真実の報道神秘

権力の『おかしな政策』におかしいと報道しない日本で、一人でも『おかしい』と声を上げ、真実を追求して行きます。

2011年10月

<年齢クルクル検察審査怪!>
検察審査会事務局が、国家権力に従い、国家権力に守られ、密かにインチキ議決をしたとしか考えられない。

検察審査会は、起訴議決発表時点で公表した審査員平均年齢を、その後2度も訂正した。
東京新聞がその顛末をまとめているのでもう一度読んでほしい。
計算も簡単だ。11人の平均年齢を2度も間違うなど考えられない。
一市民Tはどうしても納得が行かないので、検察審査会事務局に乗り込み質問をし、調べ、推理した。
調べ、推理していくうち、検察審査会事務局の手の内、カラクリがやっとわかった。

一市民Tが暴いた「検察審査怪の怪平均年齢」のカラクリを掲載するので、皆さんも検証して頂きたい。


<検察審査会事務局の「審査員平均年齢の大嘘」を暴く!>

事務局の発表とそれに対する一市民Tの読みを以下に。
 〇?涯匹「審査員平均年齢30.9歳」と公表した。
 一市民Tが読む"事務局のカラクリ"
『 事務局は、正式なルールに則らないで選出した11人(これらが審査員を務めたかどうかもわからない)の平均年齢を30.9歳として公表した。事務局は30.9歳という平均年齢がくじでは確率上発生し得ない若年令だという認識を持っていなかったと思う』
◆ー?呂ら「平均年齢が若すぎる。ありえない確率だ」という疑問の声が上がった。
 事務局は「若すぎる」という声を受けて「平均年齢は33.91歳。37歳の足し忘れがあった。」と訂正した。
 一市民Tが読む"事務局のカラクリ"
『報告通りの足し忘れだけであれば、平均年齢は(30.9×11+37)/11=34.27歳とすぐに計算できるはずだが、そのような発表はしなかった。
事務局は、足し忘れなどないのに、足し忘れがあったとして、複雑な計算をして、平均年齢のかさ上げを試みた。
実際には足し忘れなどないのだから、かさ上げする平均年齢を決めなければならなかった。
事務局はこの平均年齢33.91歳としたが、この年齢はどのように導き出したか。
事務局は30.9×11÷10=33.99歳と計算した。このまま33.99歳にすると、11人の年齢合計が 33.99×11=373.89となり整数にならない。年齢合計を0.89歳調整して373にして、かさ上げ平均年齢を373÷11=33.91とした。(事務局の公表数値とぴたり一致)
次に、足し忘れの年齢を決めなければならない。
ここで、事務局は大きなチョンボをやらかす。
「本来、足し忘れ年齢は(33.91-30.9)×11≒33 と計算し、33歳と公表すればよかった。ところが 事務局は、平均年齢を第1回議決の平均年齢34.27歳としたと勘違いしてしまったのか、それとも34.27 歳に近づけたいと考えてしまったのか、誤って、足し忘れ年令を (34.27-30.9)×11 ≒37と計算してしまった。(このような間違った計算をしないと37歳という数字が出てこない)」
検算すれば気づくはずだが。嘘がばれそうになって慌てていたのか。後ろめたさが判断を狂わしたのか。』
 ジャーナリスト畠山理仁氏らから「足し忘れの37歳を入れて計算すると、平均年齢は(30.9×11+37)/11=34.27歳となり、33.91歳とならない。この34.27歳は、事務局が呈示した第1回議決平均年齢と同じでミステリーだ」と追及されてしまう。
一市民Tが読む"事務局のカラクリ"
『足し忘れ年齢を(34.27-30.9)×11≒37と計算してしまったのだから、平均年齢は、足し忘れの37歳を加えて計算すれば、(30.9×11+37/11≒34.27歳になるのは当たり前のことだ。ミステリーでもなんでもない。』
ぁ〇?涯匹蓮嵎振冉齢34.55歳」と2度目の訂正をした。
「この平均年齢は、第1回議決審査員平均年齢34.55歳(議決時に直した年齢)と同じ値になる。平均年齢を訂正した理由は、審査員就任時の年齢を議決時の年齢に直したため」と付け加えた。
「就任時と議決時では3ヶ月しか違わない。平均年齢が33.91から34.55歳まで上がるはずがない」と追及されると、手嶋事務課長は「 足し忘れ以外の10人として計上した数字自体にも誤りがある。この数字はお忘れ頂いた方がよい。」と逃げた。
さらに、一市民Tが、このことについて傳田事務局長に直接質問したところ「そういう可能性があると言ったまでだ。間違った理由はわからない。議決時の年令を就任時で計算してしまった間違いもあった」
一市民Tが読む"事務局のカラクリ"
『 事務局の説明は全く辻褄が合うものでない。
「37歳足し忘れ」と言ってしまったミスで、最初に呈示した年齢データが使えなくなってしまった。「 足し忘れ以外の10人として計上した数字自体にも誤りがある。この数字はお忘れ頂いた方がよい。」と過去の数字を捨てるしかなかった。
34.55歳という平均値は、これまでとは違う別個の年齢データを使ったと思われるが、どのように算出したかはわからない。
おそらく、選管選出の候補者データから比較的若い人達11人の年齢データを抽出し、その年齢を審査員年齢としたのではないか?(審査員と選管選出候補者の生年月日をつき合わせると真実がわかる)
結果として、平均年齢が33.91歳から34.55歳に換わった理由を説明することは不可能になった。就任時年齢を議決時年齢に換えたというだけでは説明がつかない。「この数字はお忘れになった方がよい」と言うしかないのだ。 』


<呈示された平均年齢は確率上もありえない数字>

事務局は、最終的に、第一回議決と第二回議決の審査員平均年齢がともに34.55歳となったと説明した。
無作為にくじで選んだ場合、このように34.55歳という若年齢で一致してしまう確率は極めて小さく、実際には発生しない。
このことからしても、事務局は審査員選出に手心を加えたと思われる。そして、平均年齢の発表でも、手心を加えたことを誤魔化すため嘘に嘘を積み重ねてしまった。


<「東京第五検察審査会の情報公開を求める請願」活動を続けている>

一市民Tは、昨年暮れから、「東京第五検察審査会の情報公開を求める請願」活動を続けてきた。
審査員選出および審議が審査会法に則って行われたかをはっきりさせたいからだ。
その経過を逐次拙ブログで報告してきた。
二件ほど紹介する。
『6月14日 「東京第五検察審査会の情報公開を求める請願」を22人の紹介議員を通じ、参議院に提出』
http://civilopinions.main.jp/2011/06/post_32.html
『9月5日 参議院法務委員会:「東京第五検察審査会の情報公開を求める請願」を審査未了で保留!
http://civilopinions.main.jp/2011/09/95.html


<私達は検察審査会の情報公開を求め続けよう>

提出された請願が参議院法務委員会で議論されたが、審議未了で保留になってしまった。
野党議員と民主党議員の一部が反対したようだ。本当に腹が立つ。

審査員と選管選出審査員候補者の生年月日を公表することなど簡単に出来、なんら問題がないはずだ。
最高裁並びに検察審査会事務局は、個人情報だから公表できないと頑張っている。
生年月日を公表したからといって個人が特定できるわけでもないから、個人情報を開示したということにならない。開示したら不正がばれてしまうから出さないだけだ。
最高裁も本当に汚い。

「激変する環境、思考停止する組織~郷原信郎が斬る」

この事件では、公判前整理手続の段階で最大のポイントになったのは、水谷建設から睦山会への合計1億円のヤミ献金立証のための証人尋問請求を詰めるのかどうかだった。
 
水谷建設のヤミ献金の事実が仮にあったとしても(それ自体が極めて疑わしいことは、私がこれまで著書等で指摘しているところだが)、そのヤミ献金の事実と、起訴事実の陸山会の収支報告書の4億円の虚偽記人との関連性を示す証拠は全くなかった。検察官は、ヤミ献金を隠すために虚偽記人をしたとして、ヤミ献金が虚偽記入の動機・背景だという主張したが、そもそも、被告人の石川知裕氏も大久保隆規氏も、そのヤミ献金の事実を全面的に否認しており、それを隠すことが動機になって虚偽記入が行われたという証拠は全くない。

ヤミ献金と虚偽記人を結び付けるのは、憶測、推測、こじつけしかなかった。しかも、そのヤミ献金の事実は検察が捜査の対象にして、結局起訴できなかった「余罪」である。
 
このような「余罪」を立証しようとする証人尋問請求を認めることが、いかに不当なことか、次のような事例と比較してみたらわかるであろう。
 
A被告人はBを殺害した事実(〇?臓砲乃訴されたが、殺人の事実を全面的に否詰している。そのAが起訴事実より前にもBを殺害しようとして未遂に終わった容疑事実(∋?臓砲あって、その事実について徹底した捜査が行われたが、結局容疑が因まらず起訴されなかった。
 
この事例で、Aの殺人事件の公判で、〇?造瞭圧 η愀覆箸靴董↓∋?造了人未遂の事実を立証することが許されるだろうか。それは、起訴していない∋?造鬮〇?造慮?修芭証して処罰しようとしているのに等しく、刑事事件の「不告不理の原則」(検察官が起訴していない事実は審理の対象とされないとの原則)から言っても許されないことは明らかである。

不起訴に終わった余罪を公判立証することの異様さ 陸山会事件でも、もともと捜査の主題となっていたのは、この水谷建設からのヤミ献金の事件だった。マスコミでもその疑惑が大々的に報道され、検察の捜査の労力と時間の大半がこのヤミ献金の捜査のために費やされた。 しかし、結局、このヤミ献金についての政治資金規正法違反事件の証拠は因まらず、検察は立件を断念、世田谷の不動産の取得に絡む4億円の虚偽記人だけで石川氏を起訴したのである。
 
その石川氏らの公判で水谷建設からのヤミ献金の事実を、虚偽記入の動機・背景として立証しようとするのは、Aの公判で、前記の〇?造了人の背景として△了人未遂事件を立証しようとするのと同じことである。
 
本来であれば、そのような証人尋問請求は、裁判所の判断としては絶対に詰める余地はなかったはずだ。しかし、東京地裁は、検察官が強く求めたこの証人尋問請求を最終的に詰めてしまった。つまり、水谷建設のヤミ献金と4億円の虚偽記人とが関連性があるという判断を、その時点で行った。
 
そうなると、判決で、ヤミ献金と4億円の虚偽記人との関連性を否定する判断をすることは、先行して行った自ら判断を否定することになる。そのため、裁判所としては、どうしても、ヤミ献金の事実が虚偽記人の動機・背景になっているという認定をせざるを得なくなったのであろう。4億円の収支報告書虚偽記入の動機について、石川氏が、水谷建設のヤミ献金問題をマスコミから追及されるのを恐れ、世田谷の不動産の取得時期と代金の支払時期を、胆沢ダムの人・開札に近い時期ではなく、次の年にずらして記載したと認定したのである。
 
この判断がいかに常識からかけ離れたものかは、マスコミ報道の現状を少しでも認識している人間であれば、明白であろう。
 
もし、同不動産の取得と代金の支払について、実際の取得時期、支払時期のとおりに記載されていたとすれば、政治資金規正法上は全く適法である。胆沢ダムの人・開札に近い時期に4億円近くの高額の不動産の取得の事実を収支報告書で公開しても、それだけで、水谷建設からのヤミ献金疑惑の追及を受けることは考えられない。ヤミ献金というのは、その事実が表に出ないようにしてやり取りを行うからこそ「ヤミ」献金である。

ある政治家側が「目利き」をした疑惑が指摘されている大型工事の発注の時期と、その政治家の政治資金収支報告書に多額の現金の政治資金の動きが記載されている時期とが重なっていたとしても、それだけで、ヤミ献金の疑惑を報じることができるほど甘いものではない。ヤミ献金疑惑であれば、そのヤミ献金が実際に行われたことを誰が証言しない限り、それを報道しても、名誉棄損で提訴され、確実に敗訴する。そのことは、その種の調査報道を行っているマスコミ関係者であれば容易にわかるはずだ。
 
水谷建設のヤミ献金の事実が仮にあったとしても、その後、同社の会長が脱税事件で逮捕・起訴されたり、仮釈放間際の受刑中にヤミ献金の事実を供述したりすることがない限り、そのような疑惑が表面化することも、マスコミ報道の対象にされることは、あり得なかったはずである。
 
このような水谷建設からのヤミ献金疑惑がマスコミに追及されることを恐れて4億円の収支報告書の記載をずらしたということは常識から判断してあり得ないことである。どうしてこのような明らかに不合理な認定が行われたのか。裁判所としては、無理やりにでも、水谷建設のヤミ献金が4億円の虚偽記入の動機・背景になったと詰めなければ、検察官の証人尋問請求を語めた自らの判断が間違っていたことを認めることになる。それが、マスコミ報道の常識から考えて明らかに不合理な事実認定を裁判所が行うことにつながったとしか考えられないのである。

特捜部の面子をかけた冒頭陳述案に「根負け」した最高検 私が、某検察幹部から聞いた話では、そもそも、水谷建設からのヤミ献金について石川氏らの公判の冒頭陳述に記載することに対しては、検察内部でも強い異論があったようだ。捜査を進めてきた特捜部は、石川氏らの公判で、水谷建設からの1億円のヤミ献金を、政治資金規正法違反事件の動機・背景として冒頭陳述に記載して立証することを強硬に主張した。小沢氏の起訴が果たせなかったが、そのかわりに、ヤミ献金の事実を石川氏らの公判で冒頭陳述書に書けば、マスコミがそのまま報道し、それによって小沢氏にダメージを与えることができるという思惑からであろう。
 
しかし、最高検側は、水谷建設のヤミ献金の問題と4億円の虚偽記人とは関連性がないとの理由で、冒頭陳述案から削除するように指示した。ところが、特捜部は諦めない。また、水谷ヤミ献金の事実を記載したままの冒頭陳述書案を最高検に上げる、最高検から削除するよう重ねて指示されても、またその事実を書いたまま案を上げる、ということを繰り返しているうちに、最高検サイドも、最後には根負けして特捜部の冒頭陳述案を丁承してしまった。

「どうせ関連性のない立証を裁判所が認めるわけがないから、書くだけ書かせ
るしかない」という判断になった。検察が立証方針を決める段階で、特捜部の面子をかけた「無理筋」が通ってしまったのである。

 
本来、そのような起訴事実と関連性のない証人尋問請求は認められるべきものではない。弁護側も強く反対した。しかし、冒頭陳述書記載の事実の立証のために必要だと検察官が強く求めてくる証人尋問請求を却下することは、いかに、その請求が起訴事実との関連性についての判断として、常識を逸脱するものであっても、どうしても裁判所にはできなかったのであろう。いかに刑事司法の常識からはかけ離れたものあっても、検察司法の中核機関である検察が組織として決定し、当然行うべきと主張している証人尋問請求を却下することに、裁判所としては相当な抵抗があったのであろう。
 
結局、裁判所は、検察の「無理筋」の立証を詰め、水谷建設関係の証人尋問請求を容認してしまった。そうなると、判決でも、その判断を前提とする詰定を行わざるを得ない。

それが、水谷建設からのヤミ献金を隠すことが虚偽記入の動機だったという、凡そ理解しがたい判決の事実語定につながったものと思われる。そして、虚偽記人の動機をそのように詰定しようとすると、判決の事実詰定は、全体的
に大きく影響を受けることになる。

石川氏については、捜査段階の供述調書の多くが証拠請求を却下されても、政治資金収支報告書に、不動産代金の支払時期について客観的事実とは異なった記載をしている以上。「無罪」にはならないであろうと私も予測していた。ただ、それは、陸山会の事務手続き上のミスか、小沢氏に、不動産取引に関する事情をよく知らされていなかったために、よくわからないまま記載した理解不足によるもので、政治資金規正法違反の動機として悪質なものとは言い難かった。
 
ところが、「水谷建設からのヤミ献金を隠すことが虚偽記人の動機」ということを前提に事実認定をしようとすると、全く別の判断になる。まず、石川氏については、4億円の虚偽記人やミスとか理解不足などというものであってはなく、公共工事の目利きの対価であるヤミ献金を隠す意図から行った、まさに法の趣旨に著しく反する、悪質極まりない動機ということにせざるを得ない。
 
それは、前記のAの殺人の例で言えば、起訴事実の,了人についての証拠関係では、Aの行為とBの死亡との因果関係も殺意も立証できず「傷害」の認定にとどまったが、起訴されていない△了人未遂の事実について証人尋問まで行って殺意を認定し、それを考慮して、,了人の事実についても悪質な動機による犯罪と詰定して重く処罰するのに等しい。

 
そのような「水谷ヤミ献金動機・背景認定」による汚染は、それだけにとどまらない。私は、前田元検事がとった大久保氏の調書の任意性が否定され証拠請求が却下された以上、同氏の無罪はほぼ確定的だと見ていたが、判決の判断は全く異なる。ヤミ献金が胆沢ダムの工事受注の対価だとすると、その「目利き」を行った大久保氏こそが悪事の張本人ということになる。何とかして有罪の認定をしないと収まりがつかない。

そこで、石川、大久保、池田の3氏の間の共謀や犯意を「推認」に次ぐ「推語」で認定する。結局、判決全体が、「推認」、「推測」で埋め尽くされているが、その背景にあるのは、「水谷ヤミ献金動機・背景認定」であり、それは、「小沢事務所は、公共工事で『天の声』を出して『目利き』をして対価を受け取る、まさに公共工事の利権を食い物にしている違法集団」という認識を背景にしている。 
今回の陸山会事件判決の要旨を、刑事の実務の経験があるものが読めば、誰しも、その民事判決並みの推詰だらけの認定が、刑事事件判決として行われていることの異様さに驚くであろう。
 
しかし、その判決を出した裁判官3人が、特に異常な考え方とか性格の持ち主だとは思えない。普通の裁判官であっても、今回のような異様な判決を行ってしまったそもそもの原因は、起訴事実との関連性がない証人尋問請求を認めてしまったところにあると考えらえる。
 
それは、刑事司法の中核たる機関として良識を持って判断すべき検察が、そのような関連性のない立証を行う方針を組織として容認してしまったことに根本的な原因がある。そこには、証拠不十分のため、捜査で目的を果たせなかった特捜部の現場が、面子にかけて水谷ヤミ献金立証にこだわり続け、最後には最高検が「根負け」する形で、詰めてしまった刑事司法の常識に反する立証が招いた結果なのである。

陸山会事件判決は、刑事事件の常識に反する立証を詰めたことが、最終的に「『推詰』に埋め尽くされた異様な判決」につながり、政治的に重大な影響を与えた例として、これもまた、目本の司法の重犬な汚点になる可能性がある。

 

判決は〈岩手県や秋田県では、公共工事におけるいわゆる本命業者の選定に関して、小沢事務所の意向が決定的な影響力を持っており、その了解がなければ本命業者になれないという状況であった〉と、何の根拠も示さず断定しているのだ。その上で、大久保氏が「天の声」の発出役を務めていたと認定する。
 これらはいかなる証拠に基づくものなのか、判決要旨からはわからない。そもそも「天の声」の存在自体は、09年7月の西松建設 国沢幹雄元社長の判決で明確に否定されている。献金をして「天の声」をもらって、工事を受注するといった単純な話はもうないといってもいい。
 しかし、今回の判決がここまでハッキリ断定しているということは、国沢元社長の裁判でも出て来なかった何らかの根拠や証拠があるのだろうか。もしないとしたら、登石郁朗裁判長は頭がどうかしていると考えるのが、自然かつ合理的だ。
 判決によると、岩手県等の公共工事の受注を希望するゼネコンはまず小沢事務所の秘書に陳情し、了解が得られると鹿島建設の仕切り役にその旨を連絡し、小沢事務所の意向に沿った談合が行われていたという。これについても、認定した根拠は示されていない。
 それはさておき、ごく普通に一般社会で仕事をしている人間にとって、この判決に書かれたようなことが本当に行われていたとはにわかに信じ難いだろう。公共工事の受注は建設会社にとっては経営上、きわめて重要な問題だろう。それが、いくら地元の有力政治家とはいえ、一野党議員の一秘書(事務所)が「天の声」を発して差配していたと考えるのは無理がある。
 裁判官は何を根拠にこう認定したのか、要旨だけではわからない。しかし、ここまでハッキリ書いている以上、何らかの証拠があるのだろう。もしないとしたら、登石裁判長は頭がどうかしていると考えるのが、自然かつ合理的だ。
 ちなみに、東北の公共工事の談合について徹底的に取材したという政治評論家の森田実氏は、9月29日付の日刊ゲンダイで、「岩手県や秋田県では公共工事の談合において小沢事務所が決定的な影響力を持っていたと判断しましたが、そんなことはありません」と断じている。森田氏の取材の結果は「結論は小沢事務所に出る幕はなかったというものです」というものだ。ごく普通に考えて、公共工事の受注になぜ、発注者でもない小沢事務所の許可が必要なのか? 裁判官はどう考えたのか。有力政治家ならば、経済合理性を超えて何でもできると思っているのだろうか? 今回の判決をくだした裁判官らの頭の中を見てみたいものである。
 もちろん、だからといって、小沢一郎氏が与党の実力者として権勢を振るっていた時代には、そうした仕組みがあったであろうことまでは否定しない。小沢事務所と公共工事の実態については、久慈力・横田一著『政治が歪める公共事業 小沢一郎ゼネコン支配の構造』(緑風出版)に詳しい。しかし、この本で指摘されている事実は、今回の裁判で扱われた時期よりずっと前のことである。
 ちなみに、ゼネコン各社は独禁法改正前の2005年末にいわゆる「脱談合宣言」している。宣言後も談合事件が発覚したケースはあるが、これをきっかけに公共工事の受注の仕組みが大きく変わったことは間違いない。しかし、今回の判決はそうした基本的事柄も考慮されていないように見える。また、小沢事務所の公共工事発注に対する影響力の変化についても、検討された形跡はない。
 当時の小沢氏の立場を考えるなら、森田氏が言うように「出る幕はなかった」と考えるほうが合理的かつ自然ではないか。
 と、ここまで書いて古い資料をひっくり返していたら、驚くべきことに気がついた。
 先ほど指摘した、判決要旨に書かれた岩手県等における公共工事の受注に関するくだりは、西松建設事件の裁判のときの検察側冒頭陳述の丸写しだったのだ。一言一句がほぼコピペされているといっとも過言ではない。こういうことは、よくあるのだろうか? 判決の文章が検察側冒陳と同じということは、やはり判検が癒着していることの証拠ではないか。
 それはさておき、このくだりを読み返してもうひとつ指摘したいのは、百歩譲って小沢事務所が当時もまだ、公共工事に影響力を持っていたとしても、小沢事務所が陳情を受けて働きかける相手は、談合の仕切り役ではなく、発注者である首長もしくはその周辺ではないか。そうでなければ「天の声」など出せるはずがないのである。
 判決の要旨をざっと読んだだけでも、次から次へと矛盾が出てくる。まだまだ指摘したいことがたくさんあるが、少し長くなったのでいったん休む。続きはまた。

●山口一臣:これが判決文コピペ事件だ!
http://www.the-journal.jp/contents/newsspiral/2011/10/post_803.html
 まず、西松建設の国沢幹雄元社長に対する検察側冒頭陳述を引用する。
〈すなわち、岩手県下または一部秋田県下の公共工事の受注を希望するゼネコンは、小沢事務所に対し、自社を談合の本命業者とする「天の声」を出してほしい旨陳情し、同事務所からその了承が得られた場合には、その旨を談合の仕切り役に連絡し、仕切り役において、当該ゼネコンが真実「天の声」を得ていることを直接同事務所に確認のうえ、当該ゼネコンを当該工事の本命業者とする旨の談合が取りまとめられていた〉
 これが大久保元秘書らに対する判決で、こうコピペされていた!
〈岩手県等の公共工事の受注を希望するゼネコンは、小沢事務所の担当の秘書に対し、談合において本命業者となることの了解を与えてほしい旨の陳情に赴き、当該秘書の了承が得られると、鹿島建設の仕切役にその旨を連絡していた。連絡を受けた仕切役は、当該秘書に確認を取るなどした上で小沢事務所の意向に沿ったゼネコンを本命業者とする談合を取りまとめ、この談合に沿った入札 落札が行われて、本命業者が受注業者として決定されていたのである〉
 要するに、登石郁朗裁判長以下、今回の裁判官たちは、はなから検察の意向に沿った判決を書こうとしていたということだろう。検察の主張をそのままコピペして判決文を書くとは、裁判官にプライドはないのだろうか。いずれにしても、これは今回の判決の異常性の証拠のひとつにしか過ぎない。

↑このページのトップヘ