真実の報道神秘

権力の『おかしな政策』におかしいと報道しない日本で、一人でも『おかしい』と声を上げ、真実を追求して行きます。

2012年03月

「小沢革命」の本番は、これからだ。官僚や米国、財界、マスコミ・・・が恐れた「政権交代」に始まる「小沢革命」は、司法官僚を中心とした旧勢力・・・の、なりふりかまわぬ逆襲によって、一時、頓挫したかに見えたが、 ここにきて、司法官僚たちの自滅と敗北、そして民主党内の反「小沢革命」分子・野田/岡田/前原一派の迷走と失政が明らかになり、いよいよ、かつて文芸評論家・江藤淳も期待した、その「小沢保守革命」の本番が始まると言っていいだろう。

それは小沢無罪か小沢有罪かという裁判の結果論に関係ない。今から振りかえってみると、暴力革命ではなく議会制民主主義を前提にした民主革命である以上、小沢事件や小沢裁判という迂回路も必要だったのかもしれない。換言すれば、小沢裁判そのものが小沢革命の一段階だったのだ。

小沢裁判を通じて、小沢一郎という政治家の本質が、単なる剛腕政治家というイメージだったものが、日本の真の独立に欠かせない国民政治家というイメージとして、多くの国民に認知されたし、それだけ小沢一郎支持者も支援者も増えたのである。さらにこの小沢裁判を通じて、日本の知識人、学者、ジャーナリストの多くが、実は「ポスト植民地主義支配の手先」、つまり「宗主国の奴隷商人に洗脳・買収された、哀れなピエロ」でしかなかったことも、国民の前に暴露されたのである。

さて、谷垣自民党は、哀れにも政治的センスと政治的理念の欠如を曝け出したかのように、日本国民に見捨てられ、支持率急落で青息吐息の野田/岡田/前原グループとの連立政権を妄想して、「小沢を切れ」「そして合流しよう」などと「馬鹿丸出しの増税擁護論演説」を、東北あたりでやっているらしいが、言うまでもなく、「切られる」のはお前だろうとでも言うほかはない。ギロチン台を作ってはみたが、そこに最初に登るのが自分自身だったとは・・・。

今や、政策も理念もなく、「反・国民政党」「反・小沢政党」と化した「野田民主党」も「谷垣自民党」も、ギロチン台の露と消えていくしかあるまい 。いずれにしろ、小沢革命の本番は、これから、始まる。ところで、時あたかも革命前夜のごとく、政変、急を告げるこの時に、長年害毒を垂れ流してきた「マスコミの癌」が、内部告発によって、駆除・摘出されようとしているのも、ヘーゲルの言う「理性の狡知」「歴史の狡知」と言うものだろうか。

二見伸明
3月19日、小沢「強制起訴」裁判は、小沢一郎の「検察が違法不当な捜査を行い、検察審査会を起訴議決へ強力に誘導したことが公判で鮮明になった。私はいかなる点でも罪に問われる理由はない」との最終意見陳述と弁護側の「東京地検特捜部は、小沢元代表がゼネコンから違法な金を受け取ったのではないかとの根拠のない『妄想』を抱いて大規模な捜査を行ったが、収賄の嫌疑を裏付ける証拠を得られず『敗北』した。

本件はその残滓(注:残りかす)である。妄想から始まった事件は実在しない」と、指定弁護士の論告求刑を木端みじんに打ち砕いた強烈な最終弁論で結審した。指定弁護士(検事役)の大室俊三弁護士は最終弁論について「的確な意見と評価できる部分もある」と言わざるを得なかったのである。判決は4月26日である。
 
'09年3月3日の大久保公設秘書逮捕で始まった「小沢裁判」は初めから異常・異様だった。30数億円の国費を投じ、マスコミの露骨で執拗な支援を受けた国策捜査は「大山鳴動してネズミ一匹も出ず」に終わり、業を煮やした登石裁判長が自ら「ネズミ」を捏造したのである(陸山会判決)。今回も、通常の裁判なら当然無罪だが、裁判長が推認判決で「柳の下の2匹目のどじょう」を目論む恐れがないわけではない。
 
小沢裁判は単純な「小沢抹殺」だけを狙ったものではない。「国家権力」は、小沢が20数年間主張し続け、大きな影響力をもっている「国の仕組み、政治の在り方」などの抜本的改革理論そのものを抹殺しようとしているのである。官僚や一部政治家にとって、小沢の存在そのものが不都合なのだ。
 
「中央集権・官僚支配」は明治維新以来、今日まで日本国の根幹であり、国民を支配してきた「国体」そのものである。官僚は経済界のみならずあらゆる分野に天下り、国民や国会、政治家の目に見えないところで、中央官庁の意思の代弁者として暗躍しているマフィアである。かつて、知人の中国人経済学者が私に語ったことがある。「日本は資本主義ではない。天下り役人が官庁の考えや将来の方針を団体・企業に伝え、団体・企業の要望を官庁に伝える会社主義だ。政治家も役人からレクチャーしてもらい、その意を命令のように業界・団体に伝え、選挙の票集めをしている」と。そこには政治家が国民のために政治をしている姿は見えない。民主主義の精神はみじんもない。
 
小沢の「中央集権・官僚支配の打破、地方分権、国民主導・政治主導」は、一例を挙げれば、現行の一般会計予算、特別会計予算、独立法人、特殊法人にメスを入れ、巣食っているシロアリを退治することだ。既成の利権集団や官僚が牙をむき出して襲いかかって来るのは当然だろう。官僚は、「省益」や自己保身ではなく、公僕としての原点に立ち返り、国家国民のために持てる能力を十分に発揮すべき立場であるべきだ。そこに生きがいを感じている優秀な官僚も多い。官僚を使いこなせない政党や政治家は自然消滅することになるだろう。
 
いま、最大の関心事である消費税増税は「官僚支配・官僚主導」の集大成である。25年前、消費税導入をめぐって政府・自民党と野党が激しく対立したときのことである。政府・与党の司令塔は官房副長官・小沢一郎、私は税制特別委員会の野党理事だった。当時、衆議院職員で委員部副部長だった平野貞夫(元参議院議員、政治評論家)から「小沢と徹夜で、本音の議論をしてはどうか」との話があり、権藤恒夫衆議院議員(故人)と私の二人で小沢と文字通り、徹夜で議論をしたことがある。その時、小沢が断言した言葉が忘れられない。
 
彼は「消費税は財政赤字の穴埋めに使ってはいけない。財政が厳しいからといって、安易に消費税を引き上げたら、国がおかしくなる」「シャープ勧告による税制を見直し、所得税、法人税、租税特別措置を抜本的に改革しないで消費税増税をしてはいけない」「増税をする前に予算の無駄遣いをなくすなど抜本的な行財政改革をする必要がある」「不況下では消費税増税をしてはいけない。逆進性の強い税制だから中堅層以下の家計は大打撃を受ける。まず、経済を成長路線に乗せてから消費税を考えるべきだ。さもないと、不況対策として『消費税をゼロにせよ』という意見も出てくるだろう」「消費税は社会保障充実の財源にするほうがいい」等々、消費税増税についての根源的な課題・問題点を語ったのである。

今年2月24日の朝日新聞、3月21日の読売新聞の小沢のインタビューはその延長線上にある。民主党の某議員は私に「全体会議で社会保障のビジョン、行政改革について質問しても、政府も党執行部も満足に答えられない。ただ、ひたすら、増税をお願いします、といっているだけだ」と憤懣やるかたない思いをまくし立てていた。
 
官僚は「予算の組み替え」など行財政改革には本音は反対だ。「まず、消費税増税ありき」のほうが安心していられるのだ。消費税導入時、野田総理は国会議員ではなかった。小沢の「毎日、毎晩、死ぬ思いだった」(読売インタビュー)苦労などまったく分からない。消費税増税の根源的な問題などは知ろうともしないだろう。「増税した後、各種の改革をする」という野田総理の方針は国民を欺く目くらましであり、自民党政権が多用したやり口と同じ「増税喰い逃げ作戦」である。野田は「不退転の決意」さえあれば自由に、いつでも引き上げることが出来ると錯覚しているのだ。
 
太宰治は「厳酷と冷酷とは、すでにその根元において、相違っているものである。厳酷、その奥底には人間の本然の、あたたかい思いやりでいっぱいであるのだが、冷酷は、ちゃちなガラスの器物の如きもので、ここには、いかなる花ひとつ咲きいでず、まるで縁なきものである」と書いている。野田政権が自民党と手を組んで成立させようとしている消費税増税は「冷酷」であり、厳しい小沢の主張は「厳酷」ではないだろうか。
 
ところで、3月15日、ロイター通信は、総理でもなく、野党第一党の党首でもない、民主党によって「座敷牢」に閉じ込められている小沢とのインタビュー記事を世界に配信した。世界のメディアや各界のリーダーたちは、野田総理や谷垣自民党総裁は知らないけれど、小沢の考えやその人となりを知った。'09年3月、大久保公設秘書が逮捕された直後、アメリカの高級週刊誌・タイムは「日本を救うのは誰か」と題する小沢特集をした。ロイターの記事は非常に意味深長である。
 
'09年2月のクリントン米国務長官との会談は、日本のマスコミは通り一遍の、お義理の報道だったが、世界のメディアは注目した。小沢は中国問題について「共産主義と自由経済とは原理的に相容れない。だから、いかにソフトランディングさせるかを、日本もアメリカも考えなくてはいけない」と述べた。今秋の最高権力者の交代をめぐって改革派と「毛沢東の昔に帰れ」と主張する保守派の権力抗争は、政治動乱に発展しかねない危険性を孕んでいる。

まさに小沢の指摘が現実味を帯びてきている。クリントンは小沢について「大変な洞察力」と驚嘆したそうだが、小沢に匹敵する洞察力をもった政治家は、残念だが、日本にはいない。'10年1月、アメリカでの世論調査「世界を動かす政治家」は、1位 胡錦涛、2位 オバマ大統領、そして3位はマスコミのバッシングを連日浴びている民主党幹事長(当時)、小沢一郎だった。
 
守旧派も必死である。彼らは最後の力を振り絞って「小沢を殺し」にかかる。それを阻止するのは、私たちだ。消費税増税を撤回させ、政治を「国民生活が第一」の原点に戻し、民主主義の土台を守るために、私たちもすべての力を振り絞って「小沢無罪」を勝ちとらなければならない。

田中良紹

検察審査会から強制起訴された小沢一郎氏の裁判が結審した。来月26日に判決が言い渡される。裁判の過程で浮き彫りになったのは検察の犯罪的な捜査手法である。検察は思い込みから小沢氏の裏金捜査を始めたが、不都合な証拠は隠し、都合の良い証拠だけをメディアに流して国民に「小沢クロ」の心証を与え、それでも起訴が出来ないと検察審査会に嘘の証拠を示して起訴に導いた。

 証拠を改竄する権力がこの国に存在する事が裁判で明らかにされた。普通の国なら民主主義に対する冒涜だと国民やメディアが騒ぐところである。強制力を持つ捜査機関が暴走する事を民主主義社会は許さない。国民はそのために代表を選んで立法府に送り込み、行政権力や司法権力を監視させるのである。ところがこの国はまるで違う。
 
国民から選ばれた政治家を「巨悪」(ということは国民は巨悪なのだ)、それを摘発する検察を「正義」と考えるマインドコントロールに冒され、国民は民主主義とは真逆の論理を信じ込んでいる。だからこれほどの問題が分かってもメディアは不感症でいられる。証拠改竄をした検察を「民主主義の敵」と言わずに不心得者がいるという程度に非難する。
 
そのくせ小沢氏には「庶民感覚から外れた金銭感覚」とか「道義的責任」とか的外れな批判を欠かさない。そもそも今回の事件で問われている罪は普通の民主主義国なら問題にされない微々たるものである。政治資金収支報告書に間違いがあったとすれば、会計責任者が訂正を求められるだけで、犯罪になどならない。
 
ところが検察は小沢氏がゼネコンから裏金を受け取っていると思い込み、叩けば必ずほこりが出ると信じて捜査を始めた。そして政治資金収支報告書の「期ズレ」が見つかり、それが裏金疑惑につながると思い込んだ。ところが捜査をしても裏金の証拠が出てこない。この2年間、常に追い詰められていたのは検察である。
 
裁判に持ち込めば大恥をかくだけで不起訴にするしかないのだが、「馬鹿メディア」を煽って国民に「小沢=巨悪」を信じ込ませたから、振り上げた拳を下ろせない。そこで素人集団の検察審査会に嘘の証拠を出して起訴させる事にした。無罪になったとしても自分たちの失点にならない方法はそれしかない。ところがその裁判で特捜部の犯罪性が露見したのだからお粗末である。
 
東京地検特捜部が生まれて初めて政界汚職に切り込んだのは1954年の造船疑獄事件である。日本の造船・海運業界が自由党幹事長佐藤栄作氏に贈賄していた事が分かり、特捜部は佐藤氏を逮捕しようとした。ところが犬養法務大臣の指揮権発動に阻まれて涙を飲んだ。それがこれまで語られてきた定説である。
 
ところが真相はまるで逆であった。検察幹部が政治家に頼んで「指揮権発動」をしてもらったのである。最近では複数の検察関係者がその事を認めている。しかし当時の何も知らない国民は「政治が悪」で「検察は被害者」と信じ込んだ。そこから「政治家=巨悪」、「検察=正義」のイメージ作りとマインドコントロールが始まる。
 
真相はこうである。犬養法務大臣は指揮権発動に反対で辞表を出して抵抗した。それを慰留して指揮権発動させたのは緒方竹虎副総理である。緒方氏は国民から「クリーンな政治家」と見られていたが、検察の捜査が拡大すれば自身に及ぶ恐れがあった。またアメリカのCIAが吉田総理に見切りをつけ、緒方氏を後継総理にしようとしていた。そのため緒方氏は法務大臣に指揮権発動をさせて事件の拡大を防ぎ、また国民世論を反発させて吉田政権に打撃を与える必要があった。
 
緒方氏に指揮権発動の知恵をつけたのは検察自身である。検察は疑獄捜査に着手して盛り上がる国民世論に実は困っていた。裁判を維持できる証拠がないため裁判に持ち込めない。そこで事件を担当していた検察幹部が緒方副総理に耳打ちをした。政治の圧力で事件が潰れれば検察は大恥をかかなくて済むどころか国民から同情され、捜査の内実を隠せば政治の世界からも喜ばれる。一石二鳥であった。
 
狙い通りに国民世論は指揮権発動に反発し、犬養法務大臣は辞任、吉田内閣もその年のうちに総辞職した。こうして検察は「巨悪に切り込む正義の味方」を演ずるようになるが、実態はこれも全く違う。緒方副総理に指揮権発動の知恵をつけた検察幹部は検察トップに上り詰め、造船疑獄で被疑者であった佐藤栄作氏と密接な関係を築く。それ以来、特捜部は次々に政界捜査に乗り出すのだが、摘発されるのは佐藤栄作氏のライバルの池田勇人氏や河野一郎氏の派閥の議員ばかりである。つまり佐藤長期政権が可能になったのは、佐藤氏に対する自民党内の脅威を検察が力で取り除いてくれたからであった。
 
特捜捜査の原点はここにある。誕生以来、常に一方の政治勢力と手を組んで自らの地位を守り、政治と裏取引をしながら、国民には「巨悪に挑戦する正義」として振る舞ってきた。それを終始支えてきたのが民主主義の原理を理解する能力のないメディアである。わずかな情報のエサに釣られて簡単に権力の走狗となってきた。そして情けないのは政治家も検察権力に迎合する事が自らを守る第一と考え、数々のでっち上げ捜査に口をつぐんできた。
 
今回の裁判で裁かれるのはそうした日本の体制である。小沢一郎氏が有罪になろうが無罪になろうが問題は終らない。有罪になれば民主主義に対する冒涜を許す日本の司法を徹底的に追及していけば良い。無罪になれば、これまたこれまでの日本の体制を徹底解剖して問題点を除去していかなければならない。来月末に予定される判決は結論ではなく出発点なのである。

陸山会裁判、衝撃の事実
陸山会裁判では、検察の「捜査報告書」が"捏造"されていたという衝撃の事実が判明した。その捜査報告書を作成した元東京地検特捜部の田代政弘検事(44)が1月12日、虚偽有印公文書作成および同行使罪で市民団体に刑事告発された。

田代検事は2010年5月に小沢氏の元秘書、石川知裕衆院議員(38)から事情聴取をした際、捜査報告書に"架空"のやりとりを書き加えていた。捜査報告書によれば、石川氏は田代検事に、

「あなたは11万人以上の選挙民に支持されて国会議員になったんでしょ。(中略)それなのに、ヤクザの手下が親分を守るためにウソをつくのと同じようなことをしたら、選挙民を裏切ることになりますよ」 と説得され、小沢氏の事件への関与を認めたことになっている。しかし、実際にはそんな会話はなかった。

しかも、この虚偽記載には"元ネタ"があったようだ。刑事告発した市民団体「健全な法治国家のために声をあげる市民の会」の八木啓代代表が言う。

「元衆院議員秘書の塩野谷晶さんの著書『実録 政治vs.特捜検察』(文春新書)の中で、石川氏がまったく同じ文言を、同じ特捜部の吉田正喜副部長(当時)から言われたと証言している部分があるのです」

私の場合はむしろ副部長に涙ながらに諭されたことがありました。「あんた、真実を言わないで、(あなたに投票した)11万8千6百55人の有権者に申し訳ないと思わないのか」と。

あれは一番効きましたね。いや効いたっていう意味は、なんで信じてくれないんだろうとショックを受けるわけですよ。だから土下座もしましたよ。「(裏献金の)五千万は断じてもらっていません。もう勘弁してください」って。向こうが涙を流してくるから、こっちは土下座しかないなと思って。

小沢氏の関与を認めるどころか、事実はまったく逆だったわけである。

最大の問題は、この捜査報告書が検察審査会による小沢氏強制起訴の議決に大きな影響を与えていた点だ。当の石川氏が言う。

「供述調書と違い、捜査報告書は聴取を受けた本人ですら見ることができません。問題の報告書が検察審査会の議決に使われていたとすれば非常に遺憾です。何度も取り調べを受けた経験から、田代検事個人の問題とは思えない。どのようにして報告書が作成され、審査会に提出されたのか、徹底的に調査すべきです」

トンデモ論告指定弁護士も白旗揚げた
<無理スジ事件でも引き返せない>

小沢裁判の論告求刑では、検察審査会の“欠陥”が、あらためて浮き彫りになった。そもそも、小沢事件をめぐる検察審は、メンバーの年齢も議決も当初から疑惑まみれだったが、検察官役の指定弁護士もまるでその存在意義を否定したのだ。
 
小沢弁護団は、虚偽の捜査報告書などを判断材料にした検察審の強制起訴議決そのものが無効だとして、公訴棄却を主張している。これに対し、9日、指定弁護士が行った論証が噴飯モノだった。耳を疑うような屁理屈の連発なのである。

「捜査関係者や裁判関係者でも証拠の信用性に関する判断を誤ることはある。いわんや、捜査の専門家でもない一般市民である検察審査員が判断を誤ることは想定内」「裁判所が証拠を総合評価し、判決で無罪を言い渡せば足りる」「仮に、検察官に審査員の判断を誤らせる意図があったとしても、審査手続きの違法とは次元が異なり、議決の効力に影響を及ぼすことはない」。
 
コイツら本当に法律家なのか? 検察が“意図的”にシロウト集団を起訴議決に誘導することを認めている。そのためにウソの説明をしようが、虚偽の捜査資料を出そうが、裁判でシロクロつければナーンも問題ないというのだ。

あまりに乱暴な論理である。これでは、「検察が起訴できないなら検察審でやっちまえ」という司法の暴走を許してしまう。恐ろしいことだ。一般人にとっても他人事ではない。
 
さらに、指定弁護士は「そもそも検察審査会法には、議決が無効となる場合の定めがないから、審査員が判断を誤っても、議決が錯誤によるものであっても無効となることはない」と言ってのけた。こうなると、完全な開き直りである。
 
裁判を傍聴したジャーナリストの江川紹子氏が言う。

「指定弁護士の論告を聞いて、破れかぶれになっているようにも感じました。マトモな論告ができないのは、指定弁護士が無能というより、最初から無理な事件だったということ。本来なら途中で引き返すべきなのに、検察審査会法には議決無効の定めがない。途中でやめる手立てがないのです。小沢さんの裁判では、制度の欠陥が次々と明らかになった。

法の不備は見過ごせません。虚偽の報告書が提出されるといった想定外のことが起きた時のために、少なくとも指定弁護士が公訴を取り下げたり、論告を放棄する権限や手続きについて法に明記しておくべきでしょう」
 
誰もが「この裁判は無意味だ」と感じながら、途中でやめることもできず、小沢もこの国もムダな時間を浪費してきた。こういう不条理を正すのが国会議員の仕事じゃないのか。増税法案なんかより、検察審査会法の見直しが先決だろう。一刻も早く手をつけるべきだ。


NHK: 仮に、それら捜査報告書と供述調書が、ほかの政治家に関するものであり、かつ私がそれを審査する検察審査会の一員だったとしたら、私も「起訴議決」と誤った判断をしていただろうと思うほど、強烈で執拗な工作であります。
加えて、前田元検事が「東京地検では証拠隠しが行われた。検察審査会では全ての証拠を見ていない」と証言したように、検察の「小沢有罪ありき」の見立てに合わない取り調べ結果は供述調書にせず、そのメモさえ審査会に提供しませんでした。

SK: 「仮に、それら捜査報告書と供述調書が他の政治家に関するものであり、かつ私がそれを審査する検察審査員の一員だったとしたら…」
「私も『起訴議決』と誤った判断をしていただろうと思うほど、強烈で執拗な工作であります!」
《自分ですら誤った判断をしただろうと推察する小沢被告。さらに検察批判を強める》

NHK: そのような検察の手法には、司法の支配者然とした傲慢ささえうかがわれます。
事実、東京地検は、本公判開始の9か月も前の昨年1月に、田代検事並びに特捜部副部長による捜査報告書の虚偽記載の事実を把握しておきながら放置、黙認し、指定弁護士にも、裁判所にも私の弁護団にも一切伝えなかったと報道されています。
特に指定弁護士が強制起訴手続きを行う前にその事実を把握していたのに、指定弁護士に知らせなかったのは、言語道断であると思います。

SK:  被告「検察の手法には、司法の支配者然とした傲慢ささえうかがわれます!」
《「傲慢」にアクセントを置き、声を荒げる。力みすぎているのか、胸の前で両手で持った紙の束が震えている》
被告「事実、東京地検は公判開始の9カ月も前の昨年1月に、○○検事ならびに特捜部副部長による捜査報告書の虚偽記載の事実を把握しておきながら放置、黙認し、指定弁護士にも裁判所にも、私の弁護団にも一切伝えなかったと報道されています」
「とくに指定弁護士が強制起訴手続きを行う前に、その事実を把握していたのに指定弁護士に知らせなかったのは、言語同断であると思います」
《そして再び語気を強める》

NHK: 本件は、ただ単に検察が私個人に対して捜査権・公訴権という国家権力を濫用したということではありません。
野党第一党の代表である私を強制捜査することで政権交代を阻止しようとし、政権交代後は与党幹部である私を強制捜査ー強制起訴することで新政権を挫折させようとした、その政治性に本質があります。
検察は、2年間もの長きにわたって、不当・違法な捜査を行い、あまつさえ検察審査会の審査・議決を誘導して、強力に政治への介入を続けました。
それは正に、議会制民主主義を破壊し、国民の主権を冒とく、侵害した暴挙と言うしかありません。
その実態が15回の公判を通じて、具体的事実によって、いよいよ鮮明になったことが、本裁判の一番の意義であると私は思います。

SK:  被告「野党第一党の代表である私を強制捜査することで政権交代を阻止しようとし、政権交代後は与党幹部である私を強制捜査、強制起訴することで新政権を挫折させようとした」
「検察は2年間もの長きにわたって、不当・違法な捜査を行い、強力に政治への介入を続けました」
「それはまさに議会制民主主義を破壊し、国民の主権を冒涜、侵害した暴挙というしかありません」
《そして、検察審査会の起訴議決については、東京地検が捏造した違法不当な供述調書と捜査報告書に基づく「誤った判断」と指摘し、「その正当性が失われたことが明白」として改めて主張する。声は大きいままだ》

NHK: 以上のように、検察審査会の起訴議決は、私を強制起訴させるために東京地検がねつ造した違法不当な供述調書と捜査報告書に基づく誤った判断であり、その正当性が失われたことが明白である以上、私にはいかなる点でも罪に問われる理由はありません。
私は無罪であります。
もちろん本来は、本件控訴は棄却されるべきものであります。
もし、何らかの理由で公訴が棄却されない場合でも、私にはいかなる点でも罪に問われる理由はありません。
政治資金規正法の言う「虚偽記載」に当たる事実はなく、ましてや私が虚偽記載について元秘書と共謀したことは絶対にありません。

SK:  被告「私にはいかなる点でも罪に問われる理由はありません。私は無罪です」 《そしてもう1度繰り返す》
被告「私にはいかなる罪にも問われる理由はありません。政治資金規正法の言う『虚偽記載』に当たる事実はなく、ましてや私が虚偽記載について元秘書と共謀したことは絶対にありません」
《無罪を主張した小沢被告はさらに続ける》

NHK: 東日本大震災からの復興は、丸1年経っても本格化するに至らず、福島第一原子力発電所の事故は依然として収束の目途すら立たず、一方では歴史的円高によって国内産業の基盤が崩れ始め、欧州の金融危機に端を発する世界恐慌の恐れが迫って来ている今、日本の経済・社会の立て直しは一刻の猶予も許されない事態になっています。

SK:  「東日本大震災からの復興は丸1年経っても本格化するに至らず、福島第1原子力発電所の事故は依然として収束の目途すら立たず…」
 《さらに、円高による国内経済の不安、欧州の金融危機による世界恐慌の恐れなど世の中の問題を次々と挙げ、「立て直しは一刻の猶予も許されない」と危機感をあらわにした》

NHK: そのためには、検察・法務官僚による政治のろう断に即刻、終止符を打ち、速やかに政党政治に対する国民の信頼を取り戻して、議会制民主主義を機能させなければなりません。
裁判長はじめ裁判官の皆様におかれましては、見識ある公正なご判断を下されるようお願い申し上げ、私の意見陳述を終えます。
ありがとうございました。

SK:  被告「そのためには、検察、法務官僚による政治の壟断(ろうだん)に即刻終止符を打ち、速やかに政党政治に対する『国民の信頼』を取り戻して、議会制民主主義を機能させねばなりません!」
「裁判長はじめ裁判官の皆様におかれましては、見識ある公正なご判断を下されるようお願い申し上げ、私の意見陳述を終えます」
《小沢被告はこう述べた後、裁判長らに「ありがとうございました」と大声で礼を述べ、深く一礼して席に戻ると、大声を出し声がかれたのか、右手で喉をさすっていた。判決は、4月26日午前10時から言い渡される》

産経とNHKの小沢元代表意見陳述内容の違いにはびっくりするほど違いがあります。これは以前か指摘されていた事ですが、ここまで酷い新聞は日本の中でも産経だけでしょう。

NHKでは田代検事、佐久間部長、齋藤副部長、吉田副部長、木村主任検事、と小沢さんは法廷で得られた証言をもとに具体的に事実を述べているが、産経のまとめだと
SK: 《そして、◯◯検事(法廷では実名)が、石川議員が供述していない事実を捜査報告書に記載し、検察審査会に提出したことについて、批判を連ねる》 とこうなる。”批判”という一言で片づけてしまったために、小沢一郎がが独りよがりな言い訳をしているように読めてしまうようにしています。

それに比べ、NHKのNEWSWEB報道は比較的公正です。第1回小沢裁判公判の冒頭陳述でも、産経はカレル・ヴァン・ウォルフレンの名前はあとかたもないように省略していましたが、NHKは全文として掲載していました。

産経新聞は公判内容においてその即時性や詳細性は評価される面はあるとしても、二重括弧で一方的な背景・意図説明や動作・声のトーンの説明を多く挿入し、また被告側陳述の根拠部分や問題点指摘部分を都合よく省略しているとともに、意図的に内容の取捨選択を行っていることが見て取れる。

西松事件第2回公判報道においても、検察側証人二人が検察側立件理由を否定した陳述内容が無視されていた。 その後、何回かの小沢元代表公判でも同じような傾向がみられたが、今回の小沢元代表最終意見陳述に当たり、改めてその事実をなんとか捻じ曲げようとする報道ぶりを確認してみたい。

以下、NHKの報道を「NHK:」とし、産経の報道を「SK:」と表示して対比した。

NHK:裁判長のお許しをいただき、本裁判の結審に当たり、私の見解を申し上げます。

SK:《小沢被告は着席を断り、立ったまま意見陳述を始める》
被告「裁判長のお許しをいただき、本裁判の結審に当たり、私の見解を申し上げます」
《最終弁論の最中は、険しい表情で体調が悪そうにも見られたが、一転、はっきりとした大きな声で、A4版の紙に書いてきた意見を読み上げる》

NHK:5ヵ月半前、私は指定弁護士による起訴状に対し、次のように申し上げました。
(1)東京地検特捜部による本件強制捜査は、政権交代を目前に、野党第一党の代表である私を政治的・社会的に抹殺することが目的であり、それによって政権交代を阻止するためのものだったと考えられる。
それは、主権者である国民から何の負託も受けていない検察・法務官僚による議会制民主主義の破壊行為であり、国民主権への冒とくである。
(2)指定弁護士の主張は、そのような検察の不当・違法な捜査で得られた供述調書を唯一の証拠にした東京第5検察審査会の誤った判断(起訴議決)に基づいたものにすぎない。
(3)したがって、本裁判は直ちに打ち切るべきであり、百歩譲って裁判を続けるとしても、私が罪に問われる理由はない。
政治資金規正法の言う「虚偽記載」に当たる事実はなく、ましてや私が虚偽記載について共謀したことは断じてない。
(4)今、日本が直面する危機を乗り切るためには、このような国家権力の乱用を止め、政党政治への国民の信頼を取り戻し、真の民主主義を確立する以外に方法がない。
以上の見解は、これまで15回の公判を経て、ますます鮮明になったと思います。

SK: 被告「5カ月前、私は指定弁護士による起訴状に対し、次のように申し上げました」
《そして、初公判で語ったことを再び繰り返し主張する。特捜部の捜査は政権交代を目前に、民主党代表だった自分を政治的・社会的に抹殺することが目的だったこと▽検察による議会制民主主義の破壊行為であること▽罪に問われる理由がないこと-などをとうとうと語り、「これまで15回の公判を経て、ますます鮮明になったと思います」と強調する》

NHK: 以下、その事実を具体的に申し上げます。
もとより「法の下の平等」「推定無罪」「証拠裁判主義」は、法治国家の大原則であります。
ところが、東京地検特捜部の強制捜査は、それらをことごとく無視して、証拠に基づかない不当な推認を積み重ねただけのものでありました。
まず、政治資金規正法の制定以来、本日ただ今に至るまで、政治資金収支報告書に間違いや不適切な記載があっても、実質的犯罪を伴わない限り、検察の言う「虚偽記載」も含めて、例外なくすべて、報告書を修正することで処理されてきました。
それにもかかわらず、私のケースだけを単純な虚偽記載の疑いで強制捜査、立件したことは「法の下の平等」に反する恣意的な法の執行にほかなりません。

SK: 《そして、政治資金規正法の制定以来、これまで政治資金収支報告書に間違いや不適切な記載があった場合、実質的な犯罪を伴わない限り、「検察のいう虚偽記載」を含めて、「例外なく全て、報告書を修正することで処理されてきました」として、検察批判を展開する》

NHK: また、前田元検事がこの法廷で、「取り調べの初日に、木村主任検事から『これは特捜部と小沢の全面戦争だ。小沢を挙げられなかったら特捜部の負けだ』と言われた」と証言したように、「推定無罪」どころか、最初から「有罪ありき」の捜査、立件でした。

SK: 被告「(前田恒彦元検事が法廷で)『これは特捜部と小沢の全面戦争だ。小沢を挙げられなかったら特捜部の負けだ』と言われた、と証言したように、推定無罪どころか、最初から『有罪ありき』の捜査、立件でした」

NHK: さらに、形式的には「証拠裁判主義」にのっとって、私を2度不起訴にしておきながら、その実、違法・不当な捜査で得た供述調書と「小沢有罪ありき」の捜査報告書を東京第5検察審査会に提供することで、同審査会の議決を「起訴議決」へと強力に誘導しました。

SK:「形式的には証拠裁判主義に則って、私を2度不起訴にしておきながら、その実、不当・違法な捜査で得た供述調書と、『小沢有罪ありき』の捜査報告書を、東京第5検察審査会に提出することで、同審査会の議決を『起訴議決』へと強力に誘導しました」

NHK: その動かない証拠が、石川元秘書が虚偽記載を私に報告、了承を得たとの供述を維持したという平成22年5月17日の田代検事作成の調書と捜査報告書であります。
去る2月17日の公判で、裁判長が「検察審査会の再度の議決の判断材料として提供することを予定しながら、違法不当な取り調べを行い、石川に供述を維持させた」「捜査報告書の記載は事実に反する」と指摘されたとおりだと思います。

とりわけ重大な問題だと思うのは、田代検事自身が法廷証言で「捜査報告書は上司に言われて作った。検察審査会に提供される可能性はあると思っていた」と認めたように、石川元秘書が供述していない虚偽の事実を意図的に報告書に記載し、東京地検が、それを検察審査会に提供したことであります。
その悪質さにおいては、厚生労働省元局長村木厚子氏の虚偽公文書作成事件で、前田元検事が証拠を改ざんした事件を上回るのではないかと思います。
そして、その虚偽の供述調書と捜査報告書は、平成22年9月、検察審査会が起訴議決をして、私の強制起訴を決めた最大の証拠とされました。
それは、検察審査会の議決文が石川元秘書の調書を信用できるとした理由について、虚偽の捜査報告書の内容を踏まえて「再捜査で、石川自身が供述を維持した理由を合理的に説明している」と明記していることで明らかであります。

ところが、東京地検特捜部による強力な検察審査会誘導はそれだけにとどまりません。
先に裁判長が田代検事による石川元秘書の違法不当な取り調べについて「個人的なものではなく、組織的なものであったとも疑われる」と指摘され、花崎検事による池田元秘書の取り調べについても、「利益誘導があった」「取り調べメモを廃棄した」と認定されたとおり、当時の佐久間部長、齋藤副部長、吉田副部長、木村主任検事ら特捜部あげての審査への誘導工作だったと考えられます。
実際、東京地検が検察審査会の再審査に提供した、ほかの捜査報告書を見ると「小沢は3回にわたる取り調べでも合理的な説明ができず、不自然な弁解に終始した」「政治資金収支報告書に関する小沢の供述は虚偽である」「小沢の共謀を推認する積極的証拠となり得る」「小沢には本件不記載・虚偽記載の動機があった」等々「小沢有罪ありき」の推認の記述ばかりで、明らかに起訴議決をしないほうがおかしい、強制起訴すれば裁判でも勝てる、と誘導しています。

SK: 《そして、◯◯検事(法廷では実名)が、石川議員が供述していない事実を捜査報告書に記載し、検察審査会に提出したことについて、批判を連ねる》
 被告「その悪質さは、厚生労働省元局長、村木厚子氏の虚偽公文書作成事件で前田元検事が証拠を改竄した事件を上回るのでないかと思います」

証拠が無いのに小沢一郎はなぜ禁錮3年の求刑をされるのか

証拠もないのに、よくも「禁錮3年」という重い刑を要求できたものだ。
先週9日に開かれた小沢裁判で、検察官役の指定弁護士が小沢一郎(69)に禁錮3年を求刑したことに対し、さすがに法律のプロからも批判が噴出している。 有罪となる確実な証拠が、まったくなかったからだ。

小沢裁判の最大の争点は、収支報告書の虚偽記載について石川知裕衆院議員(38)たち元秘書3人と“共謀”したかどうかだ。 人ひとりを牢屋にぶち込もうというなら、最低でも、いつ、どこで、誰と、どのように共謀したのか、証拠を示す必要がある。それが刑事裁判のルールというものだ。

ところが、指定弁護士は、〈共謀に関しては、具体的な日時、場所を特定した謀議行為は証拠上、明らかでない〉と開き直ってみせた。証拠もないのに禁錮3年とは唖然だ。こんなフザケた求刑がどこにあるのか。

そもそも、小沢裁判は、本来ならとっくに「公訴棄却」、つまり中止になっていなければおかしいものだ。事件そのものが、検察の“違法な捜査”によってデッチ上げられたものだったことが判明したからだ。「検察審査会」が小沢一郎を「強制起訴」したのは、「小沢先生に報告し了解を得た」という石川議員の「供述調書」が決め手だったが、その調書は検察が捏造したものだった。さらに、検察審査会に提出された「捜査報告書」も、担当検事の作文だった。

アメリカなら検察が脅迫したりニセ調書を作ったりしたら即時容疑者は釈放され起訴などされないし裁判など始まらないのに同じ文明国を自称するこの国ではデタラメ検察の自白調書で多くの無実の人が裁断されてきた
石川議員が取り調べの様子を「隠し録音」していたことで、違法な捜査、供述書の捏造が次々に発覚した。

さすがに、小沢裁判の大善文男裁判長も、「違法、不当な取り調べが組織的に行われた」「許容できない」と検察を叱責し、石川議員の「供述書」を証拠採用しなかった。事件は、違法な捜査によって人為的に作られたものだから、最初から裁判が成り立つはずがないのだ。

なのに、指定弁護士は、小沢一郎に対して「法を軽視」「再犯の恐れは大きい」と禁錮3年を求刑しているのだから、異常というしかない。アメリカだったら小沢裁判は控訴棄却で中止 大新聞テレビは、違法な捜査によってデッチ上げられた小沢事件の裁判がつづいていることに、なんの疑問も持たず、当たり前のように求刑「禁錮3年」などと報じているが、どうかしているのではないか。

もし、アメリカで同じようなことが行われたら、裁判は即刻中止になっているはずだ。捜査官が容疑者を脅迫したり、ニセ調書を作っていたことが発覚したら、アメリカだったら間違いなくメディアが大騒ぎし、容疑者はすぐに釈放され、裁判も開かれない。

容疑者が罪を犯したかどうかは関係ない。違法な捜査が行われたことが分かった時点で、起訴できないのがアメリカの大原則だ。米国法に詳しい中央大教授の藤本哲也氏(犯罪学)がこう言う。「アメリカの司法制度は、捜査段階で違法に収集された証拠に対して極めて厳格です。証拠能力は認められないし、訴訟から徹底的に排除されます。仮に起訴するか否かが大陪審にかけられても、違法な証拠に基づいて起訴されるケースはほとんどありません」

昨年、IMFのストロスカーン前専務理事が性的暴行の容疑で逮捕され、裁判にかけられた時も、被害女性の証言の信憑性に疑問が生じると、すぐに訴追が取り下げられている。文明国では当たり前のことだが、「疑わしきは罰せず」「利益は被告人へ」という原則が徹底されている。アメリカだったら、小沢裁判はとっくに公訴棄却になっているはずである。

デタラメ検察が引き起こした「村木事件」「足利事件」の冤罪 ところが、日本は「利益は被告人へ」どころか、検察のデタラメ捜査と自白の強要によって「無実」の人を何人も「有罪」にしてきたのが実態だ。「免田事件」や「財田川事件」にはじまり、「足利事件」や「布川事件」まで、冤罪事件は数え切れない。

足利事件で再審無罪を勝ち取った冤罪被害者の菅家利和さん(65)は、まったく身に覚えがないのに警察に逮捕され、「最初から犯人扱いされ、髪を引っ張られ、足蹴りされた」そうだ。どんなに裁判で無実を訴えても、1審、2審、最高裁、すべての裁判で「有罪」を下されてしまう。

最新のDNA鑑定によって、逮捕から20年後、やっと「無実」が証明されたが、もしDNA鑑定の技術が進歩していなかったら、幼女殺しの犯人として一生を終えていたことだろう。恐ろしいことだ。「村木事件」では、大阪地検は厚労省の局長だった村木厚子さん(56)を勝手に犯人と決めつけ、有罪にするために証拠のフロッピーまで改ざんしている。

菅家さんや村木さんは、幸運にも「無実」が証明されたが、最後まで冤罪を晴らせず犯罪人のまま死んでいった人が、果たして何人いることか。司法に詳しいジャーナリストの魚住昭氏が言う。「村木事件が起きた時、正直、驚きませんでした。警察や検察がムリな捜査をしていることは、ある程度、想像していたからです。問題は、裁判所が検察の主張を疑わず、うのみにしてきたことです。よほどの無罪の証拠がない限り、有罪にしてきたのが実態です」

小沢裁判の指定弁護士は、自分の勝手な主観を、客観的事実と強弁し、証拠もないのに「秘書と共謀したことは明らかだ」と決めつけていた。戦前の特高警察と体質は変わらない。とても日本は、文明国とはいえない。
それでも「小沢有罪」の恐ろしい暗黒裁判 こうなってくると「小沢裁判」も、どう転ぶか分からない。誰がどうみても無罪だが、4月26日の判決では有罪という事態だって十分にあり得る。

「法律論からいえば、小沢さんを有罪にするのは無理です。決定的なのは、大善文男裁判長が、検察の捜査を『違法、不当』と断じ、さらに証人として出廷した担当検事の証言について『深刻な疑問の疑いがある』と発言したことです。深刻な疑問の疑いとは、偽証の疑いがある、ということです。日本でも、違法な捜査が行われた場合、有罪にできない、というのが法律の大原則です。

ただ、小沢事件の一連の裁判は、常識や法律論だけでは語れない。石川議員の裁判でも、大事な調書が証拠採用されなかったが、登石郁朗裁判長は“推認”に“推認”を重ね、元秘書3人を有罪にしてしまった。大善裁判長も、『小沢氏が知らないということはあり得ない』『小沢氏の了解を得ずに秘書がやるはずがない』と推認を重ねて有罪にする可能性は残っています」(魚住昭氏=前出)

もし、日本がアメリカと同じ文明国なら、違法な捜査が行われたことが発覚した時点で、小沢裁判は公訴棄却されていたはず。裁判がつづいているということは、信じられない判決が下される恐れがあるということだ。
日本の暗黒検察、暗黒裁判では、何が起きても不思議じゃないのだ。

論告求刑も苦し紛れで中身なし
<検察、検察審、指定弁護士、大マスコミの自滅と敗北>

「小沢一郎は悪だ。罰しなければならない」――そんな思惑と悪意で進められてきた小沢裁判は、9日、論告・求刑が行われた。検察官役の指定弁護士は「審査手続きの違法性と検察審の議決は次元が異なる」「検察審の議決を経た強制起訴は適法」と指摘したが、これほどバカバカしい話もない。強制起訴した前提が大きく崩れているのだから、むなしい“形だけ求刑”だ。
   
8日、9日の朝刊各紙はこんなふうに小沢求刑公判の予定記事を書いていた。
「大善文男裁判長は公判で、元秘書の石川知裕衆院議員が小沢元代表に虚偽記載を“報告し、了承を得た”と認めた検察調書をすべて採用しないと決めた。共謀を示す直接証拠の中で最も重要な柱を失ったことで、指定弁護士は状況証拠を積み上げ、論告で有罪の意見を述べる予定だ」
 
検察調書とは、例の東京地検特捜部の田代政弘検事が捏造した石川知裕元秘書の調書などのこと。それが証拠採用されないとなった今、小沢を総攻撃してきた大マスコミも、「こりゃあ、有罪に持ち込むのは無理だ」と思い始めている。それで言い訳の記事を書き始めたのである。実際、指定弁護士の論告求刑の苦しかったこと。

「間接証拠を並べて推論に推論を重ねて、小沢有罪論を展開するシナリオです。証拠がある簡単明瞭な事件なら、要点羅列だけで済むが、今回の論告は逆。決め手の証拠がないから、外堀のさらに外から埋めていって、やっと本丸にたどり着くことになる。だから公判で読み上げる指定弁護士の文章量はとてつもない。中身がない事件ほど、ダラダラした論告になるものですが、その典型例です」(司法記者)
 
スカスカの中身なしの論告求刑をして、あとは裁判官にバトンタッチ。そういうことなのである。
 前回の証拠採用公判で大善裁判長から「違法」「不当」とケチョンケチョンに批判された東京地検特捜部はメンツ丸つぶれで、もはや戦意喪失。その検察の捏造調書をもとに強制起訴を議決した第5検察審査会のシロウト11人もバカ丸出し。そして徒手空拳で戦うしかなくなっている指定弁護士……。みんな、この小沢裁判には困っているのだ。最終的判断を押し付けられた大善裁判長だって、逆立ちするくらいの推論を積み重ねないと「有罪判決」に持ち込めないことは分かっているから、気が重いだろう。事ほどさように、だれひとりとして積極的に関与したくないのが小沢裁判なのである。

「この裁判で明らかになったことは、検察捜査のひどい実態。検察審査会が検察の補完機関に使われていたこと。強制起訴制度に欠陥があること。それが分かったことだけに意義があった」
 司法ジャーナリストの魚住昭氏がこう皮肉ったが本当だ。エラソーに小沢を裁こうとした連中が、大マスコミも含めて、次々とデタラメがばれて自滅なのだ。喜劇というかマンガである。こんな裁判を続けることに、何の意味もない。

いまだに大きな顔をして報道番組で御託を並べている記者上がりのコメンテータはどうするつもりか

いよいよ「陸山会事件」で指定弁護士による小沢氏「検審起訴」の根拠がなくなり、登石裁判長以上の「推認」に「推認」を重ねる無理をしなければ、小沢氏に有罪判決を言い渡すのが困難になった。それでも小沢氏に「有罪判決」を大善裁判長が下したなら、大手マスコミは拍手喝采するかもしれないがネット市民は許さない。それこそ最高検・最高裁に対する批判が澎湃として湧きあがり収拾のつかない事態に陥るだろう。

ことここに到っても、テレビで大きな顔をして根拠もなく検察情報を垂れ流して小沢氏を極悪人でもあるかのように評していた報道番組のMCやコメンテータたちが未だに平然と出演しているのには驚きを禁じ得ない。彼らはテレビ電波という公器を利用して何をやったのか、自覚すらないのだろうか。
起訴すらされていない、検察の調査が入った段階で既に「民主党党首」を辞任すべきと騒ぎたて、幹事長に退いた小沢氏に対して、何の根拠もなく元秘書の現職国会議員が逮捕されるや非難の嵐を連日浴びせて小沢氏の名誉を著しく傷つけ、人権侵害ともいうべき悪辣な人格攻撃を繰り返し行った。その証拠は各テレビ放送局のビデオテープにしっかりと残っているはずだ。

私たちは決して忘れない。テレビ報道番組で名だたるMCや記者の古手コメンテータや小説を書かない小説家や研究論文を発表しない大学教授と称する怪しげな電波芸者たちが口を極めて小沢氏を非難・中傷していたことを。いかに知らん顔をしてもビデオテープにしっかりと証拠は残っている。

小沢氏の現状に対して彼らはどのような責任を取るのだろうか。どのようなコメントを述べるつもりだろうか。それともダンマリを決め込んで、自分たちが仕出かした小沢氏に対する冒涜と人権侵害を「なかったこと」にするつもりだろうか。民主主義を基本とする法治国家において世界的に「基本的人権」は尊重されるべきで、法廷の判決により罪を確定されない限り「罪人」として扱われない「推定無罪」は国家権力の乱用を戒める法理念の基本だ。

しかしこの国のテレビ報道番組のMCやコメンテータたちは「推定有罪」の思い込みで被疑者扱いして、小沢氏を民主党代表からも幹事長からも追いやった。その罪たるや万死に値する、と思わない者はテレビ画面から消え去るべきだし、二度とテレビに登場してはならない。検察や最高裁はどのように責任を取るつもりだろうか。この国の根本原理を踏み躙り、主権在民の憲法精神に反する行為を犯した罪は弾劾裁判どころではない。

21世紀のこの国に中世の魔女裁判に匹敵する暗黒検察と暗黒裁判を存在させた甚だしい汚点は未来永劫に戒めとして語られなければならない類のものだ。どのように責任を取るつもりか、国民は検察と裁判所を注視している。そして議事録の公開なき第五検審会の存在も民主主義に反するものだということを特筆しておかなければならないだろう。

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