いまだに大きな顔をして報道番組で御託を並べている記者上がりのコメンテータはどうするつもりか

いよいよ「陸山会事件」で指定弁護士による小沢氏「検審起訴」の根拠がなくなり、登石裁判長以上の「推認」に「推認」を重ねる無理をしなければ、小沢氏に有罪判決を言い渡すのが困難になった。それでも小沢氏に「有罪判決」を大善裁判長が下したなら、大手マスコミは拍手喝采するかもしれないがネット市民は許さない。それこそ最高検・最高裁に対する批判が澎湃として湧きあがり収拾のつかない事態に陥るだろう。

ことここに到っても、テレビで大きな顔をして根拠もなく検察情報を垂れ流して小沢氏を極悪人でもあるかのように評していた報道番組のMCやコメンテータたちが未だに平然と出演しているのには驚きを禁じ得ない。彼らはテレビ電波という公器を利用して何をやったのか、自覚すらないのだろうか。
起訴すらされていない、検察の調査が入った段階で既に「民主党党首」を辞任すべきと騒ぎたて、幹事長に退いた小沢氏に対して、何の根拠もなく元秘書の現職国会議員が逮捕されるや非難の嵐を連日浴びせて小沢氏の名誉を著しく傷つけ、人権侵害ともいうべき悪辣な人格攻撃を繰り返し行った。その証拠は各テレビ放送局のビデオテープにしっかりと残っているはずだ。

私たちは決して忘れない。テレビ報道番組で名だたるMCや記者の古手コメンテータや小説を書かない小説家や研究論文を発表しない大学教授と称する怪しげな電波芸者たちが口を極めて小沢氏を非難・中傷していたことを。いかに知らん顔をしてもビデオテープにしっかりと証拠は残っている。

小沢氏の現状に対して彼らはどのような責任を取るのだろうか。どのようなコメントを述べるつもりだろうか。それともダンマリを決め込んで、自分たちが仕出かした小沢氏に対する冒涜と人権侵害を「なかったこと」にするつもりだろうか。民主主義を基本とする法治国家において世界的に「基本的人権」は尊重されるべきで、法廷の判決により罪を確定されない限り「罪人」として扱われない「推定無罪」は国家権力の乱用を戒める法理念の基本だ。

しかしこの国のテレビ報道番組のMCやコメンテータたちは「推定有罪」の思い込みで被疑者扱いして、小沢氏を民主党代表からも幹事長からも追いやった。その罪たるや万死に値する、と思わない者はテレビ画面から消え去るべきだし、二度とテレビに登場してはならない。検察や最高裁はどのように責任を取るつもりだろうか。この国の根本原理を踏み躙り、主権在民の憲法精神に反する行為を犯した罪は弾劾裁判どころではない。

21世紀のこの国に中世の魔女裁判に匹敵する暗黒検察と暗黒裁判を存在させた甚だしい汚点は未来永劫に戒めとして語られなければならない類のものだ。どのように責任を取るつもりか、国民は検察と裁判所を注視している。そして議事録の公開なき第五検審会の存在も民主主義に反するものだということを特筆しておかなければならないだろう。