食べるな。小麦粉を食べる食文化は戦後のものだ。うどんもお好み焼きも、戦後にできた。」よくぞこんな滅茶苦茶なことが言えますね。それが政治活動とどう関係するのかもわけわからぬ。小麦粉を日本から排除するために、どんな政策を実行するというのだろう。
少し調べてみると、製粉振興会という社団法人のHPがすぐに見つかった。そこに「小麦・小麦粉の歴史」というページがあった。
日本では、弥生時代の中末期には小麦や大麦が畑でつくられていたことが分かっており、日本人は麦を何らかの形で食べていたと考えられます。4世紀の大和王権時代は、米とともに麦、粟、稗なども主食とし、8世紀には、朝廷が小麦や大麦の畑作を奨励しました。「麦」は万葉集にも登場します。
「うどん」や「そうめん」は、もととなる料理は中国から伝来しました。時期は飛鳥時代と推定され、1,000年以上も前から日本人は「めん」と呼べるものを食べていたことになりますが、当時のめんは、今のものとはかなり違っていました。
室町時代の「庭訓往来」には、齟鈍、索麵、棊子麵などの名前が出てきます。当時、これらは「点心」と呼ばれて僧侶の間食でしたが、茶の湯の普及とともに一般の人も食べるようになりました。その後、室町時代から安土桃山時代にかけて、日本の風土や人々の嗜好に合うよう変化し、日本独特のめん類へと発展しました。
小麦粉菓子も歴史は古く、8世紀に遣唐使たちが仏教とともに中国から「唐菓子」を持ち帰りました。「まんじゅう」は鎌倉時代の初めに生まれました。「せんべい」は弘法大師が中国から持ち帰ったと伝えられますが、当時は米粉や葛を素材とし、小麦粉せんべいは江戸時代に始まりました。
もういいでしょうか?詳しく読みたい方は、引用元のHPをどうぞ。こんなバカが国会議員になれる国、日本。こんなバカだからなれるのか、世襲でなければこんなバカしか国会議員になれないのか。いずれにせよ、これでは国が衰退するばかりだろう。
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