真実の報道神秘

権力の『おかしな政策』におかしいと報道しない日本で、一人でも『おかしい』と声を上げ、真実を追求して行きます。

2014年05月

緊急会見で失政ゴマカシ 安倍首相に振り回される拉致家族


日刊ゲンダイ 2014530

 

何事かと思ったら、拉致問題の失政をごまかすパフォーマンスだった。29日の夕方、「緊急会見」とテレビが打って、騒いだ安倍の“ぶら下がり会見”生中継のことだ。記者会見もなにも安倍が一方的に1分間くらいしゃべっただけ。それも北朝鮮が拉致問題に関して、「包括的全面調査を行うことを約束した」と言うだけで、具体的中身はというと、要するにこれまでの「圧力外交」を完全に引っ込め、軟化路線に方向転換、それを「エサ」に北に「再調査」を約束させたのである。

 安倍はさも自分の外交成果で拉致問題が進展したかのような言い方をしたが、ちょっと待って欲しい。これまでの強硬路線は何だったのか。横田さんら拉致家族は安倍に振り回されただけではないか。むしろ、コブシを振り上げてきただけの安倍の外交失政を問いたくなる。

「日朝政府間協議にはいくつもの疑問点があります。北は拉致被害者の全面調査を実施するというが、期限は区切っていないし、調査の開始と同時に日本は北への制裁を解除し、人道支援の検討をする。北にしてみれば、調査のふりでも制裁は解除されるわけで、これまでの安倍タカ派外交からは考えられない転換です」(外交事情通)

 

北朝鮮が幕引きに利用する可能性

 北朝鮮の金正恩は叔父で後見人だった張成沢・元国防副委員長を処刑し、核問題でも強硬姿勢を崩していない。それなのに、安倍の妥協は不自然だ。一説には朝鮮総連中央本部ビルを賃貸し、そのまま使えるようにする“密約”説までが囁かれている。だとすれば、全面譲歩みたいな話だ。国際ジャーナリストの春名幹男氏はこう言う。

「安倍首相はこれまで北朝鮮に対し、対話と圧力と言いながら、圧力重視でやってきた。その路線から見ると、今度の発表の中身はいかにも甘いところがあり、国内の政治問題との関連を問われる可能性がありますね。つまり、安倍政権は集団的自衛権の問題で厳しい局面を迎えているので、拉致問題を進展させ、求心力を高めたい。それで集団的自衛権を動かしたいという思惑です」

 拉致調査再開で2、3人が帰ってくる可能性はないとは言わないが、これが北の幕引きに利用される可能性だってある。少なくとも、調査開始だけでTVカメラを入れて記者会見をやった裏には政治的思惑が見え隠れする。それに乗っかり、大騒ぎした大メディアもどうかしている。

《これは酷い》 安倍首相「イラク戦争は大量破壊兵器が無いと証明出来なかったイラクが問題」

 

http://saigaijyouhou.com/blog-entry-2676.html
2014/05/29
 真実を探すブログより転載

 

528日に行われた衆議院予算委員会の集団的自衛権に関する質疑で、安倍首相が「イラク戦争の原因は大量破壊兵器が無かったことを証明できないイラクが問題」というような発言をしました。これは集団的自衛権を巡る民主党議員の「イラク戦争のときに日本は間違った情報で判断した」というような質問に対する安倍首相の返答です。


イラク戦争に関してはアメリカやイギリスも過ちを認めているのですが、日本の首相がここまで言い切ってしまうのは色々な意味で凄いと私は思います。安倍首相は過去にも類似するような発言をしており、「イラク戦争は大量破壊兵器が無かったことを証明できなかったイラクが悪い」と本気で考えているようです。ここまで酷いと、彼に何も言う必要は無いかもしれませんね・・・(苦笑)

岡田議員:
例えば、イラク戦争のときにアメリカの説明を鵜呑みにして日本はあのときに自衛隊を出したわけです。後から考えるとですね、検証なしに同調していたことが明らかになったと思います。そうなると、日本が自ら国際法上正当なものだと確認できるのか。そのときにハッキリと日本は言う事が出来るのか?と思うのですよ。いかがです?


安倍首相:
前提として、日本が自衛隊を出したのは戦闘が終わった後、 言わばイラクという国の再構築のためにサマワに自衛隊を派遣したわけでございまして、言わば戦闘行動に参加したわけではありません。
~省略~
で、あの際にもですね、累次にわたる累次にわたる、言わば国連決議に違反をしたのはイラクでありまして、 そして大量破壊兵器が無いことを証明できるチャンスがあるにも関わらず、それを証明しなかったのはイラクであったということは申し上げておきたい。こう思うわけであります。

 

判決に関電欠席 大飯原発の住民勝訴が裁判官に与える衝撃

週刊朝日  201466日号

関西電力大飯原発34号機の運転差し止めを求めた住民の訴えが521日、福井地裁判決で認められた。福島原発事故以降では、初の住民勝訴の画期的な判決だが、当事者の間では判決前にすでに決着が着いていたようだ。

「こちらが求めた大飯原発の基準地震動に対する釈明に関電は期日までに応じず、証拠も出しませんでした。業を煮やした裁判官が、『被告の態度いかんでは結審する』と言い、3月の結審が決まったのです。そのとき、勝訴を確信しました」(原告弁護団長の佐藤辰弥氏)
 
今回の裁判で争点の一つとなった「基準地震動」は安全対策の基準となる地震の揺れの強さを想定するもので、関電は「700ガル」とした。だが、これを超える地震がこの10年間に5回も起きている現状がある。判決はこの点を「基準地震動を超える地震が大飯原発に到来しないというのは、根拠のない楽観的見通しにすぎない」と厳しく指摘している。
 
この裁判を見続けてきた判事経験のある弁護士も、住民勝訴を予測していた。「裁判の後半になって裁判官が原告側の主張や立証を制限しているのを見て、これは勝たせるつもりだと感じました。もし原告を敗訴させるなら、主張を制限せず言いたいことを十分に言わせるものなのです」
 当の関電側も負けを見越していたようだ。判決言い渡しの法廷に被告側は弁護士を含め誰一人として姿を見せず、被告側空席という異様な判決の光景となった。
 
欠席理由について関電広報部は、「裁判所の指定した期日に代理人の都合が合わなかったから」と弁明する。だが、判決日は双方の合意の下で決められているのである。追い詰められた被告側のせめてもの抵抗なのかもしれないが、佐藤氏はこうした関電側の態度を、「法廷軽視以外の何ものでもない」と非難する。
 
今回の運転差し止め判決が、他の原発裁判にも影響を及ぼすのだろうか。「原発と人権ネットワーク」によると、現在国内の16の原発や再処理工場などで、26件の差し止め訴訟が行われている。福島原発事故の責任を問うものも含めると、原発訴訟は全部で50件近くに上る。
 
前出の元判事の弁護士はこう指摘する。
「裁判官は、自分以外の裁判官がどう判断するかにとても関心がある。みんな今回の判決を参考にするだろうから、他の原発訴訟にも影響をもたらすでしょう」
 
関電は控訴したため、まだ判決は確定していないが、裁判官心理に与えたインパクトは小さくないようだ。
「司法は生きていた」と歓声を上げた原告団の声は、上級審の裁判官にも届くのだろうか。
 

福島原発事故の記憶は風化してはなりません。この写真は何回も見て記憶に焼きつけるべきです。

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TPP交渉 情報開示を強く求める(北海道新聞) 
環太平洋連携協定(TPP)交渉のシンガポール閣僚会合は大筋合意には至らず、7月の首席交渉官会合など今後の日程を決めて閉幕した。関税、知的財産、国有企業などの難航分野で、参加各国の対立点は依然多いとみられ、妥結の目標時期も設定されなかった。 
それでも、甘利明TPP担当相は7月がヤマ場との見方を示し、「霧は晴れてきた」と交渉の進展を強調している。一体、何がどう前進したのか。守秘義務を盾に協議内容が明らかにされないため、交渉の進み具合はおろか日本の立場すら不明だ。国民には判断材料が全くない。あらためて政府に情報の開示を強く求める。 
中身を伏せたまま、なし崩しに合意に近づくことへの国民の不安はむしろ高まっている。閣僚会合の共同声明には、市場アクセスとルールについて「集中的に協議する道筋を決定した」との文言が盛り込まれた。4月末の日米首脳会談の共同声明にも同様の表現があるが、「道筋」とはどういうことか。 
首脳会談後、懸案の牛肉・豚肉の関税について、交渉関係者から少しずつ情報が漏れてきた。 政府は、関税の下げ幅、下げるまでの期間と段階、緊急輸入制限措置の発動条件、低関税の輸入枠などを組み合わせて落としどころを探っているという。 甘利氏が言う「方程式」とは、この組み合わせを指すようだ。 
これでは、関税引き下げを前提とした条件闘争で、牛肉・豚肉はもはや聖域とは呼べない。農業関係者にとっては譲歩の方程式だ。こんな道筋をたどることは、到底容認できない。国民の不安を背景に、民主党など野党5党は、交渉状況などの国会報告を政府に義務づける法案を衆院に提出した。 
TPPは農業に限らず、医療、環境など多くの分野にかかわり、参加各国の制度の変更を迫る可能性もある。そのような協定の作成過程に、国会のコントロールが全く及ばないのはおかしい。 日米両国は首脳会談の成果を強調して交渉を主導しようとしたが、今回も不発に終わった。二つの経済大国が強引にまとめるやり方では他の参加国の反発を招く。 
政府は米国に追随するのをやめ、まず国民に説明を尽くす必要がある。少なくとも国会と利害関係者には情報開示に向けた最大限の努力をするべきだ。
 

PC遠隔操作事件:マスコミがあえて触れない「事件の真相」
http://nobuyoyagi.blog16.fc2.com/blog-entry-717.html
2014-05-28
 八木啓代のひとりごとより転載


 ここ数日、雑用も含め仕事に追われていたこともあるが、もしかして、どこか大手メディアで一社でも、まともな報道をするところがあるかどうかを見ていた。
 残念なことに、見事なほどなかったどころか、誤報を通り越して、むしろ、捏造に近い記事まで出ている有様なので、やはり書かねばなるまい。

 さて、まず、誰しもが不思議に思うのは、片山氏が真犯人であるとして、この真犯人は、
 
(1)1年もの間、全面否認を続けただけではなく、弁護団を騙し通した。言うまでもなく、この弁護団は、「人を見る目がない新人弁護士」ではなく、足利事件を扱った佐藤博史弁護士や、東電OL殺害事件に関わった木谷元裁判官も含む、「人を見るということにかけては大ベテラン」の方たちである。いわゆる「人を信じやすいピュアーな人が詐欺にひっかかった」、というようなレベルの話ではないのは明らかだ。(というか、そう思っている人がいたら、相当な世間知らずであろう)
 
(2)では、なぜ、海千山千の弁護団が、自信を持って片山氏冤罪を信じたか。

 刑事弁護人である以上、原則として、被疑者の主張を信用するという立ち位置もあるが、それ以上に、この件に関しては、一年に及ぶ片山氏の主張に、通常、犯人であるならどこかに生じる齟齬や矛盾がなかっただけではなく、本当に犯人であるなら、「監視カメラに猫に首輪をつける瞬間が映っていた」「携帯から猫の写真が復元できた」といった「誰が見ても決定的証拠と思われる」報道に対して、動揺するどころか、自信を持って否認を続けたというところにある。
 

そして、実際に、公判前の検察の証拠開示において、そのような「決定的な証拠」はまったくなかったの。つまり、「監視カメラに猫に首輪をつける瞬間が映っていた」「携帯から猫の写真が復元できた」といった「誰が見ても決定的証拠がある」系報道は、すべて「誤報」、もしくは、「検察のデマリーク」に基づいた報道であった。
 
一方で、後に、片山氏は「自分はサイコパスである」と佐藤弁護士に語った。それも、「真犯人の人格が出ているときは、平気でどんな嘘でもつける」「完璧な演技も自然にできてしまう」「その真犯人人格が出て切るときは、自分でもコントロールできない」と説明しているそうだ。
 
いわゆる「片方の人格が出ているときは、もう一つの人格にはその記憶がない」といわれる典型的な多重人格ではないようだが、実際に、以前にも、解離性人格障害の診断を受けたことがあったのだそうだ。
 
佐藤弁護士は、改めて、今回、裁判所に片山氏の精神鑑定を依頼しようとしているが、それは、精神障害をもって、片山氏に責任能力がないことを主張するためではなく、あくまで事件の真相を解明したいからであるし、片山氏も精神鑑定をもって無罪主張や減刑を求めるつもりはないそうだ。(この点について、デマ報道をしているメディアがあるので注意)
 
(3)次にIT系の話になる。
検察は片山氏をウイルス作成罪で立件できなかった。すなわち、「FBIとの捜査協力で明らかになった、Dropboxの中に、片山氏がウイルスを作成していた痕跡」というのもデマリークだったことが、公判前に明らかになった。
 
さらに、公判になって、検察のIT関係の主な主張は「片山氏にC#が使えた可能性がある」というものが主だった。むろんこれには証拠はないし、仮に多少使えたところで、それが犯人である動かぬ証拠、というのは無理がある。だから、そもそも、検察は、ウイルス作成罪では立件できなかった。
 
そこで、検察が固執していたのは、片山氏の勤務先のパソコンの「ファイルスラック領域に痕跡がある」というものだった。これを「最大の証拠」としようとしていたのだが、この主張には、実は、どう考えても無理があった。
 

つまり、もし、片山氏のバソコン(正確には、勤務先のパソコン)が、乗っ取られて、さらに遠隔操作されていたとする。その場合、原理的には、「ABC」と書いたファイルに「AB」で上書保存すればスラックには「C」が残る。特定のスラック領域に「C」と(OS経由で)書き込むのは難しいけれど、犯人の行為としては、どこに「C」を残してもOKだったわけだから、これは簡単なわけだ。
 

というか、単に「痕跡と認められるもの」さえあればいいのであれば、真犯人が開発していた環境をまるっと片山氏のパソコンにコピーして、それを消してしまえば、あっさり検察の主張している状態になる。すなわち、真犯人が「iesys.exeを作った環境」を持って来て、それを全部消すだけで、検察の主張している「ファイルスラック領域に痕跡がある」状態にできてしまうわけだ。
 
つまり、ITのプロが見れば、こんなの証拠でも何でもないわけで、相手が、ITに無知な裁判官であり、かつ、弁護人にもプロのアドバイザーがいなければ、騙し通せるかもしれない、というレベルの主張にしかすぎなかった。
 
これからIT犯罪が増加するのは目に見えているだろうに、こんな無茶苦茶な根拠で、人が有罪にされては、今後、大変なことになる。それが、私と「当会協力者のITのプロ中のプロであるホワイトハッカーの皆様たち」の危惧であって、それだからこそ、ハッカソンを企画して、「検察のこの主張は無理がありすぎ」なことを実証しようとしたわけだ。
 
この点について、「片山氏のパソコンが遠隔操作されていたなら、それはそれで、その痕跡が残るはずではないのか」という疑問をお持ちの方もあろうが、それも含めて、「いや、いろいろ『紛れ込ませる方法』とかあるんですよ」とかいうハッカーさんもいらっしゃったりしたので、そういったことも含めて、実験は必要であると考えたわけ。
 
(逆に言えば、『紛れ込ませる方法』も含めて、高度な技術を持つハッカーさんの手口を検証したうえで、問題のパソコンのアクセスログデータを改めて解析すれば、「遠隔操作されていなかった」ことを立証できたかもしれなかったわけで、私たちとしては、警察なり検察には、どうせなら、それぐらいのレベルの、皆が納得できる立証をしてほしかったわけだ) 
 
では、検察が、もっと別の、まともな証拠をなぜ出せなかったのか。おそらく、本当に、彼らは見つけられなかったのだと思う。某有名セキュリティ社が検察側の証人になっていたが、あくまで言えたのは、「片山氏に作れる可能性がある」ということだけだった。しかしこんなものはあくまで「悪魔の証明」に過ぎず、「作れる可能性がある」=「犯人」とはいえない。実際には、検察に協力していた、この某社の方も、ファイルスラック主張の致命的な欠陥に気づいていなかったわけはないのだが、実際に、それ以外に「片山氏が犯人である根拠」を、なにも見つけられなかったのだろう。
 
「片山氏でもeisys.exeを作れたはずだから、犯人でもおかしくない」とかいうコメントをつけている人がいたが、「作れるかもしれない」=「犯人」ではないし、「犯人でもおかしくない」というのは、心証としてブログに書くレベルなら何の問題もないが、それを理由に裁判で有罪というのは、まともな司法のあり方ではない。ある意味、この検察の主張は、IT関係者に「サイバー警察とか検察の実力ってこの程度」みたいなことを晒すことになってしまったといえる。残念であるとともに、今後を危惧する。
 
(4)さらに、片山氏には、無実のかなり有力な証拠が出てきていた。つまり、猫の首輪につけたセロテープからは別人のDNAが検出されたのである。(このトリックについては真犯人メールで説明されている)
 
刑事弁護士であるなら、刑事被告人が無実を主張している限り、いくら怪しくても、それに沿って、被告人の主張を代弁するのが仕事である(それが嫌なら辞任する)、という刑事弁護士としての「あるべき役割」は別としても、これだけの事実が揃っていれば、弁護団が片山氏の無実を信じたのはむしろ、まっとうであり、それを騙されたと責めるのは筋違いだ。
 
また、江川紹子氏は、「このまま裁判が続いていたら、(IT関係の証拠などで)片山氏は有罪になっただろう」と書かれているが、それも違う。IT方面での検察の立証は無茶苦茶だった。むしろ、あの証拠で、有罪になっていたとしたら、そちらの方が問題だった。
 
(5)さて、ここからが本題だ。

 真犯人、片山氏は、狡猾極まりないトリックを使っていた。
 すなわち、無実のかなり有力な証拠であった「猫の首輪につけたセロテープの別人のDNA」はトリックだったのである。このことは、彼が「真犯人メール」で自分でトリックを書いてしまったことで明らかになった。
http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20140516
 そして、さらに佐藤弁護士が、片山氏に聴き取りを行った結果わかったことだが、なぜ、片山氏が、自信を持って、否認を続けることができたのか。

 

それは唖然とするような理由だった。つまり、真犯人であったからこそ、片山氏は、「携帯から猫の写真が復元できた」などということがあり得ない、つまり、これがデマ報道であることを知っていたのだ。となると、なぜ、このようなデマ報道がなされるのか。当然、検察が片山犯人説を強めるためにデマリークをしているわけだが、本当に証拠があるなら、デマを流す必要はない。となると、他の「犯人確定」報道もすべてデマではないのか? であれば、決定的な証拠など、本当は、何ひとつないことになる。
 それが、彼の「自信を持って否認を続けられる根拠」だった。

 

もちろん、彼が真犯人である以上、監視カメラに「猫に首輪をつける決定的な映像」がある可能性もあった。しかし、検察で最初に取り調べがあったとき、検察官が「江ノ島に行ったかどうか」を訊ね、片山氏はもちろんそのことを認めたわけだが、それ以上、なにも突っ込まれなかった。いわんや、証拠の映像(もしあったら、本当に動かぬ証拠だ)を突きつけられることもなかった。そこで、彼は、監視カメラの決定的な映像も存在していないのだと確信したという。
 

だとすれば、検察の主張はすべてデマであり、公判は自分に有利になる、彼はそう踏んだ。つまり、検察のデマリークとそれに乗ったマスコミの誤報が、もっとも真犯人を利していたのだ。 このことは、佐藤弁護士が5月22日の記者会見で詳細に述べたことであり、特に誤報(というか検察のデマリーク垂れ流し)を連発していた新聞社については、実名を出しての批判もされていた。
 
しかし、その最も重要な(そして、マスコミ各社には不都合な)事実を報じた社は一社もない。この事件の報道に関しての検証記事を書いたところもない。それどころか、この記者会見そのものについても、トンデモな、捏造報道が行われた。これはあとで書く。
 
(6)さて、そうだとして、まだ大きな疑問が残る。
 私自身が、PC遠隔操作事件:河川敷のスマホにまつわるこれだけの謎で書いたことだが、その疑問のいくつかは、片山氏が佐藤弁護士に行った告白によって、かなり氷解しているので、ここで記す。
 
まず、問題のスマホは秋葉原で白ロムを購入し、SIMは、ある方がコメントしてくださっていた http://ascii.jp/elem/000/000/884/884763/  こんな買い方もできます。 だった。もっとも空港まで行ったわけではなく、現在、秋葉原で自販機で売られているそうだ。
 
彼はそれを入手し、一ヶ月かけて真犯人メールを書き、5月15日に埋め、16日の公判中に送られるようにセットした。真犯人メールに書かれていた「片山氏が一言一句記憶していないはずの『過去の真犯人メール』の文言」については、裁判の証拠開示の中で、彼がpdfファイルで入手していたので、それを書き写したのだそうだ。(このことは弁護人自体忘れていた)それにしても、いままで狡猾だった犯人にしては、杜撰すぎる行動だった。
 

興味深いのは、このメールに関して、受け取った落合弁護士は、「書きぶりがやや違う気がする」ことを第一印象としてツイートされている。
https://twitter.com/yjochi/status/467154465020076032
 それもそのはずで、片山氏によれば、それまでの犯行を企て犯人メールを書いた「真犯人の人格」と違う、自分自身が、この最後のメールを書き、河川敷に埋めたのだそうだ。

 
つまり、自分で、「真犯人人格だったら、こういうふうに書くだろうな」と想像しながら、できるだけ汚い言葉を使って真犯人メールを書き、そして、狡猾な真犯人ではない方の人格だったからこそ、それまで真犯人人格がやっていたように、携帯のDNAをきれいに拭き取り(できれば他人の指紋やDNAをつけるぐらいの小細工をして)埋めるというようなことを「思いつかなかった」し、万一、それを見られていても、「携帯を埋めたのは自分だが、それは裁判を終わらせたかったからで、あくまで自分は犯人ではない」と主張できるようなトリックも弄せなかったということだ。
 
(もっというなら、もし、ここで真犯人人格がやっていたら、仮に行確されていなかったとしても、そもそも河川敷みたいな、携帯の発信基地局から場所の特定が容易なところに埋めなかったと思う。) むろん、スマホを回収する気はなかった。 もちろん、片山氏自身に「虚言癖がある」というか、自身が認めているように、完璧に嘘がつける人ではあるので、彼の言うことを100%信じられるわけではないが、この件に関して、「真犯人の狡猾さ」と「DNA付きのスマホを河川敷に埋めた行為のお粗末さ」の違いについて、見事に説明がつくのは確かである。
 
そして、恐るべきなのは、本当は、この真犯人メールは、公判で、万一、彼が有罪になって収監されたら送るつもりだっていたのを、母親との対話の中で、早く裁判から解放されたいという気持ちから、こんなタイミングでやってしまったということだ。つまり、片山氏の中の犯人人格がもっと強ければ、あやうく、完全犯罪は成立するところだったのである。佐藤弁護士が記者会見で言っていた、「天が見ていた」というのはそういうことである。
 
(7)もうひとつ。警察の行確(行動確認=いわゆる尾行)の問題がある。
 すでに、いくつかの社が、「警察の執念」などというヨイショ記事を出しているが、それどころか、ここにも、とんでもなく大きな問題がある。もし本当に、警察官が片山氏がスマホを埋めた瞬間を目撃していたのであれば、すぐにそこを調べればいいことなのである。彼は保釈中なので、証拠隠滅の現行犯逮捕だって可能だ。であれば、事件は15日のうちに解決していた。
 
さらなる問題は、16日公判中に真犯人メールが送られ、あわてて、前日に、該当するあたりで不審な行動があった報告を思い出して河原を掘り返し、スマホを発見したのであれば、その段階で、すみやかに、弁護士を通じて片山氏の任意出頭を求め、それに応じなければ逮捕すればいいはずである。にもかかわらず、19日に、先にマスコミにリーク情報が流れ、片山氏は逃亡した。
 

片山氏が真犯人なら、逃亡する可能性があることは、バカでもわかることだ。むろん、泳がせたわけではない。その必要もない。
 このもっとも肝心な日、警察は片山氏には行確をつけていなかった。(報道していないだけで、実はつけていたかもしれません、とかいう想像系コメントは止めてもらいたい。つけていなかったことは確認済みだ)

 
片山氏は、都内の公園で自殺を図ったが、ベルトのバックルが外れて自殺に失敗し、高尾山を彷徨ったが死にきれず、京王線で飛び込み自殺を図ろうとして、その前に佐藤弁護士に告白の電話をして、佐藤弁護士の必死の説得を受けた。前にも書いたが、もし、片山氏が自殺に失敗していたら、事件の真相は永久にわからないままだった。 それを考えると、19日にスマホの件について片山氏の身柄を確保する前に、マスコミにリークしてしまったのみならず、身柄確保ができなかったのは、「警察の執念の捜査が実った」どころか、「あんたら、どこまで間抜けなの」という話にしかならない。
 
いずれ裁判で明らかになるとは思うが、警察官がスマホを埋めたのを目撃したというのも、私は信用できないと考えている。遠くから行確していただけではないか。公判で、片山氏が猫を抱いているところが映っているだけの映像を「猫に首輪をつけている映像」と強弁し、失笑を買ったのと同じで、あとになって、しゃがんでいるだけの姿を「地面に何かを埋めるような仕草」というのは簡単だ。真犯人メールから送られた基地局を特定し、その付近に片山氏がいた形跡があったことから、あわてて、掘り返しただけではないのか?
 
ちなみに、片山氏には、この携帯の基地局を偽装するプログラムを使うほどのIT能力はなかった。それをやられていたら、果たしてどうだったのか。これも微妙な問題である。
 

(8)いずれにしても、片山氏が一番恐れていたのは、検察ではなく、実は弁護団だったそうだ

なぜ、検察が怖くなかったかという理由は上述の通り。なめきられてたわけだ。むしろ、IT専門家まで入れた弁護団を片山氏はもっとも警戒していた。ぶっちゃけ言うと、特別弁護人のN氏である。で、22日の記者会見のあと、この特別弁護人のN氏とおごちゃんことITのプロ中のプロである生越氏(自称:PC遠隔操作事件に日本で3番目に詳しいプログラマ)、日本報道検証機構の方と一緒に、裁判所の地下でお昼ご飯を食べたのだが、ここで、また濃ゆい話になった。
 
つまり、片山氏が真犯人であったとしても、前述の通り、検察のファイルスラックに関する主張は、ITのプロから見れば、到底、証拠にはならないような見当外れな話だった。要するに「裁判官の無知を利用して騙せるかどうか」というレベルのもので、そんな証拠で有罪立証しようとしたことが問題であることは言うまでもない。
 
今回、弁護側は、IT犯罪であることから、ITのプロであるN氏を特別弁護人として認めてもらったわけだが、今後、明らかにサイバー犯罪が増えてくることを考えると、「素人なら騙せるレベルのもっともらしい理屈ときれいに作ったパワポで、ITに詳しくない裁判官を騙して、有罪を取る」などという手法はあってはならないわけで、裁判官も、こういった事件の場合、検察からも弁護側も独立した、ITの専門家をアドバイザーとして入れるような制度が、絶対に必要だろう。
 
そして、ここで濃い人たちが、「ほんとはこの部分を検察が、(捜査権限で開示させて)ちゃんと調べていれば、もしかしたら、もっと早くに片山氏が犯人であることが立証できたのじゃないか」みたいな技術的な話をしていたのだが、そこで、ちょうど喫茶店のテレビが、直前の記者会見の報道を始めたのを見て、一同、口をあんぐり開ける事態が起こった。
 
記者会見で、佐藤弁護士が、一瞬、涙を見せた瞬間に、ここぞとばかりにシャッター音が響いたのは気づいていたが、それは「佐藤弁護士が騙されていたことを反省していた」わけではない。
 
佐藤弁護士は、片山氏が生きていてくれて良かった、そのことで真相が闇の中ということにならなくて良かった、と言った部分である。そして、佐藤弁護士は、この記者会見では、一貫して、自分たち弁護団も片山氏に騙された最大の理由として、「検察のデマリークとそれに乗ったマスコミの誤報が、もっとも真犯人を利していた」事実と、このような事態を招いたマスコミに対して、反省と報道の検証を訴えていたのだ。
 
それが、わずか30分も経たないうちに、映し出されたテレビのニュースでは、佐藤弁護士が涙を流して、騙されたことを反省しているかのようなトンデモ報道になっちまっているのである。
 

このあまりの捏造っぷりに、N氏、おごちゃん、日本報道検証機構のYさん、私は、目が点になってのけぞってしまったのだが、その後の報道も、検証どころか、その後も、ミスリードや捏造に近い記事が出ている。それについては、記者会見に一緒に出席していた生越氏のブログをご参照頂きたい。
 https://www.shortplug.jp/profile/ogochan/diaries/3402

 
(9)さて、私の立ち位置だが、ずっとかかわってきた(田代元検事の捏造報告書問題については、現在もかかわり続けている)陸山会事件において、別に小沢氏個人に興味があったわけでも、小沢氏個人を支援していたわけでもなく、検察がこんなことで「有罪を作り出す」ということを徹底して問題にしてきたことは、ある程度の期間、このブログを読んできた、まともな読解力のある人なら、わかっておられるだろうと思う。(そして、にもかかわらず、すごく頭の悪い人たちが「小沢擁護」とアホみたいなバッシングをしてきたという経緯があることもご存じのはずだ)
 
今回のPC遠隔操作事件についても、興味があった(というより、正確には、問題点を感じた)のは、検察の有罪立証に関わるやり方(特にデマリークによる情報操作)であって、片山氏個人にはまったく興味はなかった。
 

そういう意味において、デマリークによる情報操作が、単に「被疑者を犯人だという心証を一般に強めさせ、世論誘導して、そのことで被疑者を精神的に追い詰めたり、裁判を有利にしようとする」だけではなく、今回は、結果的に「被疑者を有利にしてしまっていた」こと、さらに、人質司法や可視化の拒否も、結果的には、真犯人を利することにしかなっていなかったという点で、やはり、検察には今までのやり方を改めてもらいたい、という気持ちが一層強くなったという点で、揺らぎはない。
 今回、たまたま、「真犯人人格ではない方の(つまり、あんまり狡猾じゃない方の)片山人格」が大ポカをやったから、まぐれでなんとかなっただけで、あやうく完全犯罪は成立しかけていた。

 
これに関して、援護する者がいたからではないか、という、これまた見当外れきわまりない批判をしている人がいるが、援護する人がいようがいなかろうが、刑事裁判とは、そういったことで決まるべきものではない。あくまで証拠によって立証されるべきものである。(この場合の証拠とは、自白を含む直接証拠のほか、客観性のある状況証拠の積み重ねなどのことだ) 疑わしきは罰せずであり、その結果、真犯人を野に放つことになったとしても、冤罪を作るよりはマシであるというのが、近代の刑事司法の考え方であり、私の考え方である。
 
ましてや、検察には反感も憎しみもない。そもそも恨みもない。もともと私はミステリファンなので、検察にはちゃんとしてほしい、みっともないことはやめてほしい、個々の現場の検察官には敬意を持つが、法治主義や民主主義を踏みにじるようなことになってしまっている「組織としての問題」は、なんとか是正してもらいたいというのが一貫した主張である。
 

あ、それから、袴田事件での味噌樽ズボンは大昔の話であり、現代に証拠の捏造があり得ると考えるのは荒唐無稽と主張していた方には、こちらの記事でもどうぞ。
http://dot.asahi.com/wa/2012122500019.html
味噌樽ズボンの件に関しても、見え見えの捏造証拠なのに検察はまだ否定し、再審請求にも全力で抵抗していたことも忘れてはならない。

 

警察や検察が旧態依然のやり方をやっている限り、これから、いくらでも冤罪は起こりうるし、一方で、このITとネットの時代、片山氏以上に狡猾な犯人が出てくれば、完全犯罪が成立しうる可能性はより高くなるということだ。
 それに備えるためにも、限りなく犯人のオウンゴールに近いような、まぐれ当たりを喜んで美談にしてしまうのではなく、今後、IT犯罪を裁判においてどう立証していくか、とりわけ裁判所自身がどう対応していくか、ということはもっと真剣に論議されるべきだと思う。
 

マスコミの問題は、言うまでもない。
 しかし、それらはぜんぶ別にして、いままでまったく興味がなかった「片山祐輔」という人物に、まったく別の意味で、興味が出てきているのは否定できない。IT犯罪としてはくだらない結末だったとはいえ、サイコ的事件とすれば、この件は面白すぎる。騙されたとか騙されなかったとかいう低いレベルの話ではなく、個人的には、「真犯人人格」の片山氏と対談され、片山氏が否認を続けていた期間にも公判ですべてを見てこられた江川紹子さんに、人間の持ちうる心の闇の問題として書いて頂きたいものだ。



 

室井佑月「何を言っても『風評』と言われるのがオチ」

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20140528-00000009-sasahi-soci
週刊朝日 201466日号


 漫画「美味しんぼ」騒動で、多くの有識者やコメンテーターが各々の見解を展開するなか、作家の室井佑月氏は、「何を言っても『風評』と言われるのがオチ」とあきれる。

*  *  *
 この原稿を書いているのは518日。昨日、安倍総理が福島に視察にいって、「政府としては、根拠のない風評を払拭していくためにも、しっかりと正確な情報を分かりやすく提供していく」と発言した。
 
小学館の「週刊ビッグコミックスピリッツ」の漫画「美味しんぼ」騒動を踏まえての発言だ。 国民に対し、しっかりと正確な情報を分かりやすく提供していくというのは大歓迎。今までもそうしていてくれた事実があるのなら。原発事故後、ベントをした意味を福島県民に丁寧に説明しましたか? SPEEDIの情報をアメリカにだけ教え、国民には伝えなかったりしてませんでした?
 
そんな中で、メディアの自主規制が起きた。事故が起きた直後、原稿に「放射能」「被曝」という言葉が使えなかった。あたしはそうだった。けれど、「あたしはそうだった」「自分は鼻血が出た」といったところで、「で、根拠は? 風評をふりまきやがって」そういわれるのがオチだ。
 
ある番組で「美味しんぼ」騒動へのコメントを求められた。番組内で「美味しんぼ」は風評被害を増長させるというニュースが取り上げられたのだ。あたしはいった。「でも、甲状腺の異常や甲状腺がんは増えている」チェルノブイリ事故では45年後に子どもの甲状腺がん増加が確認された。福島は事故が起きて3年、8割の子どもを検査したら、がん50人、がんの疑い39人。もちろんこの結果について、「平常時じゃ考えられない」という学者もいるし、「因果関係は認められない」という学者もいる。それでも新聞に書かれた人数は現実のことだろう。
 
あたしが驚いたのは、その番組が終わった後の話。ツイッターに、「室井の無知ぶりに失笑したが、『福島で甲状腺ガンが増えてる』などのデマ発言は看過出来ない」などと書かれておった。
 
福島県の子どもの甲状腺異常の話は、事故後から新聞で何度も取り上げられている。なのに、なかったことにしたい人が出てきてる。ここまでいくと、これから先、原発事故自体がなかったといい出すやつも出てくるかも。福島第一原発の話をしただけで、「風評被害!」といわれたりね。
 
そうそう、そういう人たちは、憲法解釈による集団的自衛権行使では「たら・れば」話をし、だからこの国は安全策を取らなきゃという。なのに、被曝問題について考え方は真逆だ。放射能による健康被害は個体差もあるし、後々じんわり来るもんだという海外の報告がある。
 
彼らがいう根拠とは、多数の人が同じ症状で苦しむことだったり? そんな地獄みたいな状況になってから安全策を取っても仕方ないと思うけど……。この国の原発が事故を起こした現実は、どうも根拠にならないようで。
 

やっと気付いたか、日銀黒田総裁がスタグフレーション懸念を表明

 

日々雑感より転載2014/05/26

 

黒田東彦総裁は15日米コロンビア大大学院が都内で開いた会議で「日本経済が中長期的に成長するためには供給力の拡大が重要」と強調した。「この1年ほどの間に、大規模な金融緩和、財政支出、民間活動の活性化によって需要が高まると、水面下に隠れていた供給力の問題が姿を現した」と指摘。「具体的な人手不足という現象を推進力にして、成長力の問題を広く議論し、解決を模索していくべきだ」と述べた。
 
 背景には日銀の想定よりも早く人手不足などの供給側の制約要因が現れ、日本経済の成長の壁が見えてきたことがある。輸出の低迷が続き、成長率が日銀の想定を下回っているにもかかわらず、物価はこれまでのところ想定を若干上回るペースで上昇。雇用のミスマッチや生産設備の老朽化などで日本経済の供給力に思いのほか余力がなかったと解釈されている。

 
解りきっていたことを今更ながら黒田氏が追認したに過ぎない。異次元金融緩和に踏み切る前提条件が的確にして効果的な経済成長戦略の政策実施だったはずだ。しかし黒田氏は本末転倒に金融需要のいかんも考慮せず、一方的に『異次元金融緩和』に突っ走ってしまった。常軌の沙汰とは云い難い金融政策を日銀は採った。
 
その結果として円安を招来したが、多くの輸出製造業が製造拠点を海外移転していたため、円安の日本経済に対する影響は限定的だった。つまり企業利益は増大させたものの、それは輸入生活消費財の高騰という国民生活コストの高騰という、いわば国民所得の富の企業への移転に過ぎない結果となってしまった。
 
そこへもって来て消費増税だ。最悪の結果になることは火を見るよりも明らかだが、御用マスメディアは景気に対して『大した影響はない』『一時的なものだ』と政府ヨイショ報道を繰り返してきた。しかし経済は嘘をつかない。個人可処分所得が減少すれば個人消費が縮むのは当然の帰結だ。
 
日銀総裁はやっと事態の重大さに気付き始めたようだ。しかし彼は直接安倍首相に苦言を呈す勇気はないようだ。遥かかなたの米国で講演したのなら『スタグフレーション発言』のアリバイ作りは出来て暗愚な日銀総裁でなかったと言い訳は出来るし、直接安倍首相を批判して刺激することもないだろう、と姑息な判断でもしたのだろうか。
 
しかし彼が責任を取るべきは日本国民に対してだ。自律的な金融運営をすべき日銀総裁が安倍首相にコミットするのを前提として選任される、という日銀史上に類例を見ない失態を刻んだ。黒田氏の罪は万死に当たるし、それを止められなかった日銀幹部たちも無能の誹りを免れないだろう。
 
残念ながら景気は間違いなく失速する。バカなマスメディアは来年の10%消費増税導入を既定路線として軽減策を報じて政府の御用報道機関の面目躍如たる働きをしているが、そうは問屋が卸さない。経済問題はオチャラケたバラエティーとは別に、まじめに報道して頂きたいものだ。アベノミクスと散々持ち上げて来たマスメディアはどのようにして安倍戦線から撤退するのか、見ものだ。
 

一生ローン奴隷・「夢のマイホーム」はハイリスク投資だ
 

日刊ゲンダイ2014527

 
変わるサラリーマン生活


 いつの時代も庶民の夢はマイホーム。「今買わなければ損」と踊らされて、サラリーマンたちは多少の通勤時間は我慢し、郊外に新しく開発された新興住宅地に移り住んできた。しかし、今やその標準ケースは崩壊している。


 40歳で東京近辺に5000万円の住宅を購入。親の援助と貯金で頭金1000万円。銀行から4000万円の35年ローンを組む。 最もポピュラーな「フラット35」を利用すると、月々の返済額は13万2000円(利率1.958%=ボーナス払いなし)。これなら賃貸住宅に住むのと大差なく、子育て費用も十分に残る。


 丸々残るボーナスでハワイなど海外旅行も楽しめそうだし、老人ホームへの入居を考える頃には、自宅を売却して入居資金の足しにすることもできる――。一方、返済は75歳まで続くが、「退職までに繰り上げ返済で完済する」といった予定も思い描ける


平均年収ダダ下がり、消費増税


 しかし、錯覚してはいけない。これは給料が右肩上がりの時代だからこそできた理屈だ。平均年収は、ピークの97年の418万円から下がり続け、12年は352万円。男性の平均は502万円だが、この世帯は消費税8%で年間7万4000円の負担増にもなった。家族のためにと思って購入した家が結果的に首を絞め、住宅ローンを支払うために生活レベルを落とし続ける。親の世話や子どもの教育費で亭主の小遣いは削られる一方。本末転倒とはこのことだ。また、最近は65歳までに完済できず、退職金で残金を支払う現実が急増している。予定していた老後の資金すら足りなくなるのだ。


 もちろん、住宅が将来的に資産として残ればまだいいという考え方もある。しかし、今の時代はそれも期待薄。日本不動産研究所の「市街地価格指数」(表)によると、6大都市の住宅価格は最高値(91年)の3分の1にまで下落。都心や一部地域を除けば、ずっと下がり続けている。


 それなのに新たな住宅は今も続々と着工されている。国交省のデータでは、2013年度(13年4月~今年3月)の「新築一戸建て」の分譲戸数は、前年度比7.5%増の13万3906戸だった。


 消費税増税前の駆け込み購入が終わり、さすがに新規着工戸数は今年1月以降に失速。「今年3月の時点で在庫は6万戸を突破しています」(不動産調査会社アトラクターズ・ラボの担当者)という。住宅がダブついているのだ。


 さらに日本の総人口は30年後に1億221万人に減少。1970年の水準だが、違いは老人ばかりで、子どもがいないこと。30年後に自宅を売却しようにも、中古住宅価格は想像以上に値下がりしている。今後、せっせと修繕、改装、バリアフリーに費用を注いだ揚げ句がこれだと、何のために住宅を購入するのかわからない。一部の金持ち以外は、マイホームの夢を見てはいけない。そういう時代なのだ。

 

菅直人の海水注入中断指示はデマだった事が確定に!調書で吉田所長が完全否定!デマを広げた安倍晋三・・・

 

http://saigaijyouhou.com/blog-entry-2657.html
2014/05/26
 真実を探すブログより転載

 
福島原発事故後に「菅直人前首相が海水注入の中断指示をした」という情報が流れましたが、これがデマだったことが改めて確定したのでご紹介します。


福島原発事故直後に原子炉の損傷を早めるとして、官邸の関係者を名乗る人間から「原子炉に海水ではなく淡水を注入しろ」というような指示が吉田元所長にありましたが、朝日新聞社が公開した最新の吉田調書によると、吉田氏はこの指示を下した人間について「内閣官房長官の枝野幸男、そして首相の菅直人は違う」と説明し、菅元首相らの関与を完全否定しました。


現首相の安倍晋三氏らが事故直後に「菅直人首相が福島原発の海水注入中断指示をした」というような情報を流していましたが、これが完全にデマだったということになります。前々から国会事故調査委員会も「菅直人首相はそんな指示をしていない」と否定しており、当ブログでもこの件は1年前に記事で取り上げました。デマの内容もかなり悪質なので、安倍首相は会見を開いて菅直人氏に正式な謝罪をするべきだと私は思います。

*菅直人氏は安倍晋三氏を提訴する予定。


朝日 吉田調書 第二章
URL
 http://digital.asahi.com/special/yoshida_report/2-1m.html?iref=yoshida_report2-1
引用:
一方、原子力安全委員会委員長の班目春樹、内閣官房長官の枝野幸男、そして首相の菅直人は、違うとはっきり説明した。


 結局、吉田は、誰だったか思い出せないということで通した。が、とにかく吉田は、官邸にいたある人物から、3号機の廃炉を避けるため、海水注入ではなく淡水を入れろと言われ、応諾した。
:引用終了


3号機注水「淡水を」 吉田所長、官邸からの指示に従う
URL
 http://www.asahi.com/articles/ASG5T7WGJG5TUEHF00G.html
引用:
 朝日新聞デジタルは特集「吉田調書」の第2章1節「真水か海水か」を配信しました。1号機への海水注水を続行した福島第一原発の吉田昌郎所長は、3号機については、廃炉を避けるため極力淡水を使えという官邸のある者の指示を受け入れていました。
:引用終了

 

集団的自衛権 行方を問う  首相の例示、言葉遊びだ 


小沢一郎・生活の党代表

 
今の憲法9条のもとでは、集団的自衛権を行使して日本の防衛と直接関係のない国際紛争に対して、自衛隊が出動することは許されない。どうしてもやりたいのなら、憲法そのものを改正するしかない。


 しかし、安倍晋三首相は、政府解釈の変更で自衛隊の海外派兵を行おうとしている。これは完全に立憲主義に反する。戦後これだけの長きにわたり、この国の基本となってきた憲法の存在は極めて重いのであって、本来、正々堂々と憲法改正をいうのが筋だ。


 首相は集団的自衛権の行使についていろいろとその必要性を例示しているが、どれも本質的なことではなく言葉遊びだ。現憲法でも、日本の平和と安全を守るための自衛権の行使は、個別的、集団的を問わず十分認められている。国家の基本問題を、感情面に訴える表面的な言葉でごまかそうとするのは姑息(こそく)である。


 「限定容認論」についても、言葉づかいでごまかそうとしている。そもそも地政学的にも紛争形態的にも、一体どのように限定できるというのか。現実の紛争とはそんな単純なものではない。結局、ずるずるといってしまう。


 集団的自衛権行使にひた走る首相の頭には戦前の軍事強国のイメージがあるのかもしれない。自衛隊を積極的に海外に出すことで、国威発揚につながるという思いがあるのだろう。


 海外派兵の問題について付言すれば、無論、現行憲法においても、国連の指揮下での自衛隊の活動については全く問題ない。いわゆる駆けつけ警護も、完全な国連の指揮下として活動すれば論理的には本来問題ない。憲法には国連協力の原則が盛り込まれている。


 ただ、例えばアジア諸国の心情もくみ取るならば、私がかねて主張しているように自衛隊とは別に国連派遣の専門組織をつくった方が良い。今の若者は喜んで応募するに違いない。


 いずれにせよ国家、国民の安全に関わる根本問題について、一政権が正式な手続きも経ずに、太鼓持ちみたいな懇談会を使って、勝手に進めてしまおうというのは全く筋が通らない。我々は断固反対する。

 

 
世相を斬る あいば達也より転載 20140525
 

筆者の長谷川幸洋への誹謗中傷も飽きられただろうから、ぼろ糞言うのはやめておく。ただ、長々とコラムを書いているので、紹介しておく。筆者の感想は見出しだけで充分。お後は皆様のお好み次第で、煮て食おうが、焼いて食おうが自由です。勿論、無視する手もあります。今夜は昨夜の徹夜がたたって、もう限界、引用のみで手抜きさせて頂きます。

 

 中国とロシアの急接近で世界は流動化。集団的自衛権の行使容認を「戦争に巻き込まれる」と反対している場合ではない

中国とロシアの連携が急速に進んでいる。中国もロシアも「力による現状変更」を実践している国際秩序への挑戦者だ。両国はともに国連安全保障理事会で拒否権を持つ常任理事国でもある。ということは、両国が国際法に違反しても国連は制裁できない。事実上、国連は無力である。
 
鮮明になった中国の野心

この両国が連携し、これから事実上の同盟関係にまで発展するとなると、世界情勢への影響は計り知れない。ロシアによるクリミア侵攻からわずか2か月で世界情勢は猛烈な勢いで急展開している。いま日本が立っている地点は、そういう局面だ。 中国の習近平国家主席とロシアのプーチン大統領は520日、上海で会談し「他国への内政干渉や一方的な制裁に反対する」との内容の共同声明を出した。戦勝70周年行事を合同で開催することでも合意した。これは「ドイツのファシズムと日本の軍国主義」に対する両国の勝利を祝う趣旨であり、当然ながら、とくに中国は日本を念頭に置いている。

 
続いて同夜には、同じ上海で開かれたアジア相互協力信頼醸成会議(CICA)で習主席が基調講演し「アジアの安全保障はアジアの人々が守る」という趣旨の「新しいアジア安全観」を唱えた。これは「中国主導でアジア安保秩序を構築していく」という宣言だ。言い換えれば「米国の好き勝手にはさせないぞ」という話である。アジア相互協力信頼醸成会議(CICA)とは聞き慣れないが、カザフスタンのナザルバエフ大統領が1992年の国連総会で創設を提唱した。99年に15ヵ国で発足し、現在は中ロはじめパキスタン、イラン、トルコ、韓国、イスラエルなど26カ国が加盟している。
 

日本や米国はオブザーバーの立場だ。中国の脅威にさらされているベトナムは加盟しているが、フィリピンやマレーシア、インドネシア、それからロシアと対立しているウクライナもオブザーバーにとどまっている。報道によれば、ベトナムの国家副主席は会議で中国の名指しを避けながらも、南シナ海での衝突事件を念頭に中国をけん制する発言をした、という。中国は首脳会談でロシアと接近しただけでなく、プーチン大統領も出席した国際会議で中国主導の秩序構築を目指す考えを高らかに宣言した。いまや中国の野心は鮮明である。

 
アメリカは中国に弱腰

習主席は昨年6月、オバマ米大統領との会談で「太平洋は米中両国を受け入れるのに十分に広い」と訴えて事実上、米中による太平洋の縄張り分割を提案した。オバマはこのとき「日本が米国の同盟国であるのを忘れるな」と反撃したが、その5ヵ月後に中国が一方的に防空識別圏を設定すると、米国は識別圏の撤 回を求めなかった。それどころか、翌月には訪中したバイデン副大統領が「米国と中国は世界でもっとも重要な二国間関係である」として「新しい形の(米中)大国関係」を呼びかけた。この「新型大国関係」という用語と発想は、もともと中国が提唱したものだ。

 

中国に対する米国の宥和的姿勢が見え始めていたところへ、ロシアがクリミア半島に侵攻した。欧米は経済制裁をしたが、それ以上の手段は手詰まりになって、クリミアは実質的にプーチンの手中に落ちてしまった。これをみた中国が南シナ海で大胆な行動に出る。ベトナムの巡視船への体当たりである。

 
米国は中国の行動を口で批判はしたが、それ以上、軍事はもとより効果的な経済制裁オプションをとる姿勢は見えない。そういう中で、今回のプーチンと習近平の首脳会談、そしてCICAでの習演説という流れである。私は518日放送の「たかじんのそこまで言って委員会」で「日本にとって悪夢のシナリオは中国とロシアが手を握ることだ」と話したばかりだ。だが、1週間も立たないうちに、悪夢が現実になって動き出している。予兆はあった。 プーチンは318日の演説で、クリミア問題でロシアの立場に理解を示した中国に言及し「感謝している」と述べていた。中国はこれに呼応するように、同月27日の国連総会でクリミアの住民投票無効を指摘した総会決議を棄権した(44日公開コラム)。
 
新疆ウィグル自治区の独立問題を抱える中国は、たしかにクリミア問題で微妙な立場にあるが、基本的には米欧と対立するロシアと連携しようとしているのは明白だ。中国はこれからロシアとの2国間関係を強め、CICAのような日米欧抜きのフォーラムも使って、自前のアジア秩序構築に全力を傾けるだろう。「新しい勢力図」を早く描こうとするのだ。
 
「巻き込まれ論」のばかばかしさ

戦後世界の基軸を支えてきた米国の力が弱まり、曲がりなりにも国際秩序を形成してきた国連が無力化すると、こうも早く世界が流動化するのかと思う。だが、驚いてばかりはいられない。米国でもオバマ大統領の指導力に疑問符が投げかけられているが、日本は日本で新たな状況への対応策を急ぐ必要がある。まずは尖閣諸島防衛に関するグレーゾーン事態への対応と集団的自衛権の行使容認である。そこで反対派に根強く残る「日本が戦争に巻き込まれる」論について、あらためて、そのばかばかしさを書いておきたい。この手の反対論はいまに始まった話ではない。1960年に岸信介首相が日米安保条約を改定した時も左翼勢力は同じ議論をして大反対した。まさに「歴史は繰り返す」だ。

 

まず、政府の立場はどうか。52日公開コラムで書いたように、政府は1960年に日米安保条約を改定したときから、事実上「基地は日本防衛だけでなく、朝鮮半島有事でも米軍が使うのを認める」立場である。その姿勢は後方支援を盛り込んだ周辺事態法で一層、強化された。そこで北朝鮮が韓国に侵攻するとどうなるか。米国は韓国と相互防衛条約を結んでいるから当然、防衛に出動する。どこから? 日本の基地からだ。日本は建前として基地使用について事前協議を求めるだろうが、日本の答えは最初から「イエス」である。

 

すると北朝鮮は日本をどうみるか。当然、敵視する。だから日本を攻撃してもおかしくない。これが「日本が巻き込まれる事態」である。では、日本が巻き込まれないためにはどうしたらいいか。根本的には、日本が米軍の基地使用を断るしかない。新聞やテレビは日本海で米艦船を支援すれば巻き込まれる、などと大騒ぎしているが、根本は日本が米軍の基地使用を認めるかどうかなのだ。そこを争点にしなければ、反対派の主張は首尾一貫せず、問題の核心にも迫れない。彼らは米軍基地の存在をどう考えているのか。もしも「日本防衛には必要だが極東防衛には必要ない」というなら、極東防衛は安保条約にちゃんと明記されているのだから、日米安保条約そのものに反対しなければならない。逆に、日本の基地は極東防衛にも必要で米軍の使用を認めてもいいと考えるなら、巻き込まれる事態が前提になるから、論理が破綻してしまう。

 
日米同盟を強化すれば「巻き込まれる」危険は減る
 

基地使用を認めるだけでなく、集団的自衛権の行使容認で日米同盟を強化すると、どうなるか。実は反対派の主張とは正反対に、かえって戦争に巻き込まれる危険は少なくなる。なぜかといえば、北朝鮮は「韓国を攻撃すると、米国だけでなく日本も相手にしなければならなくなる」と計算する。つまり彼らにとって勝利のハードルが高くなる。それが抑止力の本質である。逆に「日本だけが安全であればいいから、極東防衛に基地は使わせない」という政策を採用すると、北朝鮮にとっては戦争のコストが安くなる。だから冒険を犯す誘惑が強くなる。左翼政策が実現した結果「米軍は日本の基地を使えない」と分かれば、その瞬間に北朝鮮は絶好のチャンスとみて戦争を始めるかもしれない。1950年の朝鮮戦争は米国の国務長官が朝鮮半島は米国の防衛線の範囲外と示唆したことが一因となって、北朝鮮の攻撃を誘発した。

 
北朝鮮だけでなく、対中国でも基本的には同じである。日本が米国と足並みをそろえて中国の乱暴な行為をけん制することによって、中国が日本の尖閣諸島に手を突っ込む危険性が少なくなる。安保改定から半世紀以上が過ぎた。巻き込まれ論者はもういい加減に、戦争と紛争のダイナミクスを学ぶべきだ。 
現代ビジネス:ニュースの深層・長谷川幸洋)

碌なコラムじゃないと思いながら読んだが、酷い。これが、自称ジャーナリスト論を口走る男かと思ううんざりだ。

この男の場合の一番の問題点は、哲学と歴史観が欠けていることだろう。このような総会屋のような評論家が跋扈するのだから、手におえない。田原総一朗の方がまだマシだと言えるくらい、酷いのだ。東京新聞は、そろそろ嘱託長谷川幸洋との契約を破棄すべきだ。1年以上前から、中国とロシアの結びつきは自明だった。数か月前に予想して、当たったとは、バカじゃなかろうか。
 

アメリカの力が相対的に落ち目になった場合、覇権国の立場を維持することは自殺行為であり、死期を一層はやめる。その無駄な抵抗に拘るアメリカに追随することが、日本の国益だとのたまう。腐っても鯛の発想だ。たしかに、落ち目とはいえども、まだまだ世界一の戦争国家だし、軍事力も充分だ。しかし、長谷川は、毛利家と心中しようとする馬鹿者同様な思考停止から抜け出られず、ああでもない、こうでもないと言っているが、目の前の事実すら、認めているのに、そうならないように抗おうとしている。こういう問題は歴史の必然もあるので、抗うだけ無駄だ。

 
今さらアメリカ追随こそ、わが命と思って論を張ってきただけにいまさら宗旨替えは出来ないと云うことだろう。まぁ長谷川がアメリカちゃんと心中するのは勝手だが、関係のない奴まで巻き込む言論には、一応噛みついておこう。いま、我々は20世紀から21世紀の歴史のはざまにいる。長谷川も、それを知っているから、アメリカにもっとくっ付こうと主張している。アメリカに追随して、長谷川が死ぬ時までは、腐っても鯛だと思う。しかし、論を張る以上、せめて100年単位の戦略を語るべきであり、目と鼻の先の利益を核に据えて、知ったような口を利かれると、本当に腹が立つ。
 

100年後のアメリカはどうなっている?中国はどうなっている?中露の同盟関係が成長したとき、それでもアメリカに義理を果たすのか?個人のレベルなら、それは長谷川の勝手だ。しかし、マスコミに顔を出し、ポスト田原総一朗風を演じるのであれば、それなりの責任はあるだろう。北朝鮮の威嚇がどうこう、尖閣を中国に盗まれる!そんな近視眼で、物事が論じられるほど容易な世界ならいざ知らず、混沌が愈々鮮明になってきていると云うのに、ディズニーワールド一本槍は拙かろう。


もうひと捻りしたコラムくらい書けよ。気の利いた高校生レベルには、嫌になってしまう。随所に突っ込みどころはあったが、もう悪口はやめて寝る。

 

 
2014.05/25 ハイヒール女の痛快日記より転載
 

はじめまして!東京ルミックスです。
狙いすましてアイツの頭にハイヒールを投げつけた?!


朝日新聞の吉田調書によると、東日本大震災発生後の2011314日福島第一原発の3号機が爆発した。その時、職員のほぼ全員が逃走しており、東電本社からも誰も助けに来なかったことが公になった。


安倍首相は吉田調書をリークした犯人を躍起になって探している。


国民のためより企業のために働いていることに安倍本人は自覚はないのか。私的には間違いなく史上最低の知性と史上最悪の歴史観を持った日本に必要のない首相だ!そんな安倍政権に、


堂々反旗を翻す医者の記事がゲンダイに掲載されていたので拡散する。


政府と一部メディアが大騒ぎした漫画「美味しんぼ」の鼻血描写に対する大バッシング。政府は「風評被害」と決め付け、鼻血と原発事故の因果関係の否定に躍起だが、この見方に真っ向から反論しているのが、国立病院機構北海道がんセンター(札幌市)の西尾正道名誉院長(66)だ。


西尾氏は74年に札幌医科大を卒業後、国立札幌病院(現北海道がんセンター)の放射線科に勤務。08年に院長に就任し、昨年3月に定年退職するまでの40年間、放射線治療医として約3万人のがん患者を診た。いわば、放射線とがんの関係を知り尽くした国内第一人者だ。


その西尾氏は23日、参院会館で「鼻血論争を通じて考える」と題した文書を配布し、「美味しんぼ」の鼻血バッシングについて「鼻血は鼻の局所にベラボーに放射性物質が当たったから。放射線に由来する」などと持論を展開した。


福島原発事故後、定期的に福島に通って甲状腺検査をボランティアで続けている西尾氏。自身の経験を踏まえ事故直後に「子どもが鼻血を出す、という声を実際に聞いた」と明かし、鼻血と原発事故の因果関係を全否定する政府の姿勢を「がんの専門家でも、放射線の専門家でもない人が(放射線の影響を)否定している」と強く批判した。


指弾されるべきは御用学者


さらに「ICRP(国際放射線防護委員会)の基準では鼻血は出ない」との意見に対しても、「そもそもICRPは原子力政策を推進するための物語を作成しているNPO団体。ICRPはシーベルト単位の被曝(ひばく)でなければ鼻血は出ないというが、その場合は(急性被曝にみられる)深刻な状況で、鼻血どころではなく、歯茎からも出血し、紫斑も出る」と説明。長崎・広島でみられた外部被曝による急性被曝の重い症状と、いまだに不明な部分が多い低線量被曝の症状をごちゃ混ぜに論じる無意味さを強調した。


その上で、被曝が及ぼす鼻血の可能性について、「事故で放出されたセシウムが、ちりなどに付着して人体に吸い込まれた際、鼻などの粘膜に付いて局所的に放射線を出すことになる。準内部被曝的な被曝となる」と、独自の見方を示した。


「美味しんぼ」バッシングの旗振り役となった菅官房長官や石原環境相といったシロウトではなく、まっとうな専門家の意見だけに真実味がある。鼻血を訴える声を無視し、「風評被害」で片付けようとする今の国や自治体の方がよっぽど無責任だ。


そもそも「美味しんぼ」で描かれているのは「鼻血」の問題だけではない。未曽有の大事故を起こしながら責任を取らない国や東電の無責任さも鋭く追及しているのだ。批判されるべきは、漫画の描写ではなく、国や、原発の安全神話を振りまいてきた御用学者たちだろう。


「今の日本は法治国家ではない。科学も金儲けになっている」。西尾氏の指摘に国や自治体は真摯に耳を傾けるべきだ。

 

世相を斬る あいば達也より転載 20140524

 
小泉元総理も唸った福井地裁樋口英明裁判長の判決文。原発の是非に関する議論の課題の誤りを指摘し、国益や国民の安寧にまで言及した判決文は、日本の司法にあって異質な面もあるが、事情判決なるものが徹底して行われてきた日本の司法の曖昧さに、警鐘を鳴らしてもいる。法に則り、しかし事情判決と云う超法規な狼藉もせずに、この判決至る過程の中で、国富の概念の神髄をついている部分は画期的だ。最近よく耳にする幸福度と云う価値尺度が思い出される。小泉元総理が論評するような「常識的判決」以上のものがこの判決にはある。この判決の性格は、以下の部分に如実に表れている。
 

判決の中で、樋口裁判長は
「人の生存そのものに関わる権利と電気代の高い低いの問題等とを並べて論じるような議論に加わったり、その議論の当否を判断すること自体、法的には許されないことであると考えている。たとえ本件原発の運転停止によって多額の貿易赤字が出るとしても、これを国富の流出や喪失というべきではなく、豊かな国土とそこに国民が根を下ろして生活していることが国富であり、これを取り戻すことができなくなることが国富の喪失であると当裁判所は考えている」と論破している下りは、哲学者の境地を思わせる。日本の司法において、ある意味で最も欠如しているものに踏み込んだ点は、驚くべき部分もある。

 

判決文の「原子力発電所の稼働は、法的には電気を生み出すための一手段たる経済活動の自由に属するものであって、憲法上は人格権の中核部分よりも劣位に置かれるべきものである」ここが、この判決を書く当たっての福井地裁の立ち位置である。人格権は、経済合理性追求の権利の上位に存在するものだから、上位の規範を侵してはならないと云うことだ。経済合理性優位、国富をマネーと云う価値にしか置き換えられない20世紀的普遍の信仰で裁判を行う惰性的流れを押しとどめ、21世紀的な法の運用を考える契機になり得る判決であろ。

 

検察の原発訴訟に対する姿勢が、あまりにも秩序維持(既得権益擁護)に傾き起訴裁量権の濫用を行い、原発被害者に救いの手を差し伸べようとしなかった経緯と対照的な樋口裁判長の判断だ。筆者は、以前のコラムでも言及しているが、ここ半年くらいの間に、盤石と思えた司法トライアングルに皹が入ったのではないかと予感している。そのがどのようなものか定かではないが、裁判所が、検察と蜜月(今までは起訴権を持つため、実質起訴イコール有罪)の関係にあり、検察が、判決を決定していたような事実関係があった。しかし、警察や検察の質の劣化が目立ち始め、このままの流れを継続することは、裁判所にとっては、検察との無理心中につき合わされかねないと考えても不思議ではない。

 
筆者の、上述のような異変が、最高裁を含めた司法に共通の認識であれば、世界一の安全基準などと云う信用に当たらない基準に合致しているから安全などと言えるわけがない。おそらく、今回作り上げた安全基準も、誤謬のベースをそのままにして、その末節を弄繰り回したのだから、新たな基準を作ったとは言い難い。また、個別の訴訟における瑕疵への言及も厳しく、想定地震がどの程度の規模のものか、常に想定外の地震規模が起きている、と手厳しい。また、福島における事故の原因が確定せず、地震による破損と津波による破損の調査結果にも曖昧さが残る。ある意味で、安倍官邸の原発政策への対応は、法的になんら担保するものがない、と暗に語っているところが凄い。以下は、大飯原発34号機運転差止請求事件判決要旨全文である。


【 大飯原発34号機運転差止請求事件判決要旨
主文
1
  被告は、別紙原告目録1記載の各原告(大飯原発から250キロメートル圏内に居住する166)に対する関係で、福井県大飯郡おおい町大島1字吉見1-1において、大飯発電所3号機及び4号機の原子炉を運転してはならない。
2
  別紙原告目録2記載の各原告(大飯原発から250キロメートル圏外に居住する23)の請求をいずれも棄却する。
3
  訴訟費用は、第2項の各原告について生じたものを同原告らの負担とし、その余を被告の負担とする。

理由
1
 はじめに
 ひとたび深刻な事故が起これば多くの人の生命、身体やその生活基盤に重大な被害を及ぼす事業に関わる組織には、その被害の大きさ、程度に応じた安全性と高度の信頼性が求められて然るべきである。このことは、当然の社会的要請であるとともに、生存を基礎とする人格権が公法、私法を間わず、すべての法分野において、最高の価値を持つとされている以上、本件訴訟においてもよって立つべき解釈上の指針である。 

個人の生命、身体、精神及び生活に関する利益は、各人の人格に本質的なものであって、その総体が人格権であるということができる。人格権は憲法上の権利であり(13条、25)、また人の生命を基礎とするものであるがゆえに、我が国の法制下においてはこれを超える価値を他に見出すことはできない。したがって、この人格権とりわけ生命を守り生活を維持するという人格権の根幹部分に対する具体的侵害のおそれがあるときは、格権そのものに基づいて侵害行為の差止めを請求できることになる。人格権は各個人に由来するものであるが、その侵害形態が多数人の人格権を同時に侵害する 性質を有するとき、その差止めの要請が強く働くのは理の当然である。

2 福島原発事故について
 福島原発事故においては、15万人もの住民が避難生活を余儀なくされ、この避難の過程で少なくとも入院患者等60名が その命を失っている。家族の離散という状況や劣悪な避難生活の中でこの人数を遥かに超える人が命を縮めたことは想像に難くない。さらに、原子力委員会委員長が福島第一原発から250キロメートル圏内に居住する住民に避難を勧告する可能性を検討したのであって、チェルノブイリ事故の場合の住民の避難区域も同様の規模に及んでいる。
 

年間何ミリシーベルト以上の放射線がどの程度の健康被害を及ぼすかについてはさまざまな見解があり、どの見解に立つかによってあるべき避難区域の広さも変わってくることになるが、既に20年以上にわたりこの問題に直面し続けてきたウクライナ共和国、ベラルーシ共和国は、 今なお広範囲にわたって避難区域を定めている。両共和国の政府とも住民の早期の帰還を図ろうと考え、住民においても帰還の強い願いを持つことにおいて我が国となんら変わりはないはずである。それにもかかわらず、両共和国が上記の対応をとらざるを得ないという事実は、放射性物質のもたらす健康被害について楽観的な見方をした上で避難区域は最小限のもので足りるとする見解の正当性に重大な疑問を投げかけるものである。上記250キロメートルという数字は緊急時に想定された数字にしかすぎないが、だからといってこの数字が直ちに過大であると判断することはできないというべきである。

3 本件原発に求められるべき安全性
(1)
 原子力発電所に求められるべき安全性  12に摘示したところによれば、原子力発電所に求められるべき安全性、信頼性は極めて高度なものでなければならず、万一の場合にも放射性物質の危険から国民を守るべく万全の措置がとられなければならない。
 

原子力発電所は、電気の生産という社会的には重要な機能を営むものではあるが、原子力の利用は平和目的に限られているから(原子力基本法2)、原子力発電所の稼動は法的には電気を生み出すための一手段たる経済活動の自由(憲法221)に属するものであって、憲法上 は人格権の中核部分よりも劣位に置かれるべきものである。しかるところ、大きな自然災害や戦争以外で、この根源的な権利が極めて広汎に奪われるという事態を招く可能性があるのは原子力発電所の事故のほかは想定し難い。かような危険を抽象的にでもはらむ経済活動は、その存在自体が憲法上容認できないというのが極論にすぎるとしても、少なくともかような事態を招く具体的危険性が万が一でもあれば、その差止めが認められるのは当然である。このことは、土地所有権に基づく妨害排除請求権や妨害予防請求権においてすら、侵害の事実や侵害の具体的危険性が認められれば、侵害者の過失の有無や請求が認容されることによって受ける侵害者の不利益の大きさという侵害者側の事情を問うことなく請求が認められていることと対比しても明らかである。
 

新しい技術が潜在的に有する危険性を許さないとすれば社会の発展はなくなるから、新しい技術の有する危険性の性質やもたらす被害の大きさが明確でない場合には、その技術の実施の差止めの可否を裁判所において判断することは困難を極める。しかし、技術の危険性の性質やそのもたらす被害の大きさが判明している場合には、技術の実施に当たっては危険の性質と被害の大きさに応じた安全性が求められることになるから、この安全性が保持されているかの判断をすればよいだけであり、危険性を一定程度容認しないと社会の発展が妨げられるのではないかといった葛藤が生じることはない。原子力発電技術の危険性の本質及びそのもたらす被害の大きさは、福島原発事故を通じて十分に明らかになったといえる。本件訴訟においては、本件原発において、かような事態を招く具体的危険性が万が一でもあるのかが判断の対象とされるべきであり、福島原発事故の後において、この判断を避けることは裁判所に課された最も重要な責務を放棄するに等しいものと考えられる。

(2)  原子炉規制法に基づく審査との関係
 (1)の理は、上記のように人格権の我が国の法制における地位や条理等によって導かれるものであって、原子炉規制法をはじめとする行政法規の在り方、内容によって左右されるものではない。したがって、改正原子炉規制法に基づく新規制基準が原子力発電所の安全性に関わる問題のうちいくつかを電力会社の自主的判断に委ねていたとしても、その事項についても裁判所の判断が及ぼされるべきであるし、新規制基準の対象となっている事項に関しても新規制基準への適合性や原子力規制委員会による新規制基準への適合性の審査の適否という観点からではなく、(1)の理に基づく裁判所の判断が及ぼされるべきこととなる。

4 原子力発電所の特性
 原子力発電技術は次のような特性を持つ。すなわち、原子力発電においてはそこで発出されるエネルギーは極めて膨大であるため、運転停止後においても電気と水で原子炉の冷却を継続しなければならず、その間に何時間か電源が失われるだけで事故につながり、いったん発生した事故は時の経過に従って拡大して行くという性質を持つ。このことは、他の技術の多くが運転の停止という単純な操作によって、その被害の拡大の要因の多くが除去されるのとは異なる原子力発電に内在する本質的な危険である。
 

したがって、施設の損傷に結びつき得る地震が起きた場合、速やかに運転を停止し、運転停止後も電気を利用して水によって核燃料を冷却し続け、万が一に異常が発生したときも放射性物質が発電所敷地外部に漏れ出すことのないようにしなければならず、この止める、冷やす、閉じ込めるという要請はこの3つがそろって初めて原子力発電所の安全性が保たれることとなる。仮に、止めることに失敗するとわずかな地震による損傷や故障でも破滅的な事故を招く可能性がある。福島原発事故では、止めることには成功したが、冷やすことができなかったために放射性物質が外部に放出されることになった。また、我が国においては核燃料は、五重の壁に閉じ込められているという構造によって初めてその安全性が担保されているとされ、その中でも重要な壁が堅固な構造を持つ原子炉格納容器であるとされている。しかるに、本件原発には地震の際の冷やすという機能と閉じ込めるという構造において次のような欠陥があ る。

 

5 冷却機能の維持について
(1)
 1260ガルを超える地震について
 原子力発電所は地震による緊急停止後の冷却機能について外部からの交流電流によって水を循環させるという基本的なシステムをとっている。1260ガルを超える地震によってこのシステムは崩壊し、非常用設備ないし予備的手段による補完もほぼ不可能となり、メルトダウンに結びつく。この規模の地震が起きた場合には打つべき有効な手段がほとんどないことは被告において自認しているところである。
 

しかるに、我が国の地震学会においてこのような規模の地震の発生を一度も予知できていないことは公知の事実である。地震は地下深くで起こる現象であるから、その発生の機序の分析は仮説や推測に依拠せざるを得ないのであって、仮説の立論や検証も実験という手法がとれない以上過去のデータに頼らざるを得ない。確かに地震は太古の昔から存在し、繰り返し発生している現象ではあるがその発生頻度は必ずしも高いものではない上に、正確な記録は近時のものに限られることからすると、頼るべき過去のデータは極めて限られたものにならざるをえない。したがって、大飯原発には1260ガルを超える地震は来ないとの確実な科学的根拠に基づく想定は本来的に不可能である。むしろ、我が国において記録された既往最大の震度は岩手宮城内陸地震に おける4022ガルであり、1260ガルという数値はこれをはるかに下回るものであること、岩手宮城内陸地震は大飯でも発生する可能性があるとされる内陸地殻内地震であること、この地震が起きた東北地方と大飯原発の位置する北陸地方ないし隣接する近畿地方とでは地震の発生頻度において有意的な違いは認められず、若狭地方の既知の活断層に限っても陸海を問わず多数存在すること、この既往最大という概念自体が、有史以来世界最大というものではなく近時の 我が国において最大というものにすぎないことからすると、1260ガルを超える地震は大飯原発に到来する危険がある。

(2) 700ガルを超えるが1260ガルに至らない地震について
ア 被告の主張するイベントツリーについて  被告は、700ガルを超える地震が到来した場合の事象を想定し、それに応じた対応策があると主張し、これらの事象と対策を記載したイベントツリーを策定し、これらに記載された対策を順次とっていけば、1260ガルを超える地震が来ない限り、炉心損傷には至らず、大事故に至ることはないと主張する。
 

しかし、これらのイベントツリー記載の対策が真に有効な対策であるためには、第1に地震や津波のもたらす事故原因につながる事象を余すことなくとりあげること、第2にこれらの事象に対して技術的に有効な対策を講じること、第3にこれらの技術的に有効な対策を地震や津波の 際に実施できるという3つがそろわなければならない。

 
イ イベントツリー記載の事象について  深刻な事故においては発生した事象が新たな事象を招いたり、事象が重なって起きたりするものであるから、第1の事故原因につながる事象のすべてを取り上げること自体が極めて困難であるといえる。
 

ウ イベントツリー記載の対策の実効性について  また、事象に対するイベントツリー記載の対策が技術的に有効な措置であるかどうかはさておくとしても、いったんことが起きれば、事態が深刻であればあるほど、それがもたらす混乱と焦燥の中で適切かつ迅速にこれらの措置をとることを原子力発電所の従業員に求めることはできない。特に、次の各事実に照らすとその困難性は一層明らかである。
 第1に地震はその性質上従業員が少なくなる夜間も昼間と同じ確率で起こる。突発的な危機的状況に直ちに対応できる人員がいかほどか、あるいは現場において指揮命令系統の中心となる所長が不在か否かは、実際上は、大きな意味を持つことは明らかである。
 

2に上記イベントツリーにおける対応策をとるためにはいかなる事象が起きているのかを把握できていることが前提になるが、この把握自体が極めて困難である。福島原発事故の原因について国会事故調査委員会は地震の解析にカを注ぎ、地震の到来時刻と津波の到来時刻の分析や従業員への聴取調査等を経て津波の到来前に外部電源の他にも地震によって事故と直結する損傷が生じていた疑いがある旨指摘しているものの、地震がいかなる箇所にどのような損傷をもたらしそれがいかなる事象をもたらしたかの確定には至っていない。一般的には事故が起きれば事故原因の解明、確定を行いその結果を踏まえて技術の安全性を高めていくという側面があるが、原子力発電技術においてはいったん大事故が起これば、その事故現場に立ち入ることができないため 事故原因を確定できないままになってしまう可能性が極めて高く、福島原発事故においてもその原因を将来確定できるという保証はない。それと同様又はそれ以上に、原子力発電所における事故の進行中にいかなる箇所にどのような損傷が起きておりそれがいかなる事象をもたらしているのかを把握することは困難である。
 

3に、仮に、いかなる事象が起きているかを把握できたとしても、地震により外部電源が断たれると同時に多数箇所に損傷が生じるなど対処すべき事柄は極めて多いことが想定できるのに対し、全交流電源喪失から炉心損傷開始までの時間は5時間余であり、炉心損傷の開始からメ ルトダウンの開始に至るまでの時間も2時間もないなど残された時間は限られている。
 

4にとるべきとされる手段のうちいくつかはその性質上、緊急時にやむを得ずとる手段であって普段からの訓練や試運転にはなじまない。運転停止中の原子炉の冷却は外部電源が担い、非常事態に備えて水冷式非常用ディーゼル発電機のほか空冷式非常用発電装置、電源車が備えられているとされるが、たとえば空冷式非常用発電装置だけで実際に原子炉を冷却できるかどうかをテストするというようなことは危険すぎてできようはずがない。
 

5にとるべきとされる防御手段に係るシステム自体が地震によって破損されることも予想できる。大飯原発の何百メートルにも及ぶ非常用取水路が一部でも700ガルを超える地震によって破損されれば、非常用取水路にその機能を依存しているすべての水冷式の非常用ディーゼル発電機が稼動できなくなることが想定できるといえる。また、埋戻土部分において地震によって段差ができ、最終の冷却手段ともいうべき電源車を動かすことが不可能又は著しく困難となることも想定できる。上記に摘示したことを一例として地震によって複数の設備が同時にあるいは相前後して使えなくなったり故障したりすることは機械というものの性質上当然考えられることであって、防御のための設備が複数備えられていることは地震の際の安全性を大きく高めるものではないといえる。
 

6に実際に放射性物質が一部でも漏れればその場所には近寄ることさえできなくなる。
 

7に、大飯原発に通ずる道路は限られており施設外部からの支援も期待できない。
 

エ 基準地震動の信頼性について
 被告は、大飯原発の周辺の活断層の調査結果に基づき活断層の状況等を勘案した場合の地震学の理論上導かれるガル数の最 大数値が700であり、そもそも、700ガルを超える地震が到来することはまず考えられないと主張する。*しかし、この理論上の数値計算の正当性、正確性について論じるより、現に、全国で20箇所にも満たない原発のうち4つの原発に5回にわたり想定した地震動を超える地震が平成17年以後10年足らずの問に到来しているという事実を重視すべきは当然である。地震の想定に関しこのような誤りが重ねられてしまった理由については、今後学術的に解決すべきものであって、当裁判所が立ち入って判断する必要のない事柄である。これらの事例はいずれも地震という自然の前における人間の能力の限界を示すものというしかない。本件原発の地震想定が基本的には上記4つの原発におけるのと同様、過去における地震の記録と周辺の活断層の調査分析という手法に基づきなされたにもかかわらず、被告の本件原発の地震想定だけが信頼に値するという根拠は見い出せない。

 

オ 安全余裕について
 被告は本件5例の地震によって原発の安全上重要な施設に損傷が生じなかったことを前提に、原発の施設には安全余裕ないし安全裕度があり、たとえ基準地震動を超える地震が到来しても直ちに安全上重要な施設の損傷の危険性が生じることはないと主張している。
 

弁論の全趣旨によると、一般的に設備の設計に当たって、様々な構造物の材質のばらつき、溶接や保守管理の良否等の不確定要素が絡むから、求められるべき基準をぎりぎり満たすのではなく同基準値の何倍かの余裕を持たせた設計がなされることが認められる。このように設計した場合でも、基準を超えれば設備の安全は確保できない。この基準を超える負荷がかかっても設備が損傷しないことも当然あるが、それは単に上記の不確定要素が比較的安定していたことを意味するにすぎないのであって、安全が確保されていたからではない。したがって、たとえ、過去において、原発施設が基準地震動を超える地震に耐えられたという事実が認められたとしても、同事実は、今後、基準地震動を超える地震が大飯原発に到来しても施設が損傷しないということをなんら根拠づけるものではない。
 

(3) 700ガルに至らない地震について
ア 施設損壊の危険
 本件原発においては基準地震動である700ガルを下回る地震によって外部電源が断たれ、かつ主給水ポンプが破損し主給水が断たれるおそれがあると認められる。

 

イ 施設損壊の影響
 外部電源は緊急停止後の冷却機能を保持するための第1の砦であり、外部電源が断たれれば非常用ディーゼル発電機に頼らざるを得なくなるのであり、その名が示すとおりこれが非常事態であることは明らかである。福島原発事故においても外部電源が健全であれば非常用ディーゼル発電機の津波による被害が事故に直結することはなかったと考えられる。主給水は冷却機能維持のための命綱であり、これが断たれた場合にはその名が示すとおり補助的な手段にすぎない補助給水設備に頼らざるを得ない。前記のとおり、原子炉の冷却機能は電気によって水を循環させることによって維持されるのであって、電気と水のいずれかが一定時間断たれれば大事故になるのは必至である。原子炉の緊急停止の際、この冷却機能の主たる役割を担うべき外部電源と主給水の双方がともに700ガルを下回る地震によっても同時に失われるおそれがある。そして、その場合には(2)で摘示したように実際にはとるのが困難であろう限られた手段が効を奏さない限り大事故となる。

 
ウ 補助給水設備の限界  このことを、上記の補助給水設備についてみると次の点が指摘できる。緊急停止後において非常用ディーゼル発電機が正常に機能し、補助給水設備による蒸気発生器への給水が行われたとしても、主蒸気逃がし弁による熱放出、充てん系によるほう酸の添加、余熱除去系による 冷却のうち、いずれか一つに失敗しただけで、補助給水設備による蒸気発生器への給水ができないのと同様の事態に進展することが認められるのであって、補助給水設備の実効性は補助的手毅にすぎないことに伴う不安定なものといわざるを得ない。また、上記事態の回避措置として、イベントツリーも用意されてはいるが、各手順のいずれか一つに失敗しただけでも、加速度的に深刻な事態に進展し、未経験の手作業による手順が増えていき、不確実性も増していく。事態の把握の困難性や時間的な制約のなかでその実現に困難が伴うことは(2)において摘示したとおりである。
 

エ 被告の主張について
 被告は、主給水ポンプは安全上重要な設備ではないから基準地震動に対する耐震安全性の確認は行われていないと主張するが、主給水ポンプの役割は主給水の供給にあり、主給水によって冷却機能を維持するのが原子炉の本来の姿であって、そのことは被告も認めているところである。安全確保の上で不可欠な役割を第1次的に担う設備はこれを安全上重要な設備であるとして、それにふさわしい耐震性を求めるのが健全な社会通念であると 考えられる。このような設備を安全上重要な設備ではないとするのは理解に苦しむ主張であるといわざるを得ない。

 

(4) 小括
 日本列島は太平洋プレート、オホーツクプレート、ユーラシアプレート及びフィリピンプレートの4つのプレートの境目に位置しており、全世界の地震の1割が狭い我が国の国土で発生する。この地震大国日本において、基準地震動を超える地震が大飯原発に到来しないというのは根拠のない楽観的見通しにしかすぎない上、基準地震動に満たない地震によっても冷却機能喪失による重大な事故が生じ得るというのであれば、そこでの危険は、万が一の危険という領域をはるかに超える現実的で切迫した危険と評価できる。このような施設のあり方は原子力発電所が有する前記の本質的な危険性についてあまりにも楽観的といわざるを得ない。

 

6 閉じ込めるという構造について(使用済み核燃料の危険性)
(1)
 使用済み核燃料の現在の保管状況  原子力発電所は、いったん内部で事故があったとしても放射性物質が原子力発電所敷地外部に出ることのないようにする必要があることから、その構造は堅固なものでなければならない。
 そのため、本件原発においても核燃料部分は堅固な構造をもつ原子炉格納容器の中に存する。他方、使用済み核燃料は本件 原発においては原子炉格納容器の外の建屋内の使用済み核燃料プールと呼ばれる水槽内に置かれており、その本数は1000本を超えるが、使用済み核燃料プー ルから放射性物質が漏れたときこれが原子力発電所敷地外部に放出されることを防御する原子炉格納容器のような堅固な設備は存在しない。

 

(2) 使用済み核燃料の危険性
 福島原発事故においては、4号機の使用済み核燃料プールに納められた使用済み核燃料が危機的状況に陥り、この危険性ゆえに前記の避難計画が検討された。原子力委員会委員長が想定した被害想定のうち、最も重大な被害を及ぼすと想定されたのは使用済み核燃料プールからの放射能汚染であり、他の号機の使用済み核燃料プールからの汚染も考えると、強制移転を求めるべき地域が170キロメートル以遠にも生じる可能性や、住民が移転を希望する場合にこれを認めるべき地域が東京都のほぼ全域や横浜市の一部を含む250キロメートル以遠にも発生する可能性があり、これらの範囲は自然に任せておくならば、数十年は続くとされた。

 

(3) 被告の主張について  被告は、使用済み核燃料は通常40度以下に保たれた水により冠水状態で貯蔵されているので冠水状態を保てばよいだけであるから堅固な施設で囲い込む必要はないとするが、以下のとおり失当である。
ア 冷却水喪失事故について
 使用済み核燃料においても破損により冷却水が失われれば被告のいう冠水状態が保てなくなるのであり、その場合の危険性は原子炉格納容器の一次冷却水の配管破断の場合と大きな違いはない。*福島原発事故において原子炉格納容器のような堅固な施設に甲まれていなかったにもかかわらず4号機の使用済み核燃料プールが建屋内の水素爆発に耐えて破断等による冷却水喪失に至らなかったこと、あるいは瓦礫がなだれ込むなどによって使用済み核燃料が大きな損傷を被ることがなかったことは誠に幸運と言うしかない。使用済み核燃料も原子炉格納容器の中の炉心部分と同様に外部からの不測の事態に対して堅固な施設によって防御を固められてこそ初めて万全の措置をとられているということができる。

 

イ 電源喪失事故について
 本件使用済み核燃料プールにおいては全交流電源喪失から3日を経ずして冠水状態が維持できなくなる。我が国の存続に関わるほどの被害を及ぼすにもかかわらず、全交流電源喪失から3日を経ずして危機的状態に陥いる。そのようなものが、堅固な設備によって閉じ込められていないままいわばむき出しに近い状態になっているのである。

 

(4) 小括
 使用済み核燃料は本件原発の稼動によって日々生み出されていくものであるところ、使用済み核燃料を閉じ込めておくため の堅固な設備を設けるためには膨大な費用を要するということに加え、国民の安全が何よりも優先されるべきであるとの見識に立つのではなく、深刻な事故はめったに起きないだろうという見通しのもとにかような対応が成り立っているといわざるを得ない。

 

7 本件原発の現在の安全性
 以上にみたように、国民の生存を基礎とする人格権を放射性物質の危険から守るという観点からみると、本件原発に係る安全技術及び設備は、万全ではないのではないかという疑いが残るというにとどまらず、むしろ、確たる根拠のない楽観的な見通しのもとに初めて成り立ち得る脆弱なものであると認めざるを得ない。

 

8 原告らのその余の主張について
 原告らは、地震が起きた場合において止めるという機能においても本件原発には欠陥があると主張する等さまざまな要因による危険性を主張している。しかし、これらの危険性の主張は選択的な主張と解されるので、その判断の必要はないし、環境権に基づく請求も選択的なものであるから同請求の可否についても判断する必要はない。
 原告らは、上記各諸点に加え、高レベル核廃棄物の処分先が決まっておらず、同廃棄物の危険性が極めて高い上、その危険性が消えるまでに数万年もの年月を要することからすると、この処分の問題が将来の世代に重いつけを負わせることを差止めの理由としている。幾世代にもわたる後の人々に対する我々世代の責任という道義的にはこれ以上ない重い問題について、現在の国民の法的権利に基づく差止訴訟を担当する裁判所に、この問題を判断する資格が与えられているかについては疑問があるが、7に説示したところによるとこの判断の必要もないこととなる。

 

9 被告のその余の主張について
 *他方、被告は本件原発の稼動が電力供給の安定性、コストの低減につながると主張するが、当裁判所は、極めて多数の人の生存そのものに関わる権利と電気代の高い低いの問題等とを並べて論じるような議論に加わったり、その議論の当否を判断すること自体、法的には許されないことであると考えている。このコストの問題に関連して国富の流出や喪失の議論があるが、たとえ本件原発の運転停止によって多額の貿易赤字が出るとしても、これを国富の流出や喪失というべきではなく、豊かな国土とそこに国民が根を下ろして生活していることが国富であり、これを取り戻すことができなくなることが国富の喪失であると当裁判所は考えている。
 また、被告は、原子力発電所の稼動がCO2排出削減に資するもので環境面で優れている旨主張するが、原子力発電所でひとたび深刻事故が起こった場合の環境汚染はすさまじいものであって、福島原発事故は我が国始まって以来最大の公害、環境汚染であることに照らすと、環境問題を原子力発電所の運転継続の根拠とすることは甚だしい筋違いである。

 

10 結論
 以上の次第であり、原告らのうち、大飯原発から250キロメートル圏内に居住する者(別紙原告目録1記載の各原告)は、本件原発の運転によって直接的にその人格権が侵害される具体的な危険があると認められるから、これらの原告らの請求を認容すべきである。

 

福井地方裁判所民事第2
 裁判長裁判官 樋口英明    
 裁判官 石田明彦    
 裁判官 三宅由子  】

注:判決文要旨の中における太字は筆者によるポイントを示すためのもの


 十分に読み込んでみると、この判決要旨が情緒的だとか、科学的根拠がない等と言える部分はない。哲学的見地は若干あるようにもみえるが、許容の範囲だ。逆に、この判決要旨に反駁を加えることは非常に困難な事態を、日本の原子力行政、関連企業は抱えたことになる。仮に、高裁、最高裁に控訴されるとしても、樋口裁判長らの論旨を覆す判決文を書くのは、相当に困難だ。そして、万が一、福島以外の原発において過酷事故でも起きようものなら、上級裁の事情判決は、徹底的に世論と対立することになり、最高裁事務総局の荒業も難しい選択を迫られる。筆者は、この判決文を読み、地裁レベルで、国富の概念まで登場する、壮大な判決が書けるのか、多少の疑問を抱いている。つまり、最高裁事務総局のお墨付きが存在している可能性も感じる。

 
そのようなシナリオがあるとすれば、日本司法の総本山である米国の意向も反映している可能性もあるだろう。前述したように、警察、検察とのなあなあな関係の継続で、裁判所の最高法規の番人と云う地位が、国民から疑われる事を忌避する自己保全かもしれない。しかし、いずれにしても、日本の原子力村に対する挑戦状のような判決であり、この論旨で裁判を指揮すれば、わが国の原発の再稼働は、悉く頓挫する。そういう意味でも、この判決の根拠は手厳しい。ここからは筆者の想像だが、最高裁が、今後は、行政立法の思惑(甘え)と異なる判断をしますよ、と云うメッセージにも見えてくる。将来的には、違憲に関する判断にも、巷の事情におもねる事のない、幾分教条的だが、原理原則を逸脱しない、正義の番人になってくれるかもしれない。期待と云うものは、多にして裏切られるものだが、裏切られようと、希望や期待を持った日々の方が、充実感はある。
 

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