真実の報道神秘

権力の『おかしな政策』におかしいと報道しない日本で、一人でも『おかしい』と声を上げ、真実を追求して行きます。

2011年09月

国民から政治を奪った検察、国民から「正義」を奪った裁判 司法暗黒国家だ

  石川議員らの想定外の判決に、とり急ぎ東京地裁の登石郁朗裁判長が、検察の求刑に執行猶予を付け足す短絡な判決を出したことを、「予定調和」と寸評したが、撤回する。明らかに「予定調和」を大幅に逸脱した「推認」に彩られた「シナリオ判決」そのものだ。空気が「そのような判決を望んでいた」と云うレベルではなく、明らかな証拠の一つもなく、推認に次ぐ推認の結果だと云うのだから、藪から棒の大久保秘書逮捕の時点で、この壮大な「シナリオ」は概ね出来あがっていた、と「推認」するのが妥当だ。

≪判決下る。
 東京地裁において本日、午後1時30分から判決文の朗読が行われた。
 言い渡された刑は禁錮2年執行猶予3年である。
 水谷建設からの5000万円も授受があったと推認と指摘された。
 信じられない判決である。
 まさに不当と言わざるを得ない。≫(ともひろ日記:石川知裕)

 本当に石川議員も疲れ果てたことだろう。怒りで眠れないかもしれないが、ここで落胆する暇はない。控訴、控訴で徹底的に裁判上争い続けて欲しい。このような「推認」だらけの判決などで、同議員の支持者の支持が揺らぐとは思えない。当然、裁判が確定するまで、推定無罪が覆ることはないので、選挙民の民意で選ばれた衆議院議員として、一層の努力を念じてやまない。

 今回の東京地裁の登石郁朗裁判長の「推認判決」の判決要旨などを法律上詳細に分析する必要はないのだろう。特に登石郁朗を個人的に糾弾しても、あまり意味がないのだろう。哀しい人生を歩んでいる末端の裁判官の一人に過ぎない、と云う事だ。おそらく今回の陸山会・政治資金規正法違反容疑の発端は、司法とは関わりのないフィールドで勃発した、「政治権力闘争事件」と考える方が妥当だ。つまり、小沢一郎と云う政治家に“日本の政治権力を渡せない”と強く決意し、行動した勢力の「シナリオ」が土台にあって惹起されたものである。

  見出しを“国民から政治を奪った検察、国民から「正義」を奪った裁判 司法暗黒国家だ”としたが、現実のフィールドは「司法」ではなく「政治」だったと云う事だ。この勢力がどのようなものか、具体的に誰とか、一定の団体を名指しすることは容易ではない。ただ言えることは、既得権勢力が小沢一郎に政治的権力を掌握される事で失う権利の多さに、小沢一郎の政治力を削ぐことを目的に行われたと、それこそ推認するのが妥当だろう。

 それでは、このような勢力に該当するのは、どのような勢力かだが、或る程度は名指し出来る。自民党、反小沢民主党勢力、官僚組織、司法組織(法務省・検察庁・裁判所・弁護士)、マスメディア、日本統治で甘い汁を吸う米国勢力等々だ。彼らが、どのシーンにおいて、どのような役割をしたか、後々歴史が証明する部分もあるだろうが、それが罪に問われる事はないのだろう。彼等の内部では暗黙のうちに、このような暗黒司法は“小沢関連だけで打ち止め”と云う了解が存在するようでしかたない。 小沢魔女狩りで、今後は法秩序を守りましょうね、と云うトンデモナイ仲良し協定なのだろう。

 その証拠ではないが、“殺しはしない、力を削ぐことだけだ”と執行猶予をつけた部分が非常に意味を持つ。石川議員も当面議員を続けられるし、小沢一郎の裁判の結果が、この石川議員の一審判決と連動して“有罪”が言い渡されるとは限らない。“殺しはしない、力を削ぐだけだ”と云う、名目・民主主義国家、法治国家の秩序の維持も視野に入れると「政治権力闘争」における恫喝と警鐘に過ぎない小沢裁判は、“有罪の確定判決を得る”ことが目的ではない。当面、小沢一郎が政治の全面に出てきて、政治理念を旗幟に、国民を巻き込んで暴れまくる事が出来なくなるのが目的だと云う事だ。

 故に、今回の裁判結果も、次なる小沢一郎の検審起訴裁判においても、法的分析が殆ど意味をなさない、「政治権力闘争」がたまたま司法の場で行われている、と理解する方が納得しやすい。逆に、石川知裕にせよ、小沢一郎せよ、裁判における有罪無罪量刑等々の判決に一喜一憂することなく、如何に有効に政治活動が可能かどうかが重要になってくるのだろう。その意味で、石川知裕、小沢一郎を、どこまで国民がバックアップして、彼らの政治活動の源泉となる“支持”と云う声をあげ続け、あらゆる方法で小沢一郎に、小沢が政治権力を握ると死活問題になる勢力を日本から排除する運動を続けていくしかないのだろう。

 茶番劇だと嘯いても、あまり意味はなくなった。小沢一郎に政治をさせたくない既得権益集団の阻止行動であり、法廷闘争自体は謂わば時間稼ぎのようなものだ。彼らの勢力が徐々に衰退するのか、小沢一郎の復権台頭で数年で没落するのか、今、その過程にあると推論してみた。まぁ、そんなことを画策し、いずれは失わざるを得ない既得権益を死守しているのだが、こんなことなら世界大恐慌が起きて、もう既得権益の意味すら消えてしまう方が、個人的には望ましい。世捨て人風の筆者故の妄想だが、幾分本気でもある

陸山会3秘書判決:状況証拠どころか「推定有罪」、公訴範囲も逸脱、有罪根拠もズタボロの“歴史的判決”

登石裁判長をはじめとする裁判官は、「検察は無理強いで調書を採る必要なんかないんだよ。小沢は、その政治力で東北地方の公共事業を差配し裏でカネを懐に入れている。水谷建設の元社長の証言さえあれば十分だ。その証言だけで、裏金を隠すために政治資金報告書に虚偽の記載をしたことは認定できる」という考え方をしていたのだ。
 このような考え方をする裁判官は、「有罪と宣告されるまでは無罪と推定される」という推定無罪の考え方を無視するにとどまらず、「悪いうわさが立つ人や嫌疑をかけられた人は有罪と推定する」という民主制ないし近代的司法制度にはふさわしくない思想の持ち主だと糾弾せざるを得ない。

登石裁判長の判断した理由を、部分的なものだが、わかっている範囲の判決文で説明したい。
小沢氏からの借り入れ4億円を未記載にした動機 
【判決文の該当部分】
「検察官は4億円の原資を積極的に立証していないから「公にできないもの」であると見るには証拠が足りない。しかし、小沢氏が明らかに証明することが困難である限り動機と認定することが可能である」

「当時、胆沢ダム工事の建設利権をめぐる報道がなされ、小沢氏はマスコミのターゲットになっていた。石川被告が4億円の原資に関して追及されることは予測でき、借入れの事実を隠蔽しようとしたことが推認できる」
[コメント]
 とりわけ最初の判決内容は、何を言いたいのかさえわかりにくいものだ。
 陸山会の3人の秘書が被告であるのに、主導も共謀も立件できないということで検察は起訴しなかった「小沢氏が明らかに証明することが困難である限り動機と認定することが可能」というのは、小沢氏が不実記載を主導したかのような印象を与える“誘導判決”であり、刑事裁判の原理原則から大きく逸脱するものである。
(たとえ誤った認定であっても、石川被告らがきちんと説明できなかったことを理由にしているのなら許容範囲だ)
 さらに、刑事裁判における挙証責任は検察官にあるという原則を知っている人には、判決対象の被告でもない小沢氏に挙証を求めるかのような内容は、刑事裁判の原則に背いた言いがかりとしか思えないものである。
 
ここで持ち出すのは劣悪な裁判官に乗せられたかたちになるが、小沢氏は、野党やメディアなどの“説明要求”を受けて、4億円の原資について、「(1)1985年に自宅土地の売買などをした後、税引き後に残った2億円を積み立てておいた銀行口座から89年11月に引き出した2億円(2)97年12月に銀行の家族名義の口座から引き出した3億円(3)2002年4月、家族名義の口座から引き出した6千万円を事務所の金庫に保管していた。

04年10月にはこの金庫に4億数千万円残っており、うち4億円を陸山会に貸し付けた」と説明しており、「小沢氏が明らかに証明することが困難」という認識は、説明した内容を否定する証拠を示さなければ妥当性がまったくない。
 
今回の裁判は政治資金規正法違反(不実記載)が起訴内容なのだから、理由(動機)は付け足しでしかなく、「陸山会が04年度に小沢一郎から借り入れがあったのに政治資金収支報告書に記載していなかった事実があったのか」が重要な争点になる。
 
04年度の収支報告書には、小沢氏からの4億円の借入れが記載されているのだから、それ以外に実質として小沢氏からの借り入れと言える4億円があったのかが問題になる。  小沢氏から借りた4億円を担保(陸山会名義の定期預金)に銀行から4億円借りたことをもって、小沢氏から8億円の借入れがあったということはできない。
 その場合は、小沢氏からの借入れは記載されている4億円だけであり、未記載の借入れは、りそな銀行からの4億円ということになる。

 政治資金団体は法人格がないので、りそな銀行との金銭消費貸借契約の主体は小沢氏になっている可能性が高い。(自民党も幹事長の名義で借金するという)
 名義は小沢氏の可能性もあるりそな銀行からの借入れ4億円も、小沢氏からの借入れと記載しなければならないというのなら、陸山会が資産とする土地や建物も、登記上は小沢氏名義になっていながら陸山会の政治資金収支報告書に記載されているのは“不実記載”ということになる。
 
04年度の収支報告書にも、借入金残高として、小沢氏約4億9千万円・りそな銀行約4千7百万円と記載されている。 名義はともかく実質の判断で政治資金団体が銀行から借入れを認められているのなら、未記載の借り入れ4億円は、小沢氏からではなく、りそな銀行からとなる。  りそな銀行からの借入れ4億円が不記載であることは確かだが、陸山会会計責任者が、04年度の借入れを8億円ではなく4億円と認識しても、それほどおかしなものとは言えない。
 
ともかく土地を購入するために4億円が必要で、陸山会はそれを小沢氏からの借り入れで賄うことにしたという感覚であり、陸山会が8億円も借り入れを行ったという感覚はなかっただろう。 (土地取得時期のずれ問題:地目の関係もあり、売買契約、代金支払い、仮登記、所有権移転登記のどの段階で取得と記載したかという問題は、犯罪の構成要件として決定的な問題ではないと思っている)

 二つ目の判決文のなかのどうでもいいことを先に触れるが、胆沢ダム工事の建設利権をめぐる話は西松建設絡みで08年から09年にかけてマスコミで取り上げられたと記憶しているが、04年度の収支報告書を提出した05年3月近辺で、小沢氏が胆沢ダム利権絡みでメディアのターゲットになっていたのだろうか?
 前述したように、04年度の政治資金収支報告書には、小沢氏から4億円の借入れがあった事実が記載されている。 裁判長が「石川被告が4億円の原資に関して追及されることは予測でき、借入れの事実を隠蔽しようとしたことが推認できる」と言うのなら、04年度の政治資金収支報告書には、小沢氏から4億円の借入れがあった事実が記載されている理由を説明しなければならない。
 
原資の追及を避けるために「借入れの事実を隠蔽しようとした」のなら、記載した借入れ4億円は、小沢氏ではなく、りそな銀行と記載するほうが“自然”なのだから、判決の認定(追認)は奇妙なものである。

● 水谷建設からの裏金授与認定
【判決文の該当部分】
 「元社長の証言は、他の水谷建設の関係者とも符合し、都内ホテルにおけるレシートなど客観的証拠とも合致しており信用できる。一切受け取っていないという大久保、石川両被告の供述は信用できない」
[コメント]
 検察が立件を諦め起訴しなかった水谷建設から陸山会ないし小沢サイドへの金銭授与問題について、東京地裁は、控訴範囲を逸脱してまで事実の認定をしている。
(贈収賄の立件は職務権限から困難でも、金銭の授受が事実なら、政治資金規正法違反ないし所得税法違反になる)
 「元社長の証言は、他の水谷建設の関係者とも符合」と裁判官は述べているが、川村元社長が04年10月15日に石川被告に5千万円を六本木の全日空ホテルで渡したとき、ホテルまで送ったと検察に証言した社用車の元運転手は、公判で、元社長を全日空ホテルに送ったことがあるのは、水谷会長が脱税で逮捕された06年7月より後だと証言している。そして、元社長を乗せていったという検察調書を訂正したいと証言している。 (裁判長は、証人の元社用車運転手に、運転実績の書き漏らしの可能性や記憶の曖昧さを確認している)
 
裁判官は「都内ホテルのレシートなど客観的証拠とも合致」とも述べているが、元社長は社用車かタクシーで行ったと証言しているのだから、社用車の利用が元運転手の証言で否定されたら、元運転手が証言したように、そのタクシーの領収書がなければならないだろう。
 
元運転手から書き漏らしの可能性や記憶の曖昧さの証言を導きだしたからと言って、元社長がその日に全日空ホテルに社用車で行った認定にはつながらず、「元社長の証言は、他の水谷建設の関係者とも符合」とも言えない。 書き漏らしや記憶の曖昧さは、運転手に限ったことではない“一般論”とも言え、元社長・元会長などの他の水谷建設の関係者にも適用できる問題である。

 水谷建設水谷元会長も、公判で、川村元社長が04年10月に石川さんに手渡したと証言した5千万円について、「私が手配したが、大久保さんに渡したと報告を受けていた」と証言しており、小沢サイドに金銭を渡したことは認めているが、金銭授与の具体的な経緯で食い違いをみせている。  何をもって「元社長の証言は、他の水谷建設の関係者とも符合」と判断したのかと問いたい。  裁判官の事実認定は、根拠が雑というか、自分の思い込みに沿う証言や状況のみを採用し、ある方向の見方に偏って行われていると言わざるを得ない。
● 岩手・秋田のある時期の公共事業は小沢事務所が仕切っていたいう認定
【産経新聞サイト記事より引用】 「大久保被告は「天の声を発出する役割」
2011.9.26 14:54
 東京地裁が26日言い渡した「陸山会事件」などの判決は、東北地方の公共工事受注者について元公設第1秘書、大久保隆規被告(50)が「平成14、15年から、天の声を発する役割を担うようになった」とした。」
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110926/trl11092614550009-n1.htm
[コメント] 奇妙な判決文のなかでも、とりわけ大きな問題をはらんだ事実認定と言えるものだ。
 BSフジの「プライムニュース」によれば、判決のなかで、「岩手や秋田では公共事業は小沢事務所を通さないとできない」という認定までしているという。 「平成14、15年から、天の声を発する役割を担うようになった」ということは、2002年か03年からある時期まで、岩手県と秋田県の公共事業受注は小沢事務所に差配されていたことになる。 それが西松建設問題が発覚する2008年まで続いていたと考えると、その期間の岩手県知事は、安部内閣と福田内閣で総務大臣を務めた増田 寛也氏(元建設省官僚:知事1995年~2007)である。
 
総務大臣まで務めた増田氏は、知事をしていたある時期の岩手県の公共事業が知事を頂点とする県庁機構ではなく小沢事務所に牛耳られていたとする今回の判決を看過するのだろうか?  判決で小沢事務所が公共事業を差配していたと認定されたもう一つの県である秋田県で期間中に知事を務めたのは、寺田学代議士の父親寺田典城氏(1997年~2009年)である。
 岩手県と秋田県は、なにはともあれ、該当期間の県発注公共事業に関して、受注実績と予定金額&入札金額をリストアップし、自分たちの“無実”を晴らすか、東京地裁の認定を“追認”するかしなければならないはずだ。 (談合罪の時効は3年なので2008年9月以前の談合は罪を問えない)
 判決文の全文が今のところ入手できないので、断片的な判決内容を基に論評を加えたが、度を越したあまりにひどい判決であることは間違いない。

日本一新の会・代表 平野 貞夫

9月7日(水)の毎日新聞(東京版)に、「成田内閣官房参与野田首相と小沢代表のパイプ役に細川内閣で調整役」という見出しで、代表選告示直前に小沢・細川・野田3者会談が行われ、私が調整をしたかのような記事が掲載されていた。

多くの人から抗議や文句や、はたまた冷やかしの電話やファックスなどで攻撃を受けている。 「テレビでエラソウなことを言って、ウラでは権力に近づこうとする悪狸だ」という厳しい批判もあった。そこで真相を説明しておく。
 
該当記事で関係する部分は、野田首相と小沢元代表は民主党代表選の告示直前の8月25日、細川元首相を仲介役に三者で会談している。成田氏は八月中旬 に小沢元代表の側近の平野貞夫元参院議員に連絡。野田首相が元代表と会談したいとの要望を伝えた。成田氏はその後も平野氏を通じ、「小沢グル― プは野田氏以外の候補の支援をしないでほしい」と要請したという。

この記事に2つの誤りがある。1つは、成田氏が私に、野田氏が小沢氏と会談したい、との要望を伝えたことになっているがその事実はない。真相をいうと、8月中旬の午後9時半過ぎに成田氏から電話があった。宴会の帰りらしく少し酒が入っていて、自動車の中からだった。
 
成田氏から民主党代表選挙の話が出て「消去法で野田氏が適当だ。細川さんも支援している。民主党には日本新党のDNAもかなり残っている。小沢グループが野田を支援するよう小沢さんを説得して欲しい」という趣旨の話だった。私は「今度の代表選にはかかわりたくない。小沢さんも悩んでいるだろうが、グループとして議論し決めること。野田氏ついては、もっと人間としての修行が必要だ。政治家としても見識が足りない」と伝えた。
 
その理由として、私が成田氏に話したのは、平成21年3月の千葉県知事選挙で、民主党県連選対委員長の野田氏が、重大な判断ミスをしていたことだ。大事なことなので、要約して説明しておく。
 
平成20年12月、民主党千葉県連は翌21年3月の千葉県知事選挙に、女性候補の白石ますみ氏を推薦することを決定した。野田県連選対委員長の判断で進められたもので、年明けには公明党が推薦し、選挙に入れば自民党が推薦するというシナリオがあった。これを画策したのは古賀誠自民党選対本部長といわれ、野田県連選対委員長と話し合ってシナリオを進めたのは、公明党の富田茂之衆議院議員であった。
 
民主党千葉県連では、政権交代の衆議院選挙のために必死で活動している最中であった。その直前の首都圏知事選挙で自公民相乗りでは悪影響が出ると紛糾していた。他に適当な候補も見つからないと押し切られていたのだ。千葉県民からも厳しい批判が出て、県選出国会議員からも不満が続出していた。
 
そんな矢先、私に東京の良識ある財界人やジャーナリストから、白石候補の民主党千葉県連推薦を取り消すよう、再三の要請があった。当初私は、「千葉県知事は誰でもよい。関わりたくない」と断っていた。
 
そのうち義理のある複数の友人から、民主党の主導で白石知事をつくると、千葉県民がどうしようもない利権の巣窟に里帰りするぞと言われ、あえて悪役を引き受けることにした。私は、長浜民主党千葉県連代表に、白石氏を推薦した理由と経緯について公開質問状を送付し、その内容を朝日新聞の地方版で報道してもらった。千葉県中が大騒ぎとなり、民主党千葉県連でも再協議すべしとの意見が出るようになった。
 
年が明けて平成21年1月4日、堂本千葉県知事の強い要請で知事公舎で会ったところ、驚くべき話を聞かされた。「羽田の埋立てで、千葉の山砂利採取を許可してくれとの話が以前からあり、私は環境保全のために拒否してきた。白石の擁立は巨額な利権を許可するためのもので、民主党が先頭を切ってそれに協力するとはどういうことですか」とのこと。私もこれには政権交代阻止のため、自民党の選挙資金づくりも絡んでいると思い、白石推薦を取り消す運動を強めた。
 
その後、民主党千葉県連は白石推薦を取り消し、堂本知事が推す吉田平氏を推薦決定した。知事選は、吉田平・白石ますみ・森田健作の三つどもえになり、森田健作氏が当選した。成田氏には、以上の理由で野田氏を支援できないことを述べるとともに、野田氏は、\権交代を本気で考えていたのか。白石候補をめぐる利権構造を知らないはずはないのに、何故協力したのか?、との疑問も呈しておいた。その後、代表選近くになってから成田氏から「野田を支援しなくてもよいから、他の候補の支援もしないように」との電話があり「わかった」といっておいた。これが顛末である。

 
野田首相誕生の秘話を、細川元首相がマスコミで得意になって話しているが、何だか戦前のあのころ、近衛公が世の中に出たり逃げたりしてつくった「大政翼賛会」を連想する。野田新内閣が「大増税翼賛会」をつくり、国を潰すことがないよう祈っている。

 鉢呂吉雄経済産業相の辞任問題は、いまも謎の部分が多い。
 
鉢呂が記者会見で「死の町」と発言したのは事実である。だが、大臣辞任にまで至ったのは、記者との懇談で「放射能をうつしてやる」と"発言"したという新聞、テレビの報道が批判に拍車をかけた側面が大きい。
 
ところが、その発言自体の裏がとれないのだ。高橋洋一さんが9月12日付けのコラムで指摘したように、各社の報道は「放射能をうつしてやる」(東京新聞)から「放射能をつけちゃうぞ」(朝日新聞)、「放射能を分けてやるよ」(FNN)に至るまでまちまちだった。
 鉢呂本人は終始一貫「そういう発言をしたかどうか記憶にない」と言っている。実際の発言がどうだったかどころか、本当にそういう趣旨の発言をしたかどうかさえ、はっきりとした確証がないのである。
 そこで私は13日午後、鉢呂本人に衆院議員会館の自室でインタビューした。鉢呂事務所は「辞任以来、どなたの取材も受けていません」と取材をいったん断ったが、その後、数時間経って「本人がお会いすると言っている」と連絡があり、インタビューが実現した。以下はその主なやりとりである。

「朝日新聞の記事は間違いだ」
 -いま、どういう心境か。
「『死の町』という言葉は、大変な被災に遭った福島のみなさんに不信の念を抱かせる発言だったと思っている。私は原発から3キロ圏内を視察した。ひとっ子1人いない様子を見て、私にはああいう表現しか思い浮かばなかった。申し訳ないし、反省している
8日夜の記者懇談はどういう状況だったのか。
「あの夜、視察から赤坂の議員宿舎に戻ってくると、記者さんが5,6人待っていた。みんな経済部の記者さんだと思うが、私はそれまで経済部と付き合いがなかったので、顔見知りはだれもいなかった。後ろのほうに政治部の記者さんが2人いたと思う。こちらは知っている」
「原発周辺では線量計を持っていた。私は一日で85マイクロシーベルトだった。その数字を記者たちに喋ったのは、はっきり覚えている。朝日の検証記事(13日付け)で『私が線量計をのぞいて数字を読み上げた』というのは間違いだ。線量計はJビレッジ(原発作業員の基地)に返却してきた」
 
-「放射能をうつしてやる」と言ったのは本当か。
「『うつしてやる』とか『分けてやるよ』と言った記憶は本当にないんです。もしかしたら『ほら』という言葉は言ったかもしれないが、それさえ、はっきり覚えていない。『ほら、放射能』という報道もあったが、放射能という言葉を出したかどうか分からない」
「はっきり言えるのは、私が防災服を記者になすりつけるような仕草をしたことはないっていう点です。一歩くらい記者に近づいたことはあったかもしれないが、なすりつけるようなことはしていない。そんなことがあれば覚えています」
 
-記者は発言を録音していなかったのか。
「していなかったと思う」
「第一報を流したフジテレビは現場にいなかった」
 -朝日の検証記事によれば「放射能をうつしてやる」発言の第一報はフジテレビだったとされている。フジの記者は懇談の場にいたか。
「フジテレビはいなかった。フジの記者は○○さん(実名)という女性なので、それは、あの場にいれば分かります」。
 フジは「放射能を分けてやるよ、などと話している姿が目撃されている」と伝聞情報として第一報を伝えている。鉢呂の話でも、フジの記者は現場にいなかったという。ここは大事なポイントである。大臣辞任は自分から野田佳彦首相に言い出したのか。
「そうです。あの日は工場視察に出かけるとき、記者が宿舎にたくさん集まっていた。そのとき、どういう気持ちだったかといえば、これから視察に行くわけですから(辞任の意思はなかった)…。ただ工場視察を終えて、午後7時から総理にお会いするときは腹が決まっていた」
 
-首相から辞任を求められたのではないか。
「それはない。私はまず一連の事実経過を説明し、そのまま話を続けて、辞める意志を自分で伝えました」
 
-ずばり聞くが「大臣は経済産業省にはめられたのではないか」という説がある。これをどう思うか。
「それは憶測でしょう。私は推測でモノは言いたくない」
 -役所と対立したことはなかったのか。「鉢呂大臣は幹部人事の入れ替えを考えていたらしい」という話も流れている。
「幹部人事をどうするか、だれかと話したことは一度もない」
「原発反対派を加えて、賛成反対を半々にするつもりだった」
 そして、ここからが重要な部分である。
 
-脱原発依存やエネルギー政策はどう考えていたのか。
「政府はエネルギー政策を大臣レベルの『エネルギー・環境会議』と経産省の『総合資源エネルギー調査会』の二段構えで検討する段取りになっていた。前者は法律に基づかないが、後者は法律(注・経産省設置法)に基づく会議だ。調査会は今年中に中間報告を出して、来年、正式に報告を出す方針だった」
「このうち総合資源エネルギー調査会は私が着任する前の6月段階で、すでに委員の顔ぶれが内定していた。全部で15人のうち3人が原発反対派で残りの12人が賛成派だ。私は事故を受けて、せめて賛成派と批判派が半数ずつでないと、国民の理解は得られないと思った。それであと9人から10人は反対派を加えて、反対派を合計12、3人にするつもりだった。委員に定数はないので、そうすれば賛成と反対が12人くらいずつで半々になる」
 
-それには役所が抵抗したでしょう。
「役所は『分かりました』という返事だった。私が出した委員候補リストを基に人選を終えて、後は記者発表するばかりのところだった」
もう一度聞くが、それで役所と激論にならなかったのか。官僚は面従腹背が得意だ。
「私は最初から強い意思で臨んでいた。私は報告書の内容が必ずしも一本にならず、賛成と反対の両論が記載されてもいいと思っていた。最終的にはエネルギー・環境会議で決めるのだから、役所の報告が両論併記になってもいいでしょう。私のリストは後任の枝野幸男大臣に引き継いだ。後は枝野大臣がどう選んでくれるかだと思う。」
 この話を聞いて、私は「これで鉢呂が虎の尾を踏んだ可能性がある」と思った。鉢呂は大臣レベルの会議が物事を決めると考えている。ところが、官僚にとって重要なのは法律に基づく設置根拠がある調査会のほうなのだ。
 なぜなら、法律に基づかない大臣レベルの会議など、政権が代わってしまえば消えてなくなるかもしれない。消してしまえば、それでおしまいである。ところが、法に基づく会議はそうはいかない。政権が代わっても、政府の正式な報告書が原発賛成と反対の両論を書いたとなれば、エネルギー政策の基本路線に大きな影響を及ぼすのは必至である。官僚が破って捨てるわけにはいかないのだ。
フジテレビはなぜ報じたのか
 
以上の点を踏まえたうえで、フジの第一報に戻ろう。
 もし鉢呂の話が真実だとしたら、フジはなぜ自分が直接取材していないのに、伝聞情報として「放射能を分けてやる」などという話を報じられたのか。
 記者の性分として、自分が取材していない話を報じるのはリスクが高く、普通は二の足を踏む。万が一、事実が違っていた場合、誤報になって責任を問われるからだ。記者仲間で「こんな話があるよ」と聞いた程度では、とても危なくて記事にできないと考えるのが普通である。
 
どこかの社が報じた話を後追いで報じるならともかく、自分が第一報となればなおさらだ。
フジは鉢呂本人に確認したのだろうか。私はインタビューで鉢呂にその点を聞きそこなってしまった。終わった後で、あらためて議員会館に電話したが、だれも出なかった。
 もしも、フジが本人に確認したなら、当然、鉢呂は「そういう記憶はない」と言ったはずだ。それでも報じたなら、伝聞の話に絶対の自信があったということなのだろう。
 経産省は鉢呂が原発エネルギー政策を中立的な立場から見直す考えでいることを承知していた。具体的に調査会の人選もやり直して、発表寸前だった。そういう大臣が失言で失脚するなら当然、歓迎しただろう。
 
そして「死の町」に続く決定的な"失言"をテレビが報じたのを機に、新聞と通信各社が後追いし既成事実が積み上がっていった。いまとなっては真実は闇の中である。
子供のことを考え、1ミリシーベルト以下にするよう首相に頼んだ
 
-福島では「鉢呂さんは子供の被曝問題でしっかり仕事をしてくれていた」という声もある。
「それは年間1ミリシーベルトの問題ですね。8月24日に私は福島に行って除染の話を聞いた。『政府は2年間で汚染を6割減らす』などという話が報じられていたが、汚染は割合の話ではない。あくまで絶対値の話だ。しかも1ミリシーベルトは学校を想定していたが、子供は学校だけにいるわけではなく通学路も家庭もある。そこで私は菅総理と細野大臣に電話して、子供の生活全体を考えて絶対値で1ミリシーベルトにしてくれと頼んだ」

「すると菅総理も細野大臣も賛同してくれて、2日後の26日に絶対値で1ミリシーベルト以下にする話が決まった。良かったと思う」
辞任記者会見では「何を言って不信の念を抱かせたか説明しろって言ってんだよ!」と暴言を吐いた記者もいた。あの質問をどう思ったか。
「その記者と部長さんが先程、私の事務所に謝罪に来ました。私はなんとも思っていません。部長さんにも部下を責める必要はないと言いました。まあ、仕事ですからね」
 取材とはいえ、ああいう言い方はない。「記者」という仕事の評判を貶めただけだ。まったく残念である。

非情のドジョウは故永田を見限り、鉢呂も見限る 鉢呂報道は伝聞のみ

読売と産経が、民主党輿石幹事長が鉢呂前経産相辞任に関する報道の経緯及び正確性に関し、報道の在り方について事情を聴いた件に早速噛みついた。おそらく、他のマスメディアも「取材の自由、報道の自由、国民の知る権利、情報管理は許せない」等々と喚き散らすだろうが、まったく聞く耳を持てない最悪の報道のようだ。

  詳しくは、鉢呂前経産相に直接取材を試みた、東京新聞論説副主幹の長谷川幸洋氏がニコニコ生動画:≪緊急特番、鉢呂大臣の辞任は記者クラブの「言葉狩り」なのか?≫の生放送の中で、実態を暴露した。

 早い話が、第一報を流したのがフジテレビだった。このフジテレビの第一報事態が、伝聞の伝聞がリソースだったようだ。つまり、オフレコで鉢呂が話した「放射能つけちゃう発言」の内容は事実関係が曖昧で、経済関係記者連中も問題にせず夜乃至翌朝の時点で記事にはなっていない。ところが、その翌日午前中に「死のまち」発言があった時点から、前日の夜のオフレコ「放射能つけちゃう発言」(言ったと云う確たる証拠もないし、本人言った記憶もない)も纏めて、鉢呂追求の「言葉狩り」が始まった。

 なぜ、唐突に鉢呂バッシングが唸りを上げたのかだ。 結果的に、どのマスメディアも、「伝聞の伝聞の伝聞」で「特落ち」への焦りから、フジの「伝聞すっぱ抜き」報道に煽られて、追随したのだが、一社たりとも鉢呂に直接取材した社は皆無だ。東京新聞論説副主幹の長谷川幸洋氏が唯一鉢呂議員への取材を行った。長谷川氏は生放送中、そのすべては語っていないが、今日の「現代ビジネス」(講談社)に執筆すると云う事なので、詳しくはそちらを参照いただこう。

現時点で言えることは、記者クラブの「特落ち」トラウマが病膏肓(コウモウ)の極点において起きた事件だが、鉢呂議員がそれこそ冤罪に近いバッシングで辞任に追い込まれた可能性が高くなっている。故に、問題を重視した輿石幹事長が動き出したと見るべきである。読売などは報道規制を咎めている雰囲気だし、産経などは事情も判らず記事を書いている。彼ら記者クラブは、鉢呂議員に対し取材すらせず、前原の「辞めるしかないだろう」発言などを熱心に報じていた。 長谷川氏の記事を読んでいただければ、ことの流れは判るだろう。

 最終的には鉢呂議員は、脇の甘さと云うか、気の良いオッサン(議員同士の国対等と同じ感覚)で記者に対応したお陰で、或る勢力に発言の趣旨を歪曲され、嵌められたと言っても過言ではない。経産相として、経産省幹部の人事に手を突っ込もうとしたと云うより、経産省の「総合資源エネルギー調査会」の委員が殆ど原発推進派で占められており、「これはフェアーではない、推進と反対の委員がフィフティーで議論しなければ」と口を出した事で、経産省が「大臣の反原発は本物だ!」と云う危機が根底に流れていたようだ。

この辺の詳細も長谷川氏のコラムを読んでいただきたい。 おそらく、前原・仙谷は当然とし、野田佳彦も口で縮原発と言いながら、実は原発再稼働を強く望んでいた節がある。鉢呂議員がまさか本気の反原発とは知らず、慌てふためき更迭に舵を切ったのが真相だろう。

 また、激しい圧力が東京電力、電事連、経団連、連合等々から押し寄せたことも想像に難くない。しかし、これで野田佳彦は故永田議員に続き、鉢呂議員をも見事に切り捨てた。なかなか非情な「ドジョウ」である。 おそらく、それを見かねたのが輿石幹事長だろう。さぁこれは結構厄介な政局の流れになるかもしれない。否、政局よりも、記者クラブやマスメディアのやりたい放題に対し、民主党がどのように出るのか、出られるのか。相当に面白い。枝野と云う原発推進論者の正体がバレルかどうかも面白い。朝日新聞も検証と言いながら、伝聞に次ぐ伝聞で検証なんて記事をペーパーだけで書いていたが、あれも作り話とは、いやはやなマスメディアの取材力である。

現代ビジネス:ニュースの深層:長谷川幸洋コラム抜粋)

「当事者が初めて語った『放射能失言』の裏側!鉢呂経産大臣は 原発村を揺るがす『原発エネルギー政策見直し人事』の発表寸前だった」

「原発反対派を加えて、賛成反対を半々にするつもりだった」そして、ここからが重要な部分である。
脱原発依存やエネルギー政策はどう考えていたのか。

「政府はエネルギー政策を大臣レベルの『エネルギー・環境会議』と経産省の『総合資源エネルギー調査会』の二段構えで検討する段取りになっていた。 前者は法律に基づかないが、後者は法律(注・経産省設置法)に基づく会議だ。調査会は今年中に中間報告を出して、来年、正式に報告を出す方針だった」

「このうち総合資源エネルギー調査会は私が着任する前の6月段階で、すでに委員の顔ぶれが内定していた。全部で15人のうち3人が原発反対派で残り の12人が賛成派だ。私は事故を受けて、せめて賛成派と批判派が半数ずつでないと、国民の理解は得られないと思った。それであと9人から10人は反対派を 加えて、反対派を合計12、3人にするつもりだった。委員に定数はないので、そうすれば賛成と反対が12人くらいずつで半々になる」

それには役所が抵抗したでしょう。

「役所は『分かりました』という返事だった。私が出した委員候補リストを基に人選を終えて、後は記者発表するばかりのところだった」

もう一度聞くが、それで役所と激論にならなかったのか。官僚は面従腹背が得意だ。
「私は最初から強い意思で臨んでいた。私は報告書の内容が必ずしも一本にならず、賛成と反対の両論が記載されてもいいと思っていた。最終的にはエネ ルギー・環境会議で決めるのだから、役所の報告が両論併記になってもいいでしょう。私のリストは後任の枝野幸男大臣に引き継いだ。後は枝野大臣がどう選んでくれるかだと思う。」

「この話を聞いて、私は「これで鉢呂が虎の尾を踏んだ可能性がある」と思った。鉢呂は大臣レベルの会議が物事を決めると考えている。ところが、官僚 にとって重要なのは法律に基づく設置根拠がある調査会のほうなのだ。

なぜなら、法律に基づかない大臣レベルの会議など、政権が代わってしまえば消えてなくなるかもしれない。消してしまえば、それでおしまいである。 ところが、法に基づく会議はそうはいかない。政権が代わっても、政府の正式な報告書が原発賛成と反対の両論を書いたとなれば、エネルギー政策の基本路線に大きな影響を及ぼすのは必至である。官僚が破って捨てるわけにはいかないのだ。(野田総理が鉢呂を更迭した事実はない、と鉢呂議員は長谷川氏に答えたようだが、この人事、更迭より自ら辞任の方が、双方に有利なので、この辺の真実は何処までも不明だろう。また、暴言を吐いた新聞社の部長と当人が鉢呂議員に直接謝罪に来たそうだが、当該記者の立場は今後微妙になるだろうし、フリーライター田中龍作氏の追求を受けるだろう

文芸評論家・山崎行太郎の『毒蛇山荘日記』
 
世間では、田中角栄を潰したのは立花隆の『田中角栄研究』(文藝春秋,1974)だということになっているらしいが、実際は田中角栄を潰したのはアメリカであり、意識的か無意識的かは別として、結果的にそのアメリカの手先として華々しく立ち回ったのが立花隆であった、ということは事情通の間では、今や常識であろうが、したがって今回の「小沢事件」でも、早速、立花隆が、小沢批判の急先鋒として登場してきたのもその前歴からして必然的だろうと思うのだが、しかし、おそらく今回の「小沢事件」では、田中角栄の時ほど上手くは行かないだろう。
 
むしろ、この「小沢事件」での立花隆の振る舞いによって、立花隆は、反国家的ジャーナリストとしての本質を露呈することになり、結果的に立花隆の「思想犯罪」は暴露されることになるだろう。『田中角栄研究』以来の立花隆の「金権政治家」批判の言説の構造が、我が国の戦後史に何をもたらしたかを考えてみれば、それは歴然とするだろう。江藤淳は、それを「第二の敗戦」といったが、おそらく、76年の「田中角栄逮捕事件」こそは我が国の「第二の敗戦」の始まりであったと見ていいだろう。しかるに、その「第二の敗戦」のお先棒を担いだジャーナリストが立花隆であり、その実行部隊が東京地検特捜部だったといっていい。
 
そして、驚くべきことに、その「田中角栄逮捕事件」の構図は、現在、事件の渦中にある「小沢事件」の構図となんら変化していない。しかしその結末は、まだ予断を許さないとはいえ、僕の予想ではまったく異なったものになるだろうと思う。そして立花隆の権威は失墜するはずである。僕が、そう考える根拠は、現在の論壇やジャーナリズムの置かれている思想状況にある。
 
つまり、立花隆的ジャーナリストを、権力に立ち向かい、権力を打ち倒したジャーナリストとして「英雄」にしてしまうほど、昨今の論壇やジャーナリズムは単純でも、低レベルでもないないということだ。
立花隆は、「週刊現代」での対談で、例によって例の語り口で、こう語っている、「特捜部は最大手ゼネコンの鹿島や、鹿島のOBで談合の仕切り屋と言われた元幹部の自宅、さらに中堅ゼネコンの山崎建設、宮本組などに家宅捜索に入っていますが、どこに『ガサ入れ(家宅捜索)』しているかを見れば、特捜部の捜査の狙いは透けて見えてきますね。」と。これに対して、宗像紀夫が「ずばり今回の事件は東北地方における公共工事利権の全容、これを解明することでしょう。ゼネコンの裏献金システム、利権構造を明らかにすること、これを最終着地点に見据えていると思います。」と応じると、立花は「その利権構造の頂点に小沢がいたという見立てですね」と言っている。
 
これで、立花隆の小沢批判の論理構造は明らかである。そこで、僕がひとまず確認しておきたいことは、僕の関心は、「ゼネコンの裏献金システム、利権構造」なるものの内実にはなく、むしろ、何故、立花隆や東京地検特捜部等が、かくも深く、「ゼネコンの裏献金システム、利権構造」なるものに関心を寄せているか、という点にあるということだ。
 
いいかえれば、何故、ゼネコンなのか。何故、トヨタやキヤノンではないのか、ということである。いずれにしろ、立花隆は、「小沢一郎のような金権政治家を逮捕し、政界から追放しろ」と言っているわけで、これは要するに、「日本の政界には、清貧で、綺麗な政治家だけ残れ」と言っているようなものである。
 
この立花隆的な「金権政治家」批判の論理構造が、「日本沈没のシナリオ」であることは自明である。未だに論壇やジャーナリズムには、「金権政治家」や「土建屋国家論」への批判は根強いが、その種の批判に、僕は必ずしも賛成ではない。
 
むしろ僕は、「金権政治家」や「土建屋国家論」が日本と日本国民を救う、と考えている。つまり「金権政治家」や「土建屋国家論」が悪であり、それを追放することが正しい、という前提を疑う必要がある、と。そもそも、トヨタやキヤノンからの莫大な「政治献金」は綺麗な政治献金で、建設会社からの献金は汚い献金だ、と考える思考が狂っている。いずれにしろ、すでに、日本の現在の論壇やジャーナリズムでは、立花隆的な「金権政治家」批判は主流ではなく、むしろ立花隆的言説に対立するはずの「検察批判」や「マスコミ批判」が、多数派を占めつつある。これはどういうことかというと、われわれには、「ひよわな花」ならぬ、「無能で、清貧な政治家・・・」などに日本の将来を託すつもりはない、ということだ。おそらく、論壇やジャーナリズムも、「田中角栄事件」から「金丸信事件」、あるいは「小泉・竹中事件」を経て、「小沢事件」に至るプロセスで、その「金権政治家」批判、あるいは「土建屋国家論」批判の言説の裏にアメリカの対日戦略の政治性の影がちらついていることを、多くの日本人が学んでいるのである。つまり、立花隆的な「金権政治家」批判の言説の裏に隠された政治性の深層構造が何であるかを、多くの日本人が知ってしまったのである。
 
それを未だに知らないのか、知らない振りをしているのか分からないが、マスコミを舞台に、自ら進んで喜劇的な道化師役を演じているのが立花隆である。立花は、こういうことも言っている、「角栄は76年の2月にロッキード事件が明るみに出たあと、4月に会見して疑惑を全否定したが、そのときの迫力はいまの小沢など比べ物にならないほど凄まじかった。ところが、その角栄も3ヶ月後に逮捕されてしまう。私はいま、小沢の姿が、そのときの角栄にダブって見えて仕方がないんです。」(「週刊現代」2/4)と。
 
たしかに「田中角栄逮捕」に無邪気に拍手喝采したのは日本国民と日本のマスコミ・ジャーナリズムだったが、しかし、いつまでも、日本国民と日本のマスコミ・ジャーナリズムが同じだという保証はない。立花は、素朴に「小沢逮捕」を期待しているようだが、むしろ、政治や政治家の本質が見えていない似非ジャーナリスト・立花隆がマスコミから消える日の方が、そう遠くないと言うべきだろう。

昨日、野田佳彦財務相が、与党民主党のトップの座を勝ち取り、今日国会で正式に次期首相になる予定だ。2009年9月、民主党が政権について以来、三人目だ。
 
3月11日の地震と津波の後に起きた原発事故に対する、政権の対処しかたの誤りと、復旧作業に対する国民の反感が広まる中、金曜に辞任した菅直人に、野田が取って代わる。菅は、6月早々、主要派閥が、野党が提出した不信任案決議を支持すると脅した際、民主党議員の反乱を避けるため、辞任するつもりだと約束した。
 
緊縮政策の唱道者として知られる野田は、即座に“円高とデフレ、災害復旧と再建、[そして] 原発事故という、紛れもない国家的危機に対処すべく”党の結束を呼びかけた。ところが彼は、基本的な経済と外交政策問題の点で、ひどく分裂した党を引き継ぐのだ。
 
野田は、党の実力者小沢一郎が支持する候補、海江田万里経産相を、二回目投票で、215票対177票で破った。一回目の投票では、5人の候補者の誰も、過半数を獲得できなかった。海江田は143票対102票で野田に先行し、元外務大臣前原誠司は74票で、三位だった。
 
評論家連中は、第2回投票を、親・反小沢の各派閥の対決として、宣伝したが、sharp差異は、日本の支配階級が直面する広範なジレンマを反映している。グローバル金融危機が深化する中、日本の経済的衰退を、どうやって食い止めるか、二国間で、競争意識が激化しつつある中、日本の最大の経済パートナーである中国と、長年にわたる戦略的同盟国アメリカとの間で、どうバランスをとるか。
 
小沢は、日本と中国の間の関係の親密化を支持し、経済を不況から脱出させるという、民主党の2009年選挙のマニフェストの実施を含め、景気刺激策を唱導していることで知られている。2009年に圧勝し、民主党を政権につけ、半世紀にわたる自由民主党による、事実上の連続支配を終わらせた、鳩山由紀夫から、彼は多少の支持を得ている。
ところが鳩山の首相職は一年も続かなかった。社会的支出を拡大するという民主党の約束は、悪化しつつある国家債務危機に対処するために、緊縮政策をとるようにという増大しつつある、世界的な要求と、衝突することになった。日本は、国内総生産の約210パーセントという公債をもつ、世界で最も借金を負った先進国なのだ。
 
外交政策では、鳩山の中国とのより緊密な関係という呼びかけが、ワシントンでの反対を招いた。沖縄に米海兵隊空軍基地を維持するという、自民党政権との間で合意した協定の再交渉を拒否し、オバマ政権は、効果的に鳩山を断念させた。鳩山は、民主党の選挙時の主要な約束を破り、沖縄に基地を維持することに合意した後、沖縄での大衆抗議のさ中に辞任した。
 
2010年6月に首相となった菅は、緊縮経済と、不評な消費税の増税を巡る論議を訴えた。消費税への反対は、昨年の選挙で、民主党が参議院の支配権を失う上で、重要な因子となった。菅は、アメリカとの戦略的同盟も、あらためて強調し、昨年9月、東シナ海の係争水域における中国トロール漁船船長逮捕を巡り、中国との外交的対決を引き起こした。
 
54歳の野田は、民主党が2009年に政権を握った際に財務次官となり、昨年、菅により、財務相に任命された。彼は、緊縮政策をあからさまに支持していることで良く知られている。ジャパン・タイムズによると、地方紙で“財務省の公式候補”とあだ名をつけられたという。先週、彼はマスコミに、こう語った。“日本国内にも、海外にも、日本の財政規律は浸食されていないという日本のメッセージを送りたい”
 
日曜の候補者討論会で、野田は、壊滅的な地震と津波後の再建用の膨大な支出をまかなうために、暫定的な増税、および支出削減と資産売却を、公然と主張した唯一の人物だった。“もし財源が、それでも不足なら、国民に負担をしてもらうよう依頼することが必要になる可能性がある”と彼は述べた。小沢の候補、海江田は増税に熱心に反対した。
 
日本の財界人達は野田の勝利を素早く歓迎した。日本経済団体連合、いわゆる経団連の米倉弘昌会長は、“税、財政と社会保障政策に精通した安定した指導者であり、日本の政治が困難な時期に直面する中、[彼が選ばれたことで]元気づけられる。”と彼を称賛した。債券市場の反応は前向きで、10年物国債の利回りは、0.025パーセント下がった。
 
ウオール・ストリート・ジャーナルのコメントは、野田の市場志向資格について、より批判的だ。“彼の‘タカ派性’も、新たな、ケインズ流の豪勢な散財が、地震で荒廃させられた地域を再建するのに最善の方法なのかどうかを問うまでには至っていない。郵政民営化を元の軌道に戻したり、経済の大きな部分を規制緩和したり、移民政策改革等々の他の成長志向改革に関しては、「そんなことはどうでもいい」。
先週、国債格付け機関ムーディーズは、日本の格付けを、Aa2からAa3に引き下げ、次期政権に厳しい警告を送った。
 
昨日の世論調査では、多少とも人気を持っていたはずの唯一の候補者?元外務大臣前原?は一回目投票で破れた。先週末の読売新聞世論調査では、前原が48パーセントの支持率を獲得し、海江田は12パーセントで、野田は9パーセントと後れをとっている。ところが、民主党内部で、最大の票を支配している小沢が、前原が中国に対してタカ派的な為、前原に反対した。外務大臣として、昨年、漁船船長の逮捕を巡る中国との対立において、前原は決定的な役割を演じた。
 
外交政策については、前原ほど知られてはいないが、野田はアメリカのバラク・オバマ大統領の、中国に対する攻撃的な姿勢を支持する可能性が高い。最近、文藝春秋に掲載されたエッセイ中で、ワシントンの北京批判に同調し、こう書いている。“軍事能力に裏付けられて、南シナ海や他の場所で最近展開されている、中国の高圧的な外交姿勢は、中国が、地域内の秩序を崩壊させるのではないかという懸念をかき立てている”実際、アメリカは、海に関し、中国と対抗する主張を持つ、フィリピンやベトナムのような国々を支援して、南シナ海での緊張をかき立ててきた。
 
自衛隊員の息子である野田は、国際紛争を解決する手段としての、武力行使の権利を放棄する、いわゆる戦争放棄条項を削除する、日本憲法の改訂を支持している。アメリカが率いたアフガニスタンとイラク侵略を日本が支持する中、過去十年間、この九条は益々空文化しつつある。とはいえ、支配層は、依然それを、日本軍の拡張と、日本帝国主義の権益を追求するための日本軍海外派兵にとっての憲法上の障害だとしてみなしている。
 
野田は、今月始め、靖国神社に祀られているA級戦犯は、実際には戦犯ではなかったという2005年の発言を挑発的に繰り返した。この発言は、最初、議論の的となっている戦没者記念施設を、小泉純一郎首相が公式参拝し、中国と韓国からの批判を引き起こした行為を支持し、東京と北京との関係が著しく悪化させた。両国は、アジアで日本が行った、戦時の残虐行為を否定する日本の政治家の発言を利用して国内で、国粋主義感情を煽り立てた。
 
野田の最近の発言にも、韓国と中国は注目した。国営の新華社通信は警告した。“日本の新政権は、深刻な問題を抱えた中日関係や、極度の不信は、決していずれ側の利益にも、地域や世界全体の利益は言うまでもないという、議論の余地のない事実を認めることから始める必要がある。”
 
野田の首相としての任期は、菅や鳩山の任期同様、短いものとなる可能性がある。彼は、緊縮政策を加速するよう大企業から圧力を加えられ、分裂して、不人気な政権の指揮をとり、有権者達を更に疎外することになろう。先週末の読売新聞の世論調査では、自民党の23パーセントとは対照的に、民主党は、わずか21パーセントの支持だった。回答者の最大部分である、46パーセントは、どの党も支持しないと主張しており、特に若者の間での、既存政治体制全体に対する、深刻な疎外感を示している。

”輿石東幹事長”人事が波紋を呼んでいる。「党内融和」、「挙党一致」・「小沢派取り込み」。どれも一端の説明にはなっている。しかし最大の理由は、野田がそこまで恐怖を感じていたからに他ならない。6月2日の菅直人不信任騒動では小沢派敗北かと思われた。小沢一郎の求心力は弱まっていくものと思われた。しかしその後の小沢一郎の動きは、ますます求心力を高めていく方向にあった。

今回の代表選挙では自分の一票しか持たない海江田万里に第一回投票で143票を取らせた。鳩山グループの票を除いても100票は優に超える。決選投票では177票を取らせたのである。これに党員資格停止中の九人、離党させられている、石川議員、松木けんこう議員がいる。小沢一郎の求心力は衰えるどころではない。

「菅でなければだれでもいい」と小沢はいっていたが、それはこの自信からの言葉であったのだ。海江田担ぎも、小沢一郎の狙いは、求心力の維持・強化にあったのだ。その意味では小沢一郎は決して負けたのではない。玉が悪すぎたが……。それでもこの票数は驚異である。野田にとっては、”脅威”である。

**小沢氏が3グループを統合 会長就任へ 結束強化急ぐ(産経ニュース2011.8.30 )民主党の小沢一郎元代表は30日午前、衆院議員会館内で小沢グループの幹部約30人を集めた会合を開き、衆参で3つに分かれているグループを統合することを決めた。近く発足する新グループは100人を超える規模の勢力となり、小沢氏が会長に就く見通しだ。
(中略)
小沢グループは衆院当選1回生でつくる「北辰会」(約50人)、衆院の当選2~4回生でつくる「一新会」(約40人)、参院小沢系(約20人)に分かれており、連携不足が指摘された。会合には3グループに属さない原口一博前総務相、山岡賢次副代表、山田正彦元農水相も出席した****

原口もいよいよ覚悟をきめたようだ。鳩山に騙されて男を下げたが、それでも騙すよりは騙される方がいい。いい勉強になったろう。小沢のこの動きは、来年9月の代表戦に備えただけのものではない。離党の構えである。野田の人事次第では、離党するという決意の表れである。ちょっと前には、小沢が結党資金の調達に動いているという話しも流れたりした。1月1日が政党助成金の配分基準日である。

政党助成金は議員数による配分と、政党得票数割合による配分がある。100人の政党でいくらになるかは分からないが、小沢の背中を押すには十分な額になりそうだ。ちなみに民主党が2010年に受け取った額は173億円である。野田にしてみれば、総理になったとたんに100人以上の議員に出て行かれるという恐怖を抱えたことになる。100人規模の野党がいきなり出現するのである。自民党の西田昌司ひとりでももてあましている民主党には、国会乗り切りなど不可能である。

とりあえずは一週間程度の臨時国会でお茶を濁すかもしれない。所信表明演説、代表質問ぐらいはこなさなければなるまい。一旦臨時国会を閉じたとしても、第3次補正予算は早々に成立させなければならない。本格的な臨時国会の召集は不可避である。小沢を敵に回しては3次補正の成立どころか、臨時国会さえ乗り切れない。

9月26日の小沢秘書3人の判決も見極めたい。年内離党も押さえたい。そこで窮余の一策が”輿石幹事長”であろう。もし野田が長期政権を目指すのなら、そっくり乗り換える手もある。仙谷・前原・菅・岡田から小沢・鳩山への乗り換えである。170票に自分の40票、そして総理の権力にすり寄ってくる50~100票があれば主導権は維持できる。仙谷一派の基礎票など、権力の座から離れればいくらもない。

もちろん大連立が成立すれば、小沢の力は不要になる。野田に、仙谷一派、小沢グループ、自民党を手玉に取る力があれば意外と安定政権になってしまうかもしれない。野田にはそれだけの能力はない、とは思うが……。胆力と能力がなければ、三つの勢力の間で右往左往しておしまいということになる。

小沢一郎のつなぎ止めこそ、輿石幹事長人事の狙いであろう。たとえ、反主流であってもいい。民主党内に小沢グループをとどめておかなければならないのだ。野党・小沢新党は、野田にとっては悪夢である。衆議院首班指名選挙の開票結果発表で、「小沢一郎 1票」という発表に期せずしてどよめきが起こった。決して「1票」に対する嘲笑ではない。「海江田万里1票」にもどよめきが起こった。続いて「横粂1票」には爆笑が起こった。

「小沢一郎 1票」に対するどよめきの意味はなんだったのだろうか?「小沢一郎」と書きたくても書けなかった180人からの議員の胸にぐさりと突き刺さる1票であったろう。「1票」の後ろに180人の存在を感じ取った議員もいたことだろう。投票の主は石川ともひろ議員だという。納得の一票である。「海江田万里」への1票は松木けんこう議員だという。こちらはこちらで納得できる1票である。「横粂」への1票も筋は通っている。自分以外総理適任者はいないという信念ではあろうが、爆笑も仕方なかろう。

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