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以前から緊急事態宣言をすべきとしていたがやっと宣言された。30万円の支給とさかんにTVで宣伝させていたが、蓋を開ければ非課税所得程度に減収にならなければもらえない。ほとんどの人はもらえない。貰えるにしても書類を10枚以上を書かないともらえない。

このようなめんどくさい申請では、余程根性のある人でないとあきらめてしまう。一番困窮している弱者には面倒で申請すら出来ない。帳票を見ただけでどう書いたら、どう書類を揃えるかわからない。

安倍首相は記者会見のとき、イタリアの記者から失敗したらどう責任を取るのか?と聞かれ、安倍首相は「責任を取ればいいというものではない」と答えた。これを聞いて、なるほどと強く納得がいった。安倍首相の辞書には「責任を取る」という文字がないということだ。

加計、森友、桜も決して罪を認めない。官僚を使って改ざんまでする。その挙句に、全く罪の無いまじめな職員を自殺に追い込む。これに対して加担したものは全てよくやったと昇進のご褒美を与える。とんでもない男である。責任をとるとズバッと言えないことが本質である。

加計、森友、桜も全て自分が手を下したものだが、今回のコロナ感染は人の命が掛かっている。コロナで一番被害を受けているイタリアの記者が敢えてそのような聞き方をした裏には安倍の施策では上手く行かないのではないかと思っているからだ。森友の時と違って安倍も完全に逃げを打った。

責任を取ると言えないところに安倍の本質を示している。責任なんか決してとれないのだ。自分で全く自信がないのだ。なぜなら、断固とした自分の信念からの対策はないからだ。非常事態宣言地域から外された愛知県の大村知事の方が余程信念がある。なぜなら大村知事は愛知県のコロナ感染の処理にちゃんとやっているので政府が口出ししないでほしいと述べたからだ。

そのことを、安倍が不快に思って宣言地域から外されたのだろう。こういう大人気ないことを平気でするのが安倍である。全てがこれである。自分になびくものは可愛がり、楯突くものには無視、不利益を与える。こんなことをやる政治家はその任と双極にある。