真実の報道神秘

権力の『おかしな政策』におかしいと報道しない日本で、一人でも『おかしい』と声を上げ、真実を追求して行きます。

2018年07月

小林ゆみ / 「安倍首相 万歳!」

2018年07月30日 のんきに介護

次から次へとネトウヨのお姉さまが登場しますな。杉田が自分が訴えた政治の論点をパクってくれたお陰で小林ゆみは、一躍、時の人だ。チャンス到来とばかりに安倍にアピールしている。


転載元:Silence is a War Crime@since1923EQさんのツイート〔10:02 - 2018年7月30日




男に媚を売れば、食にありつけるという考え方、敗戦直後、進駐軍の米国兵に体を擦り付けていた売春婦のようだ。

杉田水脈に続いては、小林ゆみ。早速、「安倍首相 万歳!」とやっている。立派と言うかなんと言うか、こういうセリフが何の抵抗もなく出てきた時点で政治家としてアウトじゃないか。

浅ましい光景だ。小林ゆみを引き上げる巡り合わせとなった杉田は、こんなこと言っていた。

「はい。そりゃ社会に生きていたら山ほどありますよ。ふはは。ひゃあ。はい。でもまあ、それは、ああそういうものかなあと思って…」

(yoshita07@Harunchan123さんのツイート〔20:49 - 2018年6月30日〕参照)

醜い!「公邸見学」と偽り、安倍が密かに・・・!

2018/07/30  半歩前へ

歌手のさだまさしさんが25日、西日本豪雨で被災した愛媛県で各地の避難所などを訪れ、被災者らに「落ち着いたら歌いに来ますね」と声を掛けた。

被害が大きかった大洲、西予、宇和島の3市にそれぞれ100万円を寄付し、ふるさと、長崎県のカステラなどを配った。

一方、民間ボランティア団体が25日に倉敷市に木造ムービングハウス4台を輸送。さっそく被災者が利用。これは、移動可能なコンテナ規格の木造住宅で、キッチンやベッド、シャワー室、トイレがあり、エアコンもある。

こうして日本中が被災地に支援の手を差し伸べているさ中の25日、安倍晋三は総裁選の選挙運動に余念がなかった。

一体、この男はどういう神経の持ち主なのか? 安倍晋三は国民のことなどどうでもいい。自己保身しか考えない冷血動物の典型である。

醜い男だ。卑しい男だ。軽蔑すべき男だ。人ではない。

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共同通信によると、安倍晋三が25日夜に地元・山口県議ら約30人を公邸に招き、会食していたことが分かった。

会合の存在自体を隠すため、県議らは公邸の正面玄関を使わず裏から出入りした。

一部の出席者が「西日本豪雨への対応が続いており、非難されかねない」と警戒した。

報道機関が首相の面会記録として作成する首相動静には載っていない。

関係者が27日明らかにした。安倍は、豪雨発生時の5日夜に自民党議員の飲み会「赤坂自民亭」に参加したことが批判を浴びた。

安倍晋三は25日午後6時42分に公邸に入った。関係者によると、その後の会合は約2時間で、食事したほか、来年の県議選用の写真を一緒に撮影。安倍から「秋はよろしくね」と9月の総裁選を念頭に置いた発言も出たという。

山口県連幹部は公表しないようかん口令を敷き、外部には「公邸見学だ」と説明していた。  (以上 共同通信)

LGBTは生産性がない」杉田水脈氏大炎上「ザワザワ感」の正体 

井戸 まさえ(1965年生まれ。東京女子大学卒業。松下政経塾9期生、5児の母。東洋経済新報社記者を経て、経済ジャーナリストとして独立。兵庫県議会議員(2期)、衆議院議員(1期)、NPO法人「親子法改正研究会」代表理事、「民法772条による無戸籍児家族の会」代表として無戸籍問題、特別養子縁組など、法の狭間で苦しむ人々の支援を行っている。著書に『日本の無戸籍者』(岩波書店)、『無戸籍の日本人』(集英社)などがある。)

 

杉田水脈炎上の「ザワザワ感」 

SNSでこれでもかと流れてくる杉田水脈氏関連の「炎上」を見るたびに、「当然のこと」と思いながらも気分が滅入る。このザワザワ感はなんなのだろうか。『新潮45』も全文読んだ。内容はこれまで彼女が書いたり、動画チャンネルで発言してきた内容をまとめて記しただけ。特に目新しいものはない。LGBTや慰安婦に関するこうした炎上想定の発信は彼女の「売り」なのだ。 

今回の記事は話し言葉で書かれていて、初っぱなからまるで小学生に語るようだ。主張の根拠を示す有効なデータがあるわけでなし、説得力を持つ論理構成をしているわけでもなく、正直に言えば論壇誌であろう『新潮45』がこのレベルでの掲載をよく認めたなと思う。その内容については常見陽平氏が詳細かつ丁寧に解説・批判をしており、筆者も同見解、同意見なので、ここで重複することはしないでおこう(「自民党杉田水脈衆議院議員の『新潮45』への寄稿は不適切発言の特盛である」)。 

軽率で不見識、また差別的な言動を展開する杉田氏。この「炎上」により問題が可視化し、広く危機感を共有することができてよかったとも思う。「杉田水脈の議員辞職を求める自民党本部前抗議」を始めとして、杉田氏の国会議員の資質を問う動きも出ている。国権の最高機関にして唯一の立法機関である国会議員として話してふさわしいのか。責務を果たすに十分な能力や見識があるか。 

杉田氏が問われるべきは今回のLGBTに関する言動だけではなく、「日本の秘められた恥」としてBBCが放送した伊藤詩織氏のドキュメンタリーの中で「女として落ち度があった」と指摘、ネット座談会などでも同様の批判を行なってきたこと等も含めてだ。 

彼女が国会議員を辞職して全てがクリアされるというわけではないが、杉田氏がそして自民党がこうした声をどう受けとめるかは人権をどう捉えているかと直結する。ただ、冒頭に書いたように筆者はこの「炎上」に戸惑いを感じている。杉田氏を支持している訳でもなく、漫画家小林よしのり氏には「杉田水脈か、井戸まさえか」と杉田氏の対極に位置づけられりもしている。しかし、それなのに、なぜこの「炎上」に違和感を感じるのだろうか。「ザワザワ」の源流はどこから発せられてくるものか。 

杉田氏を「無視」してきた人々のマインド 

これまでの杉田氏の言動に憤り、その見識に疑問を持つ人は多かった。ただ、たとえそのことを指摘しても杉田氏が考えを変えることはないだろうし、批判すればむしろ杉田氏支持と思われるネトウヨから執拗な攻撃が来るのではないかとの懸念が、表立っての杉田批判を押さえて来た。杉田氏を批判することで生まれる「コスト」を考えると、それは明らかに「無駄な行為」「空しい行為」。 

「杉田氏の挑発とも思える過激な言動に対し、真面目に反応すると面倒な目に合うのでやめておこう」というのはリベラルサイドの中では暗黙の共通意識だったと思う。だから、「無視」。仲間内では杉田氏の批判をすることはあっても、正面から相手にすることを避けてきた。「相手にしない」「どんな言動があってもスルー」「存在自体を見ないことにする」。それが杉田氏、そして杉田氏を支える勢力への最も効果的な方策だと認識していたのだ。しかし、この「無視」「相手にしない」という態度こそが、彼女を増幅させた要因でもあるのだ。 

今回炎上になったことで「だめねえ」「おかしい」と杉田氏を批判している人々の中に、「実は杉田氏の論理展開をどう批判していいのか、答えあぐねていた」と言う人に少なからずいることも知った。

例えば、杉田氏は問題となった『新潮4520188月号で、「多様性を受けいれて、様々な性的指向も認めよということになると、同性婚の容認だけにとどまらず、例えば兄弟婚を認めろ、親子婚を認めろ、それどころかペット婚や、機械と結婚させろという声も出てくるかもしれません」と記述している。 

「いきなりそう言われたら……違和感を持っても、どう切り返していいかわからない」と言うのだ。議論することを面倒だとスルーしてきた結果、一方でまっとうな批判力を鍛える機会を手放すことにもなっていたのかもしれない。また、杉田氏の「生産性」発言に対して怒りを表した文章の中に「A県は知事もB市長もC市長も子どもがいないので少子化対策には圧がかけられないからよかった」といったような、杉田氏を批判しながらもまさに「生産性」議論に引き入れられていることすら気づかない内容も散見されて、問題の根深さを感じる。 

「叩きやすくなった」杉田氏に対して、今まで声をあげて来なかった人々も一斉に批判をするようになったからこそ「炎上」が起ったのだが、批判は全うだし、もちろん賛同もする。ただどこかで不健全感は拭えないのは、今に至るまで杉田氏を放置し、過激に走ることを止める機会があったにもかかわらず、それには及ばなかった、つまりは「叩きにくい」時にこそ対応することを諦めた結果であるという認識が欠けているのではないかという、焦りにも似た感覚である。 

「炎上」が広がったワケ 

さて、杉田氏の「炎上」が広がる要因にSNSや報道で流される杉田氏の写真がいくばくか関係しているのではないかと思うのは筆者だけだろうか。たいてい本人サイドが掲載している写真と報道写真が「対」のように現れるが、そのふたつの様相があまりに違うのだ。選挙に出る際、有権者が候補者と実際に出会う機会はそう多くない。だからこそ、通常政治家は自分の容貌を「盛る」。一番良い時の自分のイメージで見てもらいたいからだ。 

杉田氏もいつも使っているのは初当選のころから使っているであろうブルーのスーツ姿の写真だ。最近開催の講演会のビラ等にも現在もこの写真を使用していることをみれば、何らかの思い入れを持った写真なのだろう。ただ、今回の報道等で最近の写真が流れてくると、杉田氏が「見られたい」と思っている=イメージ戦略上の写真と現在流れてくる写真には乖離があることが可視化される。 

最近の杉田氏は前髪を切っているが、掲載される写真は長い髪が顔にかかり「意地悪そう」という感想も頷けるものだ。報道機関がわざわざそういう写真を選んでいるとは思わないが、颯爽たる杉田氏の写真と対比される中で、そのイメージが杉田氏の『新潮45』の言葉にリアリティを与えて行く。イメージ戦略、髪といえばBBCの杉田氏のインタビューで話題になったことの一つに杉田氏の「巻き髪」だった。この日の撮影に備えて美容院に行ったか、自分でブローしたかはわからないが、彼女には明確に「撮られたい自分」があることは伝わってくる。 

必死で掴んだ今の立ち位置、ウヨ業界でのミューズ・アイドルでいるためには「巻き髪」は必須アイテム、そのリバースにはこの国で「オンナであること」の呪縛にがんじがらめになっている杉田氏の姿も見え隠れする。

余談だが、杉田氏の行動を見る上では重要な存在がいる。2012年日本維新の会公認で同期当選、同じ兵庫県選出の三木圭恵氏。そもそもタカ派の寵愛は杉田氏ではなく、三木氏にあったと言われている。 

三木氏は2004年から三田市会議員をつとめ、2010年の参議院選挙で「たちあがれ日本」から立候補する等、保守ど真ん中での活動歴もある。しかし、2014年、運命の分かれ道がくる。日本維新の会の分党だ。当初は三木氏が当然「次世代の党」に行くと思われていたし、三木氏も入党届を出すが、ほんの2日で進路先を橋下徹氏が作る共同代表を新党へと変更する。そしてもともと維新だった杉田氏が「次世代の党」へと行くのだ。 

この選択は憶測を呼んだ。保守の三木氏ではなく杉田氏が「たちあがれ」に行くというのは業界の中ではちょっとした驚きだったのだ。三木氏はいつもフェミニンな雰囲気を漂わせている。いわゆる男の人が描く「三つ指ついて」のイメージに近い(ような気がする)。杉田氏はライバルを超えるためにも、発言も、また見た目も過剰にしていく必要があったのかもしれない。こうした背景を考えると、同情する必要は一切ないと思いながらも、それでも杉田氏が追い込まれて行く過程が垣間見える。女性や子どもたちが直面する問題と長年向き合ってきた経験からすると、ちょっとしたすれ違いや嫉妬の気持ちから思わぬ方向に進み、負のループにハマるケースはそう珍しいことではない。そう思うと、男性側の主張を代弁し続けるモモレンジャーとしての杉田氏に痛々しさを感じないでもない。そう思ってしまう自分にも「ザワザワ」するのだが――。 

内部からの杉田水脈評「遅れてきたバブル」 

「杉田水脈をジェンダー視点で語るのは正しいようで、ちょっと違います」こうした筆者の杉田水脈氏評に対して異なる見方が必要と指摘するは彼女と同じ政党にいたという男性政治家たちだ。「彼女とは同じ政党だったので、言葉に注意したらという助言をしたことがありますが、全然理解してもらえませんでした」「会議の席でも指摘したが、その後も変わらなかった」複数人からこうした声がある一方で、杉田氏がその言動をさらに過激にしていくのは別の後ろ盾があったからだとの指摘もある。 

「たちあがれ日本、日本維新の党、そして次世代の党の一部の人々の根底には、宗教的右翼思想があり、一般的な保守とは一線を画していました。軍隊用語がはびこり、反中嫌韓、日本万歳思考が当たり前。それさえ唱えていたらいい。それに疑問を持たなければとても居心地の良いところだと思います」「いまどき、『閣下』という敬称が、侮蔑ではなく、敬いの言葉として飛び交う中で杉田水脈氏が政治家として誕生し、成長してきたことを忘れてはならないと思う」。ある党関係者はそう指摘する。保守の特徴だと言われる「義理人情」であるとか「長幼の序」は全く見られない。勇ましく「日本万歳」を唱えた人間が主である政党の中で最も居心地の良い場所に座ったのが杉田氏だというのだ。 

「タカ派男性議員の寵愛を受け、自分こそ救国の女戦士と勘違いしてしまい、周りのビジネス右翼とともに活動することで喝采を浴びる。例えて言うならば今まで脚光を浴びていなかった地下アイドルが、いきなり全国区のアイドルになれたことで自分に酔いしれたんでしょう」神戸のお嬢様学校と言われる私立中・高を卒業し、鳥取大学に進む杉田氏。バブル当時の選択として都会で華やかな学生生活を送ることも可能だっただろうが、その後の西宮市役所勤務も含めて真面目さ地道さが伺える進路選択だ。政治という場に飛び込むと、逆にそこでは極端なことを言えば言うほど、賞賛される世界だった。これまでの評価基準とは全く違うことに杉田氏は驚いたことだろう。 

「彼女たちの特徴は『選民意識』が強いということ。こんな学歴や経歴で国会議員になれたんだから、逆に『自分は選ばれし優秀な人間だ』と勘違いしている。世の中を支配する側の人間だと本気で思い込んでいる。その最たるものが安倍総理なんだろうけど」確かに、杉田氏世代は「受験戦争」といわれ、学歴が職歴と直結する時代。そのコンプレックスを跳ね返すために「政治家」を志向する人は松下政経塾でもいないわけではなかった。選挙は自分の名前を書いてもらわなければ当選しない。究極の「自己承認」なのである。ただ、杉田氏のように「比例単独候補」は名前を書いてもらうわけではない。当然ながら、彼女の承認は名簿順位を決める権限を持つ人。ある意味杉田氏にとっての有権者はたった一人。その人、もしくはその支持層に対してのアピールこそが自分の立場を与え、保護してくれる唯一の選挙活動なのである。「要するに彼女たちは、ろくに勉強もせずに、根拠の薄い話を並べたて、集まってくる人間もそんな話に加わることが出来る程度の輩ばかりだから」「選民意識」を支え、人々を繋ぐのは目に見えない「愛国」。「宗教的右翼思想」というのは、そういうことなのだろう。「本来日本は、女性が大切にされ、世界で一番女性が輝いていた国だった」

「男女平等は、絶対に実現しえない反道徳の妄想」「女性が輝けなくなったのは、冷戦後、男女共同参画の名の基、伝統や慣習を破壊するナンセンスな男女平等を目指してきたことに起因します。(中略)・・その結果、ドメスティックバイオレンスが蔓延し、離婚が増加。少子化や子どもの貧困の原因となっています」…… 

こうした発言を繰り返しながら、杉田氏は名を売り、仲間を増やし、さらに過激に自分を膨らまして行く。まさに杉田氏は「遅れてきたバブル」を体感していたのかもしれない。「ただ、彼女は井戸さんが指摘するような男社会の捨て駒ではない。単に宗教化した右翼的社会のマドンナ。その位置を自ら望んだわけですから、今の炎上状態に同情することもない。真剣に思想から勉強した人間とは別の存在です。『右翼が馬鹿』というレッテルが貼られるのも、この連中を見ているとよくわかります。一般常識も礼節も分からず、論理的な思考よりも、勇ましい言葉の方を重んじてしまう」 

なるほど、周囲から見れば同じ「右翼」だが、その内側では杉田氏の存在は厄介で迷惑なものだと捉えられてもいたのである。「でも、杉田氏の様な存在は、リベラル、若しくは左翼的な集団でもいるのでは?人権や環境を唱えていれば、その集団でもてはやされている人が」たしかに。私が杉田氏の「炎上」にワサワサするのは、批判している側にも同じ危険性があると感じているからに違いない。

「一般社会といかに乖離していようが、ある組織の中では神の様にもてはやされている人がいる。一部、一定数存在する階層に対して神対応することで、周囲が嫌悪感しか感じていないのに、比較優位に立ってしまう」そして「自分はすごい」と勘違いする。周りも「あの人はすごい」と勘違いする。 

「杉田水脈氏だけでなく、右翼業界だけでなく、今の日本社会には蔓延しているこの「勘違い」こそ、危惧しなければならないと思います」杉田氏の誕生とその後の変化も見てきた人だからこその説得力がある。自分たちの望むことだけを言う人を重用し、賞賛し、何を言っても肯定する――。こうしたことの繰り返しは、実は、今杉田氏を批判している人々も含み、主義主張にかかわらず新たな「杉田水脈」を産み出す危険性を孕んでいるのだ。そのことに無自覚でいてはならないと思う。 

先日、リベラル系のある講演会に行ったところ、まさに目の前で繰り広げられていたのはそんな光景だった。政治的敵対者が発すれば「セクハラ」と問題になるだろうことが、軽いジョークとして受け入れられていく、むしろ喝采されているさまは衝撃だった。実際、既にその芽が身近にあるからこその「ザワザワ感」なのかもしれない。 

杉田氏が選挙ボランティアをした場所 

実は杉田氏とは一度だけ話したことがある。45年前だと思う。宝塚市で行なわれた、ある会合で同じテーブルになったのだ。

杉田氏は筆者に対してこう話しかけてきた。「私、井戸さんの選挙、お手伝いさせていただいたんですよ」衝撃だった。なぜならば、私は自分の選挙で杉田氏が手伝ったということを全く覚えていなかったからだ。 

2009年の政権交代の選挙、ボランティアで手伝ってくれた人は多数いたが、そのほとんどについて私は把握していたはずだった。私が気付かないぐらい杉田氏は目立たない存在だったのだろうか。

「井戸さんの選挙をみて、選挙に出ることを決意したんです」ま、待って。本当に?それは、リップサービスにしても重い言葉だった。 

私の選挙を手伝った経験が何かしら杉田水脈氏の政治的キャリアに影響しているとするならば、今の杉田氏の行動は私には全く責任がないとは言えないかもしれない。どの程度杉田氏がボランティアとして活動を手伝ってくれていたかはわからない。ただ、もし彼女の存在を知っていたならばもっと違うメッセージを伝えたのではないだろうかと思う。 

この国には言論の自由があり、自分の主張をするのは構わない。ただ、だからといって十分な知識を得ないまま、自分の思い込み、妄想で発言し、誰かの尊厳を傷つける権利は誰にもない。「そもそも世の中は生きづらく、理不尽なもの」。それは杉田氏の言う通りだ。

だからこそ、政治がある。政治家はそのために存在する。それが理解できていないならば、国会は杉田氏の居場所ではない。 

杉田氏だけでなく、同じような主張をする人々も同様だ。彼女の前には本来「炎上」しなければならない人々はたくさんいるのだ。ただ、それらの人々は杉田氏の影に隠れて見えて来ない。もしくは見えていても正当な批判にさらされない。今回の騒動がどのような収束を見せるかはわからない。杉田氏が謝ろうが、議員辞職しようが確かなのはこれは杉田氏個人だけに帰着する問題ではないということだ。 

BBC番組『日本の秘められた恥』を批判する愛国女性の正義感」でも指摘したが、昭和の3分の1、そして平成をまるまる使い50年という月日が産み出した「杉田水脈(的女性)」の背景を私たちはもっと知らなければならない。これまで大きな問題ともされてこなかったのに、2018年の今、なぜ「炎上」したのか。

杉田氏を批判するだけで問題は終わらない。終わらせてもならない。

これは日本社会の構造的問題という視点を持たなければ、右も左も関係なく、また「杉田水脈」は誕生しつづける。

「ザワザワ感」は収まらない。 

憲法教という新興宗教に毒されず安倍総理応援に感謝(稲田朋美)憲法遵守義務違反で逮捕&そろそろ潔く辞めましょう悪しき古き人間達もうそういう時代じゃありません(WBA世界ミドル級王者村田諒太)まんま世襲政治屋にも突きつけたい!!

 くろねこの短語  2018/7/31

諫早湾開門無効判決だとさ。漁業権が消滅しているのがその理由ってんだが、なんとも結論ありきの判決で、そりゃあ漁師は納得いくわけない。そもそも、諫早湾の干潟を埋め立てようなんて発想が神をも恐れぬ所業で、これって自民党の責任だよね。

 
ところで、網タイツの稲田君が、ツイッター始めたとたんに炎上。ツイート削除するハメになりました。そのツイートってってのがこれ↓です。
「支部長は大先輩の内野経一郎弁護士。法曹界にありながら憲法教という新興宗教に毒されず安倍総理を応援してくださっていることに感謝!」
 
これは、日本会議の東京都中野支部で開催された「安倍総理を勝手に応援する草の根の会」に応援弁士として参加した時のことをツイートしたものなんだが、明らかに現行憲法を否定する意図を持った言い草だ。憲法遵守義務違反だって声が上がるのも当然のことで、「こういう認識の人が防衛大臣をやっていたことに改めて震撼する」って指摘もむべなるかなってことだ。


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それにしても、ペテン総理の「みっともない憲法ですよ」発言を筆頭に、どうしてこうも憲法をないがしろにする政治家の発言が続くのかねえ。そして、どうしてそうした発言にメディアは寛容なんだろう。政治家もメディアも劣化しているって言ってしまえばそれまでだけど、そうした紋切り型の批判で自己満足していると大変なことになりますよ。
 
でもって、網タイツの稲田君はツイートを削除した理由を「ツイッターに書くにはあまりにも誤解を招きやすい(表現だった)なと思う」からだとさ。暴言・妄言を吐くたびに「誤解だ」って言い訳するのが昨今の政治屋の常套手段なんだが、ホント、国民を舐めてます。

 
話変わって、ノイホイ菅野君にとてつもないスキャンダル。留学中にアメリカで女性に対する暴力行為を犯して逮捕状が出てるってね。事件を起こした自覚はあるようで、ノイホイ菅野君自身が反省の弁を述べている。森友学園疑獄の立役者がこれだ。さぞやペイン総理はほくそ笑んでいることだろう。

 
最後に、日本ボクシング連盟が第2の日大騒動になりそうですね。300人超の選手の告発に対して、連盟はファイティングポーズとっているようだけど、選手たちを甘くみてると明日のジョーなみのクロス・カウンターでノックアウトされますよ。

「そろそろ潔く辞めましょう、悪しき古き人間達、もうそういう時代じゃありません」
「新しい世代に交代して、これ以上、自分達の顔に泥を塗り続けることは避けるべきです」
 
WBA世界ミドル級王者・村田諒太は、連盟幹部をこのように批判しているが、これってまんま旧態依然とした政治屋どもににも突きつけてやりたいものだ。

日銀が33兆円過大計上 安倍首相「家計は豊か」のデタラメ

2018年7月29日 日刊ゲンダイ
 
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日銀の統計で、家計が持つ投資信託が33兆円も過大計上されていた問題。「元気な家計で投資増」という“通説”は一夜にして崩壊した。

家計や企業の金融資産の動向を示す「資金循環統計」が過去に遡って大幅に下方修正されていたのだ。

「資金循環統計は、年に1回、過去を含めてデータを見直します。ミスではなく、より精緻な基礎資料に基づいたものです。数十兆円規模の修正はままあることです」(日銀調査統計局金融統計グループ)

数十兆円もの大チョンボでもミスじゃないとは驚きだが、市場は大混乱。日本証券業協会の鈴木茂晴会長は「こういった数字を見ていろいろ言っているので、間違ってもらうと本当に困る」とカンカンだ。

注目すべきはそれだけではない。2017年12月末時点で109兆円とされていた家計の投資信託保有額は、実際は33兆円少ない76兆円だったのだが、過去の数値も修正された結果、14年末の約80兆円をピークにジリ貧であることも分かった。家計は元気どころか保守的になり、安定志向まっしぐらなのである。

■「9割の人は実感せず」

実はこの統計見直しは6月27日に公表されていた。その同じ日の党首討論で、安倍首相はこれを援用。アベノミクスの成果だと自慢していたからア然である。

国民民主の大塚耕平共同代表が、財政健全化や甘い経済見通しを質問。安倍首相は「ちょうど今日、大塚委員もかつて職場で働いていた日本銀行の資金循環統計が出ました」と切り出すと、こう続けた。

「私たちが政権をとる前、2012年の12月と今年の3月を比べると、家計の預金と現金は88兆円増えておりますし、キャッシュだけで16兆円も増えております。なお、株等も入れると、家計の金融資産は220兆円も増えているわけでありまして、間違いなく国民の皆さまの家計はですね、豊かになってきています」

33兆円の過大計上と、家計の投資のジリ貧がバレたその日に「家計」を連呼し「豊か」と言い張った。経済評論家の斎藤満氏が言う。

「安倍首相就任前の12年の株価は8000円台ですが、アベノミクスの官製相場で株価が3倍になっていて金融資産が水膨れしているのです。株を保有していた10人に1人が恩恵に預かっているだけです。また、家計の預金が増えているのも将来不安からです。『家計が豊か』など9割の人は実感していません」

安倍首相の“統計利用”はすべて疑った方がいい。

自民・政府 「差別」「うそ」の感染爆発

2018年7月28日 こちら特報部 東京新聞


性的少数者への差別はもとより、優生思想に覆われた自民党の杉田水脈(みお)衆院議員の月刊誌への寄稿が非難を集めている。

一方、先の西日本豪雨での対応で宴席からも「指示を出していた」と言っていた小野寺五典防衛相はその後、一転、指示を出していなかったことを認めた。

政府と自民党に広がる「差別」と「うそ」。その感染爆発に歯止めがかからない。根底に最高権力者の体質はないか。(中沢佳子、橋本誠)

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『報道ステーション』から政権批判が消えた理由! 杉田水脈問題も赤坂自民亭もスルーする異常事態

2018.07.29 報ステが杉田水脈も赤坂自民亭もスルーした理由 リテラ
   
最近、『報道ステーション』(テレビ朝日)がヘンだ──。そんな声が視聴者の間で巻き起こっている。『報ステ』といえば、忖度体質が支配するテレビ報道のなかで、安倍政権をきちんと批判ができる数少ない番組として支持を受けてきた番組。ところが、今月7月を境に、この番組から肝心の安倍政権批判が極端に少なくなってしまったのだ。

典型が、いま大きな問題になっている杉田水脈のLGBT差別発言。テレビ各局の動きはもともと鈍かったが、それでも24日にTBSの『NEWS23』が取り上げたのを皮切りに、25日以降はフジテレビや日本テレビの番組ですらこの問題を批判的に取り上げ、同じテレ朝の『羽鳥慎一モーニングショー』も遅ればせではあるが26日にこの問題を取り上げた。

ところが、『報ステ』はいまにいたるまでこの問題を取り上げていない。26日夜には公明党・山口那津男代表までが「いかがなものか」と批判コメントを出したが、そのことすら『報ステ』は一切取り上げなかった。自民党本部前で大規模な抗議デモが行われた27日にはさすがにやるだろうと思ったが、やはり完全スルーだった。 

しかも、この異変は杉田水脈のLGBT差別発言だけではない。じつは「赤坂自民亭」問題でも対応は同じだった。当初、テレビの報道はほとんどが沈黙していたが、」キー局では10日になって『あさチャン!』『Nスタ』『NEWS23』といったTBSの番組が取り上げるようになり、他局のニュース番組やワイドショーにも広がっていった。

だが、なぜか『報ステ』だけは頑なに「赤坂自民亭」問題を取り上げることはなく、1週間後の17日になってようやく紹介。それは、安倍首相が同日の参院内閣委員会に出席し、国会という公の場ではじめてこの問題について追及され、「いかなる事態にも対応できる万全の態勢で対応にあたってきた」と答弁したタイミングだった。

別に安倍首相の公式コメントを待たずとも、初動の遅れを指摘する報道はできる。しかも、『報ステ』と同じテレ朝では、11日には『羽鳥慎一モーニングショー』でも「赤坂自民亭」問題を紹介していたし、さらに『報ステ』レギュラーコメンテーターの後藤謙次は10日付けの静岡新聞で『求められる「真摯な姿勢」』と題して「赤坂自民亭」問題を取り上げていた。つまり、『報ステ』は意図的にこの話題をピックアップしなかったのだ。

ほかにも『報ステ』が政権批判を鈍らせたケースは枚挙にいとまがない。たとえば、朝日新聞が17日にスクープした、自民党・古屋圭司議員の事務所が政治資金収支報告書にパーティ券収入を過少記載していた問題。『NEWS23』や日本テレビ『NEWS ZERO』といった夜のニュース番組はその日のうちにこの疑惑を取り上げたが、『報ステ』は無視。翌18日に国会の動きを紹介するなかで取り上げるにとどまった。

さらに、カジノ法案が参院本会議で強行採決された20日の放送では、コメンテーターとして出演したハフポスト日本版編集長の竹下隆一郎氏が「(今国会は)野党の追及が甘くて、なかなか議論が盛り上がらなかった」「インターネット上や20代の若者を取材していると、野党のみなさんが批判をすることにすごいアレルギーがある」などと語り、安倍政権の傲慢な国会運営には一切ふれることなく、問題点を野党批判にすり替えてまとめてしまったのだ。

そして、このように政権批判につながる問題が影を潜める一方で『報ステ』が熱を入れて取り上げてきたのが、東京五輪やスポーツの話題だ。

■政権批判に変わって、トップニュースは五輪、高校野球、プロ野球

カジノ法案が参院予算委員会で強行採決された19日、『報ステ』は東京五輪の競技日程が決まったことを巨大なボードを用意してトップニュースとして報じ、富川悠太キャスターも「ワクワクしてくるでしょ? あと2年もあるのに!」と大はしゃぎ。懸念されている暑さ問題などについてもVTRで取り上げたが、それを受けてのスタジオでは一転、日本のメダル獲得が期待されている競技を事細かに紹介するという気の早さで、暑さ対策については最後にコメンテーターの後藤謙次が触れた程度で終了。時間にして約16分、東京五輪の話題に費やしたのだ。

しかも、『報ステ』は24日も、またしても東京五輪の話題からスタート。「オリンピックまで2年」と題し、この日各地でおこなわれたカウントダウンイベントを紹介。スタジオでは五輪観戦のためのチケット入手方法をボードを使って解説し、「公式サイトへのID登録は10〜15分程度」「いま登録しておけば、事前に会場を視察できるツアーに応募できる」「登録するとおトク情報が送られてくる」などと説明するという懇切丁寧なもので、組織委員会か東京都の広報番組かと見紛うほど。とてもじゃないが報道番組とは思えない、いやワイドショーでもここまではやらないというレベルだった。この話題にかけた時間は、なんと約20分だ。

カジノ法案の強行採決よりも東京五輪。その上、さんざん問題視されている暑さ問題も掘り下げもせず、東京五輪に向けた気運を高めることしか眼中にないような構成──。視聴者のほうが「あと2年もあるのに!」とツッコミたくなるほどの入れ込みようだった。

さらに、25日の放送も異常だった。前述したように、この日は杉田水脈議員の問題が他局では報じられていたが、『報ステ』がトップで伝えたのは、夏の県大会で2年前まで10年連続初戦敗退だった三重県の白山高校が甲子園初出場を決めたというもの。その後も「涼しい町」として北海道釧路市から中継するというワイドショー的展開で進行。さらに国家戦略特区ではじまったオンライン診療をPRのように紹介する始末だった。

そして、27日はなんと、トップが読売ジャイアンツ・山口俊選手のノーヒットノーラン。こんな程度のトピックを『報ステ』がトップで伝えるなんてこれまで記憶にない。政権批判をやめてしまったばかりか、『報ステ』はほとんどスポーツニュースと化してしまったのである。

■原因は7月のプロデューサー交代、安倍首相べったりの早河会長の差し金か

もちろん、この異変には理由があった。じつは今年7月から、『報ステ』のチーフプロデューサーが代わったのだ。

新たにチーフプロデューサーに就任したのは、桐永洋氏。直前までは『グッド!モーニング』のチーフプロデューサーを務め、激戦区である朝の時間帯に視聴率を押し上げた立役者なのだという。しかし、この人事の裏には、政権批判潰しがあったのではないかといわれている。

「『報ステ』のチーフPといえば番組内から昇格することが多かったのに、今回は他番組からの抜擢。これは桐永さんが『グッド!モーニング』の数字を上げた功労賞というだけでなく、安倍政権に近い早河洋会長が、政権の意向を忖度して、批判色を弱めようとしたということでしょう。桐永さんは編成局の経験もあり、上層部のおぼえめでたい人物。早河会長の子飼いという指摘も一部にはあります」(テレビ朝日編成局関係者)

これまで何度も指摘してきたように、テレ朝の早河会長は2013年より幻冬舎の見城徹社長の仲介をきっかけに安倍首相と会食を繰り返すようになり、それ以降、『報ステ』の安倍政権・原発批判路線からの転換を迫ってきたといわれている。実際、2014年におこなわれた『報ステ』10周年パーティでは、当時キャスターだった古舘伊知郎が「早河社長から好きなようにやってくれ。何の制約もないからと言われて始めたんですが、いざスタートしてみると制約だらけ。今では原発の“ゲ”も言えない」と挨拶で愚痴った。

さらに、2015年に『報ステ』でコメンテーターを務めていた古賀茂明が「I am not ABE」発言をおこなって官邸が激怒した際には、早河会長の主導により古賀の降板と当時のチーフプロデューサーが更迭されるという事件も起こった。古舘の番組降板も、早河会長と安倍首相の関係が大きく影響を与えたことは間違いない。

■露骨な政権批判報道潰しに永田町でも「官邸の意向か」の声が

つまり、今回、桐永チーフプロデューサーの番組外からの抜擢は、こうした早河会長の安倍政権批判潰しの延長線上で起きたというのだ。『報ステ』が五輪押しで、スポーツニュースと化していることは前述したが、これも早河会長の意向ではないかといわれている。前出のテレビ朝日社員がこう話す。

「早河会長は、サッカー日本代表、世界水泳、フィギュアスケートなど、スポーツ放映権を獲得してきたのが最大の自慢で、東京五輪にも入れ上げてますから、いまの『報ステ』の五輪&スポーツ路線も早河会長の趣味が反映されているんじゃないでしょうか」

しかし、いくら会長の意向だとはいえ、ここまで露骨な政権批判放棄はありえないだろう。実際、『報ステ』の変化は、永田町でも話題になっている。

「他社の政治部記者や政治家の間でも『報ステは一体どうしちゃったんだ。政権の意向が働いているとしか思えない』という声が上がっていますね。政治の動きはほとんど取り上げないうえ、たまに取り上げても、VTRではほとんど批判しない。いまは、コメンテーターの後藤さんが政権批判を語ってかろうじてバランスをとっていますが、このままいくと『後藤さんも外されるのでは』という予測も流れています」(キー局政治部記者)

言うまでもなくジャーナリズムの使命は権力を監視することにあり、権力を恐れて批判の手を緩めるなどということは、ジャーナリズムの死を意味する。大本営発表を垂れ流す番組が溢れかえるなか、『報ステ』もその仲間入りを果たしてしまうのか──。同番組の動向には、今後も注視していかなければならない。

安倍対米従属 占領国と変わらない不平等条約に嬉々として

世相を斬る あいば達也 2018/07/30

以下、白井氏が発言しているように、南北会談、米朝会談の結果、米韓軍事演習が中止されたことに、日本政府が危機感を持ったかどうか、朝鮮戦争の終結に危機感を持ったか、その辺の事情はハッキリしないような気がする。さらにそのことで、日本の支配層が、日米の構造上の変化に危機感を持ったと云う話も、話半分に評価する。

つまり、現在の支配層が、“国のあり方”に自覚的に動いているようにようには思えないのだ。現在の安倍政権で考えても、戦後レジュームからの脱局と言いながら、安保法制に血道をあげ、米国追随を強化しているのだから、どこかちぐはぐだ。簡単に言うと、安倍政権の日常は、権力の維持が主たる目的の政権であって、とても、所謂「国体」と言った概念を意識して行動しているようには見えない。

その為かもしれないが、意識的に「日本会議」など右翼団体を表立てることで、国民に意図的に恐怖を植えつけている可能性もある。現実に、恐怖の主である、安倍官邸の外交を見る限り、親米、親イスラエルなわけで、大日本帝国に向かうイデオロギーな立ち位置にあるとは言い切れない。大日本帝国を夢見ているのであれば、反米の欠片くらいは見えそうだが、その形跡はない。

権力を握ることで、甘い汁の味を知った安倍政権には、大日本帝国に戻る気もないし、国体が云々も、実はどうでも良いことで、権力を握り続けることが政権の第一義になっている。ゆえに、安倍政権の方向性は、軍国的な割には、攻撃的ではなく、従属姿勢からの脱却行動は皆無だ。ただ、国内的な強権は握らせて欲しいが、対米従属はゆるぎないと云う、極めて自己矛盾した政策に終始している。

所謂、偽右翼思想に過ぎない疑惑がある。単に、国内における権力を我が物にしたいだけで、国際的にもファシズムを標榜する気はない。日本の政権が、ファシズム的行動を国際的にも行えば、対米従属とは矛盾が出るわけで、安倍政権の延命には寄与しない。ゆえに、そのような政治行動を本気で行うわけではなく、政権維持の固定層らに自己満足な形態を示しておきたい思惑のように思えてくる。丁度、ちぐはぐな勲章を胸につけて、靖国神社に詣でるネトウヨ集団と似ているのだろう。

簡単な言葉で表現すれば、“明治病”のようなもので、我が国の歴史を1500年と仮定しても、その1/10にも満たない明治を持って、日本文化と云うのは、あまりに滑稽ではないのか。この点だけでも、安倍政権の国家主義的な言動は、似非なわけである。仏教と日本文化の関係性を無視するなど、あきらかに歴史の改ざんだ。明治の人が、“明治は遠くなりにけり”と嘆いたのは、おそらく、作られた文化の目新しさに惑わされた結果であり、明治が江戸時代より良かった根拠には思えない。

欧米文化をまる丸“猿まね”した文化よりも、中国、朝鮮半島から渡来した文化を独自の工夫で、自分達の国に合うように、工夫し作り変えてきた文化の方が何倍もの価値があり、世界に誇るべきものであり、欧米文化を猿まねした文化が世界遺産に登録されるなど、あきらかに日本の恥である。明治以降の文化も、文化でないとは言い切れないが、日本独自の文化と云うのは、相当に無理がある。

ただ、現在の損得文化が、明治維新以降、急激に日本人の心を捉えてきたのは事実だろう。善悪文化が断絶的に途絶えたのも、この明治維新にあるのは事実なので、今の損得文化に慣れ親しんだ若い世代に、安倍政権の政策は判り安のかもしれない。この点に関して、自分の周りを見ても、損得文化が華やいでいるわけで、善悪文化を持ちだすと、どこか偏狭な人物に見られるほど、世論と云うか「空気」は変っている。


≪日本がいつまでたっても「アメリカの子分」をやめられない理由

この国を蝕み続ける病理とは

■再び注目する「国体」構造
 
――「国内で起きた米兵による犯罪を、日本の法律では裁けない」。 長らく問題視されながら改正されない日米地位協定を筆頭に、日本はなぜ不自然なまでの「対米従属」に甘んじ続けるのか。白井さんの著書である『国体論』は、この謎を「戦後の国体」という斬新なキーワードを用いて詳細に検証し、大きな議論を巻き起こしている一冊です。

世界的に見ても、「通商や防衛などの面で都合がいいからアメリカを親分にしておこう」と、対米従属の姿勢をとっている国は珍しくありません。 :しかし、そういう国々は自分たちがアメリカの従属下にある事実を直視し、少しでも対等にしようと懸命な交渉を重ねています。

ところが、日本の場合は「我々とアメリカは利害関係ではなく、真の友情で結ばれているのだ」と奇妙な理屈をたて、支配されていることを認めようとしない。「思いやり予算」や「トモダチ作戦」といった情緒的な言葉ばかりが多用されるのは、まさにその表れです。

――日本の政権や官僚機構がアメリカに依存しながら利用する状況は、戦前の天皇に対する権力者たちの態度と同じなのではないか。そう考えた白井さんが着目したキーワードが「国体」でした。

天皇を「主権者」と定め、国民はその天皇に身を委ねるという戦前の国家体制を指す「国体」は、日本を近代国家に変えていくための装置として強力に機能しました。天皇と臣民の関係を「家族」にたとえることで、権力による支配の事実を否認したのです。しかし、第二次世界大戦で日本が無残な敗北を喫したことで、国体という言葉もすっかり死語になったかのようにみなされてきました。

ところが、戦後にアメリカという新たな存在に身を委ねて急速な復興を遂げ、世界有数の経済大国となった日本のあり方は戦前と変わっていない。ピラミッドの頂点が「臣民を慈しむ天皇」から「日本を愛するアメリカ」になっただけで、国体の構造は形を変えて存在し続けているのではないかと思い至りました。

――日本の対米従属姿勢を考えるうえで欠かせない興味深い概念が、白井さんが前著で示した造語「永続敗戦」です。

第二次世界大戦で日本が大敗したことは、国民の誰もが知っています。ところが、ほとんどの日本人は、心のどこかで敗戦を認めていないのではないでしょうか。

たとえば、815日を「終戦の日」と呼ぶのがその典型です。「敗戦」ではなく「終戦」と言い換えて認めないことこそが、皮肉にも敗戦の結果としての対米従属関係から脱せられない「永続敗戦」の状況を作り出しているのです。

もうひとつ、「歪んだプライド」も日本が敗戦を直視できない原因のひとつでしょう。冷戦構造の中で「アメリカの一の子分」になったことで、「自分たちがアジアの中で唯一の先進国だ」という戦前からの優越意識を持ち越してしまった。

逆に言えば、他のアジアの国々を一段下に見てきた。「アメリカには従うけれど、中国に負けたことは認めない」。妙な自意識が生まれたのです。

こうして、だらしのない対米従属を続け、歪んだ自意識を抱えてきた日本は世界の国々からすれば、まぎれもない「アメリカの属国」と見られている。ここに、日本が経済力に見合った国際的な地位を得られない理由の一端があるのです。

 
■陛下「お言葉」の真意
――各国のメディアから「アメリカにへつらっている」と評される安倍政権の姿勢にも、苦言を呈されています。

今の日本は、ひたすらアメリカのご機嫌をとってすがり付く見苦しい状態に陥っています。

それがはっきり見えたのが、先日、トランプ大統領が「米韓合同軍事演習を停止する」と言いだしたときの小野寺五典防衛大臣の発言です。小野寺氏は「米韓合同演習は地域の平和と安定を確保していく上で重要な柱」と言い切りました。

朝鮮戦争が終わってしまえば在日米軍の駐留根拠の一つがなくなってしまう。これは同時に「アメリカの一の子分」という戦後日本のアイデンティティが崩れることも意味します。それだけは避けたいという日本政府の不安が露骨に表れたのがあの発言なのです。

――対米従属の現状を打開することは難しい。それでも、白井さんが本書の執筆を急ぐ理由となったのが、'1688日に発表された天皇の異例のビデオメッセージ、いわゆる「お言葉」でした。

「お言葉」のなかで天皇は繰り返し、自身の「国民統合の象徴としての役割」を語りました。

国民の統合は、天皇自らが動き、祈ることよってもたらされる安寧と幸福を国民が集団的に感じることではじめて成り立つという考えです。即位以来、そのために絶えず動き続けた天皇は、ここにきて自身の体力の限界を認識し、天皇の位を去ることを決断しました。

逆に言えば、あの「お言葉」は、自分が退位した後の日本における「国民の統合」に対して、天皇が危機感を抱いていることの表れでした。私自身は、「アメリカを事実上の天皇と仰ぎ続けたままで国民の統合を保つことができるのか」という非常に烈しく、踏み込んだメッセージのように感じました。

失われた20年、あるいは30年と言われるように、日本が長い停滞から抜け出せないのは、「国体化」した対米従属の構造が社会を蝕んでいるからにほかなりません。この足踏み状態から抜け出すには、まず現実を直視することからはじめなくてはならないのです。(取材・文/伊藤和弘)

 
≫(現代ビジネス:『週刊現代』201884
日号より

文科省汚職がスポーツ庁に波及? 東京地検特捜部の「やってる感」が胡散臭い&安倍晋三が杉田水脈の生みの親!

 くろねこの短語  2018/7/30

30、31日とズル休みを予定していたペテン総理。台風が被災地を襲ったことで急遽スケジュールを変更して、今日の午前に開かれる非常災害対策本部の会議に出席するんだとか。「やってる感」をアピールするのに四苦八苦です。

 
「やってる感」をアピールとくれば東京地検特捜部だ。JAXA(宇宙航空研究開発機構)を巡る汚職事件で逮捕された文科省幹部が、キーマンとされる元コンサルティング会社役員に「スポーツ庁幹部(当時)を紹介していた」ってんで、かぎ回っているようだ。
 
どうも東京地検特捜部は文科省を根こそぎ摘発しようとしているみたいだね。これはあくまでも妄想なんだが、本丸は前川喜平氏だったりして。ほんの些細なことでも事情聴取したなんてことになったら、前川氏を貶めるのは簡単ですから。そうなれば、加計学園疑獄も風向きが変わる・・・てなことを「官邸の最高レベル」あたりが画策したりして。

 
ところで、杉田汚水脈のLGBTに対するヘイトについて、杉並区議がまた阿呆なツイートして炎上してます。どこをどうひねくれば、この区議のネーチャンの言うような解釈ができるのか。これはもう読解力の問題で、馬鹿さらけ出しちゃいましたね。

 
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それにしても、自民党の中から、杉田汚水脈を批判する声がほとんど聞こえてこないのはどうしてなんでしょう、ひとり、アンポンタン石破君が気を吐いているくらいで、週末にも「生産性がないなんて言ってはいけない。それが許されるようでは、自民党の多様性、懐が深いとは言わない。

人の気持ちを傷つけて、平然としているような自民党であってほしいと思っていない」てなことを講演会で主張とります。でも、これだって「総裁選を見据えて?」なんて穿った見方されちゃうんだから、情けないものです。

 
そもそも、ペテン総理が人権意識皆無ですからね。津久井やまゆり園事件の時だって、犯人のヘイトクライムを非難することなく、障害者の人権についても一切語ることはありませんでしたからね。

杉田汚水脈の発言だって、ペテン総理が一喝して、除名処分にでもしていれば、自民党にとっても有利に働いたはずなのに、自らがヘイトでいっぱいだから、心の中では「よく言った」くらいに思ってるんじゃないのか・・・って、いつもの妄想だけど。
 
杉田汚水脈はネトウヨの女王・櫻井よしこ君の推薦を受けたペテン総理の肝いりで比例1位になったんだから、生みの親としてペテン総理にはとことん責任がある。杉田汚水脈=自民党ってことを忘れちゃいけない。

麻生氏が記者に対して「人事権はあなたではなく俺にある」とはバカか。

(日々雑感(My impressions daily)7月 28, 2018

<麻生太郎財務相は27日の閣議後会見で、セクハラ問題で辞任した福田淳一・前事務次官の後任に岡本薫明(しげあき)主計局長(57)を充てる人事を正式に発表した。森友学園の公文書改ざん問題で辞任した佐川宣寿(のぶひさ)・前国税庁長官の後任には藤井健志・同庁次長(55)を充てる。いずれも同日付。
 
麻生氏は、人事の狙いについて「一連の問題を真摯(しんし)に反省するとともに、信頼の回復に向けて財務省の再生に取り組むことが極めて重要だ。岡本新次官の体制においてしっかりと取り組みたい」と話した。
 
ただ、岡本氏は改ざん当時、文書管理の責任者である官房長だったため、6月に文書厳重注意を受けている。処分直後の昇格になるが、麻生氏は「本人が直接改ざんに関与したわけではない」と強調。岡本氏が省内の要職を歴任してきたことに触れ、「組織運営の中核を担ってきたのが岡本だった。ふさわしい人事として配置した」と説明した。
 
記者から「大臣の認識としても今回の人事はベストか」と問われ、「思ったから私が任命した。人事権はあなたでなく俺にある」と語った。

官僚の不祥事、ということで「モリ カケ」疑惑を幕引きしているつもりなのだろう。しかし官僚は誰のために文書改竄の「不祥事」を働いたのだろうか。
 
その答えは不祥事を働いた官僚たちがその後いかなる人事面で処遇を受けたかを見れば歴然としている。国会答弁で白々しい「大嘘」を吐き通した連中が軒並み昇進しているではないか。
 
その最たるものは福田淳一・前事務次官の後任に岡本薫明(しげあき)主計局長(57)を充てたことだ。岡本氏は改竄当時の文書管理の責任者である官房長だったため、6月に文書厳重注意を受けている。厳重注意を受けた者が最高位に昇進するとは財務官僚組織は「失態」に大甘な世界のようだ。
 
そして改竄事件当初から一貫して財務相として最高責任者の麻生氏が自らを大臣俸給の減給処分という大甘もいいとこの処分で糊塗した。公文書改竄という国民に奉仕すべき公務員が特定の者に奉仕しても良いという規範は公文書管理規定や公務員服務規程の何処を探せば出て来るのだろうか。
 
麻生氏は記者の質問に対して「人事権はあなたではなく俺にある」と毒づいたようだが、この愚かな年寄りは記者が人事権の所在に関して聞いたのではなく、国民が得心の行く適切なものと思うかと、人事権者たる麻生氏に聞いた前提すら理解出来ないようだ。
 
「モリ カケ」疑惑は解明されていないし、終わってはいない。最終的には国民が選挙で安倍自公政権を信任するのか否かが問われる。
 
国民が判断する材料のためにも、マスメディアは「モリ カケ」疑惑を追及すべきだが、安倍友や寿司友が嬉しい腐り切ったジャーナリストというタカリ根性が蔓延している連中が跋扈する世界に成り果ててしまった日本の言論界に期待できない。せめてはネットを通して問題意識を喚起するしかない。 

日米安保、本質論なく進む国 虚しい防衛費増の議論

世相を斬る あいば達也 2018/07/28

国の安全保障と云うものは、防衛費に限らず、食糧安保、エネルギー安保、公共財安保等々、多岐にわたるものがある。本日は、GDPの1%が、日本の防衛費の枠組みだった時代が遠のき、2%時代に安倍政権の中で、進もうとしている。国会においても、選挙中にも、このような重大な議論が、国民の目や耳に触れることなく、国民的コンセンサスもないまま、なし崩しに行われる政治に民主主義は機能しない。

一般国民の、総体的感覚は、日本において、本格的戦争など起きる筈がないと云うのが、当たらずと雖も遠からずだ。「一帯一路」を標榜して経済大国を目指している中国・習近平体制が、日本という領土に侵攻すると云う事態は想定できない。北朝鮮が日本に侵攻するという事態も考えにくい。彼らが、日本に侵攻して、何を得ようとしているのか、合理的説明がつかない。韓国が侵攻する理由もない。ロシアが攻めてくる可能性はゼロではないが、現在のロシアに、それほどのエネルギーが残っているとは思えない。

防衛費の充実を云々する前に、食料やエネルギー安保の充実を考える方が、よほど建設的だ。遺伝子組み換え種苗、食品の解禁よりも、“地産地消”が可能な、小さなユニットの食糧需給を考えるべきだろう。日本の共同体を守っていこうと云うならば、その道しかない。中央政府のシステマチックな大がかりな市場原理主義で、日本を覆えば、多くの共同体が破壊され、国家的姥捨て山の惨状を見るだろう。

市場原理主義に身を委ねた、日本と云う国の食糧政策は、海外からの輸入で食料を調達しようという方向に、急激に舵を切っている。農家は、作物はつくるが、その作物に必要な種も化学肥料も、すべてが輸入品になる危機が迫っている。このような食糧政策は、平和が継続する前提で、外国に頼りきる安易な合理性に基づくものだが、食糧安保の基本は、自らの国で生産できる食物で、生き残ることであり、経済合理性が入り込む余地はないはずだ。

エネルギー安保にも、自主独立の精神はみられない。日本政府の、エネルギーの基軸は、石化燃料と原子力による発電だ。しかし、先進諸国では、原子力離れは顕著であり、原子力発電は、後進国のエネルギーという位置づけになっている。石化燃料も、輸入に頼っているわけだから、エネルギー安保とは逆向きの位置づけだ。このように考えれば、行き先は再生可能エネルギーであり、経済合理性よりも、安全保障上も、最終的経済合理性からも、進むべき道が間違っている。目先の利益に飛びつく政策は、ダボハゼそのものだ。

防衛と云う安全保障は、根本的に悩ましい。日米同盟で、同盟と云うよりは、属国扱いされているのは事実なのだから、自衛隊の防衛態勢も、米軍に組み込まれた、1部隊化しているのだろうから、独自の防衛態勢と言われても、米軍の補強の一部を担わされているだけ、と云う前提条件が変わらないので、本気で考える気にならない。米軍が、世界戦略の中で、日本の基地を考えているだけで、日本の防衛に気を配っている気配はみられない。

まぁ、米軍に基地を貸て、自衛隊が一部隊的な取り扱いを受けていることが、抑止力となる考えはあるだろうが、冒頭で述べたように、米国がいなければ、日本の安全保障に関するリスクの軽減を外交が担うと云う、合理的筋が通るが、米軍の下請けに自衛隊が組み込まれている限り、独自の防衛は考えにくい。イージスアショアにせよ戦闘機の購入にせよ、諸外国の300%、500%で購入される軍備装備品は、みかじめ料の一種だろうが、みかじめ料が敵を呼ぶこともあるわけだ。

無論、日本が日米安保体制からの脱却、乃至は弱体化を考えた日本の政治家がことごとく、短命な政治生命に陥ったことを考えれば、そのような決断を、日本自身が行うことは、不可能にさえ思えてくる。無論、日米同盟に対して、強力な世論が後押しした場合には、その方向転換も不可能ではないだろう。しかし、アメリカと戦争した歴史すら曖昧な世代交代は、アメリカイズム一色であり、日を追うごとに、世論が反米に動く気配はない。

無力感が漂うのは、安倍自民党政権が、一周遅れの市場原理主義に奔走するのを見るに等しいが、いずれは、一周遅れでも、市場原理主義、グローバリズム経済の終わりを知るだろう。そして、いつの日か、アメリカの力が、ユーラシア大陸の勢力に、相対的に敗れた時、米軍は、日本への魅力を失っていくに違いない。その日が、いつ来るのか判らない。おそらく、現在の、20代、30代なら、みることが出来るのかもしれない。つまり、5~60年後になるだろう。

京産大の獣医学部新設申請に「今ごろ遅い」といちゃもんつけた「総理のご意向」発言のあの官僚&東京オリ・バラのボランティアを大学に強要!? 国家総動員法の予行演習か!!

 くろねこの短語  2018/7/29

東京新聞で今日から「権力の内幕 検証・加計疑惑」の連載が始まった。森友・加計学園疑獄については、ほとんどのメディアがそんなものはなかったかの如くに無視する中、東京新聞の執念には拍手を送りたい。
 
昨日の朝刊でも1面トップで、「特区申請『今ごろ遅い』」と見出しを打って、当時の内閣府地方創生推進室次長である「総理のご意向」発言の藤原君が京産大の獣医学部設置申請にいちゃもんをつけた事実を報じていた。
 
森友・加計学園疑獄では、メディアは野党の力不足ぱかりを強調するが、そんなことより自ら独自取材をして追求するのがジャーナリズムってもんなんだよね。その意味では、東京新聞のこうした執念というか、執着というか、しつこさは賞賛に値する。ちょっと大げさか・・・。

 
メディアの粘り強さってのが世論を喚起し、それが野党を後押しするバワーへと繋がっていくものなのだ。ところが、政権批判を装いつつ、最後には野党を貶めるといういまのメディアのやり口がペテン政権を裏で支えているのが現状なんだから、何をかいわんやなのだ。
 
ところで、スポーツ庁と文科省が「東京五輪・パラリンピックの期間中にボランティアに参加しやすいように全国の大学と高等専門学校に授業や試験期間を繰り上げるなど柔軟な対応を求める通知を出した」ってね。

 
ボランティアという名目で、国家総動員法の予行演習でもしようってのか。それにまた無批判に乗っかる新聞・TVもどうかしてます。もう駄目かもわからんね、この国は。

公文書改竄仲間が事務次官に。「ベストと思ったから私が任命した。人事権は俺にある」(麻生太郎)。クズめっ!!&辺野古埋め立て証人撤回表明。翁長知事の命がけの戦いが始まる!!

 くろねこの短語 2018/7/28

日本政府のサイトに「日本政府要人」としてペテン総理の私人の嫁が「役職:内閣総理大臣夫人」として掲載されているってね。「私人」と閣議決定までしておいて、勝手なもんだ。まるで、マルコス政権時代のイメルダですね・・・って、それ誰?なんて言わないように。
 
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そんなことより、シュレッダー佐川君の公文書改竄のお仲間で、厳重注意処分を受けた岡本君とかいうのが財務省事務次官に栄転だそうで。なんとも、舐めたことしくさってくれるものなんだが、この人事を発表する記者会でひょっとこ麻生は記者から「大臣の認識としても今回の人事はベストか」と問われて、こんな答えしとります。

「思ったから私が任命した。人事権はあなたでなく俺にある」
 
いやあ、これをTVのニュースで観ていて、一瞬だけど殺意がよぎりましたよ。ペテン総理が政権の座に居座ってからというもの、この国の政治家や官僚から「節度」や「謙虚さ」がどんどん失われていってるんだが、この世襲の政治屋はその最たるものなんだね。
 
ぺらんめえ口調が個性だみたいな言い方もあるが、こういうのはただの無礼で無教養な人間のすることで、こういう汚い言葉使いを江戸っ子を自認するオヤジは忌み嫌っとりました。本当の下町言葉は、他人への敬意が込められた美しいものだってね。
 
それはともかく、「人事権は俺にある」って言い草が、もはや国民の負託を請けた立場ということを理解していないってことの証なのだ。「政治が家業」の世襲政治屋の成れの果てがこれなんですね。

 
ところで、沖縄県の翁長知事が、辺野古の埋め立て承認を撤回することを表明。おそらく、これが「最後の切り札」なるのだろう。知事の健康状態を考えると命がけの戦いということだ。
 
これを受けた顔も頭も貧相なガースーが記者会見で「我が国は法治国家だから最高裁の決定に粛々と・・・」てなことをのたまっていた。「法治国家」とはどの口が言うか。これにもまた、一瞬の殺意がよぎったのであった。

“こぶとりじいさん”さながらの安倍&石破の対決

世相を斬る あいば達也 2018/07/27
 

日本昔ばなしの“こぶとりじいさん”には幾つものバージョンがあるようだが、善良な爺さんと意地悪爺さんが出てくる点は同じようだ。無論、善良な爺さんがいい思いをして、意地悪爺さんが酷い目に遭うのだが、自民党総裁選の二人の対決は、そう云う結果にならないブラックな日本昔ばなしになりそうだ。日刊ゲンダイなどは、気を回し過ぎて、安倍4選も視野と不安げだ。

モンサント除草剤ランドアップ並みの強烈な毒で、安倍晋三の勢力は、自民党を根絶やしさせようとしているやに見える。岸田が消え、残るは石破のみの総裁候補。石破を、ボコボコにさえすれば、あとはお調子者の河野太郎。そして、口先三寸の小泉進次郎。それに続く政治家は皆無というお寒い状況だ。いわゆる敵なしと云うのが、安倍勢力の自民党勢力図の読みだろう。無論、まだ石破の善戦もあり得る状況だが、地方票の出方が読めない場合は、お調子者、偽ごまめの歯ぎしりを立候補させて、票の分断まで考えているらしい。

しかし、冷静に考えると、“安倍一強”はあらゆる面で盤石の強さかと思いきや、たかが自民党内の総裁選びで、ここまで小賢しい手段をとらないと当選できないのであれば、実は“安倍一強”ってのは幻想なのではないかと疑いたくなる。不思議な点は、ギリギリ当選した安倍が一強となり、石破が、一度は立候補を見合わせたくらいだから、安倍官邸の権力掌握が尋常ではなかったことを物語る。おそらく、安倍政権自体が、ギリギリ権力だと云う自覚が、現在に至るような異様な権力維持のツールを使い果たしていると云うことになる。

ゆえに、自民党総裁選が行われる寸前は、安倍官邸の機能不全があるわけで、ガラガラポンの無権力の空白が生まれる。この権力の空白空間を観察すれば、実は安倍晋三の権力は、彼が、官邸に籠る時点から生まれている権力であって、一政治家の実力ではないことが、明らかになる。逆に言えば、我々は、なにか幻想をみせられて、安倍晋三が絶対的権力者のように錯覚しているのかもしれない。仮に、今回の総裁選で敗れれば、山口出身の陣笠代議士に過ぎないと云う評価も可能だ。

正直、自民党の政治は、戦後の55年を、曲がりなりにも日本を先進国の仲間入りをさせるために尽力した政党であり、米国との距離感も、意図的に長尺に腐心していた。日米安保における集団的自衛権行使容認の有無が、その象徴でもあっただろう。しかし、安倍自民党政権が、集団的自衛権行使容認に舵を切った瞬間から、おそらく、自民党は今までの自民党ではなくなったと云うのが事実なのではないか。つまり、現在の自民党は、安倍野党であり、保守本流の自民党ではなくなったと見ることが出来る。

つまり、安倍自民党は、実は野党なのである。安倍ファシズム勢力に乗っ取られた政党であり、所謂、自民党ではないのだ。石破勢力以外は、その多くは引退し、自民党を実質去っているので、残っているのは、小選挙区制度で、党公認だけで当選してきた当選三回以下の議員の烏合集団で、安倍ファシズム党の党員なのである。こういう風に考えると、本来の自民党気質の議員らは、離党すべき絶対条件が揃いつつあると云う見方が可能だ。集団離党があっても不思議ではない条件が整った。

その時が問題だ。その集団離党が、単純な新党結成なのか、現野党も巻き込んだ政界再編なのかと云うことだ。出来る限り、後者の方がインパクトはある。安倍ファシズム党VS民主勢力(離党組・立憲民主・社民党・無所属)+選挙協力(共産党)という構図が考えられる。現在、水面下で、小沢一郎が国民民主の一部と立憲民主党、社民党の合流を画策している動きの先には、安倍ファシズム党からの離党組が視野に含まれているのかもしれない。そうなれば、我が国も、民主主義らしい視野のある政治が堅持できるのかもしれない。どうにかして、安倍ファシズム党を国民につまびらかにする政治行動が必須の時が来ている。

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