真実の報道神秘

権力の『おかしな政策』におかしいと報道しない日本で、一人でも『おかしい』と声を上げ、真実を追求して行きます。

2013年10月

安倍総理! 民の悲鳴が聞こえぬか!  亀井静香

 

安倍政権の推進する消費増税やTPPは、確実に日本国民の生活を蝕み、格差を拡大させる。アベノミクスで景気が良くなったなどと言っているが、それは一部の人間だけで、中小零細企業は悲鳴をあげている。 それにもかかわらず大手マスコミはそれに反対の声をあげようとしない。彼らは皆、カネ、カネ、カネの論理で動いている。
 どうすればこの金権主義の世の中を打ち破ることができるのか。我々には何が必要なのか。そのことについて真剣に考えねばなるまい。
 

『月刊日本』11月号「安倍総理! 民の悲鳴が聞こえぬか!」より

安倍総理は夢遊病状態だ
――
 安倍政権がついに消費増税に踏み切った。一方、政府与党は法人税減税を検討している。

亀井】 今の政治というのは絶望的だ。まったくおかしな事になっている。庶民の寂しいフトコロに手を突っ込んで、儲かっている企業には減税をするなんて、日本の歴史上まれに見る悪政だ。江戸時代の悪代官だってこんな無慈悲なことはしなかった。こんなことをすればどんな結果になるかわかりきっているからね。消費は必ず冷え込むし、そうなれば経済全体も下がっていく。国民生活の水準はどんどん落ちていくよ。
 安倍総理だって、こんなことをすればどんな結果になるかわかっているんだ。だけども自分ではどうすることもできない。夢遊病者みたいな政治家になってしまったんだな。現実とは関係なく体が勝手に動いている。置かれた立場の中でいたずらに右往左往しているだけだ。人間としてはいい人なんだが、政治家、とりわけ総理としての資質には欠けると言わねばならん。

―― しかし各種世論調査では消費増税賛成の声が過半数に達している。
【亀井】 それは国民がおかしくなっているということだ。政府が自分たちの財布に手を突っ込んでくるのを喜ぶなんて、自分たちが何をされているのかわかっていないからだ。今の政治家、政党はおかしい、頼りにならない、あてにならない、嘘つきばかりだという声はよくあるが、結局、そういう政治家を送り出している国民がおかしいということなんだ。
 

消費増税という痛みに耐えて財政規律を、という議論もあるが、消費税率を3%から5%へ上げた97年橋本内閣の失敗から何も学んでいない。国民の所得が落ちていく中で税率だけ上げたって、税収は増えるわけがない。消費が冷え込めばますます税収は落ちていく。小学生でも分かる話だよ。 経済というのは消費と投資でまわっているという当たり前のことをみんな忘れている。税収を増やすには消費を増やすしかない、経済を活性化するしかない。日本には一億二千万人という巨大な内需があるというのに、それを活かそうとしていない。
 

経済を冷え込まさないように法人税減税をするというが、今の企業は内需を掘り起こすことなんか考えていないじゃないか。外国に投資し、外国で物を売ろうとばかりしている。結局、いくら法人税を下げても、企業の資金は日本に還流せず、外国に出て行くだけだ。 今は一部の富裕層の消費が増えているという話もあるが、たかだか国民の2%程度の富裕層の消費効果なんて微々たるものだ。その他の90%の国民の需要を刺激しなければ経済は好転しない。その90%というのは、地方の中小、零細企業だよ。そこに金が回るようにしなければ意味が無い。だが今の公共事業の構造はスーパーゼネコンが独占し、地方零細企業にまで資金が回らなくなっている。
 

アベノミクス、異次元緩和と言っているが、その資金が実体経済、地方の産業に回って行かないんだ。どこへ行くかというと、株式市場であり、米国債の買い支えなんだ。結局、国民の仕事に直結しない、だから収入も増えないどころか減っていく。こんなことでは国家は維持できませんよ。

―― 消費増税ではなく、国民に仕事を創出し、収入を増やし、需要を喚起する必要がある。
【亀井】 それと今、市中に眠っている資産が市場に出回り、国内を循環させるようにする工夫が必要だ。銀行にも預けられていないタンス預金、アングラマネーも含めた隠し資産というのは2000兆円以上ある。こういう金を吐き出させる仕組みを作ればいい。たとえば無利子国債も検討する価値がある。利子がつかない代わりに相続税を免除するなどして、眠っている死に金を消費に回るように仕向ければ良い。相続税による税収なんて2兆円程度だから、2000兆円以上が市中に出回る経済効果のほうがはるかに大きい。
 

こういう話をするとすぐにあれこれ難癖をつける奴が出てくるが、細かいテクニカルな話はあとで考えればいいんだ。政治家の仕事は、大きな方向を決めることだ。その方向がしっかり決まれば、細かいところを官僚が詰めるんだから。今は政治家自体が小役人みたいな発想になっていて、何も大きな方向性を示せていない。 増税といえば、本当は大手メガバンクなんかに真っ先に課税すべきなんだ。かつて国から支援を受けておきながら、今、メガバンクは利益を出しても税金は払っていないからね。それに、相続人のいない老人が資産を銀行に残したまま亡くなると、その資産は銀行の利益になる。こんなふざけたことが横行している。死に資産が銀行の利益になるぐらいなら国が接収すればいい。知恵を絞ればいくらでも税収を増やす方法、経済を良くする方法はあるんだ。人類は文明から復讐を受けている

―― しかし政府も国民も、ジリ貧の方向へ向かっているように思える。
【亀井】 これは日本だけではなく世界的傾向だ。人類全体が抱えている問題なんだ。人類は今、文明によって復讐を受けているんだよ。文明というのは人間の欲望を肥大させてきた。カネよカネよとカネだけを追い求めるから、企業はなるべく人を安く使おうとする、官僚は庶民の寂しいフトコロからさらにカネを搾り取ろうとする。カネによって精神が退廃していくんだ。その行き着くところが原発じゃないか。福島では原発処理もできていない、放射能汚染水も全部垂れ流しだ。にもかかわらず、地震大国のトルコに原発を売り込もうとしている。これは完全なモラルハザードだよ。カネさえあればという精神がこんな事態を生み出してしまう。(以下略) 

 

「戦前を取り戻す」のか 特定秘密保護法案  東京新聞 社説より 

特定秘密保護法案が近く提出される。「知る権利」が条文化されても、政府は恣意(しい)的に重要情報を遮蔽(しゃへい)する。市民活動さえ脅かす情報支配の道具と化す。 「安全保障」の言葉さえ、意図的に付けたら、どんな情報も秘密として封印されかねない。
 

最高十年の懲役という厳罰規定が公務員を威嚇し、一般情報も公にされにくくなろう。何が秘密かも秘密だからだ。情報の密封度は格段に高まる。あらゆる情報が閉ざされる方向に力学が働く。情報統制が復活するようなものだ。一般の国民にも無縁ではない。

 

米国は機密自動解除も

 秘密保護法案の問題点は、特段の秘匿を要する「特定秘密」の指定段階にもある。行政機関の「長」が担うが、その妥当性は誰もチェックできない。 有識者会議を設け、秘密指定の際に統一基準を示すという。でも、基準を示すだけで、個別案件の審査はしない。監視役が不在なのは何ら変わりがない。 永久に秘密にしうるのも問題だ。三十年を超えるときは、理由を示して、内閣の承認を得る。だが、承認さえあれば、秘密はずっと秘密であり続ける。
 
米国ではさまざまな機会で、機密解除の定めがある。一九六六年には情報公開を促す「情報自由法」ができた。機密解除は十年未満に設定され、上限の二十五年に達すると、自動的にオープンになる。五十年、七十五年のケースもあるが、基本的にずっと秘密にしておく方が困難だ。 大統領でも「大統領記録法」で、個人的なメールや資料、メモ類が記録され、その後は公文書管理下に置かれる。 機密指定の段階で、行政機関の「長」は常に「説明しなさい」と命令される状態に置かれる。機密指定が疑わしいと、行政内部で異議申し立てが奨励される。外部機関に通報する権利もある。

 

名ばかりの「知る権利」

 注目すべきは、機密は「保護」から「緩和」へと向かっている点だ。機密指定が壁になり、警察の現場レベルに情報が届かず、テロを招くことがある-。つまり情報は「隠す」のではなくて、「使う」ことも大事なのだ。 日本は「鍵」をかけることばかりに熱心だ。防衛秘密は公文書管理法の適用外なので、国民に知らされることもなく、大量に廃棄されている。特定秘密も同じ扱いになる可能性がある。特定秘密の指定事項は(1)防衛(2)外交(3)特定有害活動の防止(4)テロリズムの防止-の四つだ。自衛隊の情報保全隊や公安警察などがかかわるだろう。
 
四事項のうち、特定有害活動とは何か。条文にはスパイ活動ばかりか、「その他の活動」の言葉もある。どんな活動が含まれるのか不明で、特定有害活動の意味が不明瞭になっている。いかなる解釈もできてしまう。テロ分野も同様である。殺傷や破壊活動のほかに、「政治上その他の主義主張に基づき、国家若(も)しくは他人にこれを強要」する活動も含まれると解される。 これが「テロ」なら幅広すぎる。さまざまな市民活動も考えているのか。原発がテロ対象なら、反原発運動は含まれよう。まさか軍事国家化を防ぐ平和運動さえも含むのだろうか。 公安警察などが社会の幅広い分野にも触手を伸ばせるよう、法案がつくられていると疑われる。
 
「知る権利」が書かれても、国民に教えない特定秘密だから名ばかり規定だ。「取材の自由」も「不当な方法でない限り」と制約される。政府がひた隠す情報を探るのは容易でない。そそのかしだけで罰する法律は、従来の取材手法さえ、「不当」の烙印(らくいん)を押しかねない。 公務員への適性評価と呼ぶ身辺調査は、飲酒の節度や借金など細かな事項に及ぶ。親族ばかりか、省庁と契約した民間業者側も含まれる。膨大な人数にのぼる。 主義主張に絡む活動まで対象範囲だから、思想調査そのものになってしまう。警察がこれだけ情報収集し、集積するのは、極めて危険だ。国民監視同然で、プライバシー権の侵害にもあたりうる。 何しろ国会議員も最高五年の処罰対象なのだ。特定秘密を知った議員は、それが大問題であっても、国会追及できない。国権の最高機関を無視するに等しい。

 

目を光らせる公安警察

 根本的な問題は、官僚の情報支配が進むだけで、国民の自由や人権を損なう危うさにある。民主主義にとって大事なのは、自由な情報だ。それが遠のく。
 公安警察や情報保全隊などが、国民の思想や行動に広く目を光らせる。国民主権原理も、民主主義原理も働かない。まるで「戦前を取り戻す」ような発想がのぞいている。

 

 

2013/10/23 日刊ゲンダイ 

臨時国会が始まったが、民主党の野田佳彦前首相のホームページには信じられない記述が載っている。
 
〈所信表明演説での総理のご様子は、とてもテンションが高くすこぶるお元気そうでした。大変ハードな海外や国会の日程も精力的にこなされており、同慶の至りです〉皮肉かと思ったら、こう続く。〈一国のリーダーはまずタフでなければなりません〉つまり、ヨイショだ。政権を奪われた相手にエールを送っているのである。この国の野党もついに落ちるところまで落ちたのではないか。政治ジャーナリストの鈴木哲夫氏がこう言う。
 
「民主党が前原誠司氏、岡田克也氏ら元閣僚を何人も予算委員会に投入しながら、散漫な質問に終始し、安倍政権を攻めあぐねている最大の理由は野田氏の『同慶の至り』という言葉に集約されています。野田氏には一刻も早く民主党を離党して自民党に入れてもらうことをお勧めします」最大野党が与党と通じているのである。つまり、今の国会は茶番なのだが、野田のこれまでの言動を見れば、今さら驚くに値しないのかもしれない。
 
民主党をグチャグチャにして2大政党を死滅させた野田佳彦
 
小沢一郎を追放して民主党をグチャグチャにし、自民の谷垣禎一(当時総裁)と組んで民・自・公の「3党合意」にカジ切りしたのが野田だ。最後は民主党が破滅的惨敗を喫することが分かっていたのに自爆解散に踏み切り、2大政党制を死滅させた。脳死状態になった民主党は参院選でもコテンパンにやられ、あっという間にねじれは解消。巨大与党の出現を許した。どんな法案でも自動成立という恐ろしい政治状況をつくり、特定秘密保護法、日本版NSC設置法、集団的自衛権の行使容認などのメニューがズラリと並ぶ。
 
本来であれば、野田は表に出てこられないはずだ。しかし、読売新聞の連載で消費増税法案を通したことを自慢し、HPで安倍にエールを送ってみせたのは、野田が安倍別動隊にほかならない証拠だ。もともと松下政経塾出身の野田は、父親が自衛隊のタカ派だ。先日の訪米では、太平洋艦隊の司令官を務めた米海軍のゲイリー・ラフヘッド前作戦部長と夕食を囲んだそうだが、「大提督と食事した」とHPに書いていた。大提督という表現からうかがえるように自慢だ。もちろん、集団的自衛権の行使にも賛成である。かと思うと、野田政権時に民主党総括副幹事長だった篠原孝も21日の予算委員会で、「民主党と同じ轍を踏まないで」と安倍にアドバイスしていた。改めて、この国の野党は何なのか。世も末というか、ひどいことになっている。
 
教科書検閲と軍備拡大まっしぐらで戦前ファッショ化する日本
 
最大野党が安倍政権の軍門に下った政治状況でいま、何が行われているか。戦前ファッショ日本への急速な回帰である。先週、沖縄県竹富町の教科書採択問題で文部科学省は初の是正要求に踏み切った。表向きは地方自治法違反だが、要するに国が指定する教科書を使わない竹富町はケシカランと、法的圧力をかけたのである。竹富町が拒否したのは、押し付けられた教科書がほとんど米軍基地負担に触れていないからだ。政府に検閲まがいのことを要求された竹富町の慶田盛安三教育長が、「残念だ」と悔しさをにじませたのも当然だ。ジャーナリストの斎藤貴男氏はこう言った。
 
「竹富町は沖縄本島よりずっと南にある小さな島々です。そんなちっぽけな自治体が決定に従わないと、国の命令に断固従わせようとする安倍政権は、寸分の小さな価値観の違いも許すまいとする恐ろしさを感じます。教育問題でいえば、道徳教育を教科に加えようとしているのもどうかしています。愛国心を点数化して評価して、国の言うことが絶対だと信じる軍国少年を養成するつもりでしょうか」教育の戦前化と併せて着々と進んでいるのが自衛隊の拡大・膨張だ。防衛省が年内をメドに見直そうとしている防衛政策の基本指針「防衛大綱」(中間報告)には、「海兵隊的機能」「無人偵察機」「敵基地攻撃力」などのキーワードがちりばめられている。
 
「新防衛大綱では南西諸島の防衛を重視していますが、自衛隊に海兵隊的機能を持たせて、尖閣への逆上陸を意識しているのは明らかです。長距離輸送が可能なオスプレイを導入しようとしているのは、米海兵隊のように、自衛隊員を機動的に尖閣まで運ぶためでしょう。アフガンなどで使っている無人偵察機『グローバルホーク』の導入も検討されていますが、これは米軍との情報共有を緊密化し、隙間のない警戒監視態勢を敷くためです」(軍事ジャーナリスト・世良光弘氏)
 
グローバルホークもオスプレイも1機当たり約100億円もする。だから、政府は国民を納得させようと自衛隊の活躍をPRし、それを安倍ベッタリの大メディアがデカデカと取り上げている。自衛隊の災害救助にケチをつける気はないが、防衛省は台風26号で大被害が出た伊豆大島に1000人規模の「兵隊さん」を派遣し、懸命に捜索にあたる姿が繰り返しメディアで流された。こうして、国民の安全のためには、自衛隊が必要、もっと機動的に動くには海兵隊化が不可欠……と、国民に刷り込んでいくのである。
 
野党もメディアも安倍別動隊
 
そこへもってきて、中国・韓国を毛嫌いする国民が増えている。異常なヘイトスピーチを批判するどころか、一緒になって中韓叩きをするメディアばかりだ。安倍政権は安保・外交の中長期的な基本方針「国家安全保障戦略」をまとめ、そこには中国と北朝鮮の軍事的脅威が明記された。大マスコミと政府がヘイトスピーチを煽っているようなものだ。前出の斎藤貴男氏は、「政府の本音は集団的自衛権行使の狙いが米国の軍事活動を助けるためだということを隠したい。本質から目をそらすためにことさら、中韓との危機を煽り、国民のナショナリズムを高めようとしているようにも映ります」と言った。
 
安倍やら野田やら右翼の魑魅魍魎がバッコする中、政府の策謀と喧伝にまんまと乗せられている国民が目を覚まさないと、歯止めなき軍備拡張が続く。行き着く先は米軍との一体行動で、日本は「戦争する国」になる。世界に誇る平和憲法はなし崩しにされ、米国同様、テロの標的となり、国民の生命を守るとかいって、戦争に突き進む国となっていく。
 
そうした動きがこれだけロコツなのに、誰も異を唱えない異常、野党もメディアも安倍別動隊である恐怖。それを国民が感じなければ、旧日本復帰への加速化を止める手立てはない。
 

この国の国会議員たちは正気か

 
日々雑感より転載

 

参議院の国会中継を拝聴していて「この国の国会議員は正気か」と思ってしまった。なぜなら「原発は安全を最重点として再稼働すべきだ」との自民党間バカ議員に対して、「原発は十分に安全性を確保しなければならない」と能天気にも安倍首相が答弁している。それに対して参議院予算委員会は水を打ったように静かだ。
 

この国の国会議員はバカ揃いなのだろうか。福一原発1号機から3号機まではは安全性を十分に確保して稼働していたはずだ。4号機は定検のため停止していたが、総電源喪失により燃料プール内の温度が上昇して暴走し、水素爆発を起こした(ということになっているが臨界爆発だったのかすら現場検証すら行われていない)。

 この国の原発は安全・廉価な発電装置だと電力各社が電気料金に上乗せして捻出した年間数千億の電源開発費に群がる官僚や政治家やマスメディアたちのプロパガンダを無知蒙昧なタレントがシタリ顔をして「未来のために原発は必要です」などとテレビに登場して繰り返しニコヤカに語りかけていた。その挙句に福一原発放射能ばら撒き事故だ。

 

 「不幸な事故だった」と語る政治家や評論家には反吐が出る。「幸福な事故」があってたまるか。たとえ事故にせよ何にせよ、金輪際原発は放射能漏れ事故を起こしてはならない、というのは原子力を扱う人たちに共通認識のはずだ。それを「完全にブロックされ、完全にコントロールされている」と舌足らずの早口で世界へ向かって発言し、それを委員会で取り上げられると「完全というのは個々の事象を指すのではなく、全体として概ねブロックされコントロールされているということです」と首相自らの日本語教育の欠陥を表明する言い訳を展開し、それをナントナク委員会で「了承」しているような雰囲気にはビックリ仰天で言葉もない。

 完全とは完全であって、概ねとは概ねだ。全体として、というのは国会答弁として官僚が用意した言葉であって、その言い廻しは五輪会議の時と異なる、と追及されると安倍首相は「完全に」と発言を元に戻した。

 

完全にコントロールされているが雨水により堰から放射能汚染水が漏れたのは個々の事象であって「完全に」という言葉を覆すものではない、という首相答弁は「この男はマトモか」と不信を抱くに充分だ。しかも11ヶ所の堰漏れの内6ヶ所は国の基準値を超えいたというではないか。この国の国会議員たちは「現場」の苦しみや苦悩が本当に解っているのだろうか。

 もっと国会議員は苦労した方が良い。苦労しなければ言葉の持つ重みとか、国民の痛切な苦悩とか、理解不能のようだ。ポッと出の世襲議員を歌舞伎役者の御曹司のように持ち上げる勘違いマスメディアに乗せられて、勘違いタレント崩れの国会議員が続々と誕生している。彼らに一体何が解るというのだろうか。

 

未来のために原発は必要だ、と発言している議員たちの頭脳は大丈夫だろうか。世界が今のペースで原発を稼働させていると、ウランは百年と経たずして枯渇するといわれている。何が「原発は未来のエネルギー」だ。世界は現在稼働している原発を廃炉として、原子力利用から撤退すべきだと国連で決議する方が正常なモノの考え方ではないだろうか。その先駆けになるべきが被爆国であり福一原発放射能漏れ事故を起こして、現在も致死量以上の放射能を拡散している日本の立場ではないだろうか。

 この国の国会議員たちは何にトチ狂っているのだろうか。委員会審議を拝聴していて怒り心頭なのは私だけではないはずだ。

 
 

 
2013/10/22 日刊ゲンダイ 


 アベノミクスで日本の富の20%が消えた――!? こんな衝撃的なリポートが話題を呼んでいる。クレディ・スイスが毎年発表している世界の富に関する報告書「グローバル・ウェルス・レポート」の2013年度版だ。

 
 この報告書によれば、日本の富裕層はアベノミクスで激減。12年6月から今年6月までの1年間で、100万ドル(約1億円)の純資産を持つミリオネアの数は130万人も減ったというのだ。日本に次いで富裕層が減ったのはブラジルだが、減少数は約1万2000人だから、日本の減り方は異常と言える。
 
日本全体の資産で見ると、なんと5・8兆ドル(約580兆円!)が失われたと書かれている。これは日本の富のおよそ20%にあたる。 ショッキングな数字にはカラクリがあって、アベノミクスで大幅な円安に振れたためだ。日本人は資産を円で預金している人がほとんどだが、同じ1000万円でも、円の国際価値が下がれば、世界的に見た財産は目減りしてしまう。それで、富裕層の数も激減したのだ。
 
経済アナリストの菊池英博氏が言う。
「今年上半期の貿易収支を見ると、約5兆円の赤字でした。過去最大の赤字幅ですが、これも円安の影響で、エネルギーなどの輸入コストが高騰しているせいです。極端な円安によって、フローで見れば所得の移転、ストックで見れば評価損が起こっている。円安で輸出企業が儲かったといっても、為替のおかげで輸出額が増えただけで、数量ベースでは増えていない。アベノミクスの異次元緩和と円安誘導によって、国民の富がどんどん海外に流出しているのです。円安は国力を失わせ、国民の富をいや応なく奪っていく。国民生活にとって何もいいことはありません」
 
安倍首相が盛んにアピールするGDP成長率も、ドル換算すれば大幅マイナスだ。国力を失わせるだけのアベノミクスなんて、何の意味もない。
 

今後の小沢一郎(3) 20世紀の世界から脱却、縄文の魂に戻る政治哲学を

 20131023世相を斬る あいば達也より転載

 

昨日のコラムは見出しを間違い、思わぬところで恥を書いた。“今後の小沢一郎”と見出しを書くべきところ、“小沢一郎の今後”と書いてしまった。後者の場合、幾分引退した後のことを書いている印象を含む。前後しただけと開き直るのも良くないと思い、先ずは訂正させていただく。

 何らかのアクシデントがない限り、3年近くは自民党政権の、好き勝手し放題の呪われた時間が過ぎることになる。それで国民は大丈夫なのかと問われれば、正直、まだ大丈夫だと答えることになる。なぜ大丈夫なのかと云うと、国民の側に、まだ痛みに耐えるだけの蓄えがマクロ的には存在するからだ。それが財務省など、霞が関官僚の感覚である。国民全体を並べての話だが、国民は生活が苦しいなどと口にしているが、マクロ的に観察する限り、15002000兆円の現預金を懐に抱え込んでいるのは事実だ。

 この国民の現預金を含む包括的な“生活収支”は、充分にプラスと云うのが、財務省の考えである。支出が収入を上回っても、手持ちの現預金の切り崩しで、国民のマクロ的生活資金は循環すると考えている。勿論、個別の人々の中には、現預金を持たない層もいるので、その人々は個別に苦境に立たされるが、総体的見方としては、財務省的図々しい胸算用は可能なのである。これだけ肥大化した消費社会を謳歌したのだから、遣り繰り上手な我が国民は、ほど好く現預金の切り崩しが起きないように、生活を見直すであろうし、それが不可能な場合には、嫌々だが現預金に手をつけるだろう。

 当然、蓄えがゼロの家庭は路頭に迷うに違いないが、国民全体から見れば、大した数ではない。それが、現在の財務省の考えだ。移民制度でも導入しない限り、消費者層は先細りと云うわけだから、内需に頼る経済構造は立ち行かないのは自明だ。生活費防衛に、買い控えが出ても、消費税であれば否応なく、最低限の国民の消費は計算出来るので、それを基礎として内需を考える方が賢明だ。

 その代わり、稼ぎ頭が必要なので、大企業を儲けさせる仕組みを作っておき、イザと云う場合には、政策面(法律改正)や行政裁量により、歳入の調整は行える。所得税を上げることは、政権存続の立場から、ガチンコ勝負になってしまい、“政治vs行政”のバトルに及ぶので、財務省の考えに同調する政治勢力であれば、敢えていがみ合う必要は皆無だ。故に消費税が一番、双方に不都合が生じない税となる。勿論、国民には痛みだが、弱者ぶっているに過ぎないのだから、痛みを多少与えても、死ぬ心配はない、と霞が関側は考えている。

 まぁこんな風に、財務省を中心とする官僚らが考えている可能性は非常に高い。霞が関は、自分らの離れに用意されている“すき焼き”の材料を差し出す気持などさらさらないのが現実だ。その為に、青春を擲って勉学に励み立身出世のエリートの道を選んだのである。今さら、キリギリスのように飽食と贅沢を謳歌した国民に、情けをかける謂われは何処にも存在しない。今や、ウッカリしたら、世界金融のマネーに国家が乗っ取られるようなグローバル経済と金融資本主義が世界の主流である。このシステムが行き詰まりを見せているのも事実だが、世界の既存勢力の殆どが、現在のシステムの存続が望ましいと思っている以上、日本だけで、この流れに逆らうなどもっての外である。まして、アメリカ様の望みでもあるわけだから、日本だけが逆張りするようなことは、厳に慎まなければならない。

 安倍自民党が、国家や地方の資産やインフラを民間に転売するような発言が増えているのは、口うるさい連中の口を封じるためには、公共性の強い資産やインフラを、市場原理主義のグローバルマネーに手渡してしまうことだ。麻生の水道システムの民営化などは、この流れの中で、当然のような発言なのである。橋下の公立学校の民営化構想なども、麻生の発言と同種のものである。連合が偉そうなことが言えなくなった背景には、小うるさいことばかり要求する官公労であれば、官公労の現業部分を民営化してしまえば、傘下の組合員が存在しなくなるので、八方丸くおさまると云う発想だ。

 霞が関官僚の抵抗も、公共と言われる類がすべて民営化された時には、彼らの権益享受者の数も劇的に減少し、それこそ絵にかいたような、一握りのエリート集団が残されるのだろう。実はこのような現象は、既にアメリカでは起きつつある。債務上限問題で、オバマと議会が茶番を繰り返しているのも、この流れの中にあるのだろう。中国資金に、基幹産業の企業や米国の土地が買い占められているわけだし、公共財も民間の手に渡り、その企業の株式が他国資金に買われれば、アメリカと云う国は、最終的には手足を売り払ったダルマ状態になると云うことだ。覇権国家でさえ、この有様なのだから、我が国が国際金融の前に、民営化と云う美名のもとに差し出されたら、ダルマになるのはアメリカより先かもしれない。

 まだアメリカには軍事力や外交力があるので、強権発動で民営化した部分を買い戻すような行動も可能だが、我が国の場合、TPPに加盟することで、国内の強権発動能力を持たず、空洞化した国の見た目を取り繕うだけになるやもしれない。スッカラカンになった国家では、何の魅力もなくなるので、いずれハイエナのような国際金融勢力も、食い尽せば、いなくなると云う考えもないわけではない()50年も待てば、取られるものがなくなるかもしれない。

 さて、その辺はさておき、世界が上述したような“マネー”のパワーゲームに、米国政府さえ傅く流れが、金融に支配されたグローバル経済の実体である。EUはこの点を怖れて、ユーロ圏と云う囲い込みで逃げ切ろうとしている。中国も、金の保有を着々と増やし、ドルの信認が壊れる日のための準備に余念がない。国家や国民に富がそれ程なければ、“マネー”という怪物も涎を流さないと云うことだ。実は筆者は、小沢一郎に、このような点に関する観察眼を持って貰いたいと思っている。無論、小沢一郎が、そんな考えに至るとは思ってもいないが、その位の“政治哲学”を持たない限り、矮小化された政治の課題に翻弄され、虻蜂取らずになるようで仕方がない。

 たしかに、政治課題は驚くほど沢山ある。原発及びエネルギー政策、TPP、憲法解釈、憲法改正、財政問題と税体系、文化的生活を保証する権利、日米同盟の見直し、若い人々の雇用機会の問題、中露韓との外交防衛、ASEAN等アジア諸国との外交防衛等々なのだが、このように個別具体的法案や政策を擦り合わせて、野党共闘を組みと云う考えがあるようだが、あまりにも多岐にわたり、是々非々が繰り返され、四分五裂になるのは目に見えている。このような具体的政策等の擦り合わせで、「オリーブの木」のようなものは出来ないだろう。もっと包括的に俯瞰した哲学的な見識で、21世紀の日本の国家像を語る方がベターだと思う。

 小沢一郎自身が「3年後が、僕の最後の戦場」的な発言をしていたが、それで良いのだと思う。小沢一郎は最低でも“政権交代”と云う夢を見させたわけだから、それだけでも凄い政治家だと断言できる。既存勢力のオールキャストを相手に、一人闘っているのだから、それだけでも小沢一郎の価値が推し量れる。小沢一郎の感性と“政治哲学”との相性が良いとは思わないのだが、そのような見識を抜きにして、政治家人生の最後を、2大政党の議会制民主主義の構築に捧げるのも悪くはないが、失礼を承知で言えば、もう一つ殻を破き、達観した“政治哲学”を語って貰いたい。

 その方向性が、出来る事なら、本来の資本主義ではなくなった“金融資本主義”からの決別と、日本独自の内向きだが、日本らしい縄文的DNAのエッセンスを含む、100年後の日本像を国民に示して貰いたい。筆者の場合、内向き経済の方が、金融資本主義の経済に翻弄されるよりも、国家の資産や国民の現預金には優しい経済国家を成立させられると考えているが、そこまでを望むつもりはない。ただ、アメリカに追随して、アメリカ社会同様に、“マネー”の奴隷になるのは、御免蒙りたい。マネーの貪欲さは、マネーをマネジメントしている人間たちにも制御出来ない怪物であり、世界は何処かの時点で、“マネー”から脱却しないことには、人間でさえなくなる。(今後の小沢一郎4に続く)

 
20131022世相を斬る あいば達也より転載
 
小沢一郎は、前原誠司口先民主党代表時代の「堀江ガセメール事件」でボロ雑巾のようになった民主党を立て直すべく代表選に立候補した時、代表選演説で映画『山猫』の中に出てくるサリーナ公爵の言葉を借りて 最後に、私はいま、青年時代に見た映画『山猫』のクライマックスの台詞を思い出しております。イタリア統一革命に身を投じた甥を支援している名門の公爵に、ある人が「あなたのような方がなぜ革命軍を支援するのですか」とたずねました。バート・ランカスターの演じる老貴族は静かに答えます。「変わらずに生き残るためには、自ら変わらなければならない。英語で言うと We must change to remain the same. ということなんだそうです。」確かに、人類の歴史上、長期にわたって生き残った国は、例外なく自己改革の努力を続けました。そうなのだと思います。よりよい明日のために、かけがえのない子供たちのために、私自身を、そして民主党を改革しなければならないのです。と立候補の際語っている。
 
筆者も遅ればせながら7年ほど前に『山猫』を観た。筆者自身はヨコシマナ心の持ち主なので、クライディア・カルディナーレの野性味あふれた目の強さにひたすら惹かれたが、あまりに長過ぎる長編映画に閉口した()。記憶には変わらずに生き残るためには、自ら変わらなければならない。と云う言葉があったとは思わなかったが、劇場映画としては、あまりに長いので英語版では、驚くほど短縮されたものになっている。アチコチ調べてみると、オリジナルは全てが以前のままであるためには、少々の変化は受け入れねばならぬ。と少々無味簡素なセリフになっているのだが、あくまで英語版では、小沢の引用の通りなので、間違いでもないし、オリジナルよりも含蓄のあるセリフに代わっているとも言えるだろう。
 
2010年の菅との代表選の折にも、小沢は何度か、この言い回しを引用していた。いつどこでまでは記憶に残っていない。まぁそれは別にして、『日本改造計画』時の世の中と、09年時の世の中と、2013年の世の中は、あきらかに激変しているのだから、変わらずに生き残るためには、自ら変わらなければならない。は小沢一郎にとって、自への苦言のように、座右の銘とは別な抽斗に入れて常備しているのだろう。小沢一郎はぶれないと云う評価も、日本に議会制民主主義を定着させたいと云う、政治家の執着を感じるのだが、当初は、それなりに権威的に振舞っていた事実もあるだろう。必ずしも、弱者の味方とか、官僚組織を敵に回すとか、大きな政府を維持し、福祉に手厚い政策を実行しようとしていたわけではない。この辺は、あきらかに変わらずに生き残るためには、自ら変わらなければならない。を実践している。
 
拙コラムを引用すると『日本改造計画』では、新自由主義的な経済改革、自由貿易の推進、地方分権の推進、規制緩和・撤廃、軍事も含めた国連中心主義国際貢献と其れに基づく日米同盟、政権交代のある二大政党制を可能とする政治改革(小選挙区制導入)、などが提唱されている。最後に、このような日本を作り上げるには、国民の自立を前提とする民主主義の確立であり、「改革には常に痛みが伴う」(小泉純一郎がパクる)と断じている。と云う事であり、グローバル経済と自由主義から、日本だけが逃げ切れるとは思っていない面が強調されている。
 
これは筆者の稚拙な想像なのだが、『日本改造計画』が日本の21世紀に向かう政治の羅針盤(方向性示唆)であったとして、当時と現在は隔世の感があるわけで、『続・日本改造計画』の出版の必要性は、筆者は口が酸っぱくなるほど望んでいるのだが、小沢一郎の耳に届かないのか、世界情勢を含む日本の政治課題が、あまりの目まぐるしい変化している今日この頃だけに、今日変えて、明日また変わるような、朝令暮改的言説を語らなければならないジレンマで、加筆変更が繰り返され、出版に至らないのか、その辺のことは詳細には判らない。たしか、大元の原稿は執筆済みと耳に入っているのだが。
 
ただ、上述のように稚拙な想像として考えた場合、『日本改造計画』で語られた主張が、その後の政権に一部だけつまみ食いされ、パクられたことでウンザリ感が小沢を襲っているような気がしてならない。その後の政権が、小沢の『日本改造計画』で語ったような方向に、系統立ってつまみ食いされ、パクられるのならいざ知らず、個々の政権が単なるいいとこ取りで政策を実行されたのでは、すべてが政策として実行されたとしても、意味を持たないだろう。逆に、意味を持たないどころか、副作用だけが目立つ結果になっている。『日本改造計画』で主張したような事を、小泉や安倍が、しゃかりきに実行しているとなると、自民党や官僚組織の国民不在政治のバイブルになっている皮肉な現象まで見られる。
 
新自由主義的な経済政策が、格差の拡大に寄与する事実を知った小沢は、『小沢主義(オザワイズム) 志を持て、日本人』において、新自由主義経済の重大な欠点を補う方法論を考え、09年マニュフェストにおいては、官僚組織に中間搾取されない、国民への直接給付策を導入した。一種のバラマキには違いないが、高校無償化政策などは、安倍ファシズム政権においても、アンタッチャブル政策として、世間に定着した。もしかすると、TPPの強引な導入により、死者も出そうな農林酪農漁業者への、直接給付は真似られるかもしれない。勿論、 小沢にしてみれば本末転倒なパクリだが、強く非難するのも難しそうだ。
 
小沢が『日本改造計画』時に考えていた新自由主義に基づく、グーバル経済とは、所謂、旧来の民主主義や資本主義が機能する前提に立っていた。おそらく小沢の頭の中では、国民主権が、既に英国でも、米国でも、欧州諸国でも、民主主義国家では、一定の範囲で定着していると云う錯覚があったような気がする。隣の芝生は綺麗にみえるものである。『日本改造計画』には、主権者国民の権利や、最低限の文化的生活は確立されたような部分が、各国にあったのである。つまりは、再配分機能が、最低限の範囲では、有効に作用するものと錯覚する程度に定着していた。
 
この世界を一変させたのが、マネーと云う怪物の存在である。それまでは資本家と労働者と云う、搾取の構図が、人間の営みを通して捉えることが可能だったので、実物の経済サイクルが生きていたので、急激な変化は起きない構造になっていた。ところが、強欲なマネーは先進国の生活文化は衣食住の殆どを満足させるに至っていたので、成長は自ずと縮小するジレンマに襲われていた。実体的企業の資本家も、そこで働く労働者も、実はそれでも充分満足できる生活を享受していたのだ。その内、発展途上国や後進国が追いついてくれば、市場規模も拡大するわけで、その分先進諸国も成長できると考えていた。ところが、この無機質な、人間性を持ちえないマネーと云う代物は、そのようなまどろっこしい利益の還元に耐えられる人間らしさは兼ね備えていないものだ。
 
つまり、無機質とも取れる金融資本主義にアメリカを中心とする金融勢力・ウォール街が、国家財政を凌駕するような勢力に、国家と国民の生き血をすって肥大化し、今やアメリカ連邦政府さえ配下におくような事態は、修正した『小沢主義(オザワイズム) 志を持て、日本人』の修正を持ってしても、傷口を塞ぐことは出来なかった。今の金融資本主義と云う実体を、小沢一郎は、あらためて検証する必要があるのだろう。真っ当な自由貿易で、汗水流し、より良いものを作れば、正当な配当が得られるような、人間性豊かな資本主義ではなくなったことを、認めるスタンスが必要なのだと思う。
 
現在のような政治の流れの中で、反原発、反TPP、消費増税反対、雇用の安定化などを旗印にしても、野党の一本化は図れないだろう。逆に、いつまでも並行線を辿る野党の烏合の群れが、夫々に小さな声で、与党に文句を言う破目になるだろう。山高ければ谷深し”“沈み込んで再浮上する。それこそ、金融資本主義や、マネーが国家や国民を支配する構図、TPPにせよ、エネルギー問題にせよ、財政問題にせよ、残念ながら一般市民社会は、どん底の、その底を実感しない限り、騙されたと気づかないものだし、気づいてもなお、騙されてなんかいない、と強弁するが如くである。 

結婚詐欺に遭った人々、マルチ商法に騙された人々、そう云う人々は、それでも、相手の顔が変わったり、扱う商品が変わることで、同じような罠に嵌るものである。小沢一郎が、野党結集の音頭取りをすることは、小沢が言っているように、マスメディアや既得権益勢力から総攻撃を受けるのは目に見えているので、今度こそ本当の意味で黒子に徹したまとめ役を演じて貰いたい。ただ、現実を見る限り、一政策への対応でも四分五裂している野党勢力なのだから、ここに四つ、五つの政策を引き込んでしまえば、まとめようはなくなるだろう。現状の安倍政権の周りには、すべての既得権益勢力が屯している情勢なのだから、政治哲学者になったつもりで、マネーという魔物に対峙できる政治思想を今一度創造して貰いたいものである。ドイツの脱原発への決定プロセスは、その創造をサジェストしている。 (*今後の小沢一郎(3)に続く)
 

今後の小沢一郎(1) 『日本改造計画』は、日本の政治家に示した政治の羅針盤 

 

20131021世相を斬る あいば達也より転載

 

ビデオニュース・ドットコムの神保哲生・宮台真司による、小沢一郎インタビュー及び神保・宮台の事後分析コメンタリーは、合計で2時間半に及ぶもので、時間がないことには、聞くこと自体相当大変だった。宮台の政局リソースには、民主党オリジナルに関与した新党さきがけ系譜の人材、高野孟や菅直人、福山哲郎などのソースの多くにバイアスが混在しているため、話を鵜呑みにするわけには行かない。しかし、神保・宮台二人とも、それなりの見識は有しているので、気がつかなかった角度で小沢一郎を考えるチャンスを提供してくれた。

 

小沢支持者の中には、ビデオニュース・ドットコムの初期からの視聴者が数多くいたようだが、2010年の民主党代表選におけるvs小沢による、民主党代表選に関して、高野宮台らが番組内で菅支持を打ち出したため、あの代表選が民主党を無力な政権に貶めた要因のすべてと思い込む人々からは、「あの時の、菅支持がすべてを台無しにした。お前たちは、その責任をどう取るつもりだ」等々のクレームが、今でも恨めしさを含め、ビデオニュース・ドットコムに寄せられているようだ。この辺は、馬鹿馬鹿しい、噴き上がり支持者の坊主憎けりゃ、袈裟まで憎いなのだが、小沢支持者の民度が窺えるというより、日本人の民度自体を窺わせる事実である。

 

此の民度の低さは、ビデオニュース・ドットコムや小沢一郎だけが被害者なわけではなく、今をときめくアベノミクスで売り出し中の安倍晋三の支持者においても然りである。第一次安倍内閣で靖国訪問を行えなかった事実を、ことある毎に安倍は「痛恨の極み」と繰り返し語っている。この言葉に心情的に嘘はないだろうが、米国から強烈な「行くな!」と云う楔を刺されている以上、どれほど一部の支持者の関心を引く為とは雖も、年内には必ず行くなど、噴き上がり右翼的支持者へのリップサービスをせざるを得ないわけである。行こうが行くまいが、そんなに日本にとって、どうでも良いことだが、噴き上がる支持者には、こう云うことで興奮してしまう人々が、結構多くいると云うのが、日本社会の現実だ。

 

極めて一面的思考経路しか持ち合わせず、暇と時間を埋め合わせる為の、為にする支持と云う、ティーパーティー的輩は、五月の蠅的存在である。そこに、大多数のマスメディア情報鵜呑み族が加わって、有権者の半数以上を占めるのだから、論理的乃至は理論的思考や議論が、感情のフックに掛かってしまい、相手に対する人格論にまで至る、日本人の民度は民主主義において最も必要とされる、共同体の熟議とか、コンセンサス形成過程を阻害するので、デモクラシーの原理が成立しない。故に、山本七平「空気」の研究と云う著書が生まれるわけである。

 
小沢一郎が辣腕、剛腕の評価(非難中傷?)を得た源泉も、この日本人のディベートによって、感情のフックが起動し、人格的対立に直結してしまう日本人の論理的思考不能な民族性に、常に苦しめられた政治史が、彼の後ろには、累々と足跡を残している。しかし、筆者はビデオニュース・ドットコムにおける、小沢一郎、神保哲生、宮台真司の三人の話から、あぁそう言われれば、そう云うことにもなるなと気づいた点がある。それは、宮台が「小沢さんのアイディアは、小泉がパクリ……」と云う部分からの類推から気づいた事である。この筆者の気づきが、小沢支持者には嬉しくない面もあるだろうが、他人の考えを聞く態勢で聞いて頂こう()
 

1993年に刊行された小沢一郎の著書『日本改造計画』は、英語・中国語にも翻訳され、日本の最も注目すべき政治リーダーの戦後日本のイメージを間近に世界中が理解する機会を与えた。日本の政治家が自分の政策や国家ビジョンを書物にする、日本初の書物であり、その後多くの政治家が、小沢の本を真似て(パクリ)、政治家出版ブームが起きた。しかし、他の政治家のビジョン本は販売数で、『日本改造計画』の足元にも及ばず、愚作であったことは言うまでもない。その辺のエピソードはさておき、『日本改造計画』の内容を見てみよう。

 

『日本改造計画』は小沢が自民党を離党して、新生党を立ち上げ、細川連立内閣が成立するという政治の激動期に書かれたものだから、当時でも70万部以上が売れ、おそらく現時点で100万部以上のミリオンセラー政治本になっている。この『日本改造計画』は、新自由主義的な経済改革、自由貿易の推進、地方分権の推進、規制緩和・撤廃、軍事も含めた国連中心主義国際貢献と其れに基づく日米同盟、政権交代のある二大政党制を可能とする政治改革(小選挙区制導入)、などが提唱されている。最後に、このような日本を作り上げるには、国民の自立を前提とする民主主義の確立であり、「改革には常に痛みが伴う」(小泉純一郎がパクる)と断じている。或る意味で、小沢が温室培養の地位にあった自民党を飛び出した目的でもあり、21世紀に向かって日本は斯くあるべしと云う壮大なロマンを含んでいた。

 

当時のやり手官僚やジャーナリストの意見なども取り入れ、日本の統治システムの問題点や改革すべきことを考慮に入れながら、21世紀の日本の理想的日本の姿を思い描いていた。読者としては、21世紀の日本の姿を思い描いていたレベルで読めるのだが、小沢一郎は、そのビジョンを現実の永田町で、生身を晒しながら、その実現に奔走しようとしたのである。『日本改造計画』は21世紀の日本政治を先取りしたものなので、そこに書かれたいることは、一定の範囲で予測可能なものであったし、且つ、その処方箋も限られていたので、その後政権を握った小泉政権に始まり、鳩山、菅、野田、安倍政権により、盗み食いのように、パクられ続けられることになる。

 

或る意味で、このようなパクリ現象は必然的に起きた傾向もあるが、1993年当時における政治家として、その予見能力は卓越していた事実を否定する事にはならない。その後、パクリ現象に悩まされた所為かどうか判らないが、2006年に『小沢主義(オザワイズム) 志を持て、日本人』を出版している。この中で注目すべきは、日本は官僚社会主義の統治システムを基盤にしたまま、自由経済・市場開放を行おうとしているために、「格差社会」を生みだすリスクを抱えたと考え、「小さな政府」から「大きな政府」の中間に位置する「中規模の政府」的イメージを持ったようである。この辺は、当時の社民党と云う政党のことも考慮に入れたいたかもしれない。

 
「今後の小沢一郎(2)」を連続で書けるかどうか判らないが、続き、と云うことで本日の「今後の小沢一郎(1)」とする。『日本改造計画』執筆から20年が経過し、当然日本を取巻く環境は激変しているわけだし、アメリカの覇権機能に確実に翳りが見られることや、世界的に起きている、各国政府の財政危機や未曾有の大震災・原発事故の収束主導体など、『小沢主義(オザワイズム) 志を持て、日本人』の手直しでは追いつかない喫緊の課題が、日本列島を連続的に襲ってくる台風同様に押し寄せている。出来得れば、このコラムを読んでいる方々も、『日本改造計画』、『小沢主義(オザワイズム) 志を持て、日本人』等々を購読の上、その著書を叩き台に、其々が自分の「日本の進むべき道」をイメージしてみることは、非常に大切なことだと思う。
 
 

政府はすべてウソをつき国民は簡単にだまされる必ず破綻する歪んだ安倍政治


(日刊ゲンダイ2013/10/22)

景気のいい話が飛び交っている。

都内の一等地に分譲された最高54000万円の億ション22戸が、即日完売したと話題になっている。しかも、購入希望者が殺到し、平均51倍の競争率だったそうだ。株価も再び上昇しはじめている。107日に13853円だった株価は、あれよあれよという間に14693円へと、2週間で840円も値上がりした。証券業界は「年内18000円だ」と沸き立っている。




「株価は5月をピークに足踏みしていました。ところが、2020年東京オリンピックが決まったこともあってジワジワと上がりはじめています。安倍首相が国会で“雇用が増えた”“賃金を上げる”と、アベノミクスの成果を大々的に宣伝していることも大きい。ここ最近、大手メディアの報道も“高級食パンが売れている”など、景気回復を裏付ける記事が目につく。個人投資家は、強気になっています」(大手証券マン)

大新聞には「マンション発売戸数 77%増」「株、相次ぎ今年の高値」「大卒内定3年連続増」と、景気のいい話があふれている。だからだろう。世論調査では、安倍政権の経済政策を「評価する」58%、「評価しない」30%と、国民の6割がアベノミクスを支持している状況だ。

60年前と変わらない国民性

しかし、本当に景気は回復しているのか、この先、好景気になるのか、疑問だらけだ。
そもそも、アベノミクスを支持している国民だって、自分の生活は良くなっていないはずだ。「景気回復を実感していない」は、79%に達している。

実際、労働者の「基本給」は、安倍政権がスタートしてから9カ月間、毎月ダウンしている。安倍首相は「有効求人倍率が上向いた」と国会で胸を張っているが、増えたのは非正規雇用だけで、正社員は減っている。雇用も悪化しているのだ。

なのに、なぜ国民はアベノミクスを支持し、期待しているのか。東大教授の石田英敬氏(メディア論)が、「安倍人気」について朝日新聞で面白い分析をしている。

(アベノミクスが)開始されてしまったら否も応もない。失敗させるわけにはいかないから、経済界や経済紙…()…は成功に向けて動くしかありません。アベノミクス効果をうたい、称賛し、人々の景気回復への期待をどんどん膨らませ…()…それが実際に株価上昇という現実をつくり出し、さらなる期待を醸成する〉

〈この「期待の螺旋」の裏側は、「期待をしぼませるようなネガティブなことは言ってはいけない」という「沈黙の螺旋」で出来ています〉

要するに、安倍政権と大手メディアが結託し、都合の悪い事実には口をつぐみ、アベノミクスの成果だけを煽っているというわけだ。
「いまの日本は、戦前と酷似しています」と政治評論家の森田実氏がこう言う。

「戦時中、本土を空襲されても、国民は『勝った、勝った』という大本営発表を疑わず、最後まで『日本は勝つ』と信じ込んでいた。たとえ疑問を持っても、勝って欲しいと期待するしかなかった、ということもあります。いまの日本は、当時とソックリです。政府とメディアが、アベノミクスは成功していると喧伝し、国民は真に受けている」

2020
年の東京五輪が決まったこともあって、「7年間は景気がいいぞ」と、ますますアベノミクスに期待する声が大きくなっている。政府とメディアを簡単に信じてしまう日本人の国民性は、60年前と少しも変わっていない。

◇「資産バブル」だけを引き起こす

デフレ不況に15年間も苦しんできただけに、国民がアベノミクスに期待したい気持ちはよく分かる。しかし、アベノミクスでは景気は回復しない。行き詰まるのは、時間の問題だ。

アベノミクスは、簡単に言えば、カネをジャブジャブにすることでデフレ不況から脱出しようという発想である。

日銀の黒田東彦総裁は、マネーの供給量を2年間で2倍にすると宣言している。
しかし、カネをジャブジャブにしても、一時的な“資産バブル”を引き起こすだけのことだ。

「日銀が大量にバラまくカネが、企業の貸し出しに回れば、景気浮揚につながります。しかし、黒田総裁が“広がりが見られない”と漏らしたように、貸し出しはほとんど増えていない。企業の資金需要がないのです。有り余ったカネは、行き場を失い、株と不動産に流れている。結局、ひと握りの富裕層が“資産バブル”で潤っているだけのこと。労働者の基本給が下がりつづけているのに、億ションが即日完売しているありさまです。しかし、庶民の給料がアップし、GDP6割を占める個人消費が活発にならなければ、ホンモノの景気回復は望めない。実体経済が良くならなければ、資産バブルだって崩壊するだけです」(筑波大名誉教授・小林弥六氏=経済学)

景気を回復させるためには具体的な成長戦略が欠かせない。なのに、安倍首相は打ち出そうともしない。金融緩和だけで景気が回復するわけがないのだ。

◇アベノミクスの失敗は米国が証明

いい加減、国民は目を覚ますべきだ。いつまでもペテンのようなアベノミクスに期待しているようでは、どうにもならない。
金融緩和の限界は、すでにアメリカで証明されている。リーマン・ショックに直撃されたアメリカは、5年前からFRBが大胆な金融緩和をつづけているが、失業率は73%FRBが目標にしている65%から程遠いままだ。いまでは、金融緩和をやめたいのに、やめた時のショックを恐れて「出口戦略」が見つからないジレンマに陥っている。

しかも、安倍首相は、4月から消費税率を8%にアップすることを決めたのだから狂気の沙汰だ。国民生活が一気に苦しくなるのは間違いない。

「消費税率8%は、8兆円の大増税です。国民1人当たり年間5万円、家族4人だと20万円の負担増になる。ニッチもサッチもいかなくなる世帯が続出するでしょう。その一方で、安倍首相は法人税を減税するつもりです。さらに、大企業が収益を上げられるように、いずれは社員のクビを簡単に切れるように法改正する方針でいる。株や土地が値上がりしようが、庶民にアベノミクスの恩恵が行き渡ることはありませんよ」(政治評論家・本澤二郎氏)

庶民が台風や原発、震災に苦しんでいるというのに、社員を酷使してボロ儲けしている企業経営者のなかには、アベノミクスに便乗して、資産バブルで一儲けしようと企んでいる連中も多い。そんな歪んだ経済政策が成功するはずがない。もし、成功したら、この世には神も仏もいないということだ。戦前、大本営発表を信じた結果どうなったか、国民はよく考えるべきだ。

 

衝撃ルポ 福島県沖の魚が産地偽装され食卓に上っている!

 

女性自身 1022


福島県冲では、原発事故の発生直後から、全域で地元の漁が自粛されている。再開のめどはいまも立っていない。福島を代表する漁港であるいわき市の小名浜港でも、港に帰ってくるのは、はるばる北海道の沖合でサンマを捕ってくる大型漁船だけだ。
 
ところが、この誰も捕っていないはずの福島県沖の魚が、消費者が気付かないうちに、市場に出回って、食卓に上っているという。いったい、どういうカラクリで福島県産の魚が水揚げされ、私たちの食卓に上るというのか。
 
取材を進めると、福島県のある水産加工業者が、絶対匿名を条件に打ち明けてくれた。「福島県では、漁ができない。だから魚を買い付けて売りさばく、仲買の仕事もできない。そこで、福島の卸業者は県境を越えて、茨城の漁港までいって、そこに水揚げされる魚を競り落として商売にしている」
 
通常、仲買人や地元の直売店が魚を競り落とすと、その場で箱詰めして発送したり、そのまま店頭に並べたりする。ところがーー。「一部の業者は、その魚を福島の港まで運ぶ。そして、そこで箱詰めの作業をする。ところが、その箱詰めが問題なんだ……
 
このとき、魚が箱詰めされる発泡スチロールには、あらかじめ「○○産」などと金型で彫り込まれていたり、印字が施されていたりするという。本来の産地とは違った地名が書かれたそうした箱をわざわざ用意しておくのだ。

 

「そこに茨城から買ってきた魚を詰めちまう。箱には○○産とあるから、出荷された先ではわからない……」 これは明らかな"産地偽装"だ。こうしたことは、少なくとも昨年の秋口から行われ、この業者と直接取引のある東京や神奈川のスーパーや小売店に出荷されていったという。そしてもうひとつ、ここに重大な疑惑が絡んでくる。前出の水産加工関係者が続ける。

 

「漁船がいったん沖に出ていけば、どこの魚を獲っているかは、わかったものじゃない。県境を越えて、福島沖で獲ったものを水揚げしていてもわかんねぇんだ」 つまり、原発事故による汚染で漁を自粛に追い込まれている場所に、他県の船が入り、魚を捕っている、その可能性も否定できない、というのだ。だが、そんなことが本当にあるのかーー。

 

「ああ、こっちにも入って来ているよ」 操業自粛に追い込まれている福島の漁業関係者を取材すると、そうあっさり認めた。現地を歩くと、福島をはじめ近隣の漁業関係者、水産加工関係者の窮状は筆舌に尽くし難いものがある。だからといって、消費者の信頼を根底から欺く、漁場や産地の偽装を決して許してはならない。だが、そうせざるを得ないような状況に追い込んだ、福島第一原発の事故と、いまだに事故処理の進まない現状にこそ、消費者の健康をむしばむ元凶があることを忘れてはならない。

 

文/青沼陽一郎(ノンフィクション作家)
 

 
田中龍作ジャーナルより転載
 

新潟報告泉田知事 「田中委員長、公開質問します」
2013
1018 

 

原発再稼働の大前提となる原子力規制委員会の安全審査は、原子炉設備に偏り、「住民避難」は二の次となっている。これに疑問を唱える新潟県の泉田裕彦知事が16日、インターネット中継を通じて原子力規制委員会の田中俊一委員長に公開質問した。
 

泉田知事は自らが経験した中越沖地震と福島原発事故を教訓に、住民の安全が確保されないとして規制庁がまとめた「原子力災害対策指針」を批判してきた。 原子力規制委員会が発足した翌月の昨年1029日に、泉田知事は1回目の質問状を送付した。最初の規制委員会の回答は今年2月に届いたが、わずか2ページ(内容は1ページ)の薄い内容のものだった。
 
422日、池田克彦原子力規制庁長官に会った時、泉田知事は再度、田中委員長への質問状を渡し田中委員長との面談を求めた。回答は7月末に届き、今度は4ページに増えていた。しかしまだ内容が不十分と考える知事は委員長との面談を毎月のように申し入れているが、一向に実現する気配はない。
 田中委員長は「他の自治体の首長が納得しているなか、かなり個性的な発言をしている」と述べ、面会するつもりがないことを強調している。
 
個性的なの部分は原発推進勢力が泉田変人説を流布するのに利用している。 こうした経緯を踏まえ筆者は16日、新潟県庁で開かれたメディア懇談会で泉田知事に質問した。「田中委員長に公開質問状を出すとかIWJの画面を通じで公開質問するとかのお考えはないのですか?」と。
 
泉田知事は「今やりましょうか?」とやる気満々で応じ、次のように公開質問した「田中委員長、ぜひですね、設備の基準を、運用する側の観点で審査するのか。住民の被曝を避けるという観点で審査されるのか。どちらか、まずお答え頂けないでしょうか?ここ重要な所だと思うんです」。
 
筆者「ハードに偏ってますからね」。
 
泉田知事「断層を分析する班と設備班しかないんですよ。それでどう住民の安全を守るつもりなのか、ぜひご説明頂きたい」。田中委員長はひょうひょうとしていて柔和な感じだが、頑として泉田知事に会おうとしない。
 
 泉田知事は設備の安全審査についても疑問を投げかけた「世界はメルトダウン事故があると考えて対策を講じているのに、日本はメルトダウン事故が起きないという形でやる。これでは世界の基準に合わせますの答えになっていない(田中委員長は世界一厳しい規制基準と豪語している)」。
 
メルトダウンは起きませんよというのは第二の安全神話である、と泉田氏は指摘したうえで、次のように話した 「メルトダウン事故が起きた時にどう対応するか?ヨーロッパではコアキャッチャー()だし、アメリカは(軍の)冷却部隊ということになっている。日本は両方やらないことになっている」。
 
住民の避難対策はまともに検討されず、メルトダウンはしないことが前提。第二の安全神話を作り出そうとしている原子力規制委員会に異を唱えるのは、3.11以降、原発を抱える自治体の長であれば当然のことだ。
 
泉田知事に会おうとしない田中委員長こそ、世界標準から見た場合個性的なのではないだろうか。
 

山本太郎氏、オリンピックよりは「お金使うべきは原発収束」 

 
2013/10/20かっちの言い分より転載 

 

日本の国として、東北地方の復興、福島原発の処理など、緊急にやるべきことがたくさんあるなか、東京オリンピック招致のため100億円以上掛けて、一国の総理が世界に向かって「汚染水は完全ブロックしている」と大嘘を言ってまで招致するという愚挙は許せないと思っていた。

 

東京オリンピックを招致する理由は、スポーツの祭典というよりは、前回東京都が施設を建てようとした土地を野ざらしに出来ないという理由と、この際環状道路、国立競技場等の整備という理由の方が大きいと思っている。道路だけで6000億円程度が投資されるという。国立競技場の改修に業者は3000億円という値を出してきた。正に利権オリンピックである。スポーツ選手も東京でやらなくても、他国でやる分には自分の活躍の場を奪われる訳ではない。

 

その中で、ただ一人五輪決議に反対したのは、以下のように山本太郎氏という。ただ一人というのがすごい。使うべきは、「原発収束」という。その通りと思う。
安倍首相を含めて、政府は、原発の現状をまだ高を括っていると考えている。タンクに汚染水を貯めて、まだ高々1、2年前後でこれだけの事故が発生している。廃炉処理は一声100年単位で掛る。このブログで何度も書いているが、製造物の事故の頻度というのは、必ずピークが出て来るものである。つまり、今時々起きている汚染水漏れは初期の現象(頻度)で、その内、頻度の最大ピークが現れてくる。これは、工業界で製品を作っているメーカーの人ならだれでも知っている常識である。

 

だから、自動車会社のメーカーは、車に何か欠陥品は発生すると、早々にリコールを掛けて、全部品を交換する。汚染水タンクも、同じ製造方法、同じ材質で作られているなら、前記のリコールと同じことをしない限り、同じような事故のピークが出て来るということである。

 

安倍首相は福島の漁港で汚染されていないと試食していたが、福島の人達には申し訳ないが、大嘘つきの安倍首相がそんなパフォーマンスをする程、逆効果と言っておきたい。大嘘つきの首相を誰も信じない!


「お金使うべきは原発収束」 山本太郎氏 ただ一人五輪決議反対
http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2013101902000122.html

 二〇二〇年の東京五輪とパラリンピックの成功に向けて政府に努力を求めた国会決議の採決で、衆参両院議員のうちただ一人反対した無所属の山本太郎参院議員(東京選挙区)が十八日、本紙の取材に「うそで固められた五輪開催には賛成できない」と語った。
 
山本氏は、国際オリンピック委員会(IOC)総会で「(東京電力福島第一原発の)汚染水は完全にコントロールされている」と訴えた安倍晋三首相の演説内容が事実と異なると批判。「原発事故は収束していない。汚染水問題など、お金を使うべきところに使わず、はりぼての復興のために五輪をやろうとしている。うそまでついて招致したのは罪だ」と主張した。
 
決議への反対については「声を上げる場所は議会しかなかった。党に所属していないからこそ、自分の意思を自由に示すことができた」と語った。

 

安倍の積極的平和主義は米軍追随で理解容易 小沢の自立と共生は難しい 

 

世相を斬る あいば達也より転載 20131019日 

 

安倍首相の臨時国会における「所信表明演説」は、NHK他のマスメディアが国民を勘違い情報に導き、プロパガンダ報道が着実に定着したものを拾いだして羅列、演説文に作り上げていた。全体に流れている精神は、プロパガンダ報道で定着に成功し、国民の多くが都合のいい勘違いをしている事項を掻き集めて、所信に替えて語っていた。全体としては、マスメディアが既に報道し、誤誘導の効果が出ているものを主体に構成しているので、印象的には間違いだらけの所信には思えないのが味噌である。

 

ただ、旗色が必ずしも明確になっていない項目は、オマケで語っているだけで、時にはスルした重要項目も存在する。安倍晋三が世界を俯瞰的に駆けずり回ったそうだが、金をバラ撒くシーンは数限りなく目撃したが、世界の首脳たちからアベノミクスが羨望の目で見られた事実は存在しないし、注目なんて浴びていないし、存在感そのものがナッシングされているシーンの方が目立つくらいだ。幾つか具体的数字等も語ったが、都合のいい数字の拾い読みであり、その数字の中身には言及していない。正社員数が減り、派遣等々不安定な有効求人倍率が増えたなどは、典型的レトリックだ。

 
怖ろしいことは、三本の矢への評価をこの道を、迷わずに、進むしかありません。と強調している。もう、今さら後には引けないと云う玉砕に近い心情で、国家を導こうとしているようである。更に、日本は、「もう一度、力強く成長できる」。そして、「世界の中心で、再び活躍することができる」。そうした未来への「希望」が、確実に芽生えています。、と強調し、世界の潮流になりつつある、資本主義の行き詰まりを無視して、20世紀と同じ目標が、21世紀にも通用すると云う、時代錯誤な認識が露呈している。
 

東日本大震災の復興や福島原発問題は、オマケでツケ加えた後、更にアベノミクスの推進を成長戦略の実行で、日本経済が新しい成長の幕開けにしていくと云うのだが、20世紀的経済概念で、アメリカ経済を模範とした言い草を聞いていると、こりゃ酷いことになりそうだと、チョッと考えれば判る話を、恥じらいもなく、朗々と語るのだから、安倍晋三は只者ではない()。今さら、経済で世界一とか云う言葉を口にすること自体憚られる時代において、考えたら、そうなると云うのだから凄い。そして、この道を、迷わずに、進むしかありません。となるのだから、小沢一郎でなくとも、怖い話だ。

 

時代錯誤の成長戦略の披露に長々演説の主体を置き、旗色が未だ鮮明ではない「社会保障改革と財政再建」は、実行不可能な夢を官僚の文章を借りて語ったに過ぎない。此処でも、聞き捨てならない馬鹿を言っている。明治人たちの「意志の力」に学び、前に進んでいくしかない。明治の日本人にできて、今の私たちにできないはずはありません。要は、その「意志」があるか、ないか。「強い日本」。それをつくるのは、ほかの誰でもありません。私たち自身です。  皆さん、共に、進んでいこうではありませんか。と、如何にも明治維新の脱亜入欧が正しかった認識に立っている。アメリカ式の走狗度合いを深めようとしているだけの馬鹿である。

 

憲法改正や集団的自衛権にも深く言及しないように努めたようである。国際協調主義に基づき、積極的に世界の平和と安定に貢献する国にならねばなりません。「積極的平和主義」こそが、わが国が背負うべき21世紀の看板であると信じます。、この語った意味を充分理解できる人はいるのだろうか?アメリカの覇権的軍事行動が世界の平和に資する行動なのかどうか、日米韓政府以外は認めてはいないだろう。今、米軍の行動への疑念の方が優勢な世界情勢の中で、国連主導ではなく、米国主導の軍隊と行動を共にするのが、「積極的平和主義」だとなると、平和が訪れるどころか、否応なしに日本国内でも、今後テロの脅威は、社会的不安を惹起するだろう。

 

*安倍のこの所信表明に対し、小沢一郎も疑問を投げかけている。朝日は以下のように伝えている。

 

「軍備を拡大するのが強い国なのか」生活・小沢代表

 

小沢一郎・生活の党代表

 臨時国会が召集され安倍晋三首相の所信表明演説があったが、この国をどういう国にしたいのか、ほとんど示されなかった。日本を強い国にしたいと言ったが、彼が一体どういう意味を込めているのか、さっぱり分からない。憲法9条を改正し、軍備を拡大するのが強い国なのか。日本の将来を考えた時、非常に不安なもろさを感じる。
 私はいつも「自立と共生」と言う。自立と、憲法改正してでも強い国家にすることは違う。自立とは、基地問題であれTPPであれ同盟国としてアメリカとしっかり自分の意見を戦わせ、対等の立場でより良い合意を求めることだ。ちょっと異質なものを感じて、心配でならない。私どもは個別の問題を主張しながら、日本のかじ取りがおかしな方向にいかないよう存在感を持って働いていく。 (朝日新聞:沖縄市内での講演で)

 
安倍晋三の場合、自分が何処に向かって走っているのか、おそらく殆ど自覚していないだろう。どのような結果を導くか、すべてが都合よく行った結果しか見ていないのだろう。小沢一郎は「このまま行ったら、日本は悲劇だよ」と云う言葉はまさに正鵠だ。しかし、安倍の演説が判りにくいのは歴然たる事実だとして、小沢一郎が民主主義の必需背景として、個人の「自立」を強調するのだが、この国民夫々の自立と云うものが、現実社会では、不可能と思えるくらい難しい。この事を、小沢一郎に堂々と議論する人間がいないのは寂しいことだ。その補完的意味合いで、共生という言葉がつけ加えられているのだが、この共生も、都会生活者にはピンとこない言葉でもある。筆者は、個人の感性として、小沢一郎が政治家として好きなのだが、今後も、このコラムを通じて、この小沢一郎の「自立と共生」の言葉を考えて行こうと思う。
 
 

 
20131018日 日刊ゲンダイ


<アベノミクス破綻ゴマカす>

 
安倍首相が臨時国会でもう、大ウソだ。16日の代表者質問で、民主党の海江田代表がアベノミクスの核心、賃上げの実効性について尋ねたところ、安倍は自信満々でこう答えたのである。
 
「賃金の状況については、夏季のボーナスは3年ぶりの増加となり、また、今年の春闘について、連合の集計結果によると、ベースアップを行う企業の割合が5年ぶりに2桁になりました」 さて、これを聞いてぶっ飛んだのが連合だ。そんな事実はないからだ。連合の広報担当者が言う。
 
「私どもが出している集計は2013年7月1日時点での春闘の結果をまとめたもので、妥結済み組合5576組合のうち、賃金改善を獲得したのは584組合、10%強であったという数字です。賃金改善は一時金などが含まれていて、ベースアップではありません。ベースアップした組合が2桁になったという資料は出していません」
 
安倍は一時金も含めた賃金上昇をちゃっかり、「ベースアップ」にしたのである。 言うまでもなく、物価上昇2%を掲げているアベノミクスは、賃金が上がらなければ、単なる不況加速策にしかならない。そのため、安倍は経団連など企業トップに事あるごとに「賃上げ」を迫ってきた。で、しぶしぶ、一部企業が一時金、ボーナスで応えたのだが、もちろん、ベースアップはしていない。アベノミクスなんて、一時的なバブルに過ぎないことは彼らが一番、よく知っているからだ。それなのに、国会答弁では「ベースアップ」にしてしまう安倍のズルさ、いい加減さ。いや、ひょっとしたら、「賃上げとベースアップの区別がついていないんじゃないか」(民主党の山井和則衆院議員)なんて声も上がっていた。経済オンチのオツムではあり得るだけに怖くなる。
 
「安倍首相がどういうつもりで言ったのか分かりませんが、極度のゴマカシ、詐欺的答弁だと思いますね。企業は半永久的な人件費増につながるベースアップに応じるわけがないのです。なぜなら、消費増税するからです。成長戦略に中身がなく、それどころか、首切りを加速させるようなメニューが検討されているからです。安倍首相がいくらアベノミクスの成果を強調しても、経営者マインドは冷え込んでいる。それに一時的な賃上げにしたって、応じたのはたった10%で、90%は違う。大手企業の組合が集まっている連合でさえ、こういう状況なんです。アベノミクスの破綻は明らかだと思います」(経済アナリスト・菊池英博氏)
 
詐欺師なのか、バカなのか、安倍の二枚舌は許し難い。
 

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