真実の報道神秘

権力の『おかしな政策』におかしいと報道しない日本で、一人でも『おかしい』と声を上げ、真実を追求して行きます。

2014年07月

改革に憑(つ)かれた経済学者「竹中平蔵」とは何者なのか?

週プレNEWS 729()

「規制改革は成長戦略の一丁目一番地」。第2次安倍政権の成立とともに、再び政治の中枢へと返り咲き、規制緩和、構造改革路線の旗振り役を務める竹中平蔵氏。
 
経済学者として、元政治家として、政府諮問会議の民間議員として、そして人材サービス「パソナグループ」の取締役会長として、いくつもの異なる「顔」を巧みに使い分けながら、長年にわたって日本の構造改革路線をリードし続けてきた「竹中平蔵」とは何者なのか? そして何が彼を今日のポジションにまで押し上げたのか?
 
『市場と権力 「改革」に憑かれた経済学者の肖像』著者の佐々木実氏は、そんな竹中氏の生い立ちにまでさかのぼり、数多くの関係者への綿密な取材を重ねた。彼が歩んできた時代背景を交えた深い考察を通じて、「改革に憑(つ)かれた経済学者」の肖像を描き出していくのが本書だ。
 

書き手のエネルギーを感じる読み応え満点の力作でした。「竹中平蔵」の何に、ここまで興味を引きつけられたのですか?

 
佐々木 最初はごく普通の人物ノンフィクションを書こうと思っていたんです。雑誌に連載した記事をベースに単行本化しようと思っていたのですが、何かが物足りない、いまひとつとらえきれていないという感覚があって、そこからズルズルと8年もかかってしまいました……(苦笑)。
 
「自分がここまでこだわってやり続ける理由ってなんなんだろう?」と自問自答し、自分が書きたいのはオーソドックスな評伝じゃないと思い始めた。「竹中平蔵がなぜこの時代に表舞台で花開いたのか?」という問いが大きくなっていったのです。そんなわけで雑誌連載当時と比べると、本になった内容や構成は大きく変わってます。
 

それは「竹中平蔵」という人物そのものより、彼を表舞台へと引き上げていく「時代」というか、タイミングみたいなものへの興味ということですか?

 
佐々木 彼が初めて正式に政府のブレーンみたいな形で出てくるのが1998年、小渕政権が設立した経済戦略会議の民間委員としてなんですね。
 
この98年に、不良債権問題で長銀(日本長期信用銀行、現在の新生銀行)や日債銀(日本債券信用銀行、現在のあおぞら銀行)が立て続けに潰(つぶ)れました。都市銀行などよりも格の高い銀行として認知されていたのですが、あっけなく経営破綻した。
 
同じ年、銀行を監督する大蔵省(現在の財務省)も接待汚職事件を起こしました。霞が関官僚の頂点に立つ大蔵省に、東京地検特捜部が家宅捜索に入ったのです。100人を超える大蔵官僚が省内で処分を受け、大蔵省の威信は失墜しました。
 
日本のエスタブリッシュメントがガラガラと崩れ始めたとき、竹中さんが政治の表舞台に登場してきたのは象徴的でした。ちょうどこの頃から、構造改革、規制緩和といった流れが本格的に始まるのです。起点となった98年以来、現在に至る「改革」の流れのまさに中心にいるのが「竹中平蔵」という人物なのです。
 

その「変化」というか、「竹中平蔵的なモノ」というのが、いわゆる「新自由主義」というものなのでしょうか? イマイチ、その意味がわからないという人も多いと思うんですが?

 
佐々木 うん、新自由主義とか市場原理主義とか、確かに難しいですよね。カギは「金融」だと思うんです。先ほど言ったように、日本の社会が大きく変化するのは、不良債権問題で金融界が総崩れになったときからです。
 
実は同じ時期、アメリカでは金融界の規制が次々と取り払われ、投資銀行などが世界を股にかけて活発に活動し始めています。アメリカ金融界を象徴する、いわゆる「ウォール街」がかつてない強大な力を持つようになり、マネーに基づいた価値観が世界を席巻していくのです。
 
そんな時代に小泉政権下で竹中さんが進めたのが小泉構造改革でした。金融担当大臣を務めた竹中さんは、日本の不良債権を狙う外資が大量に流れ込んでくるのを助ける行動を取っていました。本書でも触れていますが、読売新聞社の渡邉恒雄氏は「竹中大臣はゴールドマン・サックスやシティバンクを日本の市場に連れてくると言っていた」と証言しています。
 
竹中さんが制度設計を担当した郵政民営化の本当の狙いも、郵政公社が抱えていた巨額の金融資産を国際的な市場に開放することだったと思います。わかりやすく言えば、「ウォール街」に差し出したということですね。
 

ただ、竹中氏は常日頃、そうした「構造改革」や「規制緩和」が結果的に日本を元気にするのだと主張していますよね?

 
佐々木 面白いのは、彼の主張には必ずしも一貫性がないことです。例えば、90年に決着した日米構造協議でアメリカから、「アメリカに輸出するばかりじゃなく、内需を拡大しなさい。そのために、日本は公共工事を10年間で430兆円やりなさい」なんて約束させられると、竹中さんはアメリカの尻馬に乗ってそれを支持しちゃう。
 
ところが、小泉政権時代には「財政が逼迫(ひっぱく)しているなかで、公共事業を増やすなんてとんでもない」と主張していた。立場や状況が変わると、意見まで180度変わってしまうわけです。
 
確かに彼自身の行動は新自由主義的なんだけど、経済学者としての主張の色合いはカメレオンみたいに変化していくのです。
 

そもそも竹中氏は経済学者なのか、政治家なのか、それとも企業の経営者なのか、本当の立ち位置がよくわからないですよね?

 
佐々木 その点もカメレオンみたいですよ。先日もある討論番組で、「人材派遣会社のパソナグループ取締役会長でもあるあなたが、政府の産業競争力会議や国家戦略特区諮問会議のメンバーとして労働市場の規制緩和、人材派遣会社への助成金を増やせと主張するのは、利益相反じゃないか?」と指摘されました。それに対して竹中さんは、「自分は有識者として会議に参加しているので問題ない」と、顔を真っ赤にして怒りました。
 
パソナ取締役会長なのに、政府のブレーンとして人材派遣会社に有利な発言をするときには、「慶應大学教授」の肩書を使うんです。そんな都合いい使い分けが通用するはずないのですが、どうやらご本人はそれで問題ないと思っているらしい。
 

今後、いわゆる「竹中平蔵的」な政策が推し進められていくことで、僕たちの生活にどんな影響があるのでしょうか?

 
佐々木 3人に1人以上が非正規雇用というひどい状況は、構造改革がもたらした結果です。経済政策の話は確かに難しい。でも、回り回って結局、ひとりひとりの生活に大きな影響を及ぼしてくるものなのです。
 
安倍政権下で竹中さんが進めようとしている構造改革のメニューは、医療改革や農協改革など小泉政権時代の改革メニューとほぼ同じです。98年からだと16年、その前も含めるとかれこれ20年近くも「構造改革」を進めてきて、日本の社会は本当によくなったでしょうか。少なくとも、手放しで成功したと言う人はいないでしょう。
 
竹中さんが主張する、外国人投資家にとって魅力的な社会が、われわれにとって魅力的な社会なのか? そもそも構造改革とはなんだったのか? この本が、一度立ち止まって考え直すきっかけになってくれればと願っています。
 

女性は安倍首相にだまされない

2014729日 天木 直人 | 外交評論家


いまごろになって各紙が安倍内閣支持率低下の世論調査を書き始めた。

もう書いても大丈夫だということなのだろう。
きょう7月29日の朝日も、最新の世論調査(7月26日、27日実施)結果を報じ、支持率が内閣発足最低になったと書いた。しかし、私がこの朝日の世論調査で注目したのは、女性の不支持率が37%で、支持率35%を上回ったという結果である。
 
これは安倍首相にとっては衝撃的だろう。

すべての目玉政策が行き詰まり、あたらに地方再生とか女性重視とかを、とってつけたように打ち出して点数稼ぎをしようとしていた矢先
だ。

 
しかし、女性の登用や雇用増大の数値目標をいくら掲げても、女性に負担のかかる介護や保育の政策をおろそかにするような安倍政権の政策では、何が女性重視だ、と女性に見抜かれているのだ。
安倍首相に迎合したり、だまされる日本の男性はいても、女性はそうではないということだ。女性はえらい。せめてもの救いである(了)
 

 
(板垣 英憲)
 

「私が集団的自衛権問題について言っていることと、米国に行って全然違うことを言う人がいる。慎んでもらいたい」と民主党の海江田万里代表が7月27日、党内の「異分子」に対して、公然と排除の姿勢を強めてきた。「異分子」とは、長島昭久元防衛副大臣のことである。宮崎県延岡市で開かれた対話集会で会場からの質問に答えた。民主党が憲法解釈変更による閣議決定に反対しているのに、長島昭久元防衛副大臣が22日、米ワシントンのシンポジウムに出席し、集団的自衛権行使を可能とする閣議決定に支持を表明したのだ。

 
長島昭久元防衛副大臣は、米国戦略問題研究所(CSIS)のマイケル・グリーン上級副所長ら「ジャパンハンドラーズ」(日本操縦者ら)とは、一種の仲間で、かねてより集団的自衛権行使容認論者であった。自民党とも気脈を通じている。だから、集団的自衛権行使を可能とする閣議決定に支持を表明したのは、当然のことであった。だから、海江田万里代表ら執行部とは、そりが合わない。このため、海江田万里代表に対して、明らかに「歯向う」結果を招いた。
 

なお、長島昭久元防衛副大臣は7月7日、「長島フォーラム21」で「戦後安保政策の大転換には、丁寧な国会審議と十分な国民の理解が必要!」と題して、以下のように見解を述べている。

 71日、安倍政権は閣議決定で集団的自衛権の行使を合憲とする新たな政府見解を示しました。その後に出された報道機関の世論調査を見る限り、民意は真っ二つに分かれ、安倍政権の強引なやり方に対する批判も含め、集団的自衛権の行使に対する慎重意見は過半数を超えています。
 

今後の議論の動向を展望しつつ、私の見解を改めて述べたいと思います。
 まず、このような戦後の安全保障政策の一大転換にあたっては、政府は最大限国民の理解を得る努力をするべきです。

 

外交・安全保障に与党も野党もない、あるのは国益のみ

 私は、現下の厳しい国際環境に鑑み、我が国の存立が危機に直面したような事態に限って、個別的自衛権に加え集団的自衛権とみなされるような自衛行動を密接な関係を持つ国と共同で行うことは、厳格なシビリアン・コントロールの下で許されるべきだと考えています。したがって、これまで国会質疑でも、著書でも、講演でも、そのように主張して来ました。
 
我が国をとりまく安全保障環境は、悪化の一途をたどっています。尖閣をめぐり連日繰り返される中国公船の領海侵犯(背後には軍艦が控えています)、北朝鮮の核とミサイル脅威の増大、ウクライナをめぐり「力による一方的な現状変更」を試みるロシア等々。そういった深刻な情勢悪化に対応するためにも、日米同盟協力の強化は喫緊の課題です。その際にも、冷戦期やその後の10年余り続いた米国の力が圧倒的だった時代とは異なり、すべてを米国に頼り切れるような状況でもありません。
 

「閣議決定」だけで自衛隊は動かせない!

 しかし、だからと言って、少なくとも過去40年(集団的自衛権をめぐる政府解釈は1970年代初めごろに確立しました)歴代政府によって繰り返し確認されて来た憲法解釈の大原則を変更するのに、一片の閣議決定で済まされるはずがありません。しかも、その閣議決定は、首相の意向に沿った有識者による報告書に基づき、わずか1ヶ月余りの密室における与党協議の結果を受けてなされたに過ぎません。その間、国会では不十分な情報に基づく散発的な議論がなされたのみで、ほとんどスルー状態でした。しかも、国民の皆さんは、さらに不十分な断片情報にしか接することはできませんでした。
 
さて、この閣議決定を受けて国会がどう動くべきでしょうか。私は、すでに同憂の野党超党派議員と共に、「安全保障基本法」の制定を通じて自衛権の再定義を行い、行政府の行動に歯止めをかける立法府としての憲法解釈を明らかにするべきだと主張して来ました。主張するだけでなく、実際に安全保障基本法案をつくり、その骨子を公表し、野党各党の有志を通じて各党に国会への共同提案を呼びかけました。残念ながら、先の通常国会では実を結びませんでしたが、次期臨時国会の冒頭にこの安保基本法案を提出したいと考えます。
 

国会による歯止めなくして、自衛権の再定義なし

 その際、焦点となるのが「歯止め」です。憲法9条の改正ではなく、あくまでも解釈の変更で行くのですから、おのずから憲法規範の限界があります。我が国が、イギリスやフランスやドイツのようにほぼ無制限に集団的自衛権を行使することは不可能なのです。したがって、限定的な行使にならざるを得ません。その「限定」をどのように担保するか、が立法上の焦点となります。
 
与党協議の結果、自衛権を行使できるのは「日本の存立が脅かされ、国民の生命、自由および幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある」場合に限られることとされました。この条件であれば、個別的自衛権の延長と説明できなくもありません。これに加えて、私たちの安保基本法案では、「他国の領土、領空、領海で武力行使しない」と、自衛権行使の範囲を厳格に定めました。これであれば、自衛のためとはいえ、我が国の武力行使(自衛隊の活動)が他国の領域にまで拡大する可能性は排除され、武力による国際紛争の解決を禁じた憲法9条の規範の範囲内に収まると考えます。
 

十分な国会審議と正確な情報公開なくして国民の理解は得られない!

 大事なことは、その「限定化」(歯止めと言い換えてもいいでしょう)は、内閣の決定ではなく、国民の直接代表として選ばれた国権の最高機関である国会において立法を通じてなされねばならないということです。安倍首相が記者会見で述べたことや、与党協議を経て閣議決定された内容は、どんなにそれが「限定的な」集団的自衛権の行使だと強調したとしても、一内閣における「口約束」に過ぎません。
 
なぜなら、それは結果の正当性のみならず、国会の審議を通じて国民に広く正しく情報が公開され、国民の理解を深める(さらには世論の意向にしたがって適切な修正が加えられる)という民主主義プロセスの正当性も担保しなければならないと考えるからです。安倍政権は先を急ぐ余り、この民主主義の大事な大事なプロセスをすっ飛ばそうとしています。ですから、誤解に基づくものも含め激しい批判に直面しているのです。私は、このプロセスを通じて、国民の理解を得ながら、周辺国への説明も十分に尽くして、十分な信頼の上に「自衛権の再定義」を行うべきだと考えます。
 

海江田万里代表の強い後ろ盾は、輿石東参院副議長だ。その輿石東参院副議長は7月26日、山梨県昭和町で記者団に「海江田氏が辞任しない限り代表選はあり得ない。それに尽きる。みんなで選んだ代表だから、みんなで支えるべきだ」「海江田氏と大畠章宏幹事長でやってきた態勢をなぜ変えなければいけないのか」などと語っている。埼玉新聞が7月27日付け朝刊「第2総合面」で伝えている。

 
長島昭久元防衛副大臣は「外交・安全保障に与党も野党もない、あるのは国益のみ」という立場を取っているので、民主党内でくすぶっている「海江田万里代表の辞任論」と単純には、直接結びつけることはできない。しかし、海江田万里代表が、警戒心を強めて、「異論をはさむ者」の「排除の論理」を強めてくると、これが「民主党分裂」の力学として作用する可能性がある。
 

観光先でミサイル発射の批判声明を行った間抜けな安倍首相

2014年7月28日  天木 直人 | 外交評論家

これが今の日本だ。
世界が激動し、世界の首脳が安全保障で必死にせめぎ合いをしている時に、日本の安倍首相は新聞記事にもならないような無用な外遊に明け暮れている。その首相の不在を狙って、また北朝鮮がミサイルを日本海に向けて発射した。

これを聞いた安倍首相は怒って見せた。
しかし、その場所は観光で訪れていたメキシコの「太陽のピラミッド」だ。
こんな間抜けな首相が、日本国民の命を守ると連呼して集団的自衛権行使容認に政治生命をかけると言っている。

さすがにメディアは観光先だったとは書けないから「訪問先のメキシコ郊外」で北朝鮮批判を記者団に語ったとしか書かない。こういうごまかしを繰り返すからメディアは腰砕けと言われて、誰も読まないのだ。

いまの日本はすべてが緩んでいる。
その元凶は、もちろんすべてに無能な安倍首相と、それを知っていながらゴマをする腰ぎんちゃくどもである(了)

大迷走のマクドナルドが日本からの撤退を決断する日

 

週刊実話 2014731日 特大号


 日本マクドナルドがジリ貧地獄にあえいでいる。先に発表した6月の既存店売上高は前年同月比8%減、客数は10.7%減と、ともに大幅ダウンだった。5月末からサッカーW杯のスポンサーとして出場国にちなんだ限定メニューを投入したが、客離れは止まらず、売上高は5カ月連続、客数に至っては14カ月連続の前年割れである。

 
「マックは今年の1月、既存店売上高が7カ月ぶりでプラスに転じたのですが、これは久しぶりの大型キャンペーンとして期間限定メニュー『アメリカンヴィンテージ』を投入したことが奏功しました。前年は目立ったキャンペーンを打たなかった分、今年のハードルは低かったにもかかわらず、それでも1月の客数自体は9.7%減だったように、今やマックの集客力は大きく落ち込んでいる。これ以上、お客に見放されればアメリカの本社は黙っていないでしょう」(証券アナリスト)
 
ワンコイン商品の先駆けとなる「100円マック」を投入し、一時はデフレ下の勝ち組と称賛されたのも今や昔。201212月期、'1312月期と2期連続の減収減益に陥り、その後も迷走が止まらない日本のマックは、いまや米国本社の頭痛のタネと化しているのだ。
 
マックが業績悪化に苦しんでいた'04年、米本社はアップルコンピュータジャパン(現アップルジャパン)社長だった原田泳幸氏を社長に一本釣りした。その荒療治で業績が急回復したのに伴い、世間は「原田マジック」と褒め称えたが、業績に陰りが見えた昨年8月、米本社は年度半ばだったにもかかわらずサラ・カサノバ氏を事業会社の社長に抜擢。その揚げ句、今年3月には持ち株会社(HD)の会長兼社長だった原田氏を代表権のない会長に棚上げし、事業会社のサラ・カサノバ社長が後任ポストに就く人事を断行した。
 
「米本社は原田会長兼社長をマック迷走の“A級戦犯と看做してテイよく追放、各国のマクドナルドを渡り歩いてきた叩き上げのカサノバ氏にかじ取りを託したのです。米本社としては経営者失格の烙印を押した原田氏が、その後に就任したベネッセHDの会長兼社長として、いきなり顧客情報流出という大失態の矢面に立たされていることにはもはや無関心とはいえ、手腕を見込んだカサノバ氏が思うように業績回復の手応えをつかめていない状況は、いかんともし難いでしょう」(同・アナリスト)
 

一体、何が日本マクドナルドをジリ貧地獄に追い込んだのか--。
 家族連れをメーンターゲットにするファミレスやコンビニなどに顧客が流出したことが大きな理由に上げられているが、「マック固有の事情もある」とウオッチャーは指摘する。

 
原田会長時代のマックは直営店のフランチャイズ(FC)化を積極的に進めた。FC化に伴い自社保有の店舗を売却すれば売上高がカサ上げされ、人件費も要らず好決算に直結するのがミソ。反面、積極的なFC化はスタッフのモチベーション低下を招く。前出のウオッチャーが喝破する。
 
「直営店でマック社員として働くのと、FCの店員として働くのとではプライドからして違う。これがサービス低下を招き、顧客離れにつながった。外部から落下傘で舞い降りた原田さんは現場を知らず、決算マジックの演出にウツツを抜かしたのです。そんな保身策にドップリ浸かったことが今日のマックを招いた最大の原因といっても過言ではありません」
 

10年に及んだ原田体制の下、現場を知り尽くした多くの人材が「素人経営者には付き合い切れない」とばかり、ライバル企業などに次々と流出していったという話もある。米国本社は昨年8月の時点で、やっと原田マジックの本質に気付いたようだが、これぞ後の祭り。だからこそ、前述した通り当時のHD原田会長を代表権のない会長に棚上げすると発表したとはいえ、原田マジックの本質には言及しなかった。「もし言及すれば長年にわたって黙認し、原田体制を支えてきた米本社が『野放しの責任を取れ』と株主から突き上げられる」(関係者)からに他ならない。

 

カサノバ社長の下、マックが依然として厳しい経営を強いられていることから市場の関心は米国本社が繰り出す次の手に移っている。強力なブレーンを送り込んでカサノバ体制を支えるか、それとも脱デフレに踏み込んだ日本に見切りをつけての撤退か

 「マックは不採算店の閉鎖に加えて朝方の生活スタイルが広まってきたことから24時間営業店の削減に踏み切った。それでも目立った成果が得られなければ、米本社が日本撤退カードを切らないとも限りません」(経済記者)

 
日本上陸から43年。マクドナルドが外資である以上、いつドライな判断が下ってもおかしくはない。
 

なぜ、「働けない若者」が増えたのか 『無業社会 働くことができない若者たちの未来』を読む

2014
0726日 麻木 久仁子 :HONZ 東洋経済


いつのまにか浮き世はギスギスし、何かと言えば自己責任、である。お互い様とかお陰様という「生温い」言葉は流行らないらしい。「努力するものが報われる社会を」というスローガンもよく聞いたものだが、その意も「報われない者は努力が足りないのである(だから自己責任ね)」とすり替わりつつあるようだ。

 
そして「こんな時代に負け組になったりしたら大変だ」という恐れの気持ちは、「いやいや、あいつらと自分は違う。あいつらは努力が足りんのだ。自分は大丈夫」と、恵まれないものや躓いたものを蔑視することで、しばし慰められるのだ。「情けはひとのためならず」って本来どういう意味だったかしら。「甘やかすと相手のためになりません」でしたっけ?
 
こうした自己責任の文脈で医療、介護、年金、生活保護、労働政策等々が語られる。甘えないでください、頼らないでください。経済的にも不安な世の中である。不安だと人は余裕をなくす。人のことまで構っていられない。ですから皆さん自己責任でお願いします。というスパイラルだ。
 

同世代の中でも「自己責任論」

さて、働いていない若者の話だ。いい若い者が働いていないとは!眉を顰めるのは大人ばかりではない。当の若年世代からも「私たちの世代が怠惰だと思われるのは彼らのせいだ。彼らが無業になったのは、私たちとは関係ない話だ」という言説が多く発せられているらしい。自己責任論か、そうでなければ「若いんだからなんとかなるでしょ」という無関心であろう。
 
だが本当にそうなのか。かれらが「ちょいと心を入れ替えさえすれば」片付く話なのか。そもそも、「われわれ」と「かれら」は、本当に「違う」のだろうか。
本書は若年無業者に対する様々な誤解と構造的問題の見落としを、数多くの統計や個別の事案を積み重ねて、解きほぐしていこうと試みている。
 
本書の著者である工藤啓氏は若年就労支援を専門とするNPO「育て上げネット」の理事長で、無業に追い込まれた若者の個別事情に詳しい。共著者の西田亮介氏は工藤氏を通じてこの問題を知り、実情・実態をデータによって明らかにするという作業に着手、自身も大学教員とはいえ任期付であり、任期満了後のキャリアがどうなるかわからないことを思えば決して他人事ではないという実感を持っている。
 
若年無業者の数は200万人を超え、15歳から39歳までの若者のうち16人に1人となっているそうだ。このうち多くの者が働くことを厭うことなく、現に就労経験がある。にもかかわらず無業となり、その後求職活動をしない(できない)理由に挙げるの「病気・けが」である。
 

■90年代後半の就職氷河期の影響が続く

一方でこうした若者たちに対する支援は実に少ない。社会のセーフティーネットは高度経済成長時代のままで、支援は主に高齢者に振り向けられている。右肩上がりで成長することが見込まれている時代においては、若いうちの貧困も「明日はおのずと解決するもの」であり、ならば若いうちに苦労しておくのはよい経験とも言え、美徳ですらあると思われていた。
 
だが、こうした前提はとっくに崩れている。若年世代の失業率は、全世代の失業率より高い水準にあり、90年代後半の就職氷河期以降、正規雇用の就労は悪化の一途だ。しかも日本社会は人材育成の機会を学校と企業が独占してきたので、一度そのルートを外れると再び労働市場に戻ることはとても難しいのだという。「どんな仕事でもいいではないか、文句を言わずに働け」というが、キャリアを積んでいく機会を奪われたものたちが、意欲を維持するのは大変につらいことだろう。それでも、と頑張って頑張って、ついに心や体を壊してしまうこともある。
 
しかも一度無業状態になると人間関係や社会関係資本も途切れてしまい、一気に孤立してしまうのだ。こうして履歴書に空白が出来ると、さらに厳しい状態に陥る。これを「自己責任」で片付けても、現実には自助努力のみで抜け出すことはなかなか出来ない。若者の雇用を取り巻くシステムの問題と、経済成長が以前のようには見込めないという社会背景は、個人のみの力ではね返せるものではない。ただでさえ数の少ない若者たちである。かくも多く無業者になってしまう状況は、彼ら自身のみならず、社会全体の大きな影響があるのは自明だろう。
 
本書に登場するいくつかの個別事例を読んでいると、無業状態に陥るまでのプロセスが、実にさまざまであることに気づかされる。資格試験に挑戦して勉強していた期間が履歴書の空白期間となってしまい、資格を諦めた後の就職活動が暗礁に乗り上げてしまった例。大学在学中からアルバイトをしていた会社に認められて正規雇用になったものの、会社の経営が悪化してリストラされてしまった例。有名私大を卒業後、飲食店チェーンに就職したが労働条件が事前に聞いていたものと全く違い、上司との軋轢が増して退職に追い込まれた例などなど。
 
これらをどう捉えるかは、さまざまかもしれない。中には「もう一踏ん張りできないか」と感じるむきもあるかもしれない。世の多くの人々はみんな「頑張っている」。自分は頑張っているという自負があると、「あなたももっと頑張りなさいよ」と言いたくなる。が、人間はいつもいつも機械のように同じペースで生きられるわけではない。体や心が弱くなるときもあれば、運や縁に恵まれないときもある。判断を誤るときもある。そういう「人生のボタンの掛け違い」は誰の身にも起こりうることにもかかわらず、やり直すチャンスが極端に少ないことが問題なのだ。
 

幅広い世代が関心を持つべき問題

西田氏は言う。

事実やデータは、「自分が現在、普通に生活できているのは、偶然の産物かもしれない」というような懐疑を持つのに、十分なものだった

 
第一次安倍内閣のもとでは「再チャレンジ」をキーワードとして「内閣府特命担当大臣(再チャレンジ担当)」というポストが設置されたが、その後廃止されてしまった。状況はますます悪化しているにもかかわらず、政治も世論も関心を失ったかに見える。
が、「若年問題」は「子供のこと孫のこと」と思えば幅広い世代の問題でもあるのだ。私自身、まもなく成人する子供をもつ親として、身につまされつつ読んだ。
定量的な分析と、事例を通してこの問題を考える、恰好の入門編として本書をおすすめしたい。
 

アベノミクスの失敗―円安でも輸出は増えない!

 

民主衆議院議員、岸本周平ブログより転載

 
 

アベノミクスの目玉の一つであった円安が定着してきました。しかし、貿易赤字は大きくなるばかりです。2012年の赤字は6.9兆円、2013年の赤字は11.5兆円となりました。 原発が稼働しない中、エネルギー価格と円安のおかげでの輸入額が増えているので仕方がないという説明を聞くことがあります。

本当にそれだけでしょうか? 実は、昨年2013年の原油や天然ガスなどの鉱物性燃料の輸入額25.9兆円は、2008年の25.8兆円とほぼ同額です。2008年の円建ての鉱物性燃料の輸入単価は2013年とほぼ同額でした。輸入数量は2008年の方が多かったくらいです。 それでも、2008年の貿易収支は2.1兆円の黒字でした。

なぜ、2008年と2013年でそんなに大きな差があるのでしょうか?ひとえに、輸出が減っているからです。 円安になったのにも関わらず、2012年、2013年と引き続き、輸出数量は右肩下がりです。

金額で、2008年と2013年の数字を比べてみましょう。 自動車などの輸送用機器で、マイナス3.8兆円、電気機器でマイナス3.3兆円、一般機械でマイナス2.5兆円となています。 2008年はリーマンショック前ですから、輸出が絶好調でしたが、それにしても、2013年はあまりにも輸出がさえません。 それは、自動車をはじめ海外生産が本格化してきたからです。この流れは、円安になっても変わりません。

 2013年度の海外生産比率(見込み)は21.6%で、5年後の見通しベースでは25.5%です(内閣府「企業動向に関するアンケート調査」、2014228日)。 その傾向は、最終製品だけではなく、部品産業にまで及んでいます。 ASEAN向けの自動車部品の輸出数量は今年の6月、前年比マイナス22.3%も落ちこみました(日本経済新聞2014725日朝刊、第5面)。

円安になれば、日本からの輸出が増えて、景気にプラスになるというのは昔話であり、今では、単に日本全体の購買力が落ちて、貿易赤字が増えるだけです。安倍内閣は、時代錯誤の円安政策をいつまで続けるつもりなのでしょうか? 日本経済の構造変化に早く気付くべきだと思います。

安倍首相を激怒させることになる佐々江駐米大使の大失言

2014727日 天木 直人 | 外交評論家


きょう7月27日の読売新聞に一段の小さな記事であるがとっておきのニュースを見つけた。それはワシントン発今井隆記者の手による次のような記事だ。

 
すなわち佐々江賢一郎駐米大使が7月25日の記者会見で、秋に予定されるロシアのプーチン大統領訪日について、「ウクライナを巡る情勢が影響しないということはない」と述べたというのだ。
 
今井記者はこの発言を、「プーチン氏の訪日見送りの可能性があることを示唆した」と書き、その記事の見出しも、わざわざ、「露大統領の訪日見送りの可能性 佐々江駐米大使が示唆」と掲げている。
 
おりから安倍首相は中南米に外遊中だ。菅官房長官は週末で休日を楽しんでいる。もし安倍首相が外遊先で記者から次のように聞かれたらどう答えるのだろう。「佐々江大使がワシントンでプーチン訪日見送りを示唆する発言をしたらしいが、総理、そういう事なのですか」と。
 
もし菅官房長官が、週明けの月曜日の官邸の記者会見で記者から同じように聞かれたらどう答えるのだろう。間違いなく、安倍首相も、菅官房長官も、そんな事はまだ決めていないと答えるだろう。
 
そして佐々江大使の発言に激怒するだろう。そうでなければ、安倍首相も菅官房長官も、米国に怒られてプーチン訪日をあきらめたということだ。どっちに転んでも、注目すべき佐々江大使の発言であり、その後の展開が見ものである(了)
 

国際公約という「詐術」 ~安倍政権の常とう手段
http://magicmemo.cocolog-nifty.com/blog/2014/07/638-deb3.html
2014
726日 東京新聞:こちら特報部 俺的メモあれこれ


集団的自衛権行使を容認する閣議決定を受け、政府・与党は自衛隊法など関連法「改正」を来春以降に見定めている。約10カ月間の間隔は知事選や来春の統一地方選への影響を避けるためとみられがちだが、その間に各国首脳に根回しし、既成事実化することが狙いという指摘もある。つまり、国際公約で国内議論を空洞化するという手法だ。この手法は、安倍政権下では常とう手段になっている。(上田千秋、榊原崇仁)


反対できぬ環境づくり狙う

「(安倍政権が)集団的自衛権行使の関連法案の提出を先送りする理由として、福島や沖縄の県知事選、統一地方選への影響などが指摘されている。しかし、実は他にもある」

元経済企画庁長官で、福山大客員教授の田中秀征氏はそう語った。「(同政権は)先送りしている間に『日本は集団的自衛権行使を容認する』ことを国際公約に仕立て、『世界に約束したから』を主な口実にして、法案を押し通そうと考えているはずだ」

政府は当初、今秋の関連法案提出を目指したが、今月16日に来年1月召集予定の通常国会に提出する方針を決めた。審議が始まるのは、統一地方選後の5月ごろになる見通しだ。


現在は政権の強引な手法に反発する世論が強く、消費税増税による経済失速も否定できない。「何でも簡単に法案が通るような状況にはない。今秋の臨時国会で審議すれば、関連法案が暗礁に乗り上げ、軌道修正を迫られることもあり得る」(田中氏)。だから「空白の10カ月」を設け、その間に国際公約化を図ろうとしているのだという。

実際、安倍首相は1日の閣議決定後、6日からニュージーランド、豪州、パプアニューギニアのオセアニア3カ国を巡り、解釈改憲の意義を説いた。さらに最重視するのは、年末に予定されている日米防衛協力のための指針(ガイドライン)の再改定とみられる。


田中氏は「政権は『日米ガイドラインは条約に準ずる2国間の約束』と位置付けているはずだ。集団的自衛権行使容認の方向で、ガイドラインを改めておけば『これだけ重要な約束は破れない』『関連法案は通さないといけない』と訴えるに違いない」と説く。

国際公約の重みで、特定の方針を具体化しようとする手法は、そもそも官僚の常とう手段でもある。

「官僚は折に触れて首相をなだめすかし、自分たちの意向をすり込む。そのうえで官僚が望む方針を国際社会に発信させ、後戻りできなくする。外務省や財務省にその傾向が強い。国民と国会を軽視した許せないやり方だ」(田中氏)


たしかに昨年9月の段階で、安倍首相は国連総会で「積極的平和主義の立場から、国連の集団安全保障措置に積極的に参加できるよう測っていく」と宣言。

法人税減税をめぐっても、今年1月の世界経済フォーラム年次総会(ダボス会議)の基調講演で首相が意欲を示した後、政府の経済財政諮問会議の議論、先月の閣議決定へと移った。

原発や武器の輸出もそうだ。国内の反対が根強いのに、首相自らトップセールスに走る。環太平洋連携協定(TPP)をめぐる交渉でも、国内での議論は二の次になっている。


「一方的宣言に拘束力なし」

国内議論より、国際公約を優先するという政権の姿勢は、首相の外遊回数に如実に表れている。
歴代首相の外遊回数は2007年以降、09年を除いて毎年79回で推移していた。それに比べて安倍首相は突出して多く、一昨年12月の就任から17カ月ですでに22回を数える。今月25日には、23回目の外遊先となるメキシコなど中南米5カ国に向けて旅立った。

首相の外遊は国会議員や関係省庁の職員が数多く同行するため、費用がかさみがちだ。鈴木貴子衆院議員(新党大地)が提出した質問主意書に対する政府の答弁書によると、昨年1月にベトナムなど3カ国を訪れた際の総費用は約1200万円。期間などでばらつきはあるものの、1回当たり少なくとも数千万円はかかっているとみられる。
異例のハイペースに、昨年度は外務省の予算(防衛省が所管する政府専用機の運航費は除く)が足りなくなり、他省庁の予算から15000万円を補填(ほてん)する事態になった。
こうした国内での議論を軽視する政権の姿勢に対し、批判は少なくない。

NPO法人「アジア太平洋資料センター」(東京)の内田聖子事務局長は「首相の出席が求められる国際会議が組み込まれている外遊は全体の23割。その他は自主的に行っているだけだ。本来ならそうした時間を、特定秘密保護法や集団的自衛権といった重要案件の議論に費やすべきだったのに、おろそかにしている」と指摘する。

元駐レバノン大使の天木直人氏も「首相が訪問しなくても、官僚が行けば済むような例が目立つ。国内にいないことで、重要な課題から逃げようと考えたとしか思えない」と話す。


問題は、こうした国際公約にどれほどの重みがあるのかという点だ。

天木氏は「いくら海外で首相が何かを言ったとしても、自国民が反対すれば、政策が変わるという事情はどこの国でも一緒だ。国際公約に縛られる必要は何らない」と解説する。

早稲田大の斎藤純一教授(政治学)も「条約などとは全く違う。国際会議などの場で一方的に宣言をしただけで、拘束力があるかのように思わせるのはおかしい」と批判する。むしろ、首相の国際公約を押し通すことで、世界から信頼を失う懸念すらあると話す。

「これまで日本は憲法9条をはじめとして、海外で武力行使をしないと公言してきた。『あの約束をほごにするのか』と思われる方が深刻だ」(斎藤教授)


集団的自衛権の行使容認以外にも、安倍政権が今後、国際公約を楯にして強引に推し進めてくる課題がありそうだ。最も懸念されるのは、犯罪を計画・準備した段階で処罰対象になる「共謀罪」だろう。

政府はこれまで、同罪の創設を盛り込んだ組織犯罪処罰法改正案を3回、国会に提出したが、いずれも世論の強い反対で廃案になっている。政府は「共謀罪は国際組織犯罪防止条約を締結するために必要。国際社会の強い要請がある」と主張している。近い将来、4回目の提出に踏み切る可能性は否定できない。

国会は衆参両院とも与党が過半数を占めている。しかし、斎藤教授は「集団的自衛権行使の容認も、国会で十分に審議されていない以上、民主主義のあり方として正当とは言えない」として、こう訴える。

「今秋には二つの知事選、来春には統一地方選がある。国民の命、安全にかかわる問題である以上、地方選であっても争点にすればいい。繰り返し、政府に問うていく必要がある」


[デスクメモ]
一国の宰相を「社会性が欠落している」と評するのは失礼だろうが、そう思わざるを得ない。自ら推進した原発政策が破綻し、深刻な汚染が広がった。その危険を「風評被害」とすり替える。外国で勝手にアレコレ約束し、異議が出ると「日本の信用が損なわれる」。自らの責任は不問。国民の姿も見えない。(牧)

 

子どもの貧困 「連鎖」を断ち切りたい

 

政府は近く「子どもの貧困対策」大綱を閣議決定する。

 1月に施行した子どもの貧困対策法に基づき、政策を総合的に推進する枠組みだ。大綱をもとに今後、都道府県ごとに具体的な計画作りが進められる。

 子どもの貧困は次世代に連鎖することが指摘されている。これを機に、悪循環を断ち切りたい。国、地方をあげて、具体策を急がねばならない。

 

厚生労働省は今月、2012年の「子どもの貧困率」を発表した。平均的所得の半分を下回る世帯で暮らす18歳未満の割合だ。

 結果は09年の前回に比べ、0・6ポイント上回り16・3%となった。過去最悪である。悪化の一途をたどっている。

 

母子世帯など、ひとり親世帯の子どもに限れば、貧困率は54・6%に跳ね上がる。非正規雇用の割合が全体の4割近くに達し、低所得世帯が増えていることも拍車をかけているようだ。

 大綱案では、教育、生活、保護者の就労、経済支援の4分野で重点施策をまとめた。貧困率や進学率、就職率などの指標の改善に向けて、おおむね5年ごとに施策を見直すことを掲げる。

 

将来的に返済義務のない給付型奨学金の創設、学校を拠点に福祉機関と連携して「放課後子供教室」開設などの学習支援、低所得者世帯から段階的に幼児教育の無償化などを盛り込むようだ。

 貧困是正への一歩と受け止めたい。

 懸念されるのは、官僚の縄張り意識が透けて見えることだ。

 

奨学金や学習支援など、文部科学省関連の手厚さに比べ、保育、医療面など厚労省関連が物足りなく映る。子どもの将来を左右する大切な施策だ。省壁を取っ払い、オール霞が関で取り組むべきだ。

 大綱ができれば、都道府県レベルでの具体策づくりが始まる。

 道内では、ひとり親世帯の割合が9・26%と全国平均(8・72%)を上回る。貧しさに起因した虐待も後を絶たず、児童相談所への虐待の相談件数は、過去12年間で2・7倍に増えている。

 地域特性を踏まえ、道にはきめ細やかな計画作りを望みたい。

 ただ、地方の多くは財政が厳しい。そんな地方に重要な政策を丸投げするだけでは、根本的な解決はおぼつかない。

 子どもの貧困対策は親の雇用環境の改善なくしては、絵に描いた餅になりかねない。政府には責任を持った目配りを求めたい。

 

抗議を受けた室井佑月「あたしの意見は福島差別になるのだろうか」

 

週刊朝日  201481日号
 以前書いたコラムに多くの抗議がきたという作家の室井佑月氏。福島の現状を踏まえたうえでこう主張する。
*  *  * 
 先々週、
「『美味しんぼ』問題を受け、政府は、修学旅行先として福島のモデルコースを設定し、全国の学校に提案することなどの(風評被害払拭にむけた)強化策をまとめた」
 
というニュースを観て、なんでわざわざ危ない事故を起こした原発のある福島へ、全国の子どもたちを連れていかなきゃならないの、ということを書いた。政府の意見が正しいことの証明に、子どもを使うのは野蛮すぎると。
 
そしたら、「福島を差別するな!」と、ものすごい数の抗議を受けた。
 あたしの意見は福島差別になるのだろうか。
 今、現在、福島に住んでいる人たちがいるのもわかる。福島では、線量の高いところも低いところもあるのも知っている。
 
だが、福島ではなにも起きていないといってしまえば、東電の起こした原発事故のその後のすべてが風評被害であるというすり替えが可能になってしまう。国も東電も、被害者に対して手厚い保護など考えなくていいことになってゆく。
 
現に、この国の環境を守るのが仕事の環境省の大臣が、汚染土の中間貯蔵施設建設をめぐり、「最後は金目でしょ」という発言をした。
「もっと丁寧に安全だということを説明しないと」ではない、「金でなんとかなるでしょ」ということだ。
 
正直にいえば、もうこうなった以上、最後は金で解決しかないのかもしれない。が、それは事故の責任者が被害者に謝り倒し、どうかこれで勘弁してくださいというお金であるべきだ。劣悪な環境も「金を払えばいいんでしょ」という金ではない。金は金じゃんという人もいるだろうが、そういう心根の在り方が差別なんだとあたしは思う。
 
政府が全国の学校の修学旅行先に福島を推奨する件だって、本当に差別されるのは、普通の家の子や貧しい家の子たち、公立の学校に通う子どもたちではないか。希望者を募っていくボランティアならともかく、全員が行く修学旅行で、裕福な家に生まれた私立の子たちが行くのかな?
 
福島と隣接する県にある私立の全寮制の学校が、震災後、子どもたちを避難させた。そして、今いる生徒たちの卒業をもって、学校を閉じるらしい。
 もっと大変な環境で頑張ってる子どもたちはいるのに! そう怒る人はいるかも。でも、そういったところで、大変な環境の中で生活を強いられる子のためにはならない。それどころか、なにもなかったことにされ、逆に足を引っ張ることになる。
 
あたしは自分の学校の生徒をなにがなんでも守るという選択をした、この私立校の英断を偉いと思う。
 そうそう、仲が良い大学教授の先生が、原発事故・放射能問題を、
「戦争責任問題と似ていますよね。結局、1億総懺悔で、戦争責任は追及せず、です」
 といっていた。その通りだとあたしも思う。
 

川内原発「合格」 安全の保証意味しない

 

原子力規制委員会 がきのう、九州電力川内(せんだい)原発1、2号機(鹿児島県)について実質的な合格証となる審査書案を了承した。秋にも新基準下での最初に再稼働する原発となる可能性が高い。

 

だが、基準は原発の安全性に対する最低限の要求事項にすぎない。田中俊一委員長は今回の判断について「安全審査ではなく基準の適合審査だった」としている。

 

つまり審査書案をもって、安全が保証されたとみるのは早計だ。 むしろ明らかになったのは火山対策や避難計画など防災体制の不備である。安易に再稼働を進めるのではなく、政府はこうした課題の解決を急がねばならない。

 

規制委は昨年7月、原発の新しい基準を施行し、安全性の審査を続けている。川内原発について、規制委は地震・津波の対策が「一応クリアできた」とし、春以降、優先的に審査してきた。

 

今後、今回の判断についての意見を30日間公募し、正式な審査書をまとめる。それだけではない。説明会を含む地元同意の手続きも残っている。住民らの声を聞く中で、懸念が拭えなければ、規制委が審査をやり直す。それが重要だ。

 審査が十分でなかったのは、火山対策だ。川内原発は、全国の原発で最も火山のリスクが大きいとされる。

 

火山の監視強化で噴火の前兆を把握できる―。そう主張する規制委に対し、火山学者からは「監視だけで予知はできない」との批判が聞こえてくる。仮に予知できたとしても、核燃料搬出に年単位の時間がかかるとの指摘もある。不安は尽きない。 避難計画も心もとない。

 

福島第1原発事故後、原発から30キロ圏の市町村に、事故時の避難計画の策定が課された。しかし、鹿児島県は入院患者ら要援護者の避難先確保について、「原発10キロ圏で十分」とするだけで、その外側については整備が遅れているようだ。

 

それでなくても規制委の審査基準に避難計画は含まれておらず、安全面からは納得いかない。政府には、避難計画が重大事故時に機能するかをチェックする仕組みづくりを早急に求めたい。

 

不可解なのは事故時の責任が政府にあるのか、電力会社にあるのか、依然あいまいなことだ。これでは福島の悪夢を克服できまい。住民の安全をどう守るか。それをはっきりさせない限り、再稼働は到底容認できない。

 

安保論戦と野党 独走阻止へ結束見せよ

 

毅然(きぜん)と反対を唱えるべきだ。 集団的自衛権行使の閣議決定をめぐる衆参両院予算委員会の論戦で、野党の追及は不十分だった。安倍晋三首相ら政府側の答弁の矛盾点を突き崩せなかった。

 

歯止めなき憲法の解釈変更を許してはいけない。野党間の一致点も明らかになってきた。結束して政府にブレーキをかけるのが野党の役割と心得てもらいたい。 民主党の海江田万里代表は国民の理解を後回しにして閣議決定した首相の姿勢を追及した。閣議決定直後から「撤回」を求める姿勢で臨んできた。

 

これに対し岡田克也元代表が求めたのは、新たな武力行使の3要件の「見直し」で、微妙な違いを見せた。集団的自衛権行使への賛否が対立する党内事情が現れた。これでは足元を見透かされる。 政府側の答弁は矛盾だらけで、攻めどころには困らないはずだ。

 

首相が可能と主張したホルムズ海峡での戦闘中の機雷除去や、国連決議に基づく 集団安全保障について、公明党は認められないとの立場を取ってきた。連立政権内の不一致を厳しく指摘すべきだ。 質疑を続ける中で、各野党の主張もはっきりしてきた。 日本維新の会の松野頼久国会議員団代表は「海外での武力行使は派兵であり、専守防衛ではない」と政府を批判した。

 

結いの党の柿沢未途政調会長は政府が示した集団的自衛権が必要になる事例について「個別的自衛権で対応可能」とした。 民主、維新、結いの3党は閣議決定のあり方に反対の立場で共通する部分がある。「新3要件は認めない」「海外で武力行使はしない」などで一致し、政府・与党に対抗することは可能だ。

 

みんなの党、次世代の党は賛成、共産党と生活の党は反対と、立場の違いはある。しかし、政府主導の拙速な流れを食い止め、熟議を求める方向で協力できる。

 

 安倍政権への疑念は国内各地に広がっている。 滋賀県知事選で元民主党衆院議員が自公両与党推薦の元官僚を破ったのは、有権者の多くが閣議決定に疑問を抱いたことが影響した。首相もこの点は認めている。

 

野党は地方ほど反発が強い実態に目を向け、国政の場に反映する責任を肝に銘じてほしい。滋賀県で示された民意を追い風に、攻勢を強める好機ととらえたい。 疑問点は数多い。閉会中も国会での審議をさらに重ね、政府の姿勢をただしていくことが肝心だ。

 

 
植草一秀の『知られざる真実』より転載2014724
 
選挙もなく、国会も閉店していると、政治は民意から完全に乖離する。日本の民主主義制度は、内閣総理大臣に絶大なる権限を付与している。為政者である内閣総理大臣に求められる最大の行動規範は、自己抑制である。絶大なる権限を有するがゆえに、その権限の行使にあたって、慎重の上に慎重を期す。これが為政者に求められる姿勢である。


現在の日本を1933年以降のドイツになぞられる見方がある。米国発の世界大恐慌の発端になったNY株式市場の大暴落は1929年に生じた。世界経済は暗い時代に突入していった。このなかで、ドイツでヒトラーが率いるナチスが台頭し、実権を握っていった。転換点になったのは1933年の全権委任法の制定であった。ナチスは独裁政党となり、ドイツを第二次大戦とホロコーストの惨劇に導いていった。


日本政治が凋落したきっかけを作ったのは菅直人氏である。2009年に樹立された民主党政権を凋落させた最初の主犯が菅直人氏である。2010年6月クーデターで民主党の権力を強奪した。菅直人氏が真っ先に示したことは、普天間基地の辺野古移設方針堅持と消費税率の10%への引き上げ方針だった。菅直人氏は新政権の基本方針を全面転換し、主権者の民主党に対する期待を根底から覆した。そして、この路線を承継したのが野田佳彦氏である。菅・野田ラインが民主党に対する主権者の期待を完全に破壊した。このために、2010年参院選、2012年総選挙で民主党が大敗した。

 
結果として生み出されたのが安倍晋三政権である。安倍晋三政権発足当初の半年間に、円安に連動する株高が生じた。この金融市場の変化が安倍政権の支持率を高める効果を発揮して、その勢いで安倍政権は2013年7月参院選にも勝利した。国政選挙で3連勝すると「ねじれ」のない国会議席配分が生まれる。安倍政権は衆参両院の過半数議席を確保することになったが、この現状をもたらした要因の3分の2は、菅-野田両氏の民主党破壊行動にある。残りの3分の1は、たまたま生じた円安と株高の影響である。
 
こんなことで、安倍政権に強力な権限が付与されることになった。重要なことは、安倍晋三政権の基本政策を、日本の主権者国民が積極支持していないことだ。安倍政権与党は衆参両院で議席の過半数を確保しているが、選挙の際に得た得票は、全有権者の4分の1程度に過ぎない。4分の1の民意にしか支えられていない政権であることを認識しておく必要がある。
 
そして、原発・憲法・TPP・消費税・沖縄の基本問題でも、主権者の多数が安倍政権の方針に反対している。それにもかかわらず、安倍晋三首相は、主権者が反対する政策を強硬に推進している。この行動が民主主義の基本理念に反していることは明らかである。1930年代のドイツでは、ナチスが実権を握り、暴走を加速させていった。日本でも安倍政権が実権を握り、暴走を加速させるリスクがある。これを防ぐには、主権者国民が「日本の真実」を見抜いて、安倍政権の暴走を抑止する必要がある。
 
宣伝になって誠に恐縮だが、『日本の真実』(飛鳥新社)http://goo.gl/8hNVAo
をぜひ、ご熟読賜りたい。この安倍政権について、小沢一郎氏が、「安倍晋三首相はピークを越え下り坂に入った」と述べたことを紹介した。安倍晋三氏は舞い上がった感じであるが、安倍氏の思惑とずれる現象が相次いで表面化している点に注目が必要だ。


三つの事例を提示しておこう。

第一のは、6月15日のワールドカップサッカー緒戦における日本敗北。
試合開始時刻が日曜朝10時にずらされた裏側に、安倍政権の思惑があったと思われる。日本を歓喜の渦に巻き込み、その裏側で集団的自衛権行使容認の「なしくずし改憲」を強行しようとしたのだろう。
 
第二は、7月13日投開票の滋賀県知事選での与党候補の敗北。14、15日の予算委員会集中審議設定は、滋賀県知事選での勝利を前提にしたものだった。
 
第三は北朝鮮との拉致問題交渉に対して、米国が牽制し始めていること。少しずつ、安倍政権の歯車がずれ始めている。政策運営を主権者の意思に沿う方向に軌道修正するなら事態の立て直しもあるかも知れない。しかし、唯我独尊の強引な政策運営を続けるなら、安倍政権はこの下り坂から抜け出せなくなるだろう。

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