真実の報道神秘

権力の『おかしな政策』におかしいと報道しない日本で、一人でも『おかしい』と声を上げ、真実を追求して行きます。

2021年01月

どう考えても理解できない、三次補正予算コロナ禍でのGOTO再開に1兆円

まる子姫の独り言 2021/1/26

三次補正予算は、コロナ対応一色で良い筈なのに、政府は未だ三次補正予算(3月いっぱいで使い切る)GOTOトラベルの追加費用1兆円を計上。国会では野党がGOTOトラベル予算をコロナの方に組み替えないのかと質疑をしても、菅はコロナ対策には十分な予算をつけているから組み換えは必要ないと答弁していたが、アベスガ政権の場合は、頭が固いのか、一度決めた事は何がなんでも実行しようとして野党の提案など聞く耳持たない。


どうしてこんなに頭が固いのか、柔軟な姿勢がないのか、不思議で仕方がなかったが、どうも与党内から新たな経済対策を求める声が生まれているそうで、この声に押されていると言うか、引きずられているのではないか。。


アングル:追加コロナ対策、与党内に待望論 政府に提言も                      1/19(火) 15:07配信 ロイター


>新型コロナウイルスの感染拡大と緊急事態宣言の再発令で日本経済の下振れリスクが高まるなか、与党内から新たな経済対策を求める声が生まれている。これまでの対策は足元の緊急事態宣言による消費抑制を盛り込んでないとして、政府への提言をとりまとめようとする動きも一部で出ている。

>野党はGoToなどの観光支援策に充てる予算も含まれていることを問題視し、3次補正予案などの組み換えを要請しているが、麻生太郎財務相は12日の閣議後会見で、「今の段階では(組み換えは)必要ない」としている。


菅も国会で、組み換えの考えは全くないと言っていたし、麻生も必要ないと言っている。
与党内では、何が何でも経済対策はGOTOと5輪で行くしかないと思っているのではないか。


この数日、コロナ感染者が大幅に減ってきて、あれ?そんなに感染者数が劇的に変化したのかと思っていたが、これも、どうもからくりがあっての事のようだ。
今までは1日11000件から15000件程度は検査をしていたのが、濃厚接触者の検査をやめたそうで検査数も大幅に減っている。


昨日は7000件強だったそうで、そりゃあ検査数が減れば感染者数が減るのも当たり前と言えば当たり前のことで。ベッド数の関係で、見た目の陽性者を出さない方針に変えたのかもしれない。


そして政府はGOTOや五輪に向けて、見かけ上の数字を出してきているのではないか。こういう数字の操作はアベスガ政権にとってはお家芸のようなもので、国民への罪悪感など何もないだろう。


幾ら経済が大事と言っても、見かけ上の数字でGOTOトラベルを再開して3月末までに予算を使い切ると言う考えは、燃え盛る大火の中にわざわざ油を投じるほど危険なことだと思うが。。


この国ではどの対策も徹底的に行うことなく、特にコロナ対策は中途半端で終わらせてきたために、ますます経済が深刻化することになる。
「急がば回れ」で去年からPCR検査を徹底して行い、GOTOの一時停止も影響力の少ない11月頃にスケジュール感を持って実施していたら、年末年始も少しは打撃を抑えられたし、よほど経済の為になったと思う。


目先の利益しか考えないから、今じゃ手が付けられない状態になっているのに、まだ変な方向に突っ走る政府。
ワクチン接種も数を考えたら相当ち密に計画を練る必要があるようなのに、政府内の意思統一ができているようにも見えないし。菅は野党の意見や提案を聞く気が無いみたいだが、どうしてか。


野党の提案の方が良い場合もあるし総力で臨めばいいのに。


ましてや、コロナ禍でGOTOトラベルに予算をつけている場合じゃないと思うが。

会話能力ゼロのカス総理のおかげで、この非常時に不毛な国会!! ヤバイぞ、ニッポン!!

 くろねこの短語 2021/1/26

昨日の衆院予算委員会を観ていて、つくづく思った。特高顔のカス総理は、会話能力が決定的に欠如してるんだね。とにかく、相手の発言を真摯に聞こうという姿勢がない。だから、答弁そのものが的外れなものになっちゃって、議論が成り立たない。

 
もっと凄いのは、答弁求められても阿呆面晒して、座ったままで反応しないことが度々あることだ。その度に、委員長指名があるからって担当大臣がしゃしゃり出てくる。
笑っちまったのは、橋龍命の江田君とのこんなやり取りだ。


江田「通常国会は6月、臨時国会は12月5日に閉めた。特措法改正も医療崩壊防止策もせずに政府は何をやっていたのか」
カス「私自身の就任は9月16日。そこから1日も休まず感染拡大を防ぐための対策をしていた」

 
だったら、現在起きている感染爆発は何なんだ・・・ってことなんだね。それにしても、「1日も休まず・・・」って、そんなことこの非常時に当たり前だろう。
なんとも不毛な国会なんだが、こんなにも無能で無知な棚ぼた総理大臣が差配する日本って、かなりヤバイと感じる今日この頃なのだ。


「全集中の呼吸」はどこへ? 首相答弁は棒読み、淡々、抑揚なし 

・毛ば部とる子
1月25日衆予算委のまとめ


2021年1月25日 衆議院 予算委員会

辛坊治郎 言論という害毒 今田耕司

コロナ禍の終息は一向に見通せず、感染の不安に過ごす日々。ほとんどの人がそうなのではあるまいか。天下の愚策がGotoキャンペーンだった。旅行代金、飲食代金を一部負担する予算があるなら、PCR検査拡大や医療関係者の支援に使え。当たり前の話だが、公共の電波で跋扈するのはデタラメとインチキの数々である。

 
辛坊治郎、ここまで来るともはや害毒、害悪。Gotoで感染拡大すれば、Gotoを停止したところで直ちに感染拡大が収まるわけがないだろ。そこまでして権力に尻尾を振りたいのか。

 

 

さらに、今田耕司。松本人志や辛坊とつるむうちに、お前も腐り切ったか。そもそも、お笑い芸人が何の医学的根拠をもってそんなことを言うのか。オマエたち、この研究結果に反論してみろ。できないなら、同じ番組で土下座謝罪でもして、今後の出演を自粛することだ。

 

 

自民の定年制は形骸化「経験を積めば積むほどやらねばならない仕事がでてくる」とさ

まる子姫の独り言 2021/1/25

本当に自民党は国民の方など、何一つ見ていない。会食三昧でもコロナに感染したら、無症状でもすぐ入院した石原伸晃が特権意識が全面に出ていると責められているが、それと似た傲慢さを見せつけるのが、自民党の定年制の廃止の動きだ。

自民党の高齢議員は、自分達の私利私欲で政治家を続けていきたい思っているのではないか。それほど自民党内では、世間の目とは全く乖離した自己中心的な考えが充満している。


自民党が“73歳定年制”を廃止の動き? 賛同する76歳議員「経験を積めば積むほどやらなければならない仕事が出てくる」
              1/22(金) 16:36配信 ABEMA TIMES


>申し入れたのが、“73歳定年制”の厳守だ。2000年に設けられた、議員たちの“若返り”を目指し、衆議院選挙の比例区では73歳以上の立候補を認めないとする自民党内のルールだ。

>ところが去年、ベテラン議員たちがその廃止を二階幹事長に要請。衛藤征士郎衆議院議員(79)は「年齢により優劣の差を条件にすることは議会制民主主義に著しく逆行する。あえて若手の候補者に一言申し上げたい。高齢者の高き志に対し果敢に挑戦し、圧倒する意気込みと迫力を示して欲しい」と主張。

>ルールの撤廃に賛同する議員の一人、原田義昭前環境大臣(76)は、「私自身、引き際、最後はどうすべきかを考えなくてはいけない年齢に来ていると思っている。しかし同時に、経験を積めば積むほど、業務をこなせばこなすほど、やらなければならない仕事がたくさん出てくるのも事実だ」と話す。


自民党の場合、高齢化率が他党と比べたら相当高いと思う。だからこそ党内で、73歳定年制を決めたのではないか。決めたのにそれを守らない議員がなんと多い事か。
幾らルールを決めてもまったく形骸化していて、守る気がないルールとしか思えない。


しかも、聞いている人が納得できるような説明ならまだしも、「経験を積めば積むほどやらなければならない仕事が出てくる」では。麻生とか二階とかは、こういった思考が免罪符になっているのだろうが、二階や麻生、原田・江藤など、若い世代に比べて特別に仕事に秀でているとは全然思えず、自分の利害関係でしか物が言えない人間だと思う。


申し訳ないけど早く引退してほしい連中ばかりだ。
この人達に共通なのは国民視点が欠落している。と言うか、強者になびき弱者をくじく議員としか思えない。年をとればとるほど、そして重要な役にいればいるほど、やっぱりプライドやメンツが邪魔をして他者の意見を聞かないのも確かで、口を開けば、自分ほど偉い人間はいないと言うような発言や意識が目立って鼻持ちならない。


自分が思うほど必要とされていない人も多いのではないか。その人がいなくても仕事は回っていくし、世の中も変わっていく。
そんなに仕事がしたければ、今まで散々税金で飯を食ってきたのだから、恩返しとしてボランティアなり、老骨にムチ打って無償で地域で働くことをしたらどうか。


本当に使命感を持っているような立派な人なら、別に国政に執着しなくても、地域で十分に貢献できると思うが。

山形県知事選 現職の吉村美栄子氏 4回目の当選

知事選挙としては、全国で初めて女性どうしの争いとなった山形県知事選挙は、24日、投票が行われ、現職の吉村美栄子氏が4回目の当選を果たしました。

山形県知事選挙の結果です。
▽吉村美栄子、無所属・現。当選。40万374票。
▽大内理加、無所属・新。16万9081票。

12年ぶりの選挙戦は、現職の吉村氏が、自民党と公明党県本部が推薦した新人の大内氏を大きく引き離し、4回目の当選を果たしました。

吉村氏は山形県大江町出身の69歳。
県の教育委員などを経て、平成21年の知事選挙で初当選し、その後2回続けて無投票で当選しました。

知事選挙としては、全国で初めて女性どうしの争いとなった今回、吉村氏は、立憲民主党などの県組織の支援を受け、新型コロナウイルスや大雪への対応にあたりながら、子育て費用を段階的に無償化するなどと訴えました。

吉村氏は「新型コロナを克服して経済を再生することが最大の課題だ。県内の感染状況は落ち着いてきているので少しでも経済を回しながら山形県をよくしたいという強い思いを持って一生懸命頑張りたい」と述べました。
今回の投票率は、62.94%で、前回、12年前に比べ2.57ポイント低くなりました。

宮古島市長選の痛快な勝利市民の力束ね政府バックの現職破る自衛隊ミサイル配備に揺れる島

2021年1月21日 長周新聞

沖縄県内で今年最初の首長選となる宮古島市長選が17日に実施され、オール沖縄の推薦を受けて「市政刷新」を掲げた新人の座喜味(ざきみ)一幸氏が、自民・公明両党が推す現職の下地(しもじ)敏彦氏に勝利した。

国政与党に支えられて3期12年市政トップを握ってきた下地敏彦前市長は、辺野古新基地建設をはじめとする米軍基地問題で容認姿勢をとる市長連合「沖縄の振興を考える保守系市長の会」(県内9市長、通称チーム沖縄)の会長であり、宮古島市では2015年から表面化した陸上自衛隊ミサイル基地や弾薬庫建設を積極的に推進してきた。

市長選は、「防衛力強化」の名の下に市民生活や地元産業を蔑ろにして郷土を売り渡し、その利権を私物化する市政運営への批判世論を反映し、市民の強烈な鉄槌が下される結果となった。

市政私物化と軍事利用に鉄槌 従来の枠こえ「市政刷新」要求

当日有権者数は4万4376人で、投票率は65・64%。前回市長選(68・23%)を2・59㌽下回ったものの、コロナ禍でありながら大幅な下落は見られず、選挙に対する市民の高い関心を物語った。

 開票結果は、
▼下地敏彦 (現職) 1万2975票
▼座喜味一幸(新人) 1万5757票

で、両者の差は2782票。2005年に5市町村が合併して宮古島市が誕生して以来の市長選で最大の票差となった。

現職の下地選対には菅義偉首相の秘書が張り付いていたといわれ、選挙期間中には自民党の小野寺五典組織運動本部長(元防衛大臣)が東京から駆けつけたほか、西銘恒三郎(衆院沖縄四区)、地元の下地幹郎(維新を離党し自民党に復党願提出)などの国会議員や中山・石垣市長などチーム沖縄の首長らも応援に入り、各業界を締め付ける組織票固めに徹した。

一方、辺野古基地建設問題で国と対峙するオール沖縄側では候補者選定が難航し、元自民党県議の座喜味氏に固まったのは告示まで1カ月半後を切った時期だった。

市民からは「これほどの短期決戦ながら3000票近い票差が開いたのは快挙。宮古島では、前回市長選で保守も分裂したが、オール沖縄側も分裂して票が割れたため、375票の僅差で現職3選を許すという悔しい結果に終わった。いわゆる革新系だけのオール沖縄で候補者を立てても勝てるものではない。保守のなかでも現市政に対する強い反発があり、どのように折り合うかが肝心だった。

自民党を離党して市政刷新を掲げていた座喜味氏擁立を軸に、保守も革新も市民の要求にこたえるために一体になったことが序盤の大きなステップになった」と語られる。市民の声に押されて県政与党のオール沖縄と保守の一部が保革共闘のワンチームで選対をつくり、選挙戦は政党や立場、イデオロギーの違いをこえて、現市政の刷新を求める市民が入り乱れるものになったという。

選挙活動に携わった女性は「みんな自由で、これまで経験のないまったく新しい選挙だった。これまでは保守系と革新系の市民が一緒に選挙をたたかうことなどなく、政治活動になればお互いは敵同士だった。それが今回の選挙では、これまでは敵だと思っていた保守系の人や土木業者も含めて“昨日の敵は今日の友”という感じで、これまで繋がることのなかった市民同士が“今回は仲間だ!”とお互いに協力し合った。右も左も関係ない、とにかく市政刷新だという思いでみんなが一つになってたたかった結果だ」と話した。

「ただ自衛隊基地反対を訴えるだけではわからなかった、さまざまな要求や思いを持つ人たちの存在や生活の実態を知ることができ、“これだけの仲間がいたのか”とパッと目の前が開けるような新鮮な選挙だった」という声も聞かれる。

選対関係者の男性によると「オール沖縄といっても宮古島では革新系が中心。市民の現市政に対する反発は強いものの、組織力の弱いオール沖縄の側が企業や団体などの組織票を持つ現職にどのように立ち向かうかが、選挙を形づくるうえで大きな鍵だった。4年前は下地市長サイドが仕掛けた分断工作によって候補者が乱立して批判票が分裂したが、今回はそれには乗らず候補者を絞れたことが大きい。

これまでの選挙は、自民・公明(保守)vsオール沖縄(革新)という構図だったが、“市政刷新”のスローガンでその枠組みを乗りこえた。自分に組織票をくれる大米(だいよね)建設などの身内企業だけを優遇して大規模公共工事を発注する私物化政治への反発も強かった。もう一つの問題は、宮古島で配備が進む自衛隊基地問題に対するスタンスだった。

自民党出身の座喜味氏は自衛隊の存在について容認の立場ではあるが、オール沖縄側との候補者選定の協議過程で、基地問題については玉城県政と同じ立場をとること、さらに下地島空港の軍事利用はさせないということで一致し、なによりも市民の声を聞き、市民の命と暮らしを守る側に立つという立場で現市政との違いを鮮明にした」という。

座喜味氏は自民党県議を2008年から3期務めたが、4年前の前回市長選で現職の下地氏を支援せず、自民党を離党している。だが自民党県議時代には辺野古新基地推進の立場だったこともあり、市民のなかには「どちらも容認ではないか」「国にものがいえるのか」という懐疑的な見方もあった。「スタッフが粘り強く現職との立場の違いを市民に説明し、候補者自身も市民の疑問に丁寧に答えた。

その姿勢が受け入れられ、ラスト1週間で若い人や女性グループなどにも支持が一気に拡大していった」(男性)、「これまでの経過やメディア報道で自衛隊基地容認というイメージが広がって警戒する人もいたが、“今回はAかBかの選挙。下地応援団か、それ以外かの選択なのだから…”と呼びかけると、“まずは現市政を刷新することが先決”といって協力してくれる人が多かった」(女性)という。

陸自ミサイル基地の反対運動に関わってきた農業者の男性は、「開票速報がテレビで流れたときは思わず手を叩いた。市民はちゃんと見ていたのだと思った。座喜味氏も保守の立場ではあるが、玉城県政と連携して国に必要な説明を求めることや、賛成と反対の市民を含めた市民協議会を設置することをみずから提案した。腹七分ではあるが、まずは市政を市民の側にとり戻すべきだと思って投票させてもらった。

下地前市長は配備計画の説明を求めても一度も面会もせず、一切無視の対応を続け、不法投棄ゴミの撤去事業をめぐって市長らを提訴した市民を逆に名誉毀損で訴えるなど、自分に逆らったり、異議を申し立てる市民を排除・攻撃する行政姿勢だった。そのような独善的な市政に対する市民の冷静な判断が下されたと思う」とのべた。

弾薬庫の建設が進む保良地区の住民は、「組織票にあぐらをかき、説明責任も果たさず、市民無視の行政を続けてきた下地市長に対する審判が下った。問答無用で国が進める自衛隊基地建設に歯止めをかけるうえでも、積極推進の現市政を継続するか、刷新するか、は大きな焦点だった。市長は土木業者をとりまとめる形をとったが、大規模ハコモノ事業のカヤの外に置かれた中小企業からは不協和音が聞かれたし、“防衛力強化”といいながら県民、市民の命をどう守るかという道筋がまったく見えないまま、自衛隊配備を容認して説明責任まで国に丸投げする市長への反発は強かったと思う。

選挙戦終盤に現職は“ソフト路線に切り換える”などといっていたが後の祭りだった。誰のための市長なのか、一番に守るべきは市民の命と暮らしではないかという市民の強い思いが票にあらわれた」とのべた。

同日おこなわれた市議補選(定数2人、候補者5人)で、保良地区住民とともに弾薬庫建設反対を粘り強くたたかってきた若手女性が1万票以上を集めてトップ当選したことも、この問題への市民世論を反映した。

市民生活疲弊させた「宮古バブル」 ハコモノ行政で財政も逼迫

総工費が120億円に膨れあがった宮古島市の新市庁舎建設現場(昨年3月)
市政刷新を求める市民世論の背景には、3期12年に及ぶ下地市政で進んだ露骨な市政私物化や利益誘導があり、そのもとで疲弊した島の暮らしがある。

2015年に国内最長の無料橋である伊良部大橋(長さ3540㍍)が開通したことを契機にして宮古島は空前の観光ブームに火が付き、国内外から年間110万人をこえる人が訪れる県内有数の観光地となった。そのバブルじみたインバウンドに目を付けた本土や外資系ファンドが土地を買い占めてリゾート開発が進み、本土から従業員をはじめ、ゼネコンなどの大手業者が作業員ごと乗り込んだため住宅需給が逼迫。アパートやマンションの建設ラッシュが始まったが「1DKで10万円」という都心並みの価格となった。

地価や物価が急上昇する一方で、「地元住民の賃金レベルは月12~13万円程度で、時給790円の全国最低の沖縄県のなかでも最低水準。だから島内に若者が住める家がなくなり、みんな島の外に出て行ったまま帰ってくることもできない」といわれる事態となった。

人員不足や資材の高騰によって1平方㍍あたりの建築単価が平均32万円と県内最高値となるなか、下地市政が進めたのが大規模公共事業だった。市庁舎(築27年)の新築計画は、下地前市長と「二人三脚」といわれる下地幹郎代議士の出身企業である大米建設に一括受注し、当初105億円だった建設費はその後120億円にまで膨れあがった。この庁舎建設だけで島外作業員がのべ7万8000人(人件費9億円)にのぼったことも高騰の要因といわれ、公費の追加支出における運用基準の逸脱が市議会で指摘されている。

また、図書館を併設した未来創造センター(54億円)、スポーツ観光交流施設のJTAドーム(44億円)、住民が急減している伊良部島への野球場建設(30億円)や統合中学校建設も計画するなど、あいつぐハコモノ建設を身内企業に発注し、「216億円の合併特例債や地方一括交付金も使い切ってしまい、市の財政破綻は時間の問題」「人口5万人程度の島でなぜこれほど大規模な施設が必要なのか」と批判を集めてきた。

ある市民は「米軍をはじめとする県内の防衛事業を請け負ってきた大米建設を中心に特Aクラスの業者しか公共事業の恩恵にあずかっておらず、大事にされてこなかった下請企業でも離反が進んだ。税金を注ぎ込んだ一時的なバブルは、終わった後にその反動が必ず来る。宮古島のような離島は、国の補助金が必要な農業や漁業が中心で、土木事業も国の予算に左右されやすいので歴史的に保守の地盤だった。

だが、国をバックにして一部の政治家や業者だけが利益を独占し、恩恵の多くは島の外に出て行く仕組みになっており、その一部が政治資金として族議員の手元に入る。“国との太いパイプ”によって島がどうなったのかが明るみに出ることによって変化が起きた。国会議員の操り人形のようにコントロールされることへの反発だから、いくら中央から大臣クラスが現職の応援に来ても逆効果でしかなかった」と話した。

また別の市民は「コロナによってインバウンドが蒸発し、島内のホテル建設も一斉にストップ。逼迫していた不動産需要もなくなって空き部屋が増えたが、建設費の減価償却ができないため家賃が下げられないという悲惨な状態になっている。国のヒモ付き交付金や不安定なインバウンド需要に依存した経済よりも、地場産業を中心にした堅実な地域振興を求める世論が強まり、座喜味候補はサトウキビをはじめとする農業振興への転換を掲げた。これまで多くの市民が望んでいたことだ」とのべた。

敵基地攻撃の最前線に 住民の安全は度外視
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その市政私物化の過程で進んだのが、国策による島の軍事要塞計画だった。防衛省は、南西諸島一帯で配備を進める自衛隊の司令部を宮古島に置くことを決め、野原地区に指揮所と警備隊、さらに「第七高射特科群」(地対艦・地対空ミサイル部隊)の総勢800人を配備し、さらに島東部の保良地区には地対空(570㌔)、地対艦(700㌔)のミサイルを保管する弾薬庫や射撃訓練場の建設を進めている。

この配備計画も市民に信が問われたことは一度もなく、候補地選定にはじまり、用地売却から工事着工まで国、市長、関係業者によって市民の頭越しで進められてきた。配備されるミサイル部隊は、車載式部隊であり、相手から攻撃を回避するために島中を移動しながらミサイルを発射することを想定しており、自衛隊が回避したミサイルを受けるのは落下地点の住民となる。

防衛省は「そのさいは市街地を走らない」というだけで、有事の住民保護については想定も計画もない。さらに施設の規模、仕様、保管する弾薬量に至るまで「防衛上の秘密」として明かさないばかりか、基地内に「つくらない」と説明してきた弾薬庫やヘリポートの存在が後から判明している。

山や川がなく、水不足に悩まされてきた宮古島は、地下水脈や地下ダムが暮らしの生命線であり、化学物質による汚染やミサイルなどの攻撃で地下水源が断たれると、農業はおろか命の危険にさらされるため、市民からは慎重な検討を求める声が絶えない。

だが、市民の窓口となるべき市政は、島の将来や生活に不安を持つ住民からの質問や陳情を門前払いし、市長同席の住民説明会も開かないなど、「国防は国の専権事項」「市が説明する義務はない」という立場を一貫してとり続けた。

この問題にとりくんできた男性は、「国のミサイル防衛計画が明るみに出るに従って、宮古島が敵基地攻撃の最前線にされるという青写真が広く認知されるようになった。災害救助隊としての自衛隊は容認できても、米軍と一体化し、住民を盾にして近隣国との緊張を煽ったり、戦争の火付け役となる自衛隊は容認できないというのが多くの市民の思いだ。

宮古島で進行する配備計画は、住民防護ではなく、住民の命と暮らしを脅かすものであり、宮古島を発火点にして沖縄や日本全土を戦争に巻き込む危険性もある。新市政には住民の側に立った情報公開や対話が求められるし、必要に応じて国に対していうべきことをいわなければいけない。それが市民が求める市政刷新の中身でもある」と話した。

別の男性も「下地市長自身の問題もあるが、それをバックで後押ししてきたのが国だ。市民の声を権力と金力でねじ伏せ、島の経済も民主的な行政運営までも歪めてしまった。それは辺野古問題をめぐる沖縄県への仕打ちや、福島など原発立地自治体に対する残酷なやり方とまったく同じだ。イデオロギー争いではなく、生活に根ざして立場の違いをこえた市民の力で選挙を突き動かしたことは大きな快挙だった。

オール沖縄や玉城県政はこれまで自衛隊基地問題には及び腰だったが、市民の命と暮らしを守るために妥協することなく国に対峙していく姿勢を示していかなければ、逆に足元をすくわれる。県民の声に耳を傾け、地に足を付けて、沖縄の軍事基地化に対する全県民の力を束ねることが必要ではないか。これは終わりではなく始まりだ」と話した。

新市政もまた、下地市政を退場に追い込んだ市民の力に縛られる関係にあり、「市政刷新」の公約を誠実に実行することが今後注目されることになる。

沖縄県内では今年2月に浦添市、4月にうるま市の市長選が続き、秋までに予定される衆院選を経て、来年2月には名護市長選、同9月に知事選も控えている。選挙年の端緒を開いた宮古島市長選勝利の教訓を広く共有することが求められている。

自民党ネットメディア局がカス総理に「ツイッター活用術」をレクチャー・・・「国全体のデジタル化」を目指す本人のスキルがこの程度とは、頭がクラクラしてくる!!

 くろねこの短語 2021/1/25

自民党のネットメディア局長代理とやらが、特高顔のカス総理に「ツイッターなどSNS(ネット交流サービス)を活用した発信方法など」についてレクチャーしたそうだ。カス総理のツイッター投稿に関して、「事実を淡々と伝えている。『熱量』がなければ拡散しない」てなことを助言しましたとさ。

 
これじゃあ、まるで簡単スマホの使い方レッスンみたいなものだろう。施政方針演説で「グリーンとデジタルが次の成長の原動力」とぶち上げて、デジタル庁創設して「国全体のデジタル化を主導する」と意気込んでいた本人のデジタルに関するスキルがこの程度ってのは大いに笑えるのであった。

 
「SNSで曲解して伝わるメカニズム」なんてこともアドバイスされたってね。「首相は『なるほど、こういうふうな形では確かに誤解されて伝わったりもするな』とすごく関心を持たれていた」(山田太郎ネットメディア局長代理)ってんだが、そもそも「誤解」なんかしてないから。カス総理の貧困なボキャブラリーと表現力おかげで、意味不明になっているだけだから。そこんところよろしくなのだ。


菅首相、SNS活用を学ぶ 「曲解して伝わる仕組み」に強い関心

「答える場ではない」 遮断の答弁で陥った菅首相の苦境

実際は「ワクチン供給は日程未定」菅と坂井と河野のてんでバラバラな発信

まる子姫の独り言 2021/1/24

菅は一般市民のワクチン接種開始は5月頃とか、6月までに全ての国民に必要な数量の確保を見込んでいると言っていたが、これがなんのなんの。その場しのぎの誇大発言だったことが分かってきた。


希望的観測と言うか、願望が高すぎて、2月末のワクチン接種も怪しいものがあるのでは?

菅はわざわざ、一応は人気があるとされている河野太郎行革担当をワクチン担当に指名したが、菅のいかにもワクチンが早急に接種できるような発言と、坂井学官房副長官の発言と、河野ワクチン担当の発言と、三者三様の解釈で何が本当なのかさっぱりわからない状態に。


河野担当相「ワクチン供給日程は未定」 従来の政府方針を修正        1/22(金) 12:02配信 時事通信


>新型コロナウイルスワクチンの総合調整を担当する河野太郎規制改革担当相は22日の閣議後記者会見で、ワクチン接種に関し、従来の「今年前半までに全ての国民に」との政府方針を修正した上で「まだ供給スケジュールは決まっていない」と述べた。

>河野氏は会見の冒頭で、坂井学官房副長官が21日の記者会見で「本年6月までに接種対象となる全ての国民に必要な数量の確保は見込んでいる」と述べた部分を政府内の情報の食い違いがあり削除すると発表した。


なぬ!、ワクチンの供給スケジュールが決まっていない?確か菅は、ファイザー社と契約を結んだから日本には予定通り供給されると散々言っていたが。こんないい加減な政府、見た事ない。


菅はワクチン万能主義なのか、PCR検査には懐疑的で、いかにもワクチンが接種されればすぐにでも5輪が開けるかのように国民に大々的な宣伝をしておきながら、この時期に、まだ供給スケジュールは決まっていないと言う河野ワクチン担当、
今ごろ、こんなドタバタでは何が5輪開催なのだ。


多くの人が、これだけコロナが世界的に感染拡大している現状では5輪開催は無理だと思っているのに、未だ、強硬に5輪の開催をもくろんでいる政府。IOCも、日本からどれだけボッタくれるかを考えているのではないか。

だからいつまでも「やれるやれる」と引っ張る。
日本だけでの5輪なら話も分かるが、これだけ世界的規模で感染拡大しているのに世界から観客を迎え選手を迎えての開催は正気の沙汰ではない。いい加減にしろだ。


菅政権にワクチンの「接種計画」やスケジュール表というものがあるのだろうか。あるようには見えないが。
総理は総理で、根拠もなく政権浮揚になるようなことばっかり言い、ワクチン担当は「令和の破壊屋」の異名をとり、調整がまったくできない人物で、坂井官房副長官、そして田村厚労大臣、西村新型コロナ対策担当大臣とコロナに関係する人間ばかりワンサカいるが、誰が真の司令塔なのかもわからない。


しかも田村厚労大臣のほかに、西村はコロナ担当、河野はワクチン担当、紛らわしくて仕方がない。
これでは、「船頭多くして船、山に上がる」を実践しているようなものだ。もう、無能すぎて話にならないが、この際、知る人ぞ知る河野の虚像が暴かれることを望む。こんな我儘な勘違い男もそうそういないと思うが。

河井案里氏有罪判決、極限まで追い詰められた克行氏、公判での真相供述で“大逆転”を!


2019年7月の参院選広島選挙区をめぐる公職選挙法違反(買収)の罪で起訴されていた参院議員・河井案里氏に対して、昨日1月21日、東京地裁で、判決が言い渡された。検察の求刑「懲役1年6月」に対して、「懲役1年4月・執行猶予5年」という判決だった。


「執行猶予5年」というのは、「実刑ギリギリの執行猶予」を意味する。地元議員5人に現金を渡した起訴事実のうち、4人については公選法違反が認められて有罪、1人については無罪とされたが、その理由も、夫の河井克行氏(元法務大臣)が案里氏とは別の人物を通じて現金供与したことについて「共謀」したとする起訴について、「共謀」が否定されたものだ。


克行氏は、当初は、案里氏と併合起訴され、同じ公判で審理されていたが、昨年10月に弁護人を全員解任し、それによって公判審理ができなくなったため、公判が分離され、別々に裁判が行われている。


案里氏に対する判決は、克行氏の裁判に決定的な影響を与える。同じ裁判体の判断であり、克行氏の事件も、案里氏の判決で公選法違反を認めたのと同様に判断されることになると考えられるからだ。


このままであれば、合計100人に対する合計2901万円の現金供与の罪で起訴されている克行氏は、そのほとんどについて有罪、量刑も3年以上、執行猶予はつかず「実刑」になることは確実だ。

 
この事件については、昨年4月に【河井前法相“本格捜査”で、安倍政権「倒壊」か】で最初に取り上げ、初公判が開かれた昨年9月には、【“崖っぷち”河井前法相「逆転の一打」と“安倍首相の体調”の微妙な関係】で、克行氏の罪状認否、検察の冒頭陳述、克行氏の弁護人冒頭陳述に基づいて解説した。


初公判で、克行氏の弁護人は、「党勢拡大・地盤培養のための寄附として行われたもので、投票及び票の取りまとめのための現金供与ではなかった」として無罪を主張した。
確かに、検察が、現金受領者側について刑事立件すらしていないという、公選法違反の刑事実務からは考えられない対応を行っていることは、現金受領者の証言の信用性を揺るがすもので、検察の主張・立証の重大な「弱点」だ。


また、供与金額の3分の2以上を占める「県議会議員・市町議会議員・首長らへの現金供与」は、供与の時期が選挙から離れたものが多く、選挙活動ではなく政治活動に関する寄附であるとの弁解も、一定の合理性がある。


少なくとも、従来の検察の実務では、選挙から離れた時期の供与は、買収罪では起訴して来なかったのであり、公選法違反の成否の判断は微妙だと考えられた。
しかし、実際の現金供与の際のやり取りには「党勢拡大・地盤培養」についての具体的な言葉があるわけではないため、克行氏の主張は認められず、起訴事実のほとんどが有罪となる可能性が高い。

「統括主宰者」に対する法定刑の上限である4年程度の求刑が行われ(併合罪加重で6年まで可能ではあるが)、判決は、3年か3年6月の実刑ということになる可能性が高いというのが、上記記事で述べた克行氏公判の見通しだった。


今回の案里氏の判決は、克行氏の起訴事実の「県議会議員・市町議会議員・首長らへの現金供与」と同様の事実に対して公選法違反をあっさりと認めたもので、これによって、克行氏の無罪主張が認められる可能性は皆無に近くなったと言える。


克行氏が実刑判決を回避する唯一の方策は、公判審理の最後に行われる被告人質問で、「多額の現金買収を行うことにした経緯とその資金」の真相について、包み隠さず、真実を供述することだ。


「安倍政権継承」新総裁にとって“重大リスク”となる河井前法相公判【後編】》で述べたように、安倍氏には、溝手氏に対する積年の恨みがあり、安倍氏にとっては、溝手氏が野党と2議席を分け合う楽な選挙で当選し、参議院議長になってしまう事態は何としても避けたかったはずだ。

また、菅氏は菅氏で、案里氏を出馬させ、岸田派の重鎮である溝手氏を落選させれば、安倍首相後継争いで岸田氏に対する優位を強烈にアピールできる。そういう意味で、安倍・菅両氏には、案里氏を2人目の候補として出馬させて当選させ、溝手氏を落選させようとする十分な動機があった。


「急遽、案里氏を参院選の候補として自民党で公認したものの、自民党広島県連が組織を挙げて支援する溝手氏が圧倒的に有利だったため、その極めて厳しい状況を打開するためには、現金を配布して案里氏の地盤培養を図るしかないとの認識を、克行氏が、安倍氏・菅氏と共有し、自民党本部からの巨額の選挙資金を原資として、現金配布を行った」という私の推測に、何がしかの真実があるのであれば、克行氏にとって、その真実を、勇気を持って公判で供述することが、実刑を回避する唯一の手段だ。


もし、克行氏が真実を話せば、克行氏を厳しく処罰すべきとの声は沈静化し、むしろ、真相を供述したことを評価して、寛大な判決を期待する声が高まることも考えられる。それは、自らの裁判での執行猶予に向けての「大逆転」になるとともに、日本の政治にも大きな影響を与える。


日本の政治状況は、安倍氏・菅氏の政治権力が盤石のように思えた昨年9月の初公判の時とは大きく異なっているということを、克行氏は認識すべきだ。
安倍氏は首相を辞任、その後、検察捜査で明らかになった「桜を見る会」前夜祭をめぐる虚偽答弁と、その合理的な説明が全くできない惨状に、政治家としての信頼は地に堕ちている。


その安倍氏の後継として首相になった菅氏も、コロナ感染対策に絡んで失態が続き、首相として絶望的な答弁能力・説明能力も露わになり、政権発足当時の高支持率も崩落に近い状況で、政権は危機的な状況に至っている。


克行氏は、実刑判決によって政治生命が終焉し、「憲政史上最悪の法務大臣」の汚名に甘んじるのか、それとも、日本政治を激変させる「公判での真相告白」で歴史に名を残すのか、岐路にあるといえる。


案里氏判決で、このままでは実刑を免れる可能性は皆無となり、極限まで追い詰められた克行氏にとっては、本当に、最後の最後のチャンスである。

「令和の運び屋」なんておちゃらけるブロック大王にワクチン接種まかせていいのか!!

 くろねこの短語 2021/1/24

ブロック大王・河野君が、ワクチン担当大臣を仰せつかってのぼせ上ったのだろう、「『令和の運び屋』と言われるように頑張っていく」とおちゃらけてプチ炎上している。仲間内でのじゃれ合いだったらそれもいいだろうが、参議院本会議での代表質問に対する答弁なんだから、ウケを狙ったとしてもそのセンスはかなりお寒いものがある。


河野大臣 コロナワクチンで「令和の運び屋と言われるように」

そうした場違いなお茶らけで顰蹙買うのはこの男の得意とするころで、オムレツマント事件なんてのもあったっけ。それもこれも過剰な自己顕示欲の為せる技で、それはまた「俺が、俺が」という独善性に繋がっていく。

 
NHKのワクチン報道に噛みついたり、ワクチン接種について官房副長官と情報発信の主導権争いしてみたり、自分の正当性を主張するためには、平気で相手を貶めるという手法はトランプにさも似たりなんだね。

 
こんなのがワクチン担当ってのは、ちょいと危険なんじゃないのか。なんてったって、ワクチンってのは、その安全性がどのくらい担保されているかが重要なファクターなのに、接種のスケジュールだけが既成事実として先行していくってのは納得いかない。

 
ワクチンが予防のためのものなのか、それとも重症化しないためのものなのか・・・そんな基本的なことすらアナウンスされていない現状で、唯我独尊の独善野郎がワクチン担当大臣っては悪い冗談としか思えないのだけれど・・・・。


本当にデタラメなのか 河野太郎行革相が批判したNHKワクチン報道を検証した

バイデン新大統領の就任式に見る米国の未来。日本が恥ずかしい。


バイデン新大統領の就任式でアマンダ・ゴーマン氏が就任式の貴重な時間内で朗読した。この演説については報道もなく、内容が気になっていた。ツイートにこの演説を解説している記事が出たので紹介したい。この記事を読んで、まず驚いたのは格調の高さである。

バイデン大統領が「Unity:団結」を第一として強調した。このゴーマン氏の演説はそれを補完するものである。日本の菅首相の空虚な施政演説が恥ずかしくなる。バイデン大統領がこの演説を敢えて採用したことに、バイデン氏のトランプ氏との違いがある。

そこには国をリードするTOPの品位と知性の違いに愕然とする。菅首相は野党の質問にコロナ対策に遅れは全くないと言っている。興味がある方は読んで頂きたい。日本が目指すものと違い、レベルの高さが羨ましい。

暗から明へーアマンダ・ゴーマン氏が米大統領就任式で朗読した詩の内容は?翻訳者の読み解き
https://news.yahoo.co.jp/byline/konosuyukiko/20210123-00218856/

ゴーマン氏.jpg

(写真:ロイター/アフロ)
 
第46代アメリカ大統領にジョー・バイデン氏、副大統領にカマラ・ハリス氏が就任した。就任式で、二十二歳の青年桂冠詩人アマンダ・ゴーマン氏が自作の詩The Hill We Climb(わたしたちの登る丘)を朗読し感動を呼んだ。
 
就任式に詩人が自作の詩を朗誦するのは、一九六一年のジョン・F・ケネディ大統領就任式以来の慣わし。この時にはロバート・フロスト氏がその任につき、The Gift Outrightを詠唱した。クリントン氏の第一期大統領就任時には、黒人女性詩人のマヤ・アンジェロウ氏が招ばれ、On the Pulse of Morningを捧げた。
 
今回のアマンダ・ゴーマン氏の二十二歳というのは歴代最年少になるという。彼女はどんな詩を読んだのだろうか? 無数の読みを喚起する暗示や比喩や引用に満ちた詩であり、専門家による読み解きはたくさんあるだろうから、本稿では翻訳者として気になった点を見ていきたい。
 
細部から全体にまで驚くべき精緻な構成をもつこの詩は、反転と対照から成る。暗から明へと。過去から未来へと。厳しい批判も自省もある。それは特定の党派に向けられたものではなく、国民全体で共有されるべきものとして提示される。
 
語と語、フレーズとフレーズ、モチーフとモチーフが、ネガティヴからポジティヴへの転換を繰り返し、悲嘆から希望へと向かおうとする一つのテクストを織りなしている。詩のコンポジション自体がメッセージとなっているのだ。これは、光射す未来を目指そうとする詩人の強い意志が紡ぎだした文体なのだろう。

先鋭なリズムと反転
 

詩中で強く訴えられることの一つは、アメリカという国の団結であり、絆だ。これがメッセージの要諦だが、それに伴い、ゴーマン氏が視覚的イメージを駆使して鮮明に描きだしたのは、この日を迎えるまでに米国が経験してきた試練と惨状だ。そこには、前トランプ政権のみならず、いまのアメリカという国に対する峻厳な批評や問いかけも含まれているだろう。過去のつまずきから目をそらさず直視する一方、未来に向けるまっすぐな眼差しに打たれた。
 
シンコペーションの効いた先鋭なリズムにのせて、ゴーマン氏は朗々と詠じた。まず、詩の押韻や韻律に関して書くと、中間韻(行頭・行末ではなく中間で踏む韻)、とくに語頭で韻を踏む頭韻が耳に残った。たとえば、こんな箇所だ。

①That even as we grieved, we grew.
②That even as we hurt, we hoped.
③That even as we tired, we tried.
④That we’ll forever be tied together, victorious.
①悲しみながらも成長しました。 ②傷つけても期待していた。 ③疲れながらもやってみました。 ④私たちは永遠に結びつき、勝利するでしょう。
 
上の①ではgrieved, grew、②ではhurt, hoped、③ではtired, tried、④ではtied, togetherで、それぞれ頭の音をそろえている。しかも、④を除いて、対向する含意の二単語を対置している。「悲嘆の時にあってさえ、成長した」「傷つきながらも、希望をすてなかった」「疲れ切っても、力を尽くした」--「悲嘆する・成長する」「傷つく・希望する」「疲れた・努めた」という対照だ。

つらく暗澹たる時代の後に、人びとの努力によって明るい時代が到来することを示唆する、あるいは願うものではないだろうか。こうしたイメージのシフトは詩全体の特徴であり、反転と対照化が繰り返されることになる。

*ちなみに、英文学者の阿部公彦氏は、「構文や響きが「前がかり」なのがおもしろいです。 脚韻もあるけど、頭韻や行頭の繰り返しが強烈。 頭で音をそろえると、明瞭で前向きな「行動性」がでますね」と、twitterで分析している。ぜひご参照いただきたい。
鋭い批評性に、あの日のこだまが響く
 
全文翻訳するには翻訳権が必要なので、原文の意を補いながら飛び飛びにご紹介する。まず冒頭から。

When day comes, we ask ourselves, where can we find light in this never-ending shade?
The loss we carry. A sea we must wade.
(朝が来てもわたしたちは自問する。この涯(は)てなき暗がりのどこに光を見出せというのか? 損失を負いながら、荒海を渡っていかねばならないのだ)
 
When day cameと明るい言葉で始まりながら、これまでのアメリカの苦難をほのめかす言葉がつづく。

We braved the belly of the beast.
ここも語頭にbを連続させている。The belly of the beast(獣の腹)とは「耐え難いほど不快な場所」、あるいは「悪の巣窟」といった比喩表現。悪者たちの跋扈する過酷な世の中に果敢に立ち向かってきた、ということだろう。批評性の高い一行だと思う。
 
The belly of the beastは、もともと旧約聖書に由来する。神の言いつけに背いた預言者ヨナが大きな魚に飲まれてしまう、その「魚のお腹」から来た言いまわしで、のちに意味が転じた。ちなみに、9.11で破壊されたロウアー・マンハッタンのワールド・トレーディング・センター一帯は、当時、一部のニューヨーカーたちに”the belly of the beast”と呼ばれるようになったという。ある意味、アメリカにとってこの数年間は、テロによる分断と試練の時にも似ていたかもしれない。
(写真:ロイター/アフロ)

遊び心と辛辣な暗示
 
この詩には(詩なので当然だが)言外の仄めかしや暗示がふんだんにある。
We, the successors of a country and a time where a skinny Black girl descended from slaves and raised by a single mother can dream of becoming president, only to find herself reciting for one.
(わたしたちはこういう国と時代を継承していこう――痩せっぽちの黒人の少女、奴隷の末裔でシングルマザーに育てられたそんな娘も、大統領になる夢を見られるような。もっとも(その子は目下)大統領に詩を暗唱する側にまわっているけれど)
 
ここは、なかなかお茶目とも、メタな自己言及とも言える表現である。詩句のなかに、かつてのアマンダ・ゴーマン自身を思わせる少女が出てくるのだ。就任式の中継カメラも、朗誦を聴く大統領夫妻の反応を映しだしていた。
 
ゴーマン氏の母は学校教師で、シングルペアレントとして三人の子どもを育て、ゴーマン氏はその背中を見ながら、「リテラシーの重要性を痛感し、教育は人生の死活問題となる」と考えていたという。母は子育てと教職を続けながら、教育学の修士号、博士号を取得し、ゴーマン氏はのちにハーバード大学に進むことになった。

And so we lift our gaze, not to what stands between us, but what stands before us.
We close the divide because we know to put our future first, we must first put our differences aside.
(だから、うつむけた顔をあげ、人と人を分かつものではなく、わたしたちの先にあるものを見つめよう。人びとの間に入った亀裂をふさごう。未来を第一に考えるなら、互いの差異はまず脇におくべしと知っている(学んだ)のだから)
 
lift our gazeと言うからには、それまで俯いた状態だったことをほのめかしている。社会が分断を露わにし、項垂れる日々だったと。これも自国アメリカへの省察だろう。
 
次の行でさり気なく、put our future first,という語句につなげていることにも注目したい。当然ながらこれは、トランプ氏のモットーであった”America, first”を意識した語句だろう。さらに興味深いのは、to put our future first, we must first put our differences aside. と、ちょっと回文のような語順をつくりつつ、firstを畳みかけていることだ。

We lay down our arms so we can reach out our arms to one another.
We seek harm to none and harmony for all.
(武器を置こう。互いの体に腕をまわせるように。だれも傷つけず、皆が調和する社会を目指そう)
 
ここにも掛け言葉がある。lay down our armsのarmsは「武器・兵器」のこと。この意味で使うときには、つねに複数形になる。しかし、つぎのreach out our arms to each another.のarmsは「腕」の複数形だ(二つのarmは語源的に異なる経路をもつ)。
 
ここでも鮮やかな転覆およびコントラストが見られる。同音同綴の語で、「敵対から友愛」へと意味をひっくり返しているのである。この詩における「反転」は、つねにネガティヴなものからポジティヴなものへという方向性をもつことに留意したい。

視界が開け、光が射す

Scripture tells us to envision that everyone shall sit under their own vine and fig tree, and no one shall make them afraid.
If we’re to live up to our own time, then victory won’t lie in the blade, but in all the bridges we’ve made.
That is the promised glade, the hill we climb, if only we dare.
タイトルとなるフレーズが出てくるくだりだ。「だれもが各自のぶどうやイチヂクの木の下に座り、だれにも脅かされることのない」というのは、旧約聖書ミカ書 4:4から、ほぼそのままの引用で、現代では、sit under one's vine and fig treeは「安全な我が家で」といった意味の常套句となっている。また、このミカ書4章には、「さあ、われわれは主の山に登り、ヤコブの神の家に行こう」という一文がある。
 
3行目は、「勝利は凶刃にあらず、わたしたちが架けてきた橋にある」とつづく。このbladeと脚韻を踏むのがglade(森林間にひらけた土地。元々はひらけているだけでなく陽射しあふれる林間の平地を指した)だ。ここもまた、blade(凶刃)から、glade(ひらけた明るい地)へと明暗が覆る。
 
暴力ではなく歩み寄りによって関係を築くなら、「わたしたちの登る丘には、ひらけた約束の地がきっとある。登る勇気さえあれば」といった意味だろうか。このくだりは媒体によって、書き起こしの単語やパクチュエーションが異なり、解釈の難所だった。
 
ゴーマン氏は、「これまでの数年は暗黒の時代だった」などとは言っていないが、gladeの一語で視界がひらけるとき、聞き手/読み手は自らが抜けてきた背後の森の深さに思い至るだろう。
 
なみに、アメリカ建国の精神にもつながるa city upon a hill(丘の上の町)というフレーズがある。新約聖書に由来し、周囲の模範となる自由で公正な信徒の生活を指し、慈愛と慈悲のピューリタン精神を表す。

マーガレット・アトウッドの『侍女の物語』や『誓願』に出てくる究極の隔離政策を打ちだすディストピア国家「ギレアデ共和国」も、この精神に基づいて建国されたと書かれているが、なにしろ、先日の暴動のように連邦議事堂を襲撃して、政権を転覆させ成立したのが「ギレアデ」なのだ。じつに皮肉な書かれ方である(いきさつは『誓願』(早川書房)に詳しく書かれています)。

We’ve seen a force that would shatter our nation, rather than share it.
Would destroy our country if it meant delaying democracy.
And this effort very nearly succeeded.
But while democracy can be periodically delayed, it can never be permanently defeated.
ここは、かなり具体的なイメージを喚起するくだりだ。「国を分かち合うより、ばらばらに砕こうとする勢力をわたしたちは見てきた」と言っている。「民主主義の足を引っ張る目論見であるなら国自体を破壊しかねない勢力を。

その企みは危うく完遂するところだった。しかし民主主義は折々に足止めされることこそあれ、終の敗北はあり得ない」と。ゴーマン氏は「この数日、数年の過去に、自ら注釈をつけるつもりで向き合う」ためにこの詩を書いたと言っているが、ここのくだりはその姿勢が顕著に表れ、「暗示」の手法から「明示」のほうへ軸足を移している。

In this truth, in this faith we trust, for while we have our eyes on the future, history has its eyes on us.
おっと、「わたしたちは未来に目を向け、歴史はわたしたちを見張る」の後半部分はアメリカ建国の歴史を描いた大ヒット、ヒップホップ・ミュージカル「ハミルトン」からの引用だろうか。ゴーマン氏には発話障害があったが、とくにRの音を練習するために、このミュージカルの劇中歌 Aaron Burr, Sirを聴きこんで克服したのだとか。
そして、人びとは火影から踏みだす

When day comes, we step out of the shade of flame and unafraid.
The new dawn balloons as we free it.
For there is always light, if only we’re brave enough to see it.
If only we’re brave enough to be it.
(朝が来たら、わたしたちは火影(ほかげ)から臆さずに踏みそう。新しい夜明けは、わたしたちが解き放てば、みるみる昇っていく。光はつねにそこにあるのだから。わたしたちにそれを見る勇気、いや、光そのものになる勇気さえあれば)
 
冒頭と同じWhen day comes,のリフレインだ。しかし、最初はnever-ending (終わらない)と表現されていたshadeから「臆さずに踏みだす」のだと明言している。詩全体としてとらえても、冒頭の弱く、揺らぐ気持ちから、強く、自信に満ちた気持ちへの移り変わりが見てとれる。
 
また、「新しい時代の夜明け」がballoonのイメージで表象され、冒頭では「どこに見出したらいいのか」と不安げに語られていたlightは、「つねにある」と宣言される。さらに、brave enough to be it.で、自分たちが光そのものになろうと呼びかける。これも、同じ語を使った鮮やかな肯定への転換である。
 
ここに、この詩の反転と対照の構図は完結を見たと言えるだろう。恐れ、踏み迷うアメリカの姿から出発し、少しずつ自信をとりもどして回復に向かい、最後には、友愛に満ち、多様で理知的なアメリカの像を投射して終わっている。それは美しいプロジェクションでありながら、その完璧さゆえに、この国が被ってきた深い傷と亀裂を実感させる。
 
アメリカの惨状を直視するところから、まっすぐに未来に向かっていこうとする詩だ。しかし冒頭から繰り返された転換の力は、ひとつ間違って逆方向に働けば、たちまち明から暗へとドミノ倒しのように裏返っていくだろう。その危うさを詩の構造そのもので表してもいるのである。
 
The Hill We Climbには多分に理想主義的なところもあるだろうが、いまのアメリカにあらためて必要なものは、シニシズムではなく、こうした理想主義ではないか。下衆な本能を解放するばかりでは、人は獣にもどってしまう。多くの聴き手/読み手にこの詩が届きますように。

*訳文はいわゆる逐語的な訳ではなく、説明を交えた補完訳になっています。ご了承ください。

石原伸晃は特権階級なのかコロナ感染で即入院、立憲小川淳也との際立つ差

まる子姫の独り言 2021/1/23

やっぱり自民党議員たちは、自分達は特権階級だと思っているのか。コロナに感染した石原伸晃が、持病があるためという理由で無症状なのに大事を取って入院したそうだ。

 
>コロナ感染・石原伸晃氏に「上級国民」批判 〝禁〟破り会食、即入院        1/22(金) 20:01配信 東スポWeb


>石原氏は21日にPCR検査を受け、この日、陽性が判明。発熱やせきなどの症状はなく、いわゆる〝無症状感染〟だが、不整脈などの持病があるため、大事をとって、即日入院したという。

>石原氏は18日開会の国会の本会議に登院し、21日には自身が率いる「近未来政治研究会」の派閥総会に出席し、あいさつしていた。さらに同派閥に所属している野田毅元国家公安委員長(79)、坂本哲志一億総活躍担当相(70)らと昼食をとっていた。


田村厚労相は
>20時以降でなければ、『昼飲み』で昼間お酒を飲んで騒いでいいのかという話があるが、いいわけがない。常識的にお考えいただければ


はあ?自民党議員の、夜会食はダメだが朝や昼会食はOKと言っているのと同じことじゃないか。常識的に考えたら誰だってわかる話がなんで自民党の議員だけはわからないのか。

田村氏、国民に言う前に身内に言ってやれよ。と思うけどね(笑)


石原伸晃も派閥の長と言う立場なら自分がどれだけの影響力を持っているかわかる筈なのに、高齢議員と昼食を取ってコロナに感染したら、持病があるからとか、大事を取ってだとか、無症状なのに即入院できると言うのがすごい話だ。


一般市民はもう、重病患者や入院患者が増えて増えてベッド数が満床で、新規のコロナ患者はなかなか入院させてもらえないと聞いた。それは東京に限った事ではなく、どこの地方都市にしても同じ傾向で、保健所やら役所の人が必死で新規患者の病院探しをしているが、なかなか受け入れてもらえないと大変な思いをしている。


その苦労を知ってか知らずか、会食を平気でやる自民党議員だけはまるでお殿様気分でさっさと入院できると言うのもいい御身分だなあと思ってしまう。


例えば立憲民主の小川議員はコロナに感染した際、「特別扱いしないで欲しい」と医者にも保健所にも言い続けて、手順を踏んで入院している。しかも紹介してもらった病院には、公共機関を使わず39度台の熱があるのに1キロの道のりを歩いていったと言うからすごい。


確かBSの番組で、その道のりが遠いのなんのと言っていた。涙が出てくるほど自分を律しているのが分かる。
立憲民主の羽田議員の場合は、知人が感染したために参議院の診療所にPCR検査を受けたいと申し出たが、無症状のため断られた。


その後、民間のPCR検査を受ける前に症状が急変して死亡している。持病があったともいわれている。
立憲議員がコロナ感染した時はベッド数がそれほどひっ迫していなかったが、今は入院するにも至難の業になっているのに、なぜか自民党議員だけが「特権」を享受しているように見えて不快で仕方がない。


自民党議員には、感染したら即入院ではなく、一度自宅待機して、庶民がどれだけの待遇をされているかしっかり身をもって味わうべきじゃないか。それが「国民に寄り添う」の一端に繋がると思うが。


やはり菅のいろいろな国民へのお願いを聞かなくなったのは、自粛疲れも確かにあるかも知れないが、権力者の身勝手な行いがどんどん可視化されてきたことにもあるのではないか。

本来なら規則を作った方はより身を律して国民に分かって貰うように範を示す必要があるが、それを無視して会食三昧、そしてルール化も嫌がる。

常識で考えれば、今の時期の会食が駄目なのはルール化以前の問題なのに、それさえもわかっていない。
それじゃあ、誰もいう事聞かない。田村厚労相も、国民に偉そうに諭す前に、それこそ自分達の行いを胸に手を当てて考えたらどうかと声を大にして言いたい。

金目のノビテルが「熱などの症状はないが、既往症があるため入院」・・・都内の入院調整中のコロナ感染者が6000人超だというのに、釈然としないなあ!

 くろねこの短語 2021/1/23

最後は金目のノビテルがコロナに感染したってね。「熱などの症状はないが、既往症があるため入院している」そうだ。PCR検査→陽性→即入院ってのは理想な医療体制で、金目のノビテルが入院できたのはいいことなのは間違いない。

 
でも、問題なのは、入院・療養調整中のコロナ感染者が東京でも6000人を超えている中での即入院ってことなんだね。ネットでは「上級国民の優遇措置」なんて怨嗟の声が飛び交っているけど、それも無理のない話なのだ。しかも、感染発覚前夜には自民党のお仲間と会食してたというオチまでついてるんでからね。


石原伸晃氏がコロナ感染 既往症のため入院 前日は坂本大臣らと会食

コロナ感染・石原伸晃氏に「上級国民」批判 〝禁〟破り会食、即入院

自宅療養中に死亡、18人 病床逼迫し入院先見つからず

 
報道では、「既往症があるから」ということなんだけど、何かと思えば不整脈だそうだ。不整脈は心不全の症状のひとつで、確かに心不全はコロナが重症化しやすい基礎疾患のひとつとされている。でもなあ、そんな患者はおそらくゴマンといるはずで、やっぱり国会議員でしかも自民党の世襲議員の特権ゆえのこととうがった見方されるのはいたし方ないんだね。


新型コロナウイルス感染症の“いま”についての10の知識

 
いっそのこと、金目のノビテルが、自ら自宅療養を選べばよかったんじゃないのか。そして、実際の自宅療養の在り方を身をもって実践・検証すれば、政治家としての株も上がろうというものだ。でも、そうなると入院拒否ってことで、懲役になっちまうのか・・・コロナ罰則法が閣議決定したのと同じ日のコロナ感染ていうのが、なんとも皮肉な今日この頃なのだ。

オリンピックの実行は狂気の沙汰。菅の面子で日本が奈落へ。


オリンピックを信じて練習に励んでいる選手には悪いが、オリンピックは中止もしくは延期すべきだ、イギリスのタイムズが日本の高官の話で、オリンピックは内々に中止を考えているという記事が出た。

この手の記事は英国の記者が空想して書けない。オフレコがどうかわからないが、誰か言ったことは確かと確信している。政府、東京都は否定に走ったが、これは本当にはっきりした方がいい。ここに至っては、過去にやると言ったから無理してでもやるものではない。

政府はワクチン接種が物理的に出来ないということを悟ってきたようだ。要するに物がないのだ。だから、この頃無観衆で行うことまで言っている。無観衆でオリンピックをやって何の意味があるのか?そもそも選手が5大大陸から来ることが出来ない。

なぜなら、イギリス、ドイツ、フランスではロックダウンしている。こんな世の中で、選考のための大会も出来ない。況や、先進国でない後進国の選手などは来ることなど相当のハードルがある。

今日、医師会会長が来日外国人の選手、観客がもし感染で病院に運ばれても「医療提供は困難」と述べた。各国から英語以外の言語を持つ感染した患者が病院に来たら、通訳はどうする、支払いはどうする、宗教上、国別の食事の配慮をどうするなど、ちょっと考えただけで、問題、課題がどさどさ出て来る。

もう不可能である。医療現場は完全に破滅することは目に見えている。狂気の沙汰である。菅の面子で日本が奈落に陥る。

五輪 来日外国人の感染“医療提供は困難
https://www.msn.com/ja-jp/news/national/%E4%BA%94%E8%BC%AA-%E6%9D%A5%E6%97%A5%E5%A4%96%E5%9B%BD%E4%BA%BA%E3%81%AE%E6%84%9F%E6%9F%93-%E5%8C%BB%E7%99%82%E6%8F%90%E4%BE%9B%E3%81%AF%E5%9B%B0%E9%9B%A3/ar-BB1cZxxg?ocid=msedgdhp

オリンピックで来日外国人が感染した場合の医療提供は困難との見方を示しました。日本医師会の中川会長は、講演で、東京オリンピック・パラリンピックで来日した外国人が感染した場合について、「ワクチンが劇的に効くとか神がかり的な変化があれば別だ」とした上で、「今の状況で受け入れ可能かというと、可能ではない」と述べました。また、医療現場への最大の支援は、「患者を減らすことにつきると」訴えました。

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