隷属と云うぬるま湯 米国よりも早く沈むわらい話

世相を斬る あいば達也 2019/05/28

此処ここに至って、今さら、日本の経済を好転換するとか、更なる経済成長を目指すとか、そのような言辞に政治が明け暮れているようでは、根本的に自国の問題を捉えていない、いわば、為にするキャッチコピー政治なのである。

最近、コラムの執筆が途絶え気味なのは、激動の世界情勢から隔離された自民安倍のファンタジー政治が、善かれ悪しかれ、何の意味もない政治だと判っていながら、その政治に“NO”を突きつけない主権者が多数を占めていると現実を知った所為かもしれない。

安倍晋三が、どれほどの悪政を行おうと、或いは、善政に気づいたとしても、現在の日本の構造的根本問題に与える影響は軽微と見ている。そう思うと、今さら、安倍の悪口を書いても、徒労だと気づいたからである。

やはり、日本が変わるには、誰が何と言おうと、対米従属な濃密な不貞関係を清算しない限り、永遠に意味のない政治は繰り返されるだろう。

令和に入り、初の国賓として、日本のメディア界が大フィーバーして歓迎している米国大統領ドナルド・トランプ報道だ。共同声明も何もなく、ただ、宗主国の大統領が、支配国の象徴天皇に会いに来た、それだけのことに、あんな馬鹿げた警備を敷いたのである。

無論、第二次大戦の敗戦国から立ち直る方法として、米国追随は、歴史的に必然だった面が大きいのは事実だ。 東西冷戦という世界的構図においても、西側の一員として、対米従属には“理と利”があったと言えるだろう。

しかし、東西冷戦の崩壊と云うターニングポイントにおいて、日本では、東西冷戦の崩壊後の世界秩序などについて、本気で議論された痕跡が見られない。 つまり、東西冷戦時に出来上がった、日本国中に“隷米マインド”が充満していて、対米独立など、意味のない議論だと思い込まれてきたわけである。

しかし、世界全体を見まわしたとき、英国を含むEU諸国、ロシア、中国、アフリカ、中東、南米諸国では、米国追随に関して多くの議論が交わされていた。韓国、北朝鮮、ASEAN諸国においても、対米関係に関して、それなりの議論がなされた。しかし、唯一、日本と云う国だけは、対米関係の距離感など考える余地もなく追随した歴史的経緯がある。

政界も、官界、経済界も、国民の末端に至るまで、パックスアメリカが永遠と云う幻想の中で思考停止していた。

当然だが、そのような思考停止の中で、ポジションの獲得競争がなされていたわけだから、日本と云う国は、時間を追うごとに、病的なまでに“親米国家”の道まっしぐらになったわけである。

そんな中でも、対米従属関係に抵抗した政治家はいる。石橋湛山、鳩山一郎、田中角栄、鳩山由紀夫等々だが、田中角栄を除けば、明確な政治的足跡を残すことは出来なかった。

今の日本は、対米従属の中でのポジション争いが行われ、その勝者が、支配層に、然るべくポジションを得ているので、対米自立を目標にしても、何ひとつ得るものがない世界が出来上がっている。

つまり、政治における環境が、岩盤に近い強靭さがあるため、だれ一人、手も足も出せない状況になっている。 このような状況では、“嫌米主義”の筆者といえども、手も足も出せないのが現実だ。

おそらく、お利巧な国民の多くは、“嫌米”な態度を取ること自体、自分や自分の家族にマイナスな影響が及ぶと考え、仮にそのような気持ちがあっても、押しとどめているのだろう。

このような状態になると、自力で、対米従属な日本の状況を変えることは不可能になってしまう。 どこかの国が、米国を滅ぼしてくれるか、連邦制が崩れて米国が消滅するか、米国にだけ隕石が落ちるなど、SFな想像の世界で愉しむしかなくなることになる。

我が国の三権が、対米従属を続け、重要な自己決定権を失っている限り、国民が、疑似主権者として、疑似的主権を行使しても、国の仕組みが変わらないことを自覚している国家では、選挙にどれ程の意味があるのか、甚だ疑問だ。

このように考えていくと、正直、身もふたもないのだが、本気で、自分の国を考えれば考えるほど、対米従属、隷属が、国を腐らせていると思わざるを得ないのだ。

無論、対米従属によって70点や80点と云う合格点を貰える世界情勢であれば、それも良いだろう。しかし、今後の対米従属・隷属はリスキーなものであり、30点、40点と落第点を取る可能性が濃厚になっているのだから、思考停止の呪縛から解き放たれて貰いたいものだが……。