東浩紀
この10年、20年ほど、権力を批判していたはずが、いつの間にか権力側のチョーチン持ちと化した評論家だのジャーナリストだのが少なくない。本日バカ認定するのは、東浩紀。
「有権者は高市総理を選んだ 負けた現実に向き合うべき」東浩紀 | AERA DIGITAL(アエラデジタル)
確かに高市内閣には不安が残る。対中関係は危ういし積極財政の成否は不透明だ。裏金問題もうやむやになった。国旗損壊罪などイデオロギーの強い政策も気にかかる。しかしそれら欠点は十分報道されている。多くの有権者はそれでも高市総理を選んだ。その現実から逃避すべきではない。いま批判勢力に必要なのは、自分たちが負けた現実に謙虚に向き合うことではないか。
今回の選挙で左派は壊滅し、リベラルは弱体化した。人権や再分配を重視し革新的な政策を訴える勢力はかつてなく劣勢になった。これは保守側の市民にとってもよいことではない。健全な民主主義のためには多様性が必要だ。
しかしそこで革新が復活するためには、まずはメディアの閉域を壊す必要がある。大学知識人とリベラルメディアが結託して権力の悪口を言っていれば通用した時代は、もう終わったのである。
「負けた現実に向き合え」とのご高説。はいはい、言われなくても向き合ってますよ。当ブログでも、高市政権での対処の仕方について取り上げてます。それとも、高市政権や自民党を批判してきたが、それでは足りない。もっと徹底批判するべきだと言いたいのか。しかし、東が言いたいことは違うようだ。
さらに、「メディアの閉域」とはいったい何なのか?メディアの閉域とは、例えば安倍政権時代に森友学園問題がネット上で大騒ぎになっているのに、テレビや新聞がほとんど放置し、さわらぬ神に祟りなしの態度を取ったことか?しかし、これも東の言いたいことではないようだ。
「権力の悪口を言っていれば通用した時代は、もう終わった」とはどういうことか?権力批判をしても無駄だからあきらめろということか。結局、上の文章は中身が何もない。何を言いたいのか、東自身も分かっていない程度の寝言のような文章である。
ブログを継続してきて、先の選挙結果は少なからず徒労感をもたらせた。だからと言って、このような腐敗権力に迎合したような記事を書くつもりはない。 東の記事は、ただ権力に迎合しただけのほぼ無意味な記事である。

